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梅香様の話をまとめると、大伴家のパーティですれ違った私たちを見送った後、私の姉、菊花に声を掛けられたらしい。
ちょっと特殊なプログラムを組む菊花姉上は、藤原家の仕事をしたこともあるらしく、梅香様とも顔見知りなのだそうだ。
そこは私も初耳だった。
うちの女王様といくつか話をしていたところ、姉に声を掛けて来た男性がいた。
それが問題の相手のようだ。
一条秀明。
かつて藤原家の分家であったものが、独立して一条の名を藤原当主から与えられたのが一条家の始まりだ。
もう一つ、一条という名字を持つ家があるが、そちらとは全く別の家だ。
同じ苗字なので混同されやすいのだが。
穏やかな雰囲気を持つ一条秀明の秀麗な顔立ちに視線を奪われた梅香様は、彼に微笑みかけられて恋に落ちたそうだ。
うん。ベタだと思っても仕方ない。
恋を夢見るお嬢様だから、そういうこともあるんだろうね。
というより、梅香様の好みを用意周到に調べ上げて、それに該当する人物をピックアップした菊花姉上の策略勝ちと言った方が、本当は正しいだろう。
どういう状況が一番梅香様がときめくのかをシミュレートして、最高のシーンを提供したのだろう、自分の目的の為に。
純粋無垢な梅香様は、知らずに引っ掛かってしまったのだ。
最初の予定では私がする役だったのを、おそらく、奪ったのだ、菊花姉上が。
うちの兄姉は、末っ子の私に甘すぎるほどに甘い。
罪悪感に苛まれるような汚い役はさせたくなかったのだろう。
割と、平気で出来るけどな、私は。
だが、逆の立場に立てば、誰が大事な身内にそんな汚い役をさせられるかと思うだろう。
私だってそう思う。
すでに成人して、社会基盤というものを持っている菊花姉上は、すべてを計算したうえで、やり遂げたのだ。
自分に優しく微笑みかけてくれた在原に、気持ちを高ぶらせ、お伽噺のお姫様になった気分で押しかけ女房ならぬ押しかけ婚約者になってしまった梅香様。
それが恋ではなく、恋だと思い込んでしまったことに気が付いて、在原に対して罪悪感を抱いている。
相談しようにも、自分の周囲には自分と似たような人しかおらず、相談するべき相手を見つけきれずに途方に暮れていた。
そんな折、在原が私の話をした。
いろいろと相談に乗ってもらっている、と。
そこで梅香様も私に相談に乗ってもらおうと思い立ったそうだ。
純粋培養だからこその思考だろう。
相手がほぼ初対面の年下の女の子であることに気付かずに、頼ってしまうところとか。
だからこそ、菊花姉上に付け込まれてしまったのだ。
申し訳ないと内心思うが、それを口にするわけにはいかない。
姉がしたことは、私も同罪と言えるからだ。
一条秀明様は、姉が言う私のストーカーなのだそうだ。
私が大伴様のパーティに出席したということを聞いて、真偽を確かめに菊花姉上に尋ねに来たそうだ。
まあ、私はまんまと大伴夫妻の掌の上に転がされてしまった結果、ほとんど人と会わずに遊戯室でビリヤードに興じてしまっていたのだし。
もしかしたら、それも菊花姉上の差し金だったのかもしれない。
大事な妹がストーカーに付きまとわれて、迷惑しているということを大伴夫妻に直談判することくらい、菊花姉上にとって他愛もない。
私が知らなくても、それは兄姉にとっては事実なのだから。
菊花姉上と一緒にいる女性が、本家筋のお嬢様だと知っている一条様なら、彼女に対し、微笑むことくらいはするだろう。
分家にとって、本家は太陽のような存在だ。
本家がいるからこそ、自分たちは存在できると思っているところがある。
たとえそれが名字を与えられて、切り離されても、その思いは一緒なのだと聞かされた。
一条様にとって、梅香様の機嫌を損ねることは罪にも等しい。
笑顔で挨拶することくらい、簡単なことだろう。
ただそれだけの軽い気持ちが、大事を引き起こすことになる。
在原の時にはさすがに強引に話を進めることができないであろう藤原本家も、相手が一条家なら簡単だ。
在原静稀は15歳。一条秀明は25歳。そうして、22歳になる梅香様のお相手にふさわしいのはどちらかかと考えれば、明白だ。
いくら在原家が名家でも、静稀が適齢期になるころには梅香様はアラサーとなる。
