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大伴家の夏の宴より数日後、入院の日が来た。
今回の入院は、ケロイドを削るものらしい。
以前よりはかなり体力もついたし、身長も伸びたので、色々と細かいところのチェックが必要なのだ。
なにせ、怪我した時から比べると、身長が20cm近くも伸びているのだ。
身長が伸びているときは、傷跡が引き攣って痛かったよ、うん。
相良家の人々は、男女問わずに長身なのだ。
私もその例外ではないけれど、家族の中では一番小さい。
外では十分デカいはずなのに、家の中ではちびっこ扱いなのだ。
実に微妙な心地がいたします。
入院する部屋は、前回と同じ特別室。
警備上、大部屋なんてもってのほか。
他の皆様のご迷惑になってしまうから。
それと、許可もしてないのに勝手に見舞いに来ちゃう人が入れないようにするためもある。
親同士の付き合いとか、会社関係とか、色々あるんだろうけど、それに子供は関係ないんじゃないかと思うんだけどね。
特に、会社関係は未成年関係ないだろう!!
面識もない人にいきなり部屋に突入されて、お父さんがどうのと言われても、『は?』としか思わないよね、普通。
特別室なら、許可なく入れないし、面会謝絶も出しやすいということだ。
金額については考えません。
恐ろしいから! 絶対、聞いたら後悔するから!
「瑞姫、荷物はこれだけでいいのか?」
病院に付き添う気満々の疾風が私の荷物を確認する。
「うん。着替えはこまめに持ってきてもらえるし、必要なのは勉強道具と画材道具ぐらいだいね」
画材道具と言っても、スケッチブックと色鉛筆だけだ。
絵の具を使って色つけるほどの気力が湧かないことはわかっている。
だけど、絵は描きたいと思うだろうし、スケッチブックだけは持っていく。
「入院に勉強道具持っていくって、真面目だよな」
呆れた様子で告げる疾風の表情は明るい。
病院と聞くだけで悲痛な表情になっていたあの頃の疾風はもういないようだ。
「颯希が見舞いに来てもいいかと聞いていたが、大丈夫か?」
「さっちゃん? いいよ! 私と遊んでくれるなら、いつでも待ってると伝えてくれ」
颯希は3歳年下だから、今年中1だ。
友達との付き合いもあるんじゃないかと思うけれど、来てくれるならうれしい。
ゲーム上では、やはり3歳年下で瑞姫の随身という設定だった。
まあ、中坊だったのでゲームには登場しなかったけれど。
まだ身長が低いので、小さい頃の疾風を見ているようで可愛らしいのだ。
「わかった。伝えておこう。俺は毎日に来るぞ」
「えー……大変じゃない? あ。泊まり込むのは無しね。生死の危険はないのに泊まり込む必要は見当たりません」
「何もなければ泊まるつもりはない」
やっぱり、何かあったら泊まるつもりか、このわんこは。
「兄上たちも毎日顔を出すと言っていたぞ」
「……そ、そうか」
疾風の表情が微妙に引き攣る。
兄たちの随身は、疾風の兄や従兄だ。
会ったら最後、愛の説教が行われるのだろう。
女の子に対する配慮が足りないとか言われてるところを見たことがある。ぷぷっ。
「じゃあ、行くかな?」
洗面道具や基礎化粧品関連はすでに車のトランクに積んである。
後はちょっとしたものだけだ。
バッグを手にすると、疾風がそれを奪い取る。
「辞書は重いからな、俺が持つ」
「ありがとう」
肩を並べて歩き、別棟から本邸の車寄せへと向かう。
車寄せにはすでにピカピカに磨き上げられた車が待っていた。
「いってらっしゃいませ、瑞姫お嬢様」
相良に勤めている家政婦さん数人がそこで待ち受けていた。
「うん。行ってくるよ。あとの事はお願いします」
「はい、くれぐれもお気をつけて。御着替えなどは滝本があちらでご用意いたしますので」
「滝本さんが来てくれるんだ? ありがとう。皆も暑いから体調には気を付けてね」
手を振って車に乗り込む。
その隣に疾風が乗り込み、ドアが閉まる。
丁寧に頭を下げられ、見送られる中、車は静かに走り出した。
眩しい光の中、外の景色が後方へと流れていく。
「そういえば、あの時の女。東條分家の娘だったか、調べてみたぞ」
窓の外を眺めていたら、不意に疾風が切り出した。
「え? そうなんだ。早いね」
「今あちこちで問題になっているらしい。葉族のくせに思い上がった分家筋とな」
「……へぇ」
思い出すだけでも腹が立つらしい疾風の口調は苦々しい。
どこか吐き捨てるような物言いだ。
「尤も、大伴家のパーティで七海さまご本人に咎められたからな、あの女は社交界から締め出されて、他の分家の娘も同じ憂き目にあったそうだ。まあ、似たようなことをやってるということだったからな、責められるわけがない。東條本家は、自分たちには関係ないことだと分家を切り捨てたそうだ」
「ふぅん。分家在っての本家だろうに」
「後継ぎを分家から取る予定だったのをやめて、他の家か、縁を切った娘を呼び戻すかのどちらかになるそうだ」
「……分家が納得するかな? 下手すれば、消されるよ」
静かな車内の中に殺伐した空気が流れる。
そこで、ふと気づく。
東條凛の両親は、車の事故で亡くなっている。
ブレーキ事故だったはずだ。
「…………まさかな」
考え過ぎだ。
「え?」
「いや、何でもない。それで? あの品のないドレスは何の仮装だったんだ?」
一番気になっていたのは、あの場末のキャバドレスだ。
一体、あれは何の衣装だったのか、気になる。
かつての記憶までも総動員したが、思い当たるものは何もない。
「あー……あれか。何でも、随分昔に亡くなったアメリカの女優の映画の衣装だったそうだ」
「映画? 女優? そんな映画あったかな? オレンジ色のドレスで……」
「かなり有名な美人女優なんだそうだ。独特の歩き方をすることから、そのウォーキングに彼女の名前を付けたという話もあるらしい」
まさか、モンロー・ウォークの事か!?
