172
春の兆しはまだ遠そうな寒風に交じり、サイレンの音が増えつつある。
それを避けるために少しばかり離れた在原家が所有するホテルへと移動する。
何事かと集まってくる人々の波とは逆方向へ、興味のなさそうな表情を作って歩く。
これが大人の集団であれば不審人物として記憶に残ることだろうが、多少身なりが良さげな未成年であれば意外と残らないモノである。
何かしら事件があったとして、その犯人が集団で歩いているとは一般的には考えられないからだ。
普通、目立たないように1人、あるいは2人程度で散っていくと考える方が妥当だ。
勿論私たちは犯人ではないし、事故の要因でもないまったく無関係なのだから、目の保養程度には覚えられるかもしれないが、関係者だとは思われないだろう。
しかし、そのうちの2人が怒っている様子を隠しもしないので、少々気が重い。
一族専用の部屋に通され、リビングでソファに腰かけて外を眺めている間に、ホテルスタッフがワゴンにティーセットと軽食を乗せて部屋に入ってくる。
彼らがテーブルにセッティングし、部屋を去っていた後、妙に据わった視線で在原がこちらを見つめる。
「瑞姫、わかってるの!? また大怪我するつもりだったわけ!?」
「静稀の言う通りだよ、瑞姫。君は自分を軽んじすぎる」
誉まで非難めいた視線を向けてくる。
「あのさ、それって僕たちは死んでもいいって言ってるのと同じだけど? それを瑞姫が赦すと思っての発言かな?」
うんざりしたような表情で千景が口を挟む。
「瑞姫ちゃんが岡部に指示して、走ってくれたおかげで私たちは無事だったのよ。瑞姫ちゃんの判断は間違ってないわ。現場の被害も最小限に止められたみたいだし。感謝しても批難する謂れはないわね」
千瑛も千景を援護するように告げ、2人を制する。
「……だ、誰もそこまでは言ってない。だけど、瑞姫が走る必要はなかったはずだ」
「僕たちの一番近くにいたのは瑞姫だ。護衛に指示したところで、間に合わない。あの大型車に追突された車が僕たちの方へ突っ込んできていたのは見えてただろう? 足が竦んで身動きが出来なかった僕らをどこにどうやって避難させる? 瞬時に言葉にして指示できるのかな? 何もしなかった君たちは」
言葉に詰まった在原を追い詰めるように千景が言葉を重ねる。
奇妙なまでに重い空気。
そんな中で何故か疾風だけはのんびりとお茶を楽しんでいる。
私といえば、とりあえず学習能力はあるつもりなので、沈黙を保っているだけだ。
おそらく、何を言っても今は在原にも誉にも信用してもらえない。
言い訳としか映らないだろう。
それほど、今の2人は均衡を欠いている。
冷静な判断をしているつもりで、感情的になりすぎている。
そしてそれは千景も同じだ。
いつもは冷静な千景がここまで激昂しているのも珍しい。
さて、どうしたものか。
自分の機能がどれだけ回復しているのか、きちんと把握しての行動だったと言っても信用してもらえないのなら、それこそ言っても無駄だ。
かといって、ヒートアップさせていくのも拙いというのはわかる。
落ち着いてもらいたいのだが、それが出来そうな疾風はあの通りだし。
絶対に自分から口を開くつもりはないのだろう。
誰かが問いかけない限りは。
「千景、言い過ぎだ」
在原を追い詰めていく千景を見かねて止める。
「言い過ぎ? 冗談でしょう? 理解できていないから状況を教えてあげてるだけじゃないか」
「そうね。在原は思い込みが強すぎて、真実が見えてないみたいだし。それって、瑞姫ちゃんを信用してないってことよ?」
千瑛~っ!! 今それを言うか!?
