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 エントランスの奥に木製の大階段がある。

 よく磨きこまれた手すりは、とても良い艶を放ち、下地や木目がなければ鏡のようにきれいに姿を映しだしそうだ。

 そんな見事な階段の近くに二十歳前後の女性の集団がある。

 よく見ると、それは一塊ではなく、いくつかの小集団に分けられているようだ。

 その中のひとつに、わりと見知った姿を見つけた。


「ごきげんよう、詩織様。あなたも招待されていたのですね」

 まさか私から声を掛けるとは思ってもいなかったようで、詩織様の瞳が揺れる。

「あ……ごきげんよう、瑞姫様」

「ちょっと! わたくしを無視しないでくださいません?」

 詩織様の挨拶を遮るような金切り声。

 先程の『フランケンシュタイン』発言の女性のようだ。

「どなたに声を掛けているのかと思っていましたが、あれは私のことですか? そもそも、あなたは何方でしょうか? 相良とお付き合いのある方なら皆様、覚えておりますが」

 困惑したふりをして言えば、くすくすと笑い声がさざめく。

「私たちの姿を見て、ドラキュラだと思う方はまずいないので、勘違いをしてしまいました、申し訳ありません」

「何よ。どう見てもドラキュラじゃない、その格好!」

「いいえ」

 おかしげに笑う声が響く中、詩織様がそっと告げる。

「あれはどう見てもハスラーですわ。だって、キューをお持ちなんですもの」

 キューを収めるボックスを手にする疾風とステッキのようにキューを持つ在原を示し、何でもないことのように言う詩織様の言葉に笑い声が大きくなる。

「それに、あなた、根本的な間違いをなさっているわ」

「し、詩織様?」

 間違いを指摘された女性は、まさか自分がそんなことを言われるとは思ってもみなかったようで詩織様と私の顔を見比べる。

「ええ。そんな間違いをなさる方がいらっしゃるとは思わなかったので、本当に驚きました」

 目つきが悪くなっていく疾風を橘に預け、その女性の方へつかつかと歩み寄る。

「なによ!?」

「フランケンシュタインとは、継接ぎの人造人間を作り上げた博士の名前です。化け物ではありませんよ。それに」

 彼女目の前に立った私は、前髪をかき上げ額を晒す。

「顔には傷ひとつありません。どうです? 綺麗なものでしょう。ですから、彼の作品にはなりえないのですよ、私は」

 にっこり笑って追い詰めてみる。

「なによ! 被害者面して詩織様を悪者に仕立てた性悪女のくせに!!」

「なっ!」

「岡部っ!」

 女性の叫び声と、疾風の声、制止する橘の声と同時に、何かが破裂するような音がした。

「……詩織様!? 何故……」

「瑞姫様に対する無礼もいい加減になさいませ! 瑞姫様に謝罪したらその場で出てお行きなさい。あなたの顔も見たくありません」

 女性の頬を打ったのは、詩織様だった。

 怒りをたたえた厳しい表情でその女性をまっすぐに見ている。

「私は詩織様の為に……」

「無用なことです。瑞姫様は、愚かな真似をした私の被害者です。責めを負うべきは私なのに、瑞姫様を悪く言う方がいると耳にしましたが、それはあなた方だったのですね」

「だって、だってそうじゃない!? 大怪我して生き残って、健気に生きてますって顔をして!! さっさと死んじゃえばいいのよ!! 誰も彼もあなたのことばかり気にして!」

 上ずった声が醜悪な言葉を生み続ける。

 心の奥底で小さな塊が冷たく凍えるのを感じた。


 ああ、そうか。

 何故私が目覚めたのか……。

 その言葉を聞きたくなかったからなのか。

 瑞姫は弱い心を封じるために、私を起こしたのか。

 死ねばよかったと言われくなかったのか。

 誰でも言われたいとは思わないだろうが、死ぬわけにはいかない理由があるのに、生き残ったことを否定されるのは確かにつらい。


 呆れたような溜息を深々と吐いた私は、打たれた頬に手を当てわめく女性を冷ややかに見下ろす。

「健気になんて生きてませんが? 私は相良の人間です。己の役目を放棄して死を選ぶことが許されない立場だからこそ、何としても生きることを選んだだけです。私が死を許されるのは、己の役目を果たしてしまってから、です。あなたにそのような役目は与えられていないのですね。ああ、そんな能力がないからこそ、誰もあなたのことを相手にしないんですね」

