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私が思うに、誉は少々真面目すぎる性格のようだ。
移動教室のため廊下を歩きながら、そこから見える横顔を眺め、そう思う。
私が廊下にいることに気付きながら、頑なにこちらを向こうとはせずに周囲を取り囲む令嬢たちに紳士的な態度を崩さずに対応している誉が何を思っているか、想像に難くない。
今回の騒動で私に迷惑をかけたとでも思っているのだろう。
誉と私が婚約したのではと思って詰め掛ける女子生徒たちを前に、誤解であることを告げる彼は実に誠実な性格をしていると思う。
ちなみに、それを私に問う者はいない。
何故かというと、私の傍には常に疾風がついているし、私自身がそれほど人懐こい性格をしているとは言えないからだろう。推測の域を出ないが。
もしかすると、怖いと思われているのだろうか?
意外とあり得そうではある。
私という人間の事実を知る者にとっては、爆笑ものだろうが。
どうしたものかと首を傾げれば、疾風が肩をすくめる。
「下手に口を出せば、ややこしくなる」
「しかし、な……」
「欲しい言葉しか聞きたくないやつに、何を言っても無駄だ」
確かに疾風の言うことも一理あるが、事実無根な噂話を釈明しなければならない誉も気の毒ではないだろうか。
「どんな言葉だろうと、言うのが『相良瑞姫』では頑なになったやつらの心には響かない」
「誉なら、いいのか?」
「あいつらは、前田からの言葉が欲しいんだ。瑞姫じゃない」
「……同じ噂の主なら、どちらでも一緒だろうに」
そう思うのだが、相手にとってはそうではないらしい。
「憧れか、恋かはわからなんが、恋情ってぇのは厄介なんだよ」
「そういうものなのか?」
「そうだ」
「……私にはわからないな。まぁ、言わなければ伝わらない、というのは、わかるけれど」
教科書一式を抱え、歩く。
誉の教室から視線がこちらに投げかけられるが、やはり声はかからない。
物問いた気ではあるが、声を掛ける勇気がないといったところだろう。
私に声を掛けないように誉がそこで対応しているというのも正解の1つだが。
「前田に、おまえを渡したりはしない。それが総意だ」
「私が『みずき』である以上、婿取りが基本だからな」
「……そういう意味じゃないんだが」
困ったように笑う疾風の言葉に、今度は私が肩をすくめる。
「おまえは、何処にも誰にもやらない」
「……行き遅れ決定か!」
これは忌々しき問題だな。
一度、兄上達を膝を交えて話し合わなければ。
コンコンと説教してくれてやろう。
これでも人並みには夢を見たいお年頃なんだからな。
そこで、私は立ち止まる。
これでも13歳なのだと言おうとして、そうでないことに気が付いたからだ。
もうじき私は17歳なのだ。
春休みが来れば、誕生日を迎える。
ああ、だから、か。
最近周囲が騒がしいのは。
早ければ、高等部を卒業したと同時に婚姻届を出す者もいるのだから。
婚約期間は大体1年間が主流だ。
早い者は半年くらいだが、概ね披露宴の準備でそのくらいの期間を必要とするため、この時期から急激にそういう話が持ち上がってくるのだと以前姉上に聞いたことがある。
誉も私も進学希望だから、卒業同時にというのは当て嵌まらない。
しかしながら、周囲としてはそうもいかないのだろう。
例え、進学希望で、その後、一族の会社経営に何らかの関与をすることになろうとも、優良株は先物買いで手に入れるべきだという考え方もあるし。
それぞれの家の方針で、それこそ相手の一族の都合など考えずに、今のうちに手を打つのだろう。
非常に迷惑だと思っても、こればかりは仕方がない。
婚姻は家との結びつきによるものに重きを置くからだ。
ちなみに許嫁は仮婚約のことで、結納を終えた婚約者よりも束縛度は低い。
結納は契約で、許嫁は口約束と置き替えればわかりやすいだろう。
契約を違えれば、それに見合うペナルティを払わねばならないが、口約束はその限りではない。
状況により、それなりのペナルティを払う場合もあるが、結納の場合とは格段に差が出る。
正式な婚約をせずとも口約束だけでも相手を拘束したいという思いが働くために、こぞって騒ぐのかもしれない。
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人前で誉と会話しなくなり数日、期末試験やら卒業式などのイベントをクリアして春休みとなった。
この頃になると、茶会や夜会の招待が非常に多くなる。
学生であるという言い訳が休みの間は効かなくなるのだ。
それゆえに、あまりにも面倒臭くなると奥の手を使う。
すなわち、『リハビリ』だ。
これがなかなかに効果を発揮してくれるので申し訳ない気もちらりとするが、背に腹は代えられない。
うっかり茶会に出て、余計な噂を立てられたくないからだ。
これでハメられてありもしない嘘の噂をさも真のように持ち出され、己の名誉のためにしたくもない婚約をさせられたお嬢様が続出する季節なのだ。