確かに彼女は当時かなりの美女として名高かったし、露出の高いドレスを衣装に当てられていたが、あの形でオレンジ色のドレスはなか……
「白か!! 白のドレスのはずだ、あれはっ!」
思わず声を上げた私に疾風がびっくりする。
「え? 白? よく知ってるな、瑞姫。大伴様のコレクションの中にあったのか?」
「あ……うん。そう……」
あったとしても、見せてもらえない類だ、今の私だと。
彼女の魅力は、あの見事な容姿ではなく内側から溢れる知性だと言われるほど頭が良かった女性だが、残念なことにその知性を活かした役はそんなに多くない。
もう少し後に生まれていたのなら、彼女にはもっと違った役が与えられていただろうと一部で言われるほど、ヒット作は多くても貰った賞が少ない女優だ。
「えっと、つまり。おじさまが映画好きだから、映画のキャラクターの衣装を間違ってるけど着てみたってことか?」
「……そういうことになるだろうな」
「もっと自分に似合うものにしろっ!! 無謀だぞ!! むしろ、映画ファンに対する冒涜だと思え!」
露出は高いが、あのドレスはそれなりに値が張るぞ。
あんな夏目先生数枚で買えそうな格安人工生地じゃない!
思わず憤ってしまったが、疾風の言葉で気になることがあったのを思い出す。
「あのさ、その女優さんって、どのくらい昔に亡くなってるの?」
「かなり若くして亡くなってるそうだな、30代半ばぐらいで……大体100年近く前かな?」
「100年!?」
おかしい。
そんなに前じゃないはずだ。
「瑞姫?」
「あ。ごめん、何でもない」
心配そうにこちらを見つめる疾風に笑ってごまかす。
おかしいということは、前々からわかっていたはずだ。
ここは『seventh heaven』のゲームと同じ設定の世界だ。
私が知っていたかつての世界とは異なっているということは感じていた。
大体、四族なんてなかったし、ましてや葉族なんて言葉も存在しなかった。
相良藩があるというのは知っていたが、そこがずっと直系で続いていたなんてことはわかっていない。
一番変だったのは、アメリカの首都だ。
ワシントンがアメリカの首都だったはずなのに、ここではN.Y.D.C.なのだ。
ニューヨーク!! 初等部の社会科のテストで各国の首都を書けという問題で必ず出てくるミス回答。
なのに、ここではそのニューヨークが首都なのだ。
薄々わかってはいたんだよね。
ゲームで期末試験とかの無理やりミニゲームで、社会の三択問題で何度アメリカの首都をワシントンと回答しても不正解になっていた。
バグかと問い合わせた人がもらった回答は、『アメリカの首都はニューヨークです』だった。
阿呆か!? 今すぐ直せ、つか、間違い指摘されて開き直らず素直に謝罪しろ! と、メーカーのブログが炎上した。
まさかここでそんなことはあるまいと思っていたが、そのままだったので唖然とした。
そして、あのほぼ世界中の男性を虜にした美人女優の死亡時期が100年前とは。
まだ妙な話はある。
さすがにそれを口にすると自分の中の何かが壊れていくような気がするので、言いたくはない。
あれをなかったことにされると、世界史すべてがおかしなことになっていくはずなのに、誰も矛盾を感じてはいない。
どこか歪んだ世界だとは感じていたけれど、どうしても違和感を感じて馴染めない。
それでも、私はここで生きていかなければならない。
重い気分になりそうだったので、疾風で気分転換をすることにした。
「疾風、その女優さんの写真、見た?」
「え? あ、うん」
「美人だっただろう? ナイスバディでさ」
「……え……」
にやにやと笑って言えば、疾風の顔がかぁっと赤く染まる。
「あ、や……」
言葉にならず照れる姿が可愛らしい。
実にイイぞ、年頃の青少年が照れる姿とは。
初々しいな。
あと何年ぐらい、これでからかえるかはわからないが。
「あの美女が、アレだ。私の憤りがわかるか!?」
ぺったんすかすかなドレス姿の令嬢を思い浮かべた疾風が渋面になる。
「最低なことにドレスの色を間違え、しかもそれなりの家のはずなのにあの安っぽい設え! そして、あの残念すぎるすかすかっぷり! 冒涜しているとしか思えない」
「うん。瑞姫が正しいと思う」
素直に同意した疾風の肩に手を置く。
「しかもだぞ、あの女優さんは非常に頭がいい人だったんだ。疾風はああいう感じの人を嫁にするといい」
「ちょっ!!」
「うん、いいな。頑張れ、疾風!」
「もうっ!! 瑞姫! オヤジすぎる……」
真っ赤になった疾風は、ずるずるとシートに沈み込む。
やっぱり疾風はからかうと楽しいな。
引き際の見極めは難しいけれど。
笑みを浮かべた私の視界に、病院の建物が映り始めた。