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ふと身体が浮き上がるような感覚を覚えた。
ふわりと浮きあがるのは、身体ではなく、意識の方だと認識した時、唐突に視界が開く。
「あ」
目の前にあったのは、顔。
八雲兄上の、否、私そっくりの少年の顔。
「瑞姫ィ~っ!! 瑞姫が目を開けたぞ!」
私が彼を認識したと気付いた少年は、ぱっと身を起こして後ろを振り返り、誰かに声を掛ける。
「うるさい! 大きな声を出さなくても聞こえるわ!」
誰かが近付き、少年の頭に拳を落とす。
「いてーっ!! 乱暴だな、おい!!」
頭頂を押さえながら少年は喚き、私を見る。
「どうしてこんな乱暴年増を慕えるんだ、瑞姫は」
「瑞姫姉様は乱暴年増などではありませんわ。尊敬すべき方です」
さらにもう1人、少女が少年を諭す。
全部というか、全員ほぼ同じ顔。
若干異なるのは性別やら性格が表情に出ているからだろうか。
何だろう、この全員集合的な人たちは。
うちの家族は大体似たような顔をしているけれど、ここまでそっくりな顔は私と八雲兄上だけだと思っていたが。
そうして、この少年は、『瑞姫』を連呼していたし。
「その表情だと、理解してないふりをしつつ、あらかた察しているようだね」
ぐりぐりと少年の頭を拳で弄りながら、苦笑しているその人は。
「……瑞姫、さん……?」
「正解」
にこやかに笑うその人に、私は周囲を見渡し、目を瞠る。
「ここ……」
「思った以上に意識が剥がれやすくなってるみたいだね。ここまで落っこちて来るとは思わなかったよ」
そう説明を受ければ、目の前の少年と少女が何であるのか理解せざるを得ない。
「彼らは『瑞姫』なのですね?」
「そーゆーこと。ちなみに、ゲームキャラの『瑞姫』はこの彼女が一番近い」
そう言って、瑞姫さんは淑やかそうな少女を示す。
腰まである真っ直ぐで艶やかな黒髪を持つ彼女は、中等部時代の私とよく似ている。
柔らかく微笑む彼女は、無骨な私とは全くことなる性格だとひと目でわかる。
「では、本来の『瑞姫』は彼女なのでは?」
あるべき姿に戻るためのこの場所なのかと問えば、少女は首を横に振る。
「いえ、違います。人格というのは意外と簡単に分かたれるもので、その時主導権を得た者に対し、他の人格が多少なりとも影響を及ぼす程度で、誰が主というのも明確なルールがあるわけでもないのです。強いて言えば、逃げ出さずに残った人格が主たるものになった……でしょうか」
「………………は?」
何だか、一番鈍臭い人格が主人格になるように聞こえるぞ。
「他の奴がどうだかは知らないけど、俺らの場合はこいつの言う通りだな」
少年が頷く。
「あまり嬉しくない表現だが」
貧乏くじを引かされたような気がしてならないのは何故だろうか。
「ちなみに、もう1人、いる」
少年が重々しい口調で告げる。
「もう、1人?」
「ええ。滅多なことでは私たちの前には現れないのです」
苦笑しながら少女が告げる。
人格、否、彼らを性格の具現化だと考えると、少女は淑やかさとか大和撫子など女性らしい嫋やかな面を表しているのに対し、少年は純粋さや大らかさ、大胆さなどを表しているような気がする。
瑞姫さんは剛毅さや賢さ、鋭利さだとするともう1人の私は、やはりあれしかないだろう。
「それって、内気だとか臆病だとか、人見知りするとかいう性格の子だろうか?」
自分の中にある性格を彼らに割り振っていくと、残る性格がこういう関係になっていく。
「……えぇ、まあ」
言いにくそうに少女が頷く。
「蘇芳兄さまの迫力に押されて、ね……かく言う私もそうなのですが」
「……何となく、わかった」
兄上も姉上もとてつもなく私に甘いが、蘇芳兄上だけが微妙に方向性が異なるのだ。
この『兄上』という呼び方も、蘇芳兄上が私に強要したのが定着したのだ。
彼女が『兄さま』と呼んでいるのは、おそらく強要された呼び方に反発したか、上手く適合できなかったかだろう。
人見知りだか臆病だかいうもう1人は、押しの強すぎる蘇芳兄上に怯えたというあたりが原因かもしれない。
