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春休み。
それは、園遊会開始の合図である。
桜の花がほころび始めたとの案内状が送られてくるようになると、そちらのお庭の桜も素敵でしょうねぇなどと誘い待ちの話題を振る人も増えてくる。
いかにオリジナリティ溢れたお茶会、夜宴にするか、悩ましいと零す家も出てくる。
広大な日本庭園を持つ相良家であるが、梅はあっても桜はない。
なので、この時期に園遊会を開くことはない。
質実剛健を地で行く家でよかったと、この時ばかりはホッとする。
園遊会のお誘いは、専ら祖父母や両親、兄姉たちがほとんどで、私に来ることは滅多にない。
来るとしたら、東雲学園の関係か下心あり系ぐらいだろう。
下心あり系は即座に切り捨てるが、東雲学園の関係だと相手をよく調べてからの返事になる。
返事をするのは私自身ではなく、何故か兄の八雲だが。
今回の春休みは、とりあえずのところ勉強と道場での稽古がすべてだ。
『seventh heaven』の設定で氏族というのがある。
東雲学園に通う生徒たちの名字についてだ。
名家は名字でわかるという考え方だ。
神・皇・天・地・外・他と6つに分けられる。
天孫降臨にまで遡ると言われる由緒正しき名字の分け方だ。
神が、文字通り神族。つまり、高天原から地に降り立った神の子たち。
皇は皇族から臣下に降った時に天皇から与えられた名字。
天は天族と呼ばれる瓊瓊杵尊に付き従った神々の子孫。
地は地族と呼ばれる天孫降臨以前からこの地にあった有力豪族たち。
外は外つ国、つまり大陸や朝鮮半島から渡ってきた外国人たちの子孫。
他は明治以降に与えられた名字である。
この他に葉族と言ってそれぞれの家からの分家筋にあたり本家とは別の名字を与えられた者を示すが、本家の括りに入れられるので明記されることはない。
この葉族というのはゲームで作られた設定だが、結局のところ、これらの区別は全くもって設定倒れに終わっている。
名家と呼ばれる人々は、神・皇・天・地の4族に入る名字であり、この中での上下は曖昧だ。
ただはっきりとわかっているのは、直系が永く続いている家ほど格が高いということだ。
この設定で行くと、我が相良家が皇族や神族を引き離してダントツに格上の名家となっている。
家系図で遡って正確にわかっているだけでも1600年直系が続いている。
その間、一度たりとも分家筋から当主を招き入れたことはない。
相良家は多産系で一代につき少なくて5人の子供が生まれている。多いときは16人ほどだが、それはすべて正室からであり、側室は持たなかったらしい。
どんだけらぶらぶ……っつーか、奥さん大変だな!というのが、家での教育で学ばされた時の感想だ。
つまり、相良の家に生まれた者は、相手にその時代相応の問題がなければ恋愛結婚OKだったようだ。
身分違いでも、養子縁組という抜け道で娶るという方法がありますからねー。えぇ、16人の方ですけど。
相良家に嫁げば、絶対に浮気なしで大事にされるということから、婿候補としては垂涎の的なんだとか。
ちなみに娘の場合もさらにお得感があるので嫁候補に大人気だ。
多産系ということで最低3人以上は男女合わせて出産する上に、福の神特典もつくらしい。つまり、相良の娘が嫁いだ先は栄えるという神話があるのだ。
もちろん、これには条件がある。
相思相愛であること、娘とその子供を大事にすること、だ。
浮気をすればそこでおしまい。
相良は必ず娘とその子供を引き取り、きっちりと縁を切る。
そこから先は相手の家は転落の一途だ。
福の神は紙一重で禍つ神となる。
そのことを知らずに欲得三寸で婚約の申し込みをすれば、門前払いを食らうだけ。
まだ未成年である私にすら婚約の申し込みが来ているというのは、そういうことだ。
まぁ、もちろん、相良の娘が福の神であるという神話にはそれなりの理由はある。
ひと財産稼げるだけの教育を受けていると言えば分りやすいか。
