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「やっほーっ! 瑞姫ちゃん、元気?」

 入院二日目にして見舞い客がやって来た。

「真季さん! こんにちは。見ての通り、元気ですよ」

 艶やかな美貌の妙齢の女性。

 妙齢という言葉は実に奥深い。

 女性の年齢を隠すには実にうってつけだ。

 いつもは和装でお会いしている人が、ごく一般的な洋装姿だと微妙に違和感を抱く。

 こちらが本来の姿なんだろうけれど、見慣れないために。

「あら、ホント。入院患者に元気って聞いちゃいけないって言われてたのに、ついうっかり言っちゃって拙かったかなーと思ったけど」

「あはははは……でも、どうしてここが? 今回の入院は学校関係者ぐらいしか言ってないのに」

「昨日のお座敷の素敵な旦那が教えてくださったのさ。暇を持て余してるだろうから、顔でも見てやってくれってね」

「御祖父様か! ずるい! 御祖父様、おひとりで小槙姐さんのお座敷に行ったんだ」

 いつも小槙姐さんのお座敷の時は連れて行ってくれる祖父が、ひとりで言ったと知って悔しくなる。

 真季さんは、小槙という源氏名を持つ芸者さんなのだ。

「あれ? 今日は三味線の御稽古じゃないの?」

 特別室にあるソファセットへと真季さんを促して、座ってもらい、お茶を入れようと茶器を手にしてふと思う。

 何よりも稽古熱心な真季さんが、どうしてこんな時間にここに来たのだろうかと。

「ああ、稽古はね、今日は中止。お師匠さんがぎっくり腰でねぇ、病院に入院しちまってさ。さて、稽古に行こうかと思った矢先に連絡が来ちまったもんだから予定が狂ってね、瑞姫ちゃんの顔も見たかったからさ」

 苦笑を浮かべた真季さんは、肩をすくめる。

 唄も三味線も師範になれる域にすでに達しているくせに、そこで良しとせずに先生について稽古を続ける真季さんは若手芸者さんたちの憧れの的だ。

 こちらの世界での芸者というのは、伝統芸能の担い手という意味合いの方が強い。

 能や歌舞伎が大きな舞台、からくりなどの仕掛けがある場所でなくては見せにくいというのに対し、芸者衆の唄や舞、楽などはお座敷という小さな舞台で披露することができる。

 小さな舞台、より客と近い距離感が、彼女たちの芸事への取り組みをさらに熱心にしているという。

「ぎっくり腰って大変だって聞くから、早く良くなるといいね」

「そうさねぇ。あれは、一度やっちゃうと、一生の付き合いになるからね」

「え!? 治らないの?」

「人それぞれってことさ。手術やらで治そうというお人もいるけど、それとて絶対に治るって言えるもんでもないしねぇ」

「本当に大変なんだ」

 困ったように笑う真季さんに、そんなに大変なものだとは知らなかった私は青褪める。


「ああ、そうだ、真季さん。私、橘家の誉と友達になったよ」

 私は、前回会った時に言い忘れていたことを告げる。

「そうだってね。橘の坊ちゃんが仰っていたよ。それで? 瑞姫ちゃんから見て、坊ちゃんはどんなお人だい?」

「んー……そうだね。周りを大切にしすぎて、自分がおろそかになってるように見える、かな?」

「おやおや、辛口だねぇ」

 くすくすと楽しげに笑う真季さん。

 真季さんが、橘誉の生みの親だ。

 彼女について、色々と言われていることは知っている。

 橘夫妻が、何故、誉が彼女の子供だと公表している理由も。

 この世界、表に出ていることをそのまま素直に受け止めてはいけないことは、すでに理解している。

 大体、何処の世界に自分が産んだ子供を仕事の邪魔だからと捨てる親がいる?

 しかも、幼馴染に産んでと頼まれたから、妊娠するなんて、普通、そんなことができるわけがない。

 惚れていない男の子供を産もうと思う女性はいない。真季さんは、橘家の御当主が好きだった、否、今でも想っていることを知っている。

 だけどおそらく真季さんは、誉を生むと決めたとき、同時に手放すことを決めていたはずだ。




 以前、御祖父様に聞いた話がある。

 ある幼馴染同士が3人いたそうだ。

 男が1人、女の子が2人。

 女の子の1人が、非常に身体が弱く、寝たきりに近い状況で暮らしており、残る2人はそんな女の子の為に外で見聞きしたことを色々語って聞かせていた。

 彼らは非常に仲が良く、常に3人一緒にいたそうだ。

 そうして彼らはそのまま育ち、年頃になり、男は周囲から結婚を勧められるようになった。

 だが、女の子2人からも、他の女性も彼は選ぼうとはしなかった。

 そこで彼の親友が周囲に頼まれ、彼に何を考えているのかを尋ねた。

「他の女性と結婚しようとは思わない。だが、1人は共に肩を並べて戦いたい相手、もう1人は何をおいても守りたい相手。どちらも大切で、比べることはできない。だからどちらも選べない」

