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白い屋根の東屋へと続く道を歩く。
少々頼りないガリなハスラーの後に続くのは、大正時代あたりの女学生。
着物と丈の短い袴にブーツ姿の御嬢様。
決して軟派な男が幼気なお嬢様を誑かして誘い出している図ではありませんから!
先程の七海さまが追い返した女性のいでたちは、非常に似合っていない夜の蝶でした。
あれって、ハミ出てなんぼなドレスなのに、全然はみ出てないし、質の悪さと安っぽさが前面に出てる場末のキャバドレスっぽかった。
何となく懐かしい感じのドレスなんだよ。
高校の文化祭なんかで女装カフェとかやったときに予算の関係なんかで一着夏目先生一枚なドレス。
いいなあ、文化祭。
東雲学園ってば文化祭ないからな、残念だ。
何で文化祭がないのかというと、残念主人公が『文化祭をしよう』イベントを発生させるためにないんだ、ゲーム上では。
実際には、警備上の問題とかで外部から人が入ってくるのは望ましくないという理由だ。
チケット制にしても、外部生が他の高校に行った友人にチケットを渡したりして、他校生が入ってきたりするので問題視されるのだとか。
話がそれた。
七海さまが出されたお題に全く合格していないわけで、不合格通知を受け取っての退場は至極当然なわけだ。
私がハスラーなのも、もちろんお題に沿ってのことだ。
ああ。早く用件済ませて遊戯室に行きたい!!
時間が許す限り、あそこにこもるつもりだ。
視界に白い屋根が映り始める。
設えはすべて白だが、蔦を這わせ、緑と白の鳥かごのようにも見える。
奥側はちょっとした斜面になっていて、そこを小さな小川が流れていき、さらに小さな淵へと落ちる滝になっている。
軽やかなせせらぎは、夏の暑さを半減してくれる。
「どうぞ、詩織様。ここには何方も来ませんから」
「本当に綺麗な眺めですこと。風が涼しいわ」
この暑い中、わざわざここまで歩いたのは、見た目と反してここが涼しいからだ。
この涼しさを知らなければ、誰もここまで歩こうとは思わない。
だから、誰も来ないのだ。
「所謂、天然のクーラーというものでしょうか。お聞きになりたいこと、お話になりたいこと、何でも承りましょう。ご婚約のお祝いとして」
「御存知でしたのね」
「つい先ほど、珂織さまからお伺いいたしました」
「かおる兄さま……そう。兄さまは瑞姫様を慈しんでおられましたものね。一時とはいえ、申し訳ないことをいたしましたわ」
肩を落としてベンチに座る詩織様。
「ひとつ、お伺いしてもよろしいかしら?」
「なんなりと」
「死ぬことを許されない理由とは何かしら?」
詩織様の質問に、私は笑う。
「生きて、役に立つこと、ですよ」
「え?」
「相良は地方の豪族です。とても小さな土地ですが、四方を山で囲まれ、暴れ川と言われる急流を擁し、貧しい荒れた大地を所領としておりました」
幼い頃に何度も聞かされた相良家の成り立ちだ。
「そんな貧しい土地でも、他の者から狙われる。大地が血で染まれば、さらに土地が荒れる。ならば、その入り口を封じるように武を得意とする者をおけばよい。河を御し、大地を潤し、豊潤な土地に生まれ変わらせば良い。知恵者が指揮し、土地を改良する。武者と知恵者、その双方の家が相良でした。相良の役目は、領地を豊かにし、飢える者を出さぬこと。それは当主一人ではできぬこと。だから、相良の血を引く者は平等にその役目を負うのです」
「昔のこと、ですよね?」
「いいえ。今もです」
詩織様の言葉を私は即座に否定する。
「領地というものは確かになくなりましたが、今は財閥というものに姿を変え、領民は社員となりました。私たちが相良の人間である以上、社員とその家族を守る義務を負うことになるのです。私たちが岡部家の者を傍におき、望む者と婚姻ができるのは、そのためです。岡部の者は、私が守る最初の者、彼らを幸せにできなければ、他の者をどうして守ることができようかと訓えられるのです。心配ばかりかけている私は、失格者ですけれど。岡部の者と伴侶が、私たちの戒めになる」
