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 遊戯室への道のりで、私は非常に機嫌が良かった。

 これでしばらくは諏訪に煩わされずに済む。

 友人をメリットで選ぶわけないじゃないか、普通。

 あれはただの付属物だ。

 友人関係は、相手を信頼できるかどうか、だ。

 その友人が困っているときに、自分が持っている何かで手助けできればいいという程度のものだ。

 勿論、こういう世界に身を置く以上、困っているというレベルが普通ではないことが多いので、手助けしたいと思う以上、かなりハイレベルな手持ちが必要であるというのは確かだ、

 何であんな言い方をしたのかというと、諏訪の執着は病的だからだ。

 詩織様への執着具合からもわかる。

 相手の全部を自分に向けないと気が済まないヤンデレっぽさがある。

 自分のメリットが何であるのか、またはメリットになるものを作っていこうと考える以上、デメリットについても学ぶはずだ。

 そこで異常ともいえる執着心に気付けばいい。

 尤も、1年やそこいらでメリットが作れるわけもない。

 東條分家の令嬢がここで出て来たということは、東條凛が現れる可能性もまた捨てきれない。

 来年の春、東雲に来たのなら、心より諏訪を進呈しよう。

 そうすれば私の心の平穏が保たれる。

 うん、いい考えだ。

 私は他人の恋愛事情に巻き込まれるのは嫌だ。


「機嫌がいいな、瑞姫」

 私の機嫌のよさに気付いた疾風が、何となく嬉しそうに言う。

 5歳の時から傍にいる疾風は、私よりも私の感情に詳しいときがある。

 それを言い当てられるときはちょっと癪に障るときもあるけれど、こういう時は言わなくてもわかってもらえることが嬉しかったりする。

「うん。しばらく落ち着いて暮らせるかと思うと嬉しくてね」

「そうか。それならよかった。治療の方に専念できるな」

「またリハビリの日々かぁ」

「意外とリハビリ好きだもんな、瑞姫は。毎日行くから、退屈しないように」

「ありがとう。疾風が来てくれると助かるよ」

 少し早いが、そろそろ将来のことも考えなければいけないだろう。

 極秘に進路について決定しておかないと、学業の方向性を決められない。

 一緒の進路を希望すると言ってくれている疾風も困るだろうし。

 何より、私には少しばかりやりたいことが見えてきたというのもある。

「必要なものがあれば、俺が用意するから、何でも言ってくれ」

「うん。ありがとう。その時は頼むよ」

 笑みを浮かべて頷いた私は、階段のところで立ち止まる。

 ひとつ、深呼吸。

 そうして表情を変える。

 瑞姫ではなく、相良家令嬢のものへと。




 遊戯室は大体、屋敷の1階か、地階に作られていることが多い。

 使用目的で場所が変わるということを聞いたことがある。

 純和風の相良家本邸にはないものだけに、連れて来てもらって初めて見たときには本当に驚いた。

 1階に作られた遊戯室というのは、お客様もてなし用と考えられたものが多いとか、地階の場合はプライベート的要素が強いもので、客人でも特に親しい者しか招かない方もいらっしゃるという。

