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大伴家の夏の宴当日。
疾風たちに衣装を着てもらい、それに必要な小物も確認する。
衣装とは言っても、単なる三つ揃えのスーツだけど。
正装だから、ちゃんとジャケット付きです。
夏だから、もちろん暑い。
それでもクーラーの下に入ることだし、招かれたご挨拶をしに行かなきゃいけないのに砕けた格好はできない。
いくら、仮装パーティと銘打ったとしても、年少者だからね、我々は。
「在原、ネクタイ歪んでるぞ」
「えー? マジで? 締め直せばいい? それとも、最初から?」
疾風の指摘に在原がネクタイを疾風に見せる。
これは、アレだ。
腐女子が喜ぶ定番だ。
思わずガン見しかけた私に橘から声がかかる。
「瑞姫、似合うね。細身のスーツがここまで似合うとは思わなかったよ。ネクタイはまだなんだね。俺が結ぼうか?」
いや、私の方か!!
手にしていたネクタイの端を橘が摘まみ、するりと抜き取る。
「自分で……」
「俺、上手いよ?」
にっこりと微笑む橘の襟元を飾るネクタイは、とても形良い。
制服のネクタイもそういえば崩れていることを見たことがない。
結んでもらった方がよさそうだけど、他人様にネクタイを結んでもらうとは情けない。
「うー……」
考え込む私をくすくすと笑いながら、橘がネクタイを襟の下へとくぐらせる。
「動かないでね、瑞姫」
「うえっ!?」
「あ、いーな、瑞姫! 誉にネクタイ結んでもらってさー」
何気に羨ましそうに在原が言う。
いいのか。
結んでもらうのはありなのか。
悩んでいる間にも器用に橘がネクタイを結び終わってしまった。
「はい、出来上がり。制服もいいけど、こっちもいいね。ダンスには誘えないけどさ」
「ワルツは無理かも。でも、チャールストンぐらいならいけるんじゃない?」
「いや、踊らないから」
朝からはしゃいでいる在原に、釘をさす。
「えー!? もったいない」
「元々、ダンスは下手なんだ。授業で習ったくらいしか踊ったことないし」
「嘘っ!? 相良の御嬢様が、ダンスしないの!?」
「この身長だと、相手になってくれる人が殆どいないしね」
既成服を買わないから不便に感じることはないけれど、同級生の男子の殆どが同じ目線という長身は、こういう時不便でもあり、便利でもある。
踊らない言い訳になるからだ。
「静稀たちは今日、疾風のところに泊まるのか?」
「うん。純和風武家屋敷を堪能するんだ」
「……ん、まあ、色々と堪能できるよね。夏だと特に」
楽しそうに笑う在原を見て、疾風に視線を向けて言う。
「まあ、色々と、な」
疾風も笑いをかみ殺し、視線を彷徨わせながら頷く。
「何!? 色々って何!?」
「楽しみにしておけばいいじゃないか、静稀。夏の風物詩が幽霊だったりしても、それはそれで貴重な経験だし」
橘までもがからかう方に参加する。
「貴重だけどっ! それ、貴重だけど、なんかいやだ!!」
真夏の幽霊体験は御免被ると叫ぶ在原を無視して、今回の為に揃えたキューをボックスの中に収めていく。
今回のコスプレは、ハスラーなのだ。
わかる人にはわかる地味な仮装。
「じゃ、行こうか」
ぱちんと音を立てて金具を閉じ、ボックスを手に持とうとすると、疾風が先にそれを掬い上げる。
「早めに行って、早めに戻ろう。今回はお披露目のようなものだからな、簡単でいい」
「うん」
疾風の言葉に頷いて、私たちは離れから母屋へと移動し、車寄せで待っていた車に乗り込んだ。
***************
大伴家の御屋敷は、古びた瀟洒な洋館だ。
庭の設えとも相まって、欧州貴族の館の趣がある。
夏の宴は、昼から始まり夜中まで続く。
昼間訪れるのは若者組で、夕方心から徐々に大人組というか格式が上がってくる。
私たちも軽めの昼食を摂ってからの参加で、宵の口あたりに切り上げようという予定だ。
その間、ホスト役の大伴家の人々はずっと出ずっぱりだから大変だといえよう。
「まずは七海様にご挨拶をしてから、そこら辺を散策しようか。菅原双子も来ることになっているそうだし」
千瑛と千景はどんな仮装なのかとキューを片手に車から降りて話す私たちの前に諏訪とよく似た青年が立つ。
「ごきげんよう、瑞姫さん。久しくお会いしておりませんでいたが、お元気そうで何よりです」
諏訪とは違い、物腰柔らかい対応と優しげな微笑みの青年は、諏訪分家の1人だ。
諏訪や詩織様の従兄という関係だ。
「諏訪珂織さま、ご無沙汰しておりました。この通り、元気にしております」
同じ諏訪分家筋でも珂織さまの家とは良好の関係を築いている。
事件の知らせを受けて即座に駆けつけて諏訪本家の補佐に入った家でもある。
珂織さまは当時、東雲とは違う学園に通われていたが、足繁く見舞いに来てくださったようだ。
八雲兄と同じ年で、わりと話しやすい方だという印象を持っている。
「遠目からあなたの笑顔を見れて、ほっとしました」
「そうでしたか。その節はご心配をおかけしました」
「いえ。あの件は全面的に私共に非がありますので」
視線を落とした珂織さまが、再び顔を上げて私を見る。
「以前、私が婚約の申し込みをいたしましたこと、覚えていらっしゃいますでしょうか?」
「はい。保留とさせていただいておりますが、もう少しお時間をいただきたいと……」