 可哀想にと囁けば、喚き散らして赤かった顔が一瞬で青褪める。

「悪意をまき散らせば、その数倍になって己に返ってくることくらい、誰でも知っていることをやっているあなたに、誰が気を留めるでしょうか?」

「何よ、偉そうに! このくらい、誰だって……ねえ! 言ってたじゃない!!」

 彼女の傍にいた女性たちは波が引いたかのように、いつの間にか後ろに下がっていた。

 誰も同意しないことに初めて気づいたその人は、後ろを振り返り問い詰めようとする。


 認めるわけ、ないじゃない。

 私がここにいるってことは、相良の人間が後から来るってことだものね。

 それに、在原家と橘家の子息もいる。

 珍しく私が怒っているのに、煽るような真似をすれば自分の家が危ないと誰でもわかることだ。


「……ところで、あなたはどちらの家の方でしょうか? 大伴家に招待される方なら私も知っているはずですけれど。七海さまには可愛がってもらっていますから」

「……っ!?」

 招待状を直接もらえない人間が、招待客に喧嘩を売ればどんなことになるのかわかっているのかと匂わせたとき、奥からざわめきが聞こえた。




「まあまあ! ようこそ、瑞姫様。まあ、素敵! なんてハンサムなハスラーなんでしょう」

 豪華なレースの襟が立てられたドレスの女性が両手を広げて近寄ってくる。

 この特徴的な襟!

 間違いなくイングランド女王陛下だ。

「お招きありがとうございます、エリザベス一世陛下」

 すごいな、七海さま。

 全然違和感ない。むしろ本物かと思うほどよく似てて、似合ってる。

「お久しぶりですこと! 顔をよく見せてくださいな。まあ、背も伸びて」

 私をハグした七海さまは、両手で私の顔を包んでにっこりと笑う。

「七海さま? 確か、2週間前にお会いいたしましたよね?」

「何を仰るの! 2週間も会えませんでしたのよ? お若い方は1日会わなかっただけでもずいぶん変わってしまうものですもの」

「背は伸びてませんよ」

「そうかしら? でも、ハンサムぶりは上がってましてよ」

 悪戯っぽく笑った七海さまは、私の頬を撫でる。

「七海さま、お伺いしてもよろしいですか?」

「ええ、どうぞ」

「七海さまがエリザベス一世陛下でしたら、おじさまはどのようなお姿になられているのでしょうか?」

「夫はフェリペ二世よ」

 にっこりと楽しそうに答える七海さま。

 そうきたかぁ!

 何でライバルを夫婦でやるんだ、この人たちは。

「ああ! 何てこと! わたくしったら!!」

 私の問いかけに答えた七海さまは、何かに気が付いたように悔しげにご自分を詰る。

「瑞姫様がこんなにハンサムさんなら、ドン・ファンをお願いすればよかったわ!」

「あ、あははははは……」

 それは、年齢的に無理でーす。

 女ったらしの代名詞的存在で知られているドン・ファンは、フェリペ二世の腹違いの弟だ。

 本国から離れた飛び地の領地の総督を務めたこともある文武両道の英才だった。

 軍の指揮官としての才能は特に素晴らしく、スペインの繁栄の一端を担った人物でもある。

 年の離れた弟の美貌と才能を愛したフェリペだったが、同時にそれらが疎ましく、ついには弟を死に追いやってしまう。

 歌劇の題材にもなっている有名な美男をやれと言われても、さすがに困る。

「冬にも仮装パーティを開こうかしら?」

 まさか、そうまでしてドン・ファンを見たいとおっしゃるのか。

「冬でしたら、アンナ・カレーニナはいかがでしょう?」

 冬=ロシアでついトルストイを思いついた私は、ぽろっと余計なことを言ってしまう。

「まあ、素敵! 貴族の将校ヴロンスキーね」

 私の配役はもう決まったのか!?