完全に嫁き遅れとして名を馳せてしまうだろう不名誉を藤原家が許すはずもない。
早く嫁ぐには構わないが、遅くなれば名誉にかかわると思う名家のありようは、いささかどうであろうかと思ってしまう。
これは、私が一般人であったという記憶がそう思わせてしまうのかもしれない。
一般人の常識というのは、セレブの非常識と一致することがある。
独身主義がその最たるものだ。
そして、浮気に関しても真逆に位置する。
一般的な感覚として、浮気は許されないものだが、セレブではゲームのようなものとして、子供ができないのなら許されるという認識がこちらではある。
その点に関しては、相良家は一般寄りだ。
たった一人の伴侶に固執してしまうからだ。
まあ、それはいいとして。藤原家は、梅香様の仄かな恋心を知れば、一条家に圧力をかけることだろう。
主家の命を分家が断れるはずもない。
数日中に両家の婚約がなされるはずだ、梅香様が一言そういえば。
梅香様を宥め賺し、自分の気持ちを周囲に素直に告げることをアドバイスして、彼女と友達になることを約束する。
見舞いの品を受け取り、そうして彼女を送るために一緒にロビーへと向かった。
ほぼ初対面であるのに、色々と醜態を晒したと恐縮する梅香様に笑ってそれらを否定する。
藤原家の知名度は、相良家よりも遥かに高い。
そんな家を相手に喧嘩を売るなど、普通では考えないだろう。
血の気の多い兄姉なら、やるだろうが、私はしない。
基本的に私は事なかれ主義だ。
古き良き日本人の典型だと自慢して言えるだろう。
和を重んじることの方が、孤軍奮闘で戦うことよりも有意義だと思える。
戦うこと自体は嫌いではないが、状況判断も必要であるという考えは持っているつもりだ。
「本当に色々と、申し訳ありませんわ、瑞姫様」
恐縮しまくった梅香様が私に頭を下げてくる。
本人としては醜態を晒しまくったとしか思えないだろう。
「いいえ。いろいろとお話を伺えて楽しかったですよ」
にっこりと笑えば、梅香様が赤くなる。
この人、私の顔が好きらしい。
だけど八雲兄は苦手のようだ。
同じ兄弟でも微妙な個性で好みがわかれるらしい。
若干、男性恐怖症のきらいがある梅香様には、八雲兄はつらかろう。
いくら私とよく似た顔であるとはいえ、あちらは肉食系男子である。
人見知りをする梅香様には恐怖の対象といえるかもしれない。
逆に言えば、私は草食系なのだろう。
恋愛に対して一切興味を示さないし、些細なことでは怒りを覚えることもない安定した性格なのだし。
その点で行けば、長兄も彼女にとっては苦手な相手の最たるものであろうが、実際はそこまで苦手ではないようだ。
すでに意中の相手がいる兄だし、他者に対してはそこまで気を使うこともなければ、身の危険を感じることもない。
だから安心して付き合える相手だと思ったのも無理はないだろう。
ロビーまで歩いた私は、自動ドアから中へ飛び込んできた人物の顔に驚いた。
「一条様」
私と一緒にいる梅香様の言葉に、秀明氏の表情が強張る。
私に何を言われるのかと、怯えていたようだ。
「瑞姫さん」
白い顔色で、言葉を紡ぐ。
「梅香様がお帰りになられるそうなのですが、お迎えに来ていただいたのですね?」
にっこりと、実ににっこりと、秀明氏に笑いかける。
「僕は、あの……」
何かを言い出そうとした秀明氏は、そのまま口籠る。
菊花姉上にハメられたことに気付いたかもしれない。
それとも、私が梅香様の言葉を素直に信じているのだと思ったのかもしれない。
今言い訳しても立場が悪くなるだけで、状況は好転しないと悟ったようだ。
「今日はありがとうございます、梅香様」
「こちらこそ、お話を聞いていただけてうれしかったですわ」
にこやかな笑みと会話を続ける二人に対し、秀明氏の顔色がますます悪くなる。
気が付いていても、かける言葉はないところが性格が悪いと思う。
「それでは、また」
笑顔のまま見送る私に、梅香様が嬉しそうに微笑む。
「ええ、またお会いしましょう」
名残惜しげに去っていく梅香様をエスコートしながら哀愁を漂わせる秀明氏に、器用だなとしか思わない私。
だが、菊花姉上には言っておかなければならないことがある。
二人の姿が扉の向こうに消えたのを確認し、私は二番目の姉に抗議をするべく、自分に与えられた部屋へと戻っていった。