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 スケッチブックの中には、その時々に気になったものを乱雑に描きとめたり、友禅の下絵の原図である元絵を描いていたりと、人に見せるにはちょっと恥ずかしいものばかりだ。

 それの中から1つの元絵を取出し、真季さんに差し出す。

「真季さん、これなんだけど」

「……これは、椿かい?」

 差し出した紙に描かれていたのは椿の一枝。

「太郎椿。真季さん、冬に1枚、着物を仕立てたいって言ってたよね? これは、どうかなと思って」

 武家では厭われる椿だが、芸者衆には好まれるモチーフだ。

 芸者さんの名前を椿の名前で揃えているところもあるらしい。

「そりゃあ、すごくいいとは思うんだけど」

「色描きを若手作家に頼めば、値段はかなり下げられると思うんだけど。御祖母様が花見月のブランドで出してるお着物はそういう物が多いし」

 友禅デザイナーとして相良から売り出された私の作品は、大きく分けて2つある。

 1つは私が描く1点もの。

 これは、そんなにたくさん描けないため、希少価値があるとかで我が目を疑う値段がつけられている。

 一度、値段を知った私は御祖母様に抗議したことがあるのだが、色描きに私独自の技法とやらが使われているので適性なのだと反撃を食らった。

 独自の技法、というか、独自の画材を使ってますよ、そりゃ。

 細かい線描きが筆ではしにくかったからさ、まだ腕の怪我が完治してない状態で描いてたものだから、あることを思い出して、使ってみたんだ。

 知っている人は知っている、『万能戦士爪楊枝様』の応用版。

 爪楊枝って、本当にいろんなことに使えるんだよね。

 細かい作業に最適というか。

 だけど、絹に爪楊枝だと、どうにも破きそうで竹ひごを削って使ってみたんだな、これが。

 太さや削り面の形を変えたりと、いろいろ試しながらやってみたら、面白い線が描けるようになって、繊細な表現もできるし、と、面白がっていたらその線の描き方が評価されるようになったようだ。