身を守るために一通りの武術は教え込まれているが、それとは別にそれぞれに合った才能を伸ばす教育を施されているのだ。
昔であれば、治水術などの土木に関する知識だとか、高額商品になりやすい機織りだとか、茶匠の技術だったり。
女子に学は必要がないと言われていた時代でも、それなりの教育を与えていたところがすごいと思う。
私の場合は、絵だ。
とはいっても絵画でも漫画でもない。
友禅の下絵だ。
前世で友人の薄い自主出版な本の背景を描いていた私は花や木を描くのが好きだった。
手のリハビリがてらに絵を描いてみますかと渡されたスケッチブックに懐かしくなって花を描いていたところ、その絵を見た母に着物の柄のようだと言われ、そこから父や祖母が色々と手配をかけて、今では友禅作家として少しずつ動き出している。
相良瑞姫にそんな設定はなかったから、これはどういうことなのかとちょっと動揺している。
まぁ、もちろん、あの事件自体がゲームにはない設定なので、どう判断していいのか迷うところだが。
とりあえず、私は、私だ。
ゲーム通りに動く必要もないだろう。
本当に東條凛が来年現れるとも限らないし。
そう思うことで、今、生きている私がいる。
相良家の敷地内にある武道場。
己の鍛錬の為に時間があるときは稽古をするというのが相良家の人間の習性のようなもの。
かくいう私も現在、気分転換がてらに稽古中である。
入院中に完全に体がなまったと思い、退院したのちに道場に来てみて愕然とした。
右大腿骨と右上腕部の複雑骨折、及び他にもいろいろ単純骨折やらヒビが入ったり内臓に傷がついてたりしてたのだから、仕方がないことだと思う。
生き延びたこと自体が奇跡なのだから、自分を責めてはいけないとリハビリの先生にも言われている。
だけど、膝が曲がらずに正座ができないという己の状況に以前の自分の感覚が馴染めなくて違和感を感じても仕方ないだろう。
そういえば病院ではベッドと椅子の生活だった。
痛みと不自由さの戦いで気付かなかったが、それはこういうことだったのだろう。
それから入念に柔軟体操で関節やら筋肉やらをほぐすことをはじめ、正座ができるようになった。
正座ができる時間を伸ばすようにして、1時間できるようになってから古武道の型を訓練するようになった。
ひとつひとつクリアをしていくことを決め、それを実行する私は、大人たちから同じ年の子と比べ我慢強いとか、理性的だと褒められたが、それは当たり前のことだ。
前世では少なくとも24年間生きていたのだ。社会人としての経験が刻まれている私にとって、物事がうまく進まないからと癇癪を起こす気力はない。
今現在の稽古内容は演舞で滑らかに動くことだ。
組手はまだできない。
相手の動きに対応しての素早い動きにまだ身体が追い付かないのだ。
演舞自体もまだ納得のいく動きはできていない。
元々の基礎体力や筋力量で普通より治りは早いと言われているが、思うようにいかないのは歯痒い。
少しずつでも改善できていることが、今現在の救いだ。
ゆったりと呼吸をしながら気を全身に廻らせる。
手足の動き、体重移動をチェックしながら型に合わせて動いていく。
滑らかに、力強く。
一連の動きを終え、呼吸を整えた。
「すごいな。綺麗な動きだったよ、瑞姫」
ほっと息を吐いたとき、背後から声がかかる。
「……疾風。来ていたのか?」
同じ年の幼馴染でもある岡部疾風が壁に背を預けてこちらを見て笑っていた。
「うん。母屋に行ったら、八雲様が瑞姫は道場にいるからって仰ったから」
岡部家は相良家の随身の家系だ。
同じ地族であり、相良の第一の家臣であることを由とし常に付き従うということを代々伝えているらしい。
本来なら、疾風は八雲の傍付になるはずだった。
なぜか八雲が5歳も年が離れたせいで疾風は私についている。
2年前のあのとき、疾風は風邪をひいて、しかも肺炎をこじらせかけていたため学校を休み、私の傍についていなかった。
ついていればあんな目に合わせなかったと後悔しているらしく、入院中も毎日病院に通ってきていた。
