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31 (諏訪伊織視点-前編)

諏訪伊織視点

回顧録ともいう

 生まれたときから、俺は特別な存在だった。




 諏訪家の次期当主、諏訪伊織。

 それが、俺に与えられた名前だ。


 諏訪家の次期当主として、誰よりも優れていなければならない。

 そう訓えられ、そのように育てられてきた。

 実際、同じ年頃の子供よりも俺は優秀だった。

 狭い、とても狭い箱庭のような世界。

 その中で俺は自分が世界の中心だと思っていた。


 両親はとても忙しく、顔を見ない日の方が多かった。

 その代り、父の妹である叔母と、その娘の詩織がいつもそばにいた。

 叔母は、幼い頃に分家の養女となり、分家の跡を継いだのだそうだ。

 詩織も分家の跡を継ぐという話を聞いた。

 俺の知っている人間の中で、一番きれいで優しくて、とても暖かい存在が詩織だった。

 常に傍にいてくれる詩織が俺の世界のすべてだったと言ってもいい。

 少しずつ大きくなるにつれて、母親や叔母が俺と詩織をいろんな場所へと連れて行った。

 今思えば、それはお茶会の類だったのだろう。

 その中でも俺は母と同年代ぐらいの女性たちに、賢いとか優秀とかと言われてもてはやされた。

 当然だ、俺は諏訪家の人間なのだ。

 優秀で当たり前なのだ。

 他の子供と一緒にするな。

 そう思っていた。

 だが、彼女たちの話をよく聞けば、俺を褒めた後で必ずこう言う。

 『相良のお姫様は、とても聡明で、とても幼い子供のようには思えないわ。きっと、八雲様やあのお姫様のような子を神童と言うのでしょうね』と。

 相良の姫と言う存在が、自分よりも優れていると聞かされて、俺は正直憤った。

 俺ほど優れた人間はいないというのに、俺よりもさらに優れている人間がいるわけがないと。

 その思いは、幼稚舎に上がった時に打ち砕かれた。




 東雲学園の幼稚舎に通うようになってしばらく経った。

 同じクラスに相良の姫と言う存在はいなかった。

 やはり、自分より優れた人間はいないのだと思い直した頃、彼女に出会った。

 幼稚舎の周囲には季節ごとに収穫できる果物の木が植えられている。

 四季を通しての恵みを知ることで情緒豊かな子供に育つようにという教育の一環だった。

 だが、悪戯盛りの子供にとって、木やそれに生る果物は格好の遊び道具だ。

 まだ青い実しか生っていないリンゴの木を見上げ、俺は考えていた。

 この木に登って、あの実を取れば、俺が優秀な人間だということの証明になるのではないかと。

 そうしてリンゴの木に手を掛けたときだった。

「やめなさい、怪我をするよ」

 やや高めの柔らかい声が俺を止めた。

 振り返れば、髪の長い女の子が立っていた。

 年は俺と同じくらいか少し下か。

 まっすぐな黒髪で、目も大きくて黒く、そうして肌がとても白かった。

 俺が知っている中で一番きれいな人間は詩織だった。

 そこに立っている少女は、その詩織よりもさらに綺麗だった。

「その木の表面は滑りやすい。青い実を食べれば、お腹を壊す。いいことは何もない、やめた方がいい」

 非難めいた言葉に、俺はむっとする。

 詩織よりもきれいな人間が、何故俺を否定するのかと、怒りすら感じた。

「俺にできないことはない!」

 そう言ってやれば、そいつは醒めた目で俺を眺めた後、ふいっと横を向き、その場を離れた。

「おい、待て!」

「忠告はした。それを聞かない莫迦は知らない」

 莫迦と言われたのは、生まれて初めてのことだった。

 何故、俺を認めない!?