 他にもやった人、いるんじゃないのかなと思ったんだけど、普通に考えると邪道だしね。

 とりあえず企業秘密という扱いになっているらしい。

 それとは別に、私の描いた下絵を描きため、年に何回か、若手の登竜門として下絵に色を付けるコンクールっぽいことをやっているらしい。

 私が乗せた色に近い色合いの人に、その下絵を預けて着物を作ってもらうということになっているようだ。

 こちらは本当に新人さんがしている仕事なので、着物の値段自体が抑えられてお手頃価格になるらしい。

 友禅作家を目指す人たちが、自分の作品を世に出すチャンスはものすごく少ない。

 なかなか芽が出せずに潰れて筆を折る人も少なくはない。

 工房に入っても、伝統のモチーフを淡々と描き続ける仕事ばかりで、自分のオリジナル作品を手掛ける暇もない人も多い。

 私のデザインに色を付けることで、チャンスを得て、なおかつ運が良ければスポンサーがつくかもしれないというシステムを御祖母様が作っちゃったわけだ。

 詳しくは、さすがに知らない。

 だって、学生が本分なんだもん。

 学業そっちのけで作家業を熱心にするわけにもいかないから、大人たちに任せている。

 たまに、最終審査をさせられることもあるけれど。

 そのブランド名が瑞姫から取って、花見月という名前なんだそうだ。

「私が描くには、ちょっと時間がかかりすぎるから、冬には間に合わないかもしれないし」

「確かにね。学生さんだものねぇ」

「うん。学生さんだから、勉強もしないといけないので、時間制限があると無理かもしれないのでお断りしちゃうのですよ」

 うんうんと頷いて答えると、真季さんは首を傾げる。

「勉強ばかりしてると、ろくな大人になりゃしないって言ってやりたいね」

「あははははは。でも、私が勉強しないと、困るのは私じゃなくて他の人たちだからね。まあ、気に入ったのなら、こちらを花見月の方に回すよ」

「そうだね。お願いしようか。いろいろ見せてもらったけど、なかなかピンとくるものがなくてね、間に合わないかと思ってたところだよ」

 真季さんが居る屋形で今年の冬にデビューする芸者さんがいる。

 その子達をお姐さんである真季さんが自分のお座敷に連れまわすのだ。

 ご贔屓さんを作るためもあり、先輩御姐さんの仕事ぶりを間近で見て勉強するためでもある。


 余談だが、ご贔屓さんはあくまでもお座敷に呼んでくれるご贔屓さんのことで、個人スポンサーは禁止されている。

 前世では、確か、個人スポンサーがそれぞれ何人か必要だったりとかいう話を聞いたことがあるけれど、ここではそれは禁止事項だ。

 何故なら、個人スポンサーになってくれる人をなかなか掴まえられない子もいるからだ。

 なのでこちらではスポンサーや屋形につくことになっている。

 おかあさんもしくはおとうさんと呼ばれる屋形の主が、花代とは別にそれぞれに応じて振り分けているらしい。

 見習いの時期は、着物や帯、細々としたものは屋形の方で揃えることになっているが、それは借受していることを意味しているので借金と同じだ。

 給料の中の一部をそれらの返済に充て、そうして完済した時に一人前に扱われるらしい。

 無理なくコツコツと、着物の一部は先輩御姐さんの若かりし頃の着物を譲ってもらって、その借金が少しでも少なくなるようにと工面しているところもあるそうだ。

 そんな中で、自分の蓄えで初めて買った着物は特別なのだと聞く。

 だから着物作家は、特別に想ってもらえるような着物を作りたくて頑張っているのだ。


 どうやら真季さんに気に入ってもらえたらしい。

 よかった。

 そう思って、同じ椿のモチーフを真季さんの前に差し出す。

「ちょっと! 何さ、これ!!」

 真季さんの表情が一気に変わる。

「これ、真季さんのものだよ」

 同じ太郎椿の絵だが、こちらは先程の絵とは違い、かなり独特な絵になっている。

 友禅は、柔らかい色彩で描くことが多いが、こちらははっきりとした色合いだ。

 好き嫌いでわかれるだろうことは、描いた私が一番よく理解している。

「どういう意味だい?」

「さっきのは、小槙姐さんに購入してもらいたい着物の図案。こっちは真季さんしか着れない、真季さんのための着物」

「え?」

「あれ描いてる時に、思いついちゃったんだ。これは、真季さんのものだって。だから、これは私が描く。そして、真季さんにプレゼントさせて」

 完全に真季さんが凍りついた。

 だろうなー。

 私の描いた着物の値段を知っている普通の感覚の持ち主ならこうなるはずだ。

「何言ってるんだい!? そんなのもらえるわけないだろう!!」

「今すぐ渡せるものじゃないしー。何年かかるかわかんないものだから、待っててほしいなーと思って」

「どんだけ値段がつくかわかってるのかい!? これなら、相当な値段になるはずだよ!」

「んー……じゃあ、花代。確か、この手の物納は大丈夫なんだよね?」

 花代は、何もお金で支払わなくてもいいらしい。

 かんざしとか、宝石とか、売ってお金になるようなもので、花代と同等の価値があると判断されたものに限り、物納できると聞いた。

 なので、着物は反物でも仕立て上がりでもどちらでも受け取ってもらえる。

「ちょっとお待ち! 何回分の花代だと思って言ってるんだい?」

「んー……よくわかんないけど、真季さんの唄と三味線が聞けるなら、安いものだと御祖父様なら言うと思うけど」

「金の卵って、自分の価値観がよくわからないって聞くけど、ここまでとは思わなかったよ」

 げっそりした様子で真季さんが天を仰ぐ。

「おやー? 天下の小槙姐さんが、ご自慢の唄と三味線がこの着物に釣り合わないと? おまけに、この着物を着こなせないとおっしゃるわけだ」

「馬鹿をお言いでないよ! この小槙姐さんが例え人気があろうとも新人作家の着物を着こなせないわけないじゃないか!」

 はい、お約束ー!