元々岡部は文官を多く輩出している家だが、武官も少なくはない。
相良に沿う者は文武両道に秀でた者だけと決めてあるらしく、疾風は特に優秀だ。
私に二度と怪我をさせないという一念でそこまで頑張ったのだから驚いた。
「兄上は帰ってこられていたのか。最近、父の会社の仕事を勉強するようになってお会いしていない」
「あ。いや……ごめん」
ちょっと拗ねたように言えば、疾風は慌てたように視線を泳がせる。
「ん?」
「八雲様、俺と入れ違いに出て行かれた……」
しょぼんと項垂れて申し訳なさそうに告げる。
おっきなわんこのようだ。
「ごめん」
「別に疾風のせいじゃないだろう?」
「だけど、俺だけ会って、瑞姫が会えないなんて……」
170cmも身長がある私よりもさらに10cm以上高い大柄な疾風がしょぼんと肩を落とす姿は何やら可愛らしい。
何だか可笑しくなってくすくす笑いながら疾風の頭を撫でる。
柔らかなくせ毛でさわり心地が非常にいい。
一度触ると癖になるので、結構撫でていたりする。
「疾風のせいじゃない。兄上に会いたければ、メールをしておくし」
「ん」
嫌がるかと思ったけれど、疾風も頭を撫でられるのは好きらしく、微妙に機嫌がいい。
本物の犬だったら尻尾がゆらゆら揺れている状態だろうな。
「それで、何か用だったのか?」
そう問いかけると、少し照れたように笑う。
「在原と橘が、もしよければ気分転換に出かけないかと瑞姫に聞いてくれと」
「在原と橘が?」
聞き慣れた名前にきょとんとする。
在原静稀と橘誉、共に皇族の名家出身である。
これに私と疾風、諏訪と大神に天族の菅原千景を合わせて学園七騎士と呼ばれているらしい。
在原と橘は疾風と仲が良く、授業ではよく組んでいるようだ。
この2人とは初等部の時に同じクラスになったことはあるが、そこまで親しく話したことはない。
それゆえ、今日いきなり誘われて驚いている。
「何故その2人が私を誘うんだ? 疾風」
「んー……」
困ったように疾風が視線を泳がせる。
「お茶会やらなんやらの誘いがうるさくて、逃げ出したいから誰もが黙るような口実がほしいと……」
「それで、私か」
「うっ……ごめん」
「いや、いいよ」
気持ちは非常にわかる。
これから高等部に上がるとなれば、学生とはいえそこそこ家同士の付き合いを求められはじめる。
どこの家の子息と友人だということは、案外大人たちは把握しているのだ、表面的なものだが。
諏訪家は広範囲に渡って企業を持っているようで、2年前の事件以降、相良と微妙な関係になったためその業績に陰りが出ていると聞く。
仕方あるまい、諏訪の衰退は詩織様とその両親である諏訪分家のせいだ。
早晩諏訪の両親はその原因に気付くだろう。
その時、分家を切り離すかどうかが再建のカギだ。
それより、在原と橘の件だ。
「疾風が大丈夫だと判断したんだな?」
聞きたいことはその一点。
相良の娘を道具とみなさず、一人の人間として扱えるかどうか。
普通ではありえない考え方だが、ここでは仕方がない。
「うん。あ、でも、瑞姫に勉強を教えてもらいたいとは言っていた」
一度、はっきりと頷いた後でちょっと小首を傾げて考え込むと、困ったように告げる。
同級生に勉強を教えてもらいたいと考えるのは、相手を利用しようということになるのかもと、妙なところで生真面目な疾風は判断に迷ったらしい。
「勉強を教えてもらいたいというのは、いいことだと思うよ。私が得意な科目であることを願うけどね」
「わかった。じゃあ、大丈夫だ」
嬉しそうに頷いた疾風がそう断言する。
「出かける場所と時間、それに待ち合わせ場所を知らせるように伝えてくれ。私はあまり人混みが得意ではないともな」
「うん。伝えておく。瑞姫に無理はさせない。そこは俺が約束する」
私の両親に頼まれているせいか、少しばかり出不精の私を外に連れ出したい疾風がしっかりと請け負う。
膠着していた何かが微妙な方向へと動き出したことに、この時私は全く気付かなかった。