 大伴家の遊戯室は地階。

 ほとんどプライベート用だ。

 何故かというと、このご夫婦の趣味にある。

 おじさまは映画好きで、奥方の七海さまは舞台好き。

 行動派の七海さまはご自分の好きな舞台があると聞けば世界中どこでも駆けつけてご覧になっているのだ。

 たまに私も強引に連れて行かれる時がある。

 夏休みのような長期休暇の時に限るけれど。

 先程の話題に出たドン・ファンもその舞台のことを指している。

 有名なオペラや話題作はもちろんだが、マイナー路線の歌劇なども七海さまの琴線に触れればチケットを手配されている。

 私がイタリア語を何とか習得したのもそのおかげだ。

 何を言っているのかわからなければ、せっかくの舞台が台無しになってしまうのだ、自分的に。それは絶対もったいないと思う。

 おじさまの映画好きは、海外移動に関しては大人しい。

 だがしかし、一度その映画にはまってしまうと、屋敷内の部屋を改造して映画の一幕を再現してしまうという悪癖と七海さまが言う癖がある。

 私の部屋しかり、遊戯室しかり。

 遊戯室は、ビリヤードを題材にした映画はもちろん、他にも演出の一環で映し出された遊戯室を参考に、おじさまが理想の部屋を作り出したご自慢のお部屋なのだ。

 部屋の一面はバーカウンターがあり、そこもまた映画のワンシーンに出てきそうでカッコいい。

 部屋の中央部分にビリヤード台が2台あり、奥にはビリヤードに似たもう一回り大きな遊技台が置いてある。

 なんでも『あっかんべー』とかいう意味のビリヤードに似たゲームがあるらしく、その専用台なのだそうだ。

 さすがにその名前は、私はわからない。

 調べればわかるだろうが、今のところビリヤードが面白くて、そちらまで気が向かないというのが正直なところだ。

 ビリヤード台は、艶のある木材で細かい彫刻がなされている。

 それだけで芸術品だという人もいる。

 だげど、ビリヤード台はゲームをしてこそ、と、仰って、おじさまは特訓を重ねてプロ並みの腕前になられたとか。

 あの台の美しさに目を奪われた幼い頃の私は、おじさまの餌食となり、ビリヤードを教え込まれた。

 なにせ、子供ですから、身長は足りない、腕の長さも指の長さも、何もかも足りない状況で、それでも徹底的に基礎を教え込まれ、キューの握り方、球の突き方、ポケットへ落とすべき場所の狙い方、それこそ色々と心理戦などの駆け引きの仕方まで、本当に何もかも教え込まれたのだ。

 私がビリヤード好きになったのは、おじさまが犯人であることは間違いない。

 そうして、いつかあの台で正装してゲームしてみたいと思っていた。

 紳士の遊戯であるビリヤードは、その試合は第一級の正装ですることがルールとして決まっている。

 私の場合、紳士じゃないですけど。淑女ですけど!! でも、紳士の正装です。

 七海さまの謎かけは、『友達を連れてビリヤードをしにいらっしゃい』という意味で間違いない。

 私を迎えにきた七海さまは、キューを持っていない私にハスラーさんだと声を掛けたことからも答えがあっていると思える。

 キューを持っていたのは在原のみ。あとは疾風が持っていたキューボックスに全部入れていた。

 あの場所で、私一人が詩織様の傍にいて、残りの3人は後ろにいた。

 キューも、キューボックスも七海さまから完全に見えていたのかどうかはわからない。

 だが、七海さまの言葉に迷いはなかった。

 パーティに招きながらも、周囲に私が来たという印象を植え付けながら、遊戯室というおじさまの私的空間へ隔離するのは私と接触するには大伴家が相手を見極める盾となるということを周囲に知らせるためでもある。

 なおかつ、諏訪家の2人と私を会わせたのは、この件で大伴家も介入する意思があると諏訪当主と相良家へ知らせるためだ。

 仲介が必要なら、引き受ける用意がある。だが、その前に両者とも今一度あの事件での自分たちの立場を思い出せと突きつけて来たのだ。

 これ以上わだかまりを残すような真似をすれば、上流社会の空気がぎくしゃくして不穏すぎるため、きちんと清算しろと態度で示したのだろう。

 発する言葉がすべてではない。

 物事の表面を額面通りに受け止めるな。

 すべての裏を読め。

 相手の状況、性格、周囲の空気、何もかもを情報として受け取り、その陰に隠された真実を導き出せ。

 それが、大伴のおじさまに教えられたことだ。

 ビリヤードを通して、私がいる世界との付き合い方を学ばせてくれた。

 そして、もうひとつ。

 何か、言葉を発するときに、その言葉を放った後、どういう状況になるのか、どの程度の影響が出るのか、それが己の求める結果と一致するのか、それらすべてを考え、発せよと教えられた。

 言葉は種と一緒だ。

 種をまき、芽が出て育ち、花をつけ、実がなる。

 言葉を発した後、どういう実がなるのか、それらを計算し、熟考して口にせよという訓えは、私の中に根深く植えられた。

 何気なく発する言葉ですら、どういう影響が出るのかを考え、相手の言葉が示す意味を言外から読み取るようになった。

 先程の詩織様と諏訪への言葉も、そうだ。

 現実を捉え、見据える気があるのなら、私が言った言葉の意味、言わなかった言葉も見えてくるだろう。

 結果はどちらでも構わない。

 私はすでに得難い友人たちを得ることができたのだから。




 相良家の末の令嬢が人前に出るということは、ここ数年ほとんどなかった。

 岡部家の者を伴い、現れるということは、それなりの意味がある。

 これ幸いと近付いてくる人々を笑顔でかわし、足を止めることなく目的地を目指す。

 なにしろ、死亡したことを隠しているとか、二目と見れない顔になったとか、四肢の損傷がひどくひとりで動くことができない身であるとか、様々な憶測や中傷が飛び交っている。