 彼はそう答えたそうだ。

 優柔不断と言えば、そうだろう。

 だが、比較できないものを並べ、どちらがいいか選べと言われても、確かに困る。

 偶然その話を聞いていた元気な娘が彼に言った。

「ずっと肩を並べて共に戦ってやるから、あの子を選びなよ」

 そう言って、彼の背中を押してやり、身を引こうとした。

 ところが身体の弱い娘は幼馴染たちの手を握って首を横に振った。

「私は長くは生きられない。こんなに弱い身体じゃ子供も産めない。だから、2人が結婚して」

 そこまで語った御祖父様は、私にこう聞いた。

「この状況、おまえだったら、どうするか?」

 なんて面倒臭い状況で、それをまだ子供でしかない私に聞いちゃうかな、この人は。

 正直なところ、当時の私はそう思った。

 まあ、私の答えは簡単だ。

 誰も選ばないか、他の人を探して結婚する、だ。

 誰も選ばない場合、後継ぎは分家の中から血が近い者と養子縁組をして据えればいい。

 優柔不断だと言われようとも、義務を果たしたことになる。

 それが駄目ならば、この状況で2人の幼馴染を受け入れるか、完全に拒絶してくれる相手を政略結婚で迎え入れる。

 相手に負担をかけてしまう方法だが、当主の血を継ぐ子供は作ることができる。

 それ以外にも方法はあるだろうが、その当時の私が思いつくのはせいぜいこのくらいだった。

 この話は、男が身体が弱い女の子と結婚することでとりあえず落ち着いた。

 だが、話は終わりではない。

 当然だ。彼らの人生はまだ途中なのだから。

 身体の弱い女の子は、ごく普通の女の子の夢を持っていた。

 大好きな人のお嫁さんになって、その人の子供を産んで育てること。

 前者は叶えた。

 では、後者はどうかというと、医者に固く禁じられた。

 例え命がけでも産みたいと願う女の子に、医者は事実を突き付ける。

 例え命がけでも、胎児をあなたの身体で育むことはできません、と。

 母子ともに確実に危険な妊娠を、医者として許すわけにはいきませんと言われ、妻となった女の子は悩みに悩んだ。

 愛する夫は、分家から養子を迎えればいいことだと穏やかに諭すが、それでは納得ができない。

 どうしても、夫の子供が欲しかった。

 体調を崩すほどに悩んだ挙句、彼女は幼馴染を頼った。

「お願い! 私はもう長くないの。あの人と結婚して、あの人の子供を産んで」

「馬鹿をお言いでないよ。そんなの御免被るさ」

 一度どころか、何度頼まれてもその幼馴染は頷かなった。

 いよいよ妻は弱り衰え、ベッドから起き上がることもできなくなる。

 それでも懇願を続ける彼女に、幼馴染は渋々ながら頷いた。

「そんなに言うのなら、わかったよ。1度だけ、1人だけ、産む。ただし、アンタが死ぬ気なら産まない。生きて、子供の成長を見届けるって約束しなきゃね」

 そう言って、彼女は男を振り返った。

「アンタも覚悟をお決め。一緒に戦ってやるからさ」

 その時、彼女が何を思ったのか、夫妻にはわからなかった。

 その後彼女は男の子を生み、彼らに預けた。

 そこまでが、御祖父様の話だった。




 御祖父様の話は、表面的なものだけだ。

 そこから、表面の下に隠れいている様々な事を探し当て、本来の話がどういうものであったのか、見落としているモノを拾い上げ、答えを導き出せという考え方の下、与えられた情報だ。

 当時、当主夫妻も真季さんも相当叩かれたはずだ。

 公表しなければ、奇跡的に夫人が子供を産んだとすれば、表向き問題はなかったように思える。

 だが、結果的には公表したことが橘家を守ったことになる。

 事実を隠せばそれは弱みとみなされ、暴きにかかる者が必ず現れる。

 秘密を知ったことをネタに嚇し、食い物にされる可能性が高い。

 それは、夫人と真季さんの命を危険にさらすことにもなる。

 しかしながら、公表してしまえば、いくら叩かれようとも当事者たちが納得していることを他人が口出しすることではないと逆に圧力をかけることができる。

 誉は、嫡子ではないが、当主の実子である。

 しかも婚約者最有力候補であった女性の子供なのだ。

 その事実が、橘家と誉自身を守ることになった。


 正直なところ、他人の家の事情など、私の知ったことではない。

 たまにそれを罪のように言ってくる人がいるが、私に言うべきことではないだろう。

 私が友人だと認めた橘誉は、その背景ひっくるめての誉なのだから。

 誉本人が望んでそうなったわけではない。

 それが罪だというのなら、負うべきは誉ではなく、彼が生まれてくる状況を作った者たちだ。

 彼の両親たちでもあり、その周囲でもある。

 なので、私にわざわざご注進する人に、私はこう答える。

「それがどうした? どこに問題があるのだ?」

 と。




 くすくすと楽しげに笑う真季さんの瞳がわずかに揺れる。

 楽しげを装いながら不安なのだろう。

 私が彼ら親子について何を思っているのか。

「辛口、だろうか? ごく普通の感想だが」

 心外だという表情を作れば、真季さんの表情に苦笑が滲む。

「だって、褒めてないし」

「褒める時は、本人に向かって褒めるのが私の主義ですが。聞かれたことに正直に答えただけだしね」

「可愛くないわね。これだから、恋を知らない小娘って言われるのよ」

「別にそんなことくらいで怒るような私ではないよ」

 拗ねたように言う真季さんに、私はにやりと笑う。

「事実は事実と受け止める。真季さんのようにそう簡単に相手に惚れるって言えないだけかもしれないし?」

「あはははは……あたしは惚れっぽいからねぇ」

「惚れた相手に最高の芸を見せたいって思うから、お座敷の相手に惚れるんだって言ってたよね」

「よく覚えているね」

「そりゃあね。そういう考え方があるんだって驚いたから。本当にプロなんだなぁって感動したって言った方がいいかな」

「小娘が。照れるじゃないか」

 軽く笑った真季さんの眼差しは優しい。

「いや。プロであり続けるって難しいんだなと思っただけだよ」

 そう言った私は、真季さんに見せたいものがあったことを思い出し、スケッチブックを取り出すと、ゆっくりとページをめくった。

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