 売り言葉に買い言葉の典型だよね。

「じゃ、決まり。もらってね」

 にっこりと笑って言えば、ハメられたことに気が付いた真季さんがわなわなと震え出す。

「この、小娘ーっ!!」

「あははははは。真季さんだけだよ、私を小娘扱いできるのは」

 小娘と呼ばれても、全然嫌な気がしないのも真季さんだけだ。

 当代一、二を争う人気芸者の小槙姐さんも、先輩御姐さん達から見れば、やはり小娘扱いされていることは知っている。

 誉のお母さんだから、普通に考えてアラフォーって考えるだろうけど、実際、真季さん、アラサーなんだよね。

 幼馴染とはいっても、彼ら全員が同じ年っていうわけでもない。

 真季さんは彼らの中で最年少だった。

 誉の養母である橘夫人由美さんは、真季さんの腹違いの姉で7歳年上だ。

 こちらはちゃんとアラフォーだ。

 何故か、ゲームの脚本を書いた人が橘誉の周辺の裏設定に熱心で、かなり細かいことまで決めていた。

 それがこちらの世界に適用されている。

 その設定では、真季さんはベッドから離れられない由美さんを気遣って高校へは行っておらず、家で家庭教師について勉強していたそうだ。

 まあ、その時一緒に芸者の稽古に励んでいたようだ。

 そういう設定であって、実際はどうだったのかは知らないが。

 さすが、残念な主人公設定が出来るだけあって、こういった設定がデタラメなのも頷ける。

 それ絶対無理だろう。橘氏、犯罪者になるじゃん!! とか、思ったけど実際には言えません。

 ゲームの設定でものを考えるのも、実際のことでものを考えるのも、こういう恋愛ごとは難しいし無意味だ。

 うん。やっぱり、他人の恋愛ごとに首を突っ込むものじゃありません。


 そのあとも、真季さんといくつか話をする。

 真季さんは高等部の日常について聞きたがった。

 その質問に答える形で答えていくと、いろんな指摘が返ってくる。

 実は、諏訪の詩織様に対する想いが恋ではないと言ったのは、真季さんだ。

 中等部の時に、ある会話が私の目の前で繰り広げられたのだが、それを聞いた真季さんがそう言ったのだ。

 まだ私が体育の授業を出席できず、教室内で見学という形を取っていた時に授業が終わり、着替え終えた諏訪とその周辺男子生徒が教室に戻ってきて実にくだらない話をしたのだ。

 言っておくが、私がそこにいることは、クラス全員が知っていることだ。

 それなのに、私の存在を忘れて男同士の下世話な話を始めたのだから、聞いてしまった私に罪はない、と思う。

 ゆっくりとしか動けなかった私は、彼らが来たからといって素早くその場を立ち去ることはできない。

 どうあがいても、やっぱり聞かされる羽目になる。

 今のところ、あの話を口にする気には到底なれない。

 育ちが良かろうと、年頃の男子はやはり年頃なのだという話題だったからだ。




 いくつか話が盛り上がって、結構長い間話したような気がする。

 扉がノックされ、スライドした。

「おや、お客様がいらしてたのか。失礼しました」

 白衣の男性が中に入ろうとして立ち止まる。

「桧垣先生」

 主治医の桧垣医師だ。

 茉莉姉上は副主治医に治まった。

 だから、校医の仕事はどうなっているんだろう?

「おや、先生かい? じゃあ、あたしは帰ろうかねぇ」

 真季さんが立ち上がる。

「あ、うん。今日はありがとう、真季さん」

「いいや。言ったろ? 顔が見たかっただけだって。じゃあ、またね」

 艶やかに微笑んで、先生に会釈をした真季さんは帰って行った。

「……ものすごい美人だな」

 真季さんを見送った先生が驚いたように呟く。

「先生、今の人、私と同じ年の息子さんがいますよ?」

「え!? そんな年には見えないよ」

「先生が想像したお年とも違うことを断言してもいいですよ」

「じゃあ、真実は知らないに越したことはないな。さて、相良瑞姫さん、今回の治療方針について説明させてもらってもいいでしょうか?」

 もうすでに両親に話をして、承諾を得たのだろう。

 そうして、患者である私にも説明をする。

 本当は一緒に聞く方がいいのかもしれないけれど、保護者である両親の都合に合わせたのかもしれない。

「はい、お願いします」

 ひとつ頷いて、私はベッドの方へと歩き出した。

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