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翌日の紙面は、前田家の華やかな夜宴の様子と朱雀院家の三男坊の逮捕が大半を占めていた。
前田家の夜宴の様子は好意的に書かれていたのに対し、朱雀院家の問題はやや攻撃的であった。
婦女子暴行と聞けばまったく赦す気は起こらないが、朱雀院家は三男坊と縁を切ることを発表したらしい。
表面だけを見れば、トカゲの尻尾きりと揶揄されるような内容だが、実際は少々違うようだ。
縁を切ったのは、司法が朱雀院家を慮って彼の罪を軽減しないように罪を犯した一個人として断罪されるべきだという考えと、彼自身が家の威を借りぬよう手を打ったこと、また己が犯した罪がどれだけ赦されがたい事なのかをはっきりと自覚し、反省するためだという理由だそうだ。
被害者には親として、監督責任があるものとして、相応のことをするとも言っている。
これは、裏情報なのだが、どうやら三男坊は意外と几帳面で日記を書いていたそうだ。
いつ誰に何をしたのか、はっきりと書かれてあるため、被害者は名乗り出なくても判っているらしい。
それだと、被害者を装う便乗犯が出たとしてもすぐにニセモノだということはわかるだろう。
表沙汰にせず、ひっそりと賠償するようだ。
法律的なことはわからないが、被害者ならば表沙汰になるのは致命的だ。
周囲の反応という理解し難い暗愚な態度と戦わねばならないのは被害者にとって理不尽だろう。
隙があった方が悪いとかいう莫迦な理論を振りかざす者すらいる。
力で抑え込まれ、パニックを起こしている最中に、親兄弟をネタに脅されて屈せぬ者は殆どいないということを理解しない想像力の貧困さを棚上げしての言い分をまるで正論のように掲げる者は同じ目に合うといいと思うのだが、如何なものか?
新聞を見て、そう疾風に問いかけてみれば、何故か半眼になった疾風は重々しく頷いていた。
「加害者のアホさ加減も赦しがたいが、事情を知らない者が自分の偏った意見を振りかざす姿は醜いよな。朱雀院が賠償する相手を暴き出そうとする輩は潰す方向でいいか?」
「え? 疾風?」
「八雲様が、犯罪者共々下種は抹殺すると仰っていた」
「……抹殺? それは犯罪じゃ……」
「社会的抹殺は方法さえ間違わなければ犯罪じゃないから」
「そ、そうか……」
何があったんだろうか?
やけに清々しい表情で言いきっているが。
しかも兄上、一体、どういう理由でそのようなことを言い出したのだろうか。
だが、すぐに、まあいいかという気になってしまう。
下手に正論を告げたところで、止められるような性格をしていないのが八雲兄上だ。
火に油を注ぐような結果になりかねないうえに、燃え盛る中に水をかけて水蒸気爆発など起こしては目も当てられない。
放っておくのがいいだろう。
そう、言い訳をしておいて、思考を有耶無耶にする。
朱雀院家のことよりも、前田家、いや、誉のことの方が重要だ。
紙面、ネットなど調べるだけ調べてみたが、好意的な記事の方が多くて安心した。
もちろん、全部が全部というわけではない。
よく調べもしないで噂だけの憶測だけというような記事もあれば、やっかみだらけの記事もある。
その真逆で、つぶさに調べて橘家や前田家の批判をしているものもある。
いやホント、よく調べてるな。と、呆れるほど熱心に調べられていた。
しかし、どこからこの情報漏れたんだろう?