「いえ。その件を撤回させたいただきたいと、このような場で不躾ではありますが、直接、瑞姫さんにお願いしに参りました」
「……え?」
意外なことを聞いた私は、珂織さまの顔を見上げる。
私の右脇に立つ疾風が私に視線を送る。
後ろに立つ在原や橘も何も言わない。
「どこか、場所を移しますか?」
「いえ、ここで。すぐに済む話ですし。私の婚約が決まったのです。次期当主の指示で」
「諏訪が……」
「ええ。現在の分家筆頭は潰されることとなり、当主と当主夫人は離縁されることになりました。現当主夫人佐織さまは半年後に別の分家の後添いになることが決まっております」
「では、あなたの婚約者というのは……」
「御察しの通り、詩織です。とは申しましても、形ばかりですが。私に詩織が婚約することで、我が家が分家筆頭となります。ですが、私は詩織と結婚することはありません。詩織は養子縁組で父の子となり、その後、放逐されることになりました」
「それを私に? 何故?」
「間もなく公になりますが、分家筆頭当主の離反が明らかになりました。刑事責任を追及するために家を潰し、権限を取り上げるという判断が下されました。佐織さまと詩織も同罪ですが、離反には関与しておりませんでしたので、佐織さまは分家の監視下に、詩織は一般人として生活できる知識を学ばせたのち、諏訪から切り離すことになったのです。今のままでは普通の生活というものができませんから」
「そうですか」
色々とる方法はあったと思う。
分家筆頭を他家に譲り、家族そのまま海外に出してしまうことも、縁を切り、業務上横領で財産没収という方法も。
今回、諏訪が取った方法は、確かに甘い手ではある。
しかしながら、諏訪家としてみれば痛手は少なくなる。
守るべきものを守って、少々欲張りではあるものの被害を少なくするという点では間違っていない。
諏訪としては、身を切る思いをしただろう。
あれだけ慕っていた詩織様を他の男と婚約するように指示し、その間、一般社会の知識を学ばせ、そうして同じ世界で二度と会わないと決めたのだから。
「あなたには、我が諏訪家の思惑で散々ご迷惑をおかけいたしました。相良家のお怒りも承知しております。ですが、恥を承知で分家の内情をあなたにお知らせしようと思いました」
「それが、新たな諏訪分家筆頭の意思ですか」
「はい」
頷く珂織さまを見て、疾風に視線を送る。
「疾風。連なるものとして、どう考える?」
「新たな分家筆頭の誠意は受け取りましょう。ですが、今後二度と旧筆頭との接触は断ります」
「そうか。珂織さま、聞いての通りです。諏訪家としての意思は当主である祖父がなさるでしょうから、私から申し上げることはございません。ご婚約の件も、おめでとうとは申しません」
「ありがとうございます。私もあなたにその言葉をかけてほしいとは思いません。では、私はこれで」
そう言って頭を下げた珂織さまは、私たちと入れ違いに屋敷を出ていこうとする。
「珂織さま? 参加されないのですか?」
「ええ。招待されましたが、今回の目的はあなたにお会いすることのみです。中にいる者たちには会いたくない。大人げないとお思いになりますか?」
複雑な笑みを浮かべた珂織さまは、首を横に振って帰る意思を伝えてくる。
そうか。
中にいるのか、あの人たちが。
「いえ。お気をつけてお帰りください。では」
「失礼します」
再度頭を下げ、珂織さまは車に向かった。
何とも言えない空気が漂う。
「あの男が、本家の息子なら、まだよかったんだけどな」
疾風が忌々しげに呟く。
「確かにー。あの人なら、詩織嬢に恋なんて絶対にしないよね。完全に瑞姫狙いだったし」
「そうか? 昔からあの人は、わりと面倒良くて、年下の子供たちに本を読んでくれたりとかしてな。その延長だったから全然気づかなった」
「瑞姫ーっ!! 女子力ないぞー」
がっつりと私の肩を掴んだ在原が揺さ振るように訴える。
「瑞姫は女子力あると思うぞ。料理が美味いし。服のセンスもいいし。化粧は……しなくても充分すぎるほど美人だし」
「そうだね。高校生で化粧してる子見るのは、ちょっと引くよね。化粧落とすと別人顔なんて、ね」
「化粧は、女子にとっての戦闘服のようなものだからね。少しは大目に見てやってくれ。それに、この格好に化粧だと変だろう、私の場合」
コスプレなら、眉を凛々しくとか彫り深くとかで化粧するのかもしれないけど、普段の姿ならあまり必要ないものだ。
「さて。七海さまのところに行こうか」
気を取り直してエントランスへ入る。
どこかで生演奏の音が聞こえる。
「後で庭に出るのもよさそうだね」
橘がそう耳打ちしてくる。
そうか。
生演奏は庭で行っているのか。
「ここ、遊戯室ってあるのかな? ビリヤードできると嬉しいけど」
せっかくハスラーコスなんだしと在原も囁いてくる。
どちらも楽しそうだ。
とにかく七海さまへの挨拶が先だけど。
奥へと進もうとする私たちの耳にある言葉が届けられる。
「まあ、なんて地味なお姿かしら! ああ、ドラキュラなのね。同じ化け物ならフランケンシュタインの方がお似合いなのに」
「……っ!」
疾風が物凄い勢いで声がした方を睨む。
身を乗り出しかけたので、腕を掴んで遮る。
私と、在原と橘の3人で。
階段近くに二十歳前後の女性が集団で立っていた。
こちらを向いて、笑いながら。
その中に見知った顔を見つけて溜息を吐く。
どうやらそう簡単に七海さまのところには行けないようだと思いながら。