初等部に入った頃の蘇芳兄上は、何故だか時代劇にハマり、『兄上』と呼ぶようにとようやく言葉を覚え出した私にしつこく言って聞かせていたらしい。
はっきりした記憶がないので伝聞の上、曖昧なのだが、相当しつこかったらしい。
でなければ、人格がわかれたりはしなかっただろう。
だが、少年の方は蘇芳兄上が原因ではないようだ。
少女たちとは異なり、少年と分かたれたのは意外と最近と言ってもよい時期だろう。
彼の場合、明確な想いが伝わってくるのだ。
その想いは常日頃、私の心の一角を占めている。
だからこそ、素直に納得できたのだ。
『友人と、対等でいたい』という尤もな願い。だけど、叶えられるかどうかはとても難しい。
幼馴染として、一番の友と呼べる疾風だが、主従関係であることもあり、どうしても対等に扱ってはもらえない。
誉や在原にしてもそうだ。
家柄の差異は大して気にならないだろうが、その立ち位置が大きく異なる。
彼らにとって一番の問題は、私が女性であるということだ。
同性である疾風と異なり、異性である私に対しては、ある種の共感が持てないためか、どこか線を引かれている。
特に誉は根っからのフェミニストで、異性に対してはどこか甘い。
守らなければならない対象として捉えているのだろう。
それを嬉しいと思うか、侮られていると思うか、人それぞれだろうが、彼にはそれが悔しかった。
友と言いながら、対等な関係を構築できない己の不甲斐無さ。
私が女性であるからという理由ならば、それを覆したいという想いから派生したのが彼だったのだろう。
人格が男性であったとしても、肉体が女性であればどうしようもないのだが。
疾風や誉が私に対して鈍いというのは、おそらく少年である人格が関係しているのだろう。
感覚が繋がっていても、視覚的に別の人間として彼らの姿が映っていると、わかることもある。
そうしてさらに混迷を深めているのが少女2人の想いだろう。
目の前にいる少女と姿を現さない少女の想い人は全く別の人であることが、今の私にはわかる。
争いたくない内気な少女は、それゆえ姿を現さないのだろう。
どちらも自分の想いを私に押し付ける気はないらしい。
瑞姫さんに関しては、全く謎だ。
少年と少女たちとは異なり、瑞姫さんの想いと言うのは全く私には伝わってこない。
散々、記憶の残滓だと聞かされているからだろうか。
瑞姫さんが何を考え、誰を想っているのかなど、全くわからない。
「……ひとつ、確認しておかなければならないことが」
この期に及んで、私は尋ねておかなければならないことを思いだした。
「ここで流れている時間と、外の時間の差異はどのくらいだろうか」
とりあえず、誰かが上に戻らないといけないのだが、時間が経ちすぎて数年たっていたとなってはとても困る。
「ああ、そういうこと」
私が考えていることがわかったのか、瑞姫さんがくすくすと笑う。
「おそらくまだ一秒も経ってないんじゃないかな? 受け身を取って植栽の中に突っ込んだところだよ」
「え!?」
そんな馬鹿なと目を瞠れば、少年と少女も頷いて同意する。
「こちらの時間の流れはとても速いのです。無意識下の思考速度と同じぐらいだと思っていただければ納得なさるのでは?」
そんなことを言われると、そんなものかと思ってしまう。
「つまり、あまり影響が出ない範囲で戻れるということか」
「ええ。それもありますが、前回のこともありますので、なるべく早くお戻りいただきたいと思います」
「それは、俺もそう思う」
2人に同じことを言われては従わざるを得ないだろう。
「……それで、いいのか?」
少女に問いかける。
本来であれば、彼女が主人格であったかもしれないのだ。
「ええ。私では、皆が違和感しか感じないでしょうし、彼の願いを叶えることもできないでしょう」
「そうか」
ひとつ頷いて、瑞姫さんを見る。
「瑞姫さん」
「ん。まあ、目を開けたら、怒られる覚悟は出来てるよね?」
にこやかに告げられ、ぎょっとする。
よく考えてみれば、おそらく無茶としか言いようがないことをやってしまったと思う。
いや、出来ると思ったからやったのであって……言い訳にしかならないかもしれないが。