思わず頭を抱えて呻きそうになった。
「それ、どういう意味!?」
在原の表情が険しくなる。
「あら、簡単なことよ? 岡部は、瑞姫ちゃんを止めなかったじゃない。あの、岡部が、よ? 止める必要がないという判断を下したってことじゃない」
ここぞというところで爆弾を投下するのは千瑛の得意とするところだが、何もそれを友人にしかけなくてもと思う。
案の定、千瑛の言葉に一部納得したのか、誉が疾風に視線を向ける。
「岡部、君は瑞姫の傍付だよな? 何故、瑞姫を止めなかった?」
疾風に対し、喧嘩を売っているとも取れる一言を敢えて告げる誉の気持ちも何とかわかる。
随身である疾風は、ある意味、私のストッパーだ。
そのストッパーが何故その仕事をしなかったのか、問題を問われるところだろう。
だが、疾風は悠然とした態度で首を傾げてみせる。
まるで質問の意味がわからないと言いたげな様子だ。
「止める必要がどこにある?」
「瑞姫が危険な目にあうだろう!?」
「は?」
心底驚いたというような表情を浮かべた疾風が誉の視線を正面から受け止める。
「危険? どこにそんな場面があった?」
「岡部!?」
この言葉に、在原も誉も表情を変えた。
まあ、ここが生まれたときから武術を嗜んできた家とそうでない文を重んじる家との差が生じるところだ。
「鎖鎌を難なく操れるまでに回復したヤツに、相応な危険って、一体どれぐらいのものだと思うわけ?」
呆れたように告げる疾風の言葉は地味に心に痛い。
一族内で鎖鎌を操れるのは、師匠である大叔父様と私だけだ。
アレの危険度は確かに計り知れない。
操る使い手が一番危険に晒される得物なのだ。
それを使ってもよいと判断したのは師匠だ。
大叔父様の赦しが無ければ、私とてアレを扱うことは叶わない。
つまり、ほぼ、復調していると師匠が認めたことになる。
師匠の言葉は絶対だ。
同じく大叔父様に師事している疾風が私の回復ぶりを認めていてくれたということは、無性に嬉しいことである。
表現の仕方がちょっぴり心を抉るけれど。
「下手すれば、銃弾さえ弾くことができる得物だぞ? アレを手足のように扱うって、マジでバケモノなんだぞ!? 間合いなんて関係ないほど常識外れの武器を得意として、それを操れるやつが判断したことのどこに危険があるのか俺が教えてほしいくらいだな」
まさかの人外確定か。
いや、確かに、鎖鎌や星錘の動きを目で追える私にとって、突っ込んでくる自動車の動きなど、スローモーション並にゆっくりしたものだけれど。
理解してもらえたことは、この上なく嬉しい。
嬉しいのだけれど、何かがざっくり抉られているような気がするのは気のせいだろうか。
「それは、つまり?」
「ここまで言わなきゃわからないのか? 瑞姫はおまえらよりも遥かに動けるぞ。現に、2人抱えてロータリーの植栽に背中から突っ込んで無事だったろ? 全力で走って、2人を掴まえて、向きを変えて背後に跳ぶ。それだけの動きが可能なヤツにする心配なんて何もないぞ。しかも、その前に俺に配下に車を止めろと指示出すしな。一瞬でいくつもの手が読めて、迷いなく判断を下せるヤツに無茶をするなと偉そうに言える方が馬鹿だろう」
その一言で、逆に疾風が在原や誉に対して怒っていたことがわかった。
私を、自分の主を見縊るなと、怒ってくれていた。
これほど嬉しいことはない。
共に育った相手が疾風で良かったと、心の底から思える。
「理解できたかしら、在原? 過保護も過ぎれば、ただの束縛なのよ、前田」
うっそりと微笑んだ千瑛が締めくくる。
「これで瑞姫ちゃんの婿候補は、同学年では岡部と千景の2人だけよね」
妙に浮かれた友人の言葉に、私は愕然とした。
いつの間にそんな話になっていた!?
思わず友人たちの顔を眺めた私に罪はないと、思う。多分。