郎女ではない葛城の誰かだろうか。
葛城が誉の後見役として相応しいと言いたいのだろうか。
情報の出処を調べておいた方がいいかもしれない。
そう考えを巡らせた。
私は少々、迂闊な面があるようだ。
そう実感したのは、登校した時だ。
車止めで疾風と車から降りたときのことだった。
ざわりと周囲の空気が変わり、あちこちから視線が向けられる。
視線が向けられるということはいつものことだが、今回は少しばかり異様な空気を孕んでいる。
「……何が……?」
不穏、とも違う空気に首を傾げれば、疾風が苦虫を潰したような表情になっている。
「疾風?」
「あー……マズったかも。ごめん、瑞姫」
失敗したとボヤく随身に、意味がわからず私も眉をひそめる。
「話はあとで。ここじゃ、聞き耳立てられてるし」
「……そうだな」
私よりも気が回る疾風が対応に失敗したというのも妙な話だ。
何か、他のことの気を取られたというのなら別だが。
とりあえず、今はそのまま頷いて場所を変えた方がよいと判断し、教室に向かって歩き出した。
「あら? おはようございます。相良様」
実に機嫌よく葛城の郎女が声を掛けてきた。
「よい朝ですわね」
「ああ、まあ、いい天気の朝ではあるようですね。おはようございます、葛城の郎女」
何だろう、この上機嫌は。
いっそ不気味に思えるほどの機嫌よさ。
「ふふっ 天気もそうですけれど。おめでたいことが続く良い朝ですわ」
「……めでたい……?」
郎女にとってめでたいというのは、おそらく前田家のお披露目のことだろう。
だが、続くというのは、何が続いたのかがわからない。
首を傾げる私に、郎女は大きく頷く。
「それで、発表はいつ頃に?」
発表?
何のことかと首を傾げれば、険しい表情の疾風が前に出る。
「聞き捨てならぬことを仰る。あの場には俺も共にいたのだが?」
「あら。ですが、岡部様は……」
「誤解をさせて申し訳ないが、今のところ、俺が筆頭だ」
強気の言葉に郎女が鼻白む。
「我が君の方が条件がよろしいかと存じますわ」
「人の感情を条件で測ることが無粋だと思うが?」
見事な正論を告げ、しばし睨み合う。
どうやらというか、何やら譲れぬものがあるらしいということだけはわかった。
「根拠のない流言は見過ごせないな」
そこへ誉の声が割って入った。
今度は『流言』ときたか。
一体、どういう噂が出回っているのか。
声のした方へ顔を向ければ、笑顔を絶やさぬはずの誉がやはり険しい表情を浮かべている。
「流言、でございますか? 事実にしてしまえば問題ございませんわ」
にこやかな郎女の言葉に、すっと目を細める誉。
これは、怒ってる。
かなり本気で怒ってる。
「話の出処は、葛城か?」
「……さて?」
「今すぐ収めなければ、それ相応の対処に出るが、それでもいいかい?」
「あらあら、困りましたわ。今度こそと思いましたのに」
残念そうというか、切なそうに視線を落とした郎女が、深々と溜息を吐く。
「……盛り上がっているところをすまないが、流言とか、筆頭とか、一体何の話か教えてもらえないだろうか」
どうせかく恥なら、知らぬより知っておくべきかと思い、声を掛ければ、意外そうな表情で郎女がこちらを見る。
「ま。御存知在りませんでしたの?」
「だから、何を?」
「瑞姫は知らなくていい!」
疾風と誉が異口同音で叫ぶ。
「まあ、そういうことでしたの。相変わらずですわね」
2人の様子に納得したのか、葛城美沙がおっとりと笑う。
「先日の夜宴にて、我が君と相良様との縁談がお決まりになったとの噂が流れておりましてよ」
「……ほう?」
思いがけない話に相槌を打って先を促す。
「前々からそのような話はございましたけれど、夜宴での仲睦まじいご様子に皆様納得なさったと」
「そうか。それは初耳だ。あの夜宴では、誉はずっと疾風とばかり話していたぞ。私の話し相手はどちらかというと前田翁だったが、仲が良さそうに見えて縁談が決まるのなら、私が前田翁の後妻に入ると思われるか、前田と岡部で縁組が決まる方が自然のような気がするが」
「瑞姫! それはやめようよ!!」
ぶるっと身震いをして誉が叫ぶ。
「誉の兄上と、姉上の随身である巴の妹御あたりなら年も合うし、気性も問題なさそうだという話が出そうだぞ?」
「え? そっち?」
意外そうな表情の疾風が私を見下ろす。
「え?」
「あ。いや……うちの兄貴と笑美様とか……」
「ああ、それもありだね。年齢的には、八雲兄上も候補者に入れていただきたいところだが……確実に笑美様に断られそうだ」
納得の言葉に頷きながら、八雲兄上も同じくらいの年齢だと気付き、そうして断念した。
即座に切って捨てられるだろう、笑美様の好みではなさそうだ。
微妙に論点をずらしていけば、郎女から表情が