「まず、千瑛と千景、それから誉と静稀、疾風。怪我はしていないようだから姉上たちの御小言は避けられるとしても、八雲兄上は覚悟しなよ?」
「うわあぁっ!」
「ま、頑張れ!」
少年が私の肩をポンと叩く。
労いなのか、憐れみなのか。
自分ではないからと笑顔なのが悔しい。
ぐらりと視界が揺れ、後ろへと倒れ込む。
「もう、ここにきては駄目ですよ」
少女の声が霞む意識の奥底で聞こえ、それが最後となった。
まだ言わなければならないことがあるというのに、私は。
いつもそうだと後悔しながら、暗闇の中へと落ちてゆき、そうして再び目を開けた。
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ガサガサという音と共にかすかな衝撃が背中に走る。
枝が腕や背中を引っ掻く感触もするが、上着のおかげで怪我をしたという感覚はない。
衝撃が止まり、ふっと息を吐く。
腕の中には千瑛と千景がいる。
何とか、予定通りにロータリーの植栽をクッションにできたようだ。
「千瑛、千景? 大丈夫か」
そう声を掛ければ、かすかな呻き声を上げた千景がハッとしたように身を起こす。
「瑞姫! 千瑛!!」
「……ん。瑞姫ちゃんっ!」
声を掛けられ、千瑛も顔を上げ、私を呼ぶ。
「ふたりとも怪我はないようだな」
すぐに意識が戻ったこともあり、身動きした時にも表情が変わらなかったことから怪我はないと判断し、ほっとする。
ふたりとも起き上がったことから私も上半身を起こして座り込む。
そこは、惨憺たる惨状であった。
ロータリーやらガードレールやらに突っ込むことで停止した車が数台。
大型車に踏まれて潰れた車もある。
大型車はすでに止まっており、助手席のドアが開け放たれている。
疾風が指示して、誰かが車を止めて、運転手を下したのだろう。
意識が無いように見えたが、無事だといいのだが。
幸いにも怪我人は多いようだが死亡者は出ていないようだ。
救急車や消防車、パトカーがサイレンを鳴らして集まってきている。
「瑞姫っ!!」
誉や在原、そして疾風がこちらへと駆け寄ってくる。
ここまで混乱していると、もはや信号機の意味はないようだ。
「瑞姫っ!!」
在原が遠慮なく抱きついてくる。
「怪我はないっ!? 痛い処はっ!! 生きてるよね!!」
どうやら相当パニックを起こしているようだ。
「勝手に殺さないでほしいんだが……大丈夫、怪我はない」
ぽんぽんと在原の背中を叩いて宥めてやれば、千瑛が呆れたように溜息を吐く。
「在原。ここでパニック起こしていいのは、私とちーちゃんだからね」
「あー……ここまで慌てられると、逆にこっちが冷静になるものだね」
千景が在原の腕を強引に剥がし、私から彼を遠ざける。
「あ、ちょっと……」
「いい加減にしろと言いたいんだけど。抱き着くより先にすることあるでしょ!」
叱りつけた千景は、私の背中へ視線を走らせる。
「上着が厚くてよかったよ。枝が切り裂いたようなところもないし、打ち身くらいかな?」
「いや、打ち身もないよ。2人が軽くて助かった。これが誉や疾風だったらこうもいかないからな」
「瑞姫ちゃん、ありがとう」
私に怪我がないとわかった千瑛が頭を下げて礼を言う。
「瑞姫、ありがとう。僕はともかく、千瑛は大怪我どころじゃなかったからね」
千景も泣きそうな表情で告げてくる。
「咄嗟だったから……礼なら私ではなく、疾風に言ってほしいな。あの車を止めることができたのは、疾風の指示だから」
「……俺は、瑞姫の指示がなければ動くつもりはなかった」
疾風っ! 正直に言うんじゃないってば!!
私が思ったのか、他の人格が思ったのかはわからないが、思わずため息を吐く。
「とりあえず、ここを移動しよう。このまま巻き込まれるのは得策じゃない」
誉が告げ、場所を移動することにした。
ここに四族が5家も揃っていたら、我々が狙われたと思われてしまうかもしれないからだ。
「瑞姫、わかってるよね?」
にこやかな笑顔で告げる誉に、相当お怒りであることが知れる。
無茶をやらかしたわけではないのに、理不尽だ。
そう思いながら、後始末をつけるべく、疾風に頷いて見せた。