 中には私が本物の相良瑞姫であるのかと疑っている者もいるだろう。

 東雲に通う私が男子生徒用の制服を着ていることから、実際はよく似た男の子に影武者をさせているのではないかと思っている人もいたとか。

 こうやって歩いている姿を見ても、足を引き摺っているのではないかと、足許を見てくる人もいる。

 上流社会というのは、複雑怪奇な世界だ。

 綺麗なだけではやっていけないというのが、真相に近いだろう。

 そんな人たちを笑顔で煙に巻いて、遊戯室へと向かう階段を下りていく。

 木片と木片がぶつかるやや高めで乾いた音が響く。

 そのあとに続く、がこんと何かが落ちた音。

「よっしゃーっ!! 落ちたぞ!」

「……手玉がね」

 テンション高く響く声の後、笑いをかみ殺した声が聞こえてくる。

 もちろん、在原と橘だ。

「ええーっ!? マジかよ? 何で!?」

「静稀君。今は引き球を打たないといけないところだよ。君は少々、詰めが甘い」

 楽しげなおじさまの声がする。

「う~ん。そっかー……引き球……苦手なんだよな」

 手玉の突き方は、何種類かある。

 状況に応じて瞬時にその突き方を決め、その球を突いたとき、どういう結果になるのかを想像して、それから突く。

 引き球の突き方自体、そこまで難しいものではないのだが、その判断を下すという時に、よく戸惑いやすい。

 球がポケットの手前で止まるのではないかと、距離と突く力を計算し、思ってしまう時があるからだ。

 在原が言った『苦手』とは、引き球を突くことでもあるし、それをどういう時に突くべきかと判断することでもあるのだろう。

「遅くなって済まない。待たせてしまったか?」

「瑞姫!!」

「おや、瑞姫ちゃん。七海が言った通り、可愛らしいハスラーさんが来たね。うんうん、似合ってるね」

 肖像画のフェリペ二世に激似の男性がにこやかに笑う。

「……おじさま、お招きありがとうございます。ですが、何故、フェリペ二世になられたのでしょうか?」

「うん。そこは私も疑問なのだが、まあ、七海の趣味と私が似ていると七海が主張するから、かな?」

 にこにこと穏やかに笑みを浮かべて答えるおじさま。

「押し切られちゃったんですね」

「そうともいうね。七海が楽しいのなら、それでいいんだと思うよ。この夏の宴は、七海の楽しみのひとつなのだから」

 のんびりとした口調でおじさまが言う。

「私は有望な若人と出会える機会が増えるのが楽しいし」

 そうか、おじさまは在原が気に入ったのか。

「瑞姫! 勝負だっ!!」

 びしっと指を突き付けて在原が宣言する。

 その指を橘が握る。

「こら、女の子に指を突き付けない。というか、人に向かって指をさすなんて行儀悪いぞ」

「ポーズは決めないとな! それに、こんなことくらいで瑞姫が怒るか」

「あはははは……確かに怒る気もないね、私は」

 ポーズが決まってよかったねーくらいは思うけど。

「ほら、言った通りだ。細かすぎるんだよ、誉は」

「おまえが大雑把すぎるんだ」

「別にいいだろ? 僕は瑞姫に嫁にもらってもらうんだし」

「瑞姫の予定を考えろ!? 家事が一切できない嫁なんて、まったくいらないだろ、普通」

 在原と橘の漫才が続けられる。

 ちなみにこの場合の『家事』とは、家の中のことの采配を示す。

 掃除洗濯料理などの主婦のお仕事的キーワードとは違うのだ。

 掃除・洗濯・料理はそれぞれ専門の人間に任せればいいことなのだ。

 誰がどの仕事をして、それをいつまでにしあげるのかということを考えるのが家事の一部だ。

 一点集中型の在原には、全体の流れを把握して、それぞれの細かいところをチェックするということは苦手な箇所らしい。

「君たちは仲がいいねぇ」

 感心したようにおじさまが笑う。

「そうですよ。仲がいいんです」

 おじさまの言葉を真似して、私も笑う。

「それで、静稀。勝負って勝ち抜き戦でやるの? それとも他の方法?」

「チーム戦! 僕と岡部が同じチームで、誉と瑞姫が同じチームだ」

「ふうん」

 私は橘を見上げる。

「そうらしいよ。よろしく」

「うん。よろしく」

 おじさまが稽古をつけていたのは在原だ。

 橘にはしていないということは、橘はビリヤード経験者で、おじさまが教える必要なしと考える程度の実力があるということか。

「じゃあ、どっちが先行? 正式ルールと一緒の方法で決める?」

 私の言葉に、在原が笑う。

「レディファーストで、瑞姫たちが先行でいいぞ」

「わかった。ありがとう、在原」

「どういたしまして」

 この表情は、やっぱり聞かされていないらしい。

 いいことしたという表情でにこにこ笑っているし。

「誉、ブレイクショットは?」

「瑞姫に譲るよ」

 穏やかに微笑む橘の笑顔で、こちらは知っているのだと読み取る。

「そうか、では任された」

 頷いて了承の意を示すと、向こう側で疾風が呆れた声で在原を怒っていた。

「瑞姫は大伴様に師事したけど、今は師事していないって意味、まだ分かってなかったのかよ、おまえ!」

「えー? 今はビリヤード習ってないってことだよね」

「……この莫迦……」

 がっくりと肩を落とした疾風が首を横に振る。

「じゃあ、始めようか?」

 疾風とは対照的に上機嫌の私は彼らに声を掛ける。

 この素晴らしいビリヤード台に敬意を表して、絶対に手抜きなんてしないからね、在原。

 覚悟してくれ。

 ニヤリと、実にイイ笑顔を浮かべている自覚をしながら、私は自分のキューへと手を伸ばした。

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