「じゃあ、あなた方がヴロンスキーの同僚である青年将校たちになるのね」

 笑顔のエリザベス陛下は、背後に立つハスラー諸君に声を掛ける。

 彼らの役どころも決定か。

「七海さま、ご存じだとは思いますが、紹介させていただけますか?」

「ええ。瑞姫様のお友達として改めて伺いたいわ」

 にこやかなホステス役の表情になった七海さまに疾風はもちろん、在原と橘を紹介する。

 大伴夫人に私の友人として彼らを紹介する意味は重い。

 何かあった時に、彼らを私と同じように扱ってほしいと願い出る事なのだ。

 その私の願いに足る人物かどうか、これから七海さまが精査していく。

 不足と結果が出れば、引き離され、言葉を交わすことも許されなくなる。

 勿論、そんな心配は全くしていないけれど。

「さて、ハンサムさんたち、こんな入口ではなく、中の方で楽しんでいってくださいな。遊戯室でぜひビリヤードの腕前を披露してくださると嬉しいわ」

「よろこんで、女王陛下」

 橘が恭しく一礼する。

「綺麗な仕種ね。よい教育を受けられているのね」

「ありがとうございます」

「遊戯室の方へ案内しましょう……あら?」

 七海さまの視線が橘から例の女性へと移る。

「あなた、どなたかしら?」

 怪訝そうな表情で頬に手を当てる。

「何方のお連れかしら? 今までに到着した方で御挨拶に来られた方の中にはいらっしゃいませんでしたわね」

 おっとりとした口調で女性に問うが、その視線は冷ややかだ。

 誰かの連れだとしても、必ず一番最初に主催者に挨拶に行かなくてはいけないのが慣例だ。

 七海さまが知らないとはっきり言っているということがどういうことなのか、理解すれば呆れるばかりだ。

「あの、七海様! わたくし……」

「やめてちょうだい! わたくしの名前を勝手に呼ばないでくださる?」

 進み出た女性の言葉に七海さまの態度が一変した。

 まさに女王の威厳というべきか。

「わたくしの大切な名前は、わたくしが許した大切なお友達しか呼べないの。名前も顔も知らないあなたが呼べる名前じゃないのよ? お衣裳もそぐわないし。帰ってくださらないかしら」

「え?」

「あなたをお連れした方も同罪ね。二度とわたくしと顔を合わせないようにしていただきましょう」

 手にしていた駝鳥の羽扇子をぱちりと音を立てて閉じる。

 奥へと繋がる扉の傍に立っていた礼服の男性が音もなく現れると、その女性を柔らかい物腰でしかしながら抵抗を許さずに連れ出してしまう。

 そう。

 エントランスホールまでは、誰でも入れるのだ。

 ここから先には礼服の誰かに招待状を見せなければならない。

 そこへ向かおうとした私たちを足止めした騒ぎに、彼らの1人が七海さまを呼びに行ったのだろう。


 ちなみに、七海さまのお名前の由来は、この方の生家にある。

 ご実家は海運業で栄える名家で、まあ、所謂海運王とも呼ばれているわけだ。

 男系のお家で有名だが、先代様は女の子が欲しかったらしい。

 待望の女児がお生まれになった時、『七つの海をまたにかける美貌と才能の娘になるように』との願いを込めて『七海』と名付けられたそうだ。

 先代夫人に七海は男の子の名前じゃないですかと、かなりしつこく怒られたらしい。

 名前通りに育ったかどうかは、見ればわかるというものだ。

 私が『七海さま』と呼ぶのを許されたのは、『おばさま』と呼ばれたくなかったという理由だ。

 微妙な女心には逆らわない方が身のためだ。


 しかし、今更だが、本当にあの人は誰だったのだろう。

 私の疑問に答えてくれる人はいないようだ。

 微妙な空気が流れる中、詩織様が前に出られる。

「大伴様、騒ぎを起こしてしまい、申し訳ございませんわ」

「中で起きなかっただけ、よしと致しましょう。詩織さんもご婚約が決まりましたから、この宴は今回で最後になりますし。ゆっくりと楽しんでらして?」

「ありがとうございます」

 すでに挨拶を済ませて、ここにいたらしい詩織様の言葉に、七海さまが彼女を呼んだ理由を悟る。

「七海さま」

「なあに?」

「知人を見かけましたので、ご挨拶に伺いたいと思います。友人たちを遊戯室までお願いできますか?」

「ええ、もちろん。学校での瑞姫様のご様子をぜひとも伺いながら案内させていただくわ」

「ありがとうございます」

 お互いににっこりと笑いあうと、その場を離れる七海さまを見送るように私はその場に立ち尽くす。

「瑞姫!」

「大丈夫だ、疾風。先に行っててくれ。すぐに追いつく」

 心配する疾風の背を押し、席を外すように促す。

「遅ければ、迎えに行くからな」

「ああ」

 これだけは譲れないと告げる疾風に頷いて見送ると、私は詩織様を振り返った。

「私を待っていらしたのでしょう?」

 そう声を掛ければ、詩織様の肩がびくりと跳ねる。

「私、祖母とよく七海さまのところへ遊びに来るので、こちらの御屋敷には詳しいのですよ。お庭にとても綺麗な場所があるのです、いかがですか?」

 私の誘いに意を決したような表情を浮かべた詩織様が小さく頷く。

「では、こちらにどうぞ」

 そう言って、ゆっくり歩き出す。

 エントランスにいた女性たちが付いてくる様子はない。

 詩織様だけが私の後を追う。

 屋敷からテラスを抜けて庭に出る。

 そうして人気のないところへと私は歩いて行った。

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