 絶対に認めさせてやると、半ば意地になって木登りをし、見事、木の枝を折って、落ちた。

 先生たちには怒られ、家に帰っても両親からも怒られた。

 何故、俺が怒られなければならない。

 俺は優秀で特別な存在なのに。

 俺が木に登る前に俺を止めたやつが褒められ、それを無視して登った俺は散々怒られた。

 意気地なしのあいつが褒められて、勇気ある俺が怒られるなんておかしい話だ。

 そう訴えたら、さらに怒られた。

 詩織にも危ない真似はやめてと窘められ、ようやくそこで俺は反省した。

 詩織が心配するから、やつが俺を止めたのだと理解したからだ。

 なかなか使えるやつじゃないか。

 よし、俺の家来にしてやろうと、次に会った時に言ったら、『莫迦は知らない』と冷めた目で言われて、それ以降、無視された。

 詩織よりもきれいな顔をしているくせに、俺が何を言っても知らん顔だ。

 許せるわけがないと思った相手が、相良の姫だと知ったのは、それからかなり経った後だった。




 初等部に上がった後も、相良は俺の存在を無視をしないまでもそこら辺の軽いものとして扱った。

 そうして、すべてにおいて優れていると言われる俺よりも、さらにその上を行く優秀さを周囲に示しながらも淡々としていた。

 相良はいつもひとりでいるか、岡部を連れているかのどちらかだった。

 放っておいて欲しいと思っても誰彼群がってくる俺とは違い、あいつの周りには誰も近寄らない。

 嫌われているわけではなく、近付きたいと思っていても、近寄らせない何かがあいつを取り巻いていた。

 傍に置くのは岡部だけ。

 屈託のない笑顔も、軽やかな笑い声も、すべて岡部にだけ、なのだ。

 他の奴らには微笑む程度。

 俺に至っては無表情。微笑みすら見せない。

 声を掛ければ答えるが、他の奴らとは違い嬉しそうではなく、鬱陶しそうに義理程度に答えるだけ。

 嫌われているわけでも好かれているわけでもない。

 あれは一体、どういう態度なんだろうか。

 だが何故か、詩織はあいつを気に掛ける。

 相良の姫と呼ばれるあいつと、その兄の八雲の2人を。

 詩織は俺だけを気にかけていればいい、そう言えば、詩織は笑って頷く。

 勿論、俺は特別なのだから、と。

 やっぱり俺は特別なんだ。

 だから皆、俺のことを気に掛ける。

 なのになぜ相良は俺のことを全く気にしないんだろうか。


 その疑問を抱えたまま、初等部を卒業し、中等部へと上がった。

 その頃になると、俺は大神紅蓮とつるむようになった。

 紅蓮の父と俺の父は親友同士で、よく出かけた場所で会うようになったからかもしれない。

 紅蓮は愛想良く微笑んでいるが、なかなかの毒舌で、頭もいい。

 打てば響くように言葉を返してくるので、話すのが楽しい。

 その紅蓮も相良のことが気になるようだった。

 自分からは声を掛けず、ただじっと見ているだけだ。

 見ているというより、観察しているようにも見える。

 そんなに気になるのなら話しかければいいと言ってみれば、今はデータ集めの最中だからと、微妙にはっきりしない答えが返ってきた。

 中等部1年の2学期が始まって1ヶ月が経った頃、俺はいつものように放課後、高等部へ詩織を迎えに行った。

 年が離れているため、高等部にいる詩織が少々恨めしい。

 詩織は俺だけを見ていればいいのに、高等部にいる間のことは俺には全く分からないからだ。

 ならば、授業が終われば、その後の時間は全部俺に使うべきだろうと迎えに行ったら、詩織は困ったように笑っただけだった。

 今日は高等部で行われる10月のイベントのハロウィンについて聞いてみようと思いながらいつもの場所へ行けば、詩織が見知らぬ男4人に絡まれていた。

 詩織は分家とはいえ、諏訪の人間だ。

 誘拐なんかの危険もあるとふと気づき、俺は持っていた荷物を捨てて詩織の方へ走って行った。

 詩織を助けないといけない。

 それだけしか、考えていなかった。

 詩織を連れて行かせない、絶対に離れるものかと暴れていた時、ふいに詩織の声が聞こえた。

 それは、相良を呼ぶ声だった。

 相良に逃げろと告げる声。

 あいつが近くにいるのか!?

 詩織の呼びかけの不自然さに、俺は全く気付かなかった。

 振り返ってあいつの姿を見つければ、相良はものすごく不機嫌そうな表情でこちらを睨んでいた。

 そして、手にはスマホ。

 学園の警備部と警察へ連絡したと告げるその手際の良さに、俺は驚く。

 こんな時にまで、あいつは優秀だった。

 そこからの事は、今でも夢に見る。

 俺が必死に抵抗しても、どうにもならなかった男の1人を投げ飛ばし、逃げながらも追い駆けるもう1人をどうにかしようと冷静に相手の動きを見ていた。

 その場面を身動きもできずにただ見ていた。

 車が動き出し、仲間もろとも相良を轢き殺す様を。

 小さな身体が宙を舞い、地面に叩き付けられ赤く染まっていくその様子を。

 俺は、ただ見ていただけだった。


 こちらに駆けつけてくる警備員たちの姿に、俺は、相良に助けられたのだと、実感した。




 救急車が到着し、相良と同じ病院に担ぎ込まれ、治療を受けた後、母がいることに気が付き、迎えに来てくれたのだと思って近づけば、思い切り頬を叩かれた。

「瑞姫様がもし亡くなられたら、おまえも責任とって一緒に死になさい!! 詩織もよ! 自分がやったことがわかっているの!?」

 てっきり褒めてくれると思っていたのに、何故叱られるのかと母を見上げれば、これ以上ないほどに激怒した母の姿があった。

「詩織、私は絶対におまえを許しませんからね。瑞姫様を殺そうとしたおまえを絶対に許さない。おまえがやったことは、諏訪を潰すことよ。本家はおまえを庇わない」

「詩織は、相良を逃がそうと!」

「黙りなさいっ!! 本当に逃がすつもりなら、黙っていればよかったの! 声を掛けた時点で殺意があったとみなされるわ。万が一の時に、おまえたちの命だけで事が済めば安いものね」

 その言葉に、本気で母は俺たちを殺すつもりなのだと悟った。

 相良が死ねば、俺たちの命で謝罪するつもりなのだと。

 それほどまでに恐ろしい相手なのだろうか、相良家とは。

 大企業、財閥などと呼ばれる諏訪が潰されると本気で思っているのだろうか、母は。

「もういいわ。帰りなさい。だけど、さっき言ったことは、本気ですからね。瑞姫様のご無事を祈っていなさい」

 低い声だった。

 母は背を向け、こちらの言葉を聞くつもりはないようだった。

 詩織は俺の手を取り、諏訪の分家へと連れて行った。


 分家の家には、誰もいなかった。

 叔父も、叔母も。

 いつからだろう、ここがこんなに静かになったのは。

 そして、その日から、詩織は本家へ踏み入れることは許されなくなった。




 相良の意識が戻ったと知らせが入ったのは、それから何日も経った後だった。

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