標的となる子息令嬢は絞られているため、あちこちでやたらと華やかな噂が流れる。
それを片端から暴れて壊していったのが我が兄上と姉上たちだ。
どう暴れたのかは、私の精神安定上、聞かない方がよいと誰も教えてはくれない。
おそらく、聞けばそれ以上の方法で私が暴れるとでも思われているのだろう。
私は、兄や姉ほどアグレッシブな性格はしていないと断言できるのだが。
「本当にしつこいこと」
茶会の招待状を前に御祖母様が呟く。
「招待状、ですか?」
今にも舌打ちしそうな気配を漂わせる御祖母様に恐る恐る問いかける。
もちろん、舌打ちなんて御祖母様がするわけないのだが、忌々しげなというか、苛立たしげな気配が漂っている。
「何を考えておいでなのか、葉族が四族、しかも地族へ招待状を送り続けるなんて無礼もいいところですこと。はっきりとお断りしたというのにねぇ」
うっすらと微笑む御祖母様の笑顔が恐ろしい。
茉莉姉上は、きっと御祖母様に似たのだろうと思う。
血の繋がりというのは、確かに濃いものだ。
先程から後ろに控えている疾風の顔色も悪い。
御祖母様の御怒りも御尤もだ。
葉族は四族の分家からさらに切り離された末端だ。
名家というには程遠く、切り離された理由も実は公にはできないモノが多い。
名を与えられて独立を許されたと勘違いする葉族が殆どだが、『四族』の分家ではなく、『四族の分家』の末端から切り離されたから『葉』族と呼ばれる。
『四族』主家の役に立たない、むしろ害を為すと思われたからこそ、縁を切られたものというのが正しい認識だ。
切り離された当初代はハナツマミでも、代を重ねるごとにまともな当主が立ち、ごく普通にそこそこ有能な家になる葉族も、もちろんある。
だが、どう足掻いても主家を超えることはできない。
四族、天地神皇を名乗る氏族とは課せられた責任も、その教育方法も、全く異なるからだ。
それゆえ四族は、課せられた責任を果たすためにそれ相応の優遇を受けている。
責任を一切負わず、ただ葉『族』と呼ばれるために己も優遇を受けられる存在だと勘違いしている端ゆえ、四族からも一般人からも嫌われているということに気付かない者が多い。
分家からも切り捨てられた者が、他の四族本家に断られているにも拘らず招待状を送り続けるなどありえない。
本来であれば、招待状を送ること自体も特別な縁がない限り許されないことだ。
だから、御祖母様が笑顔のまま激怒なさっていても、それはごく当たり前のこと……そう、どの家でも判断するだろう。
間近で見ると非常に恐ろしいが、誰もが納得することなのだ。
どの家だ? こんな莫迦な真似をしたのは!
余程、己の家に自信があるとみえる。
「どこの家でしょうか? 本家筋は、どちらに?」
「さて、ね? どちらに縁なのかも定かではないほど地に堕ちた家ですからね」
つまり、本家筋の家に抗議を入れても、関係を否定されるほどに関わりたくない家なのだろう。
「……御祖母様。縁もゆかりもない相良を茶会に招こうとする腹は何でしょうか?」
「我が家の娘たちでしょうねぇ。それぞれ、利がありますからね」
「なるほど」
「そちらの家に、私たちと釣り合う年頃の子息がいらっしゃると?」
「いいえ。調べてみましたら、御子はいらっしゃらないご様子。甥御はおられましたが」
「そちらと娶せるおつもりでしょうか?」
「ふざけたことを考えておられること。我が家の娘は、本人が望んだ方と添い遂げるのですよ? このような悪手を打つ家の男子を好むような悪食はひとりとしておりません」
「あはははは……」
悪食、ですか。
つまり、そこの甥御は趣味が悪いと御祖母様が判断されるほどの方ですか。
「瑞姫」
「はい?」
「あなたが誰を選ぼうと、私は止めません。今、あなたが友人と呼ぶ在原家の坊も前田家の方も、菅家の方も疾風も、よい殿方だと思います。ゆっくり吟味なさい。そして彼らと並んで恥ずかしくない己であるよう努力なさい。急ぐ必要はありません。上の2人が片付くまで、どうせ時間はたっぷりあるのですから」
「……御祖母様……」
それは言ってはならないお約束というものでは?
想う方がいらっしゃるのかどうかはわからないが、今のところ全く嫁ぐ気を持たない姉2人に対して、その言葉は喧嘩を売っているようなものである。
まあ、言っている方が御祖母様であれば、姉上たちもさほど暴れることはないとは思うけれど。
「それで、その招待状、どうなさるおつもりですか?」
「そうね。七海にでも話してみようかしら?」
「それは……何とも……」
大伴の七海さまにこの件を伝えれば、御祖母様以上ににこやかな笑みでとんでもないことをなさるだろう。
やっておしまい的なまでにお怒りか。
「今から出かけるのでしたね、瑞姫」
「はい。友人たちと、外へ……」
「そう、存分に楽しんでいらっしゃい」
「いってまいります」
「……疾風」
「は」
「瑞姫を頼むわね」
「御意」
御祖母様に見送られ、私と疾風は相良の屋敷を出る。
空は青く澄み始め、季節の移り変わりを示していた。