「戒めだなんて……」
「戒めです。疾風に恥じない自分でありたいと思うことで怠惰に逃げる自分を制することができました。そうでなければ、私はいまだに入院していたでしょう。私の役目は、何かあった時の為に私財を成すこと。会社経営に関しては、相良の大人たちが十分手腕を発揮することでしょう。まだ子供でしかない私ができることはほとんどない。たまたま絵を描く才に恵まれたようで、それで一時的なものを得られているようですが、未熟であることは確かですし」
そこでちょっと苦笑する。
絵の技術は、以前も私のモノであって、瑞姫自身が手に入れたものではない。
あれを才能と呼ぶにはお粗末すぎると思っている。
「そんな。瑞姫様の手掛けられたお着物を手に入れようと思っていらっしゃる方は沢山いらっしゃるのですし、未熟であるとは何方も……」
「それはそれで役には立ちました。人脈というものを手に入れることができましたから」
「え?」
「手描き友禅を手に入れられる財力をお持ちの御婦人方と親しくさせていただけるというのは、何よりの財産です。あの方々は情報の宝庫でいらっしゃいますから」
「瑞姫様?」
「私財というのは、何も金銭だけとは限らないのですよ?」
実際に友禅のデザインで手に入る金銭もそれなりにあるのだが、顧客となっていただいた方々が持つ人脈、情報は菊花姉上が狂喜乱舞するものだった。
金銭よりも+αの方に価値があると教えられた。
だが、役に立つという点では、少々足りない。
友禅デザイナーというのは、相良瑞姫という人間にとって将来の職業にするには色々な点で不足があるのだ。
何より、相良の社員の役には立たない。
情報という利益は出せるが、それだけでは足りないのだ。
だから、将来的には別の職業に就くことになるだろう。
しかしデザイナーとして得られた人脈を手放すことはできない。
そこら辺を調整できる職業に就くべきだと考えている。
あの方々の持つ情報を相良に活かせるのなら、いくらでもさり気なく引き出してみせようと思ってしまう私は、誰がどう見ても健気ではないだろう。
この身に残る傷跡さえも、彼女たちの気を引けるのなら、いくらでも利用してやろうと考えることができるのだから。
まあ、アラフォーが健気って、ドン引きするけどな。
「瑞姫様は、わたくしよりもいろんなことが見えていらっしゃるのですね」
「あなたの質問の答えになりましたでしょうか?」
「ええ。とても……わたくし、イカロスですの」
ぽつりと、詩織様が告げる。
イカロス。
ギリシャ神話のイカロスだろうか。
太陽に焦がれ、翼を作って空高く舞い上がり、そうして太陽の傍へ近づいたときに、その翼を失い落ちた若者。
ギリシャ神話は、神々があまりにも人間的過ぎて、それゆえ残酷な物語が多い。
「あなたが焦がれた太陽は、諏訪伊織ですか?」
「ええ。あの子もそうです。わたくしが守りたい太陽。そして、もう1つ。わたくしが焦がれた太陽は2つあるのです」
俯いたまま、詩織様が懺悔するように言う。
手の内にある太陽と、手の届かない太陽。
そういうニュアンスに取れる。
「わたくしは、同じ年の子達よりも何でもうまくやれると思っていました。実際、そのように皆様が仰ってくださいましたし、自分でも出来ているつもりでした。ところがそのわたくしよりもさらに素晴らしいことができる方々がいらっしゃいました。わたくしよりも小さな御子なのに、何一つ敵わないと思ってしまうのです。悔しいと思うことすらありませんでしたわ、魅せられてしまって呆然とするばかりでしたから」
まあ、諏訪はやることなすこと派手だったから、そう思うのも仕方がないだろう。
もうひとり?
八雲兄上なら年上だし、その当時、詩織様の傍にいた子供って誰だろう?
いや、話の流れから推察すると、瑞姫の事かもしれない。
「何をやってもそつなくこなされる。落ち着いていて、慌てることがほとんどない。かと思えば、笑顔は可愛らしく、人を惹きつけてしまう。本当に太陽そのものですわ」
やっぱり、違うか。
そつなくこなすのは八雲の方だ。
私は手伝ってもらう立場だったし。
慌てても表情は変わりにくいから落ち着いて見えてるかもしれないが。
「両親の中が冷え切っていて、仮面の夫婦であるということは、初等部の時に理解しておりました。父は家に帰ってくることはなく、外に腹違いの弟がいるということは何となく知っていました。弟は認知されることはなく、諏訪家も存在を否定していましたが。すでにそのころには、父はギャンブルを好んで私財を投じていたということは知っていました。その私財も尽き、借金を抱えているということも気付いておりましたが、今の生活に変わりがなければそれでいいと思っておりました」
ここのところは、調べたことを見たので知っている。
婿養子が、外で作った自分の子を分家とはいえ諏訪家に認知承諾の申し入れをすることはできないだろう。
「我が子であるわたくしを顧みない父が憎かった。そうして、寂しかった。だから余計に、わたくしを慕ってくれる伊織が愛しかった。あの子が理想とするわたくしを演じるのが楽しかった」
あれだけ熱心に付きまとうのであれば、楽しいだろう。
それこそ伊織は詩織様を唯一のお姫様のように扱っていた。
「もうひとつの太陽は、そんなわたくしを一瞥すらせず、親しい方を増やしながらわたくしには向けてくれない笑顔を見せて……」
ものすごく居心地が悪いのは何故だろう。
ストーカーちっくな言葉のせいだろうか。
柱の陰からそっと見られていたら絶対に怖いよね。
「あの時、わたくしを襲ってきたのが、父の借金に関連すると悟っておりました。わたくしを逃がそうとする伊織の姿に、とても怖くなりました。本家唯一の嫡子である伊織に何かあれば、分家も生きてはいけない。とにかく無事に逃がさねばと思っているときに、太陽の姿を見つけました」
あー……太陽って、やっぱり私ですか。
嫌だと全力で拒否りたい。
「伊織を太陽に託せば、大丈夫だと思ってしまったのです。あなたを引き留めなければ、あなたが伊織を連れて行ってくれればと、わたくしは夢中でした。あなたの名前を呼んで、そうしてわたくしの目の前で起こった出来事は悪夢でした」
涙をこらえるように唇を噛みしめ、瞬きをこらえている。
「あなたを轢き殺そうとするなんて、思ってもみなかったのです。愚かであると思ったのは、律子様に頬を打たれてからのことでした」
懺悔だった。
己がしたことを思い返し、いかに愚かだったかを告げる懺悔大会。
彼女の狙いは、太陽による断罪だろう。
気付けば呆れてものが言えない。
今この期に及んでも、彼女の本心からの謝罪はない。
「話したかったのは、それだけですか?」
私は冷ややかな声を作って問いかける。
「いえ、他にも」
「そのあたりも承るべきだと思いますが、ちょっと聞き飽きてしまいました」
諏訪から何度も聞いた話でもある。
聞き飽きない方がおかしい。
「詩織様、あなたは勘違いをなさっておられますと言われませんでしたか?」
「いいえ」
「なるほど。あの時、あなたが取るべき行動は、いくつもありますがもっとも良い方法はなんであったかわかりますか?」
伊織を私に託すとしか思っていなかった彼女は、戸惑うように首を傾げる。
「何もしないこと、です」
「何もしない? そんなこと……」
「私があなたに声を掛けられ、車が私を轢くまでの時間、どのくらいありましたか? ほんの数分ではありませんでしたか」
私の言葉に、詩織様は黙り込む。
「全員が助かる方法は、『何もしないこと』だったのです」
「そんな!」
「事実です。もう、結果論としか言えないことですが」
あの時、詩織様が何も言わなければ、もう少し時間が稼げた。
その間に警邏兵が到着し、私も助けられたはずだ。
犯人たちは殺されずに捕獲され、誰ひとり死ぬことなどなかっただろう。
「あなたは選択を間違えた。それが、2人の人間を死に追いやり、ひとりの子供を重傷にした」
淡々と語る私をじっと見つめる詩織様。
「あなたはこれからそのツケを払うことになる。ようやく、ね」
「わたくし」
「遅すぎる謝罪は、無意味なのです。私は太陽などではなくただの人間だ。私個人を見なかったあなたに、告げる言葉を何も持たない。また会うこともあるでしょうが、言葉を交わすことはないでしょう。もはや、すべてどうでもいいことなんですよ。私にとってあなたは」
無関心ほどつらいことはない。
だからこそ、私はこの人に対して関心を持たなかった。
そうしてこれからも持つつもりはない。
救いなど、与えない。
私はその場に詩織様をおいて歩き出す。
「瑞姫様! 待って!!」
「…………」
追い駆ける声がするが、詩織様は動かない。
自分が持つイメージだけで相手をどうこう決めつけるような考え方をするつもりはないが、ここで私を引き留めるために追い駆けてくるならば、まだよかったのに。
声だけでは、立ち止まるつもりはない。
何も聞こえなかったかのように、誰もいないかのように、私は庭を歩き、母屋に向かう。
そうして、庭の出入り口付近でまたしても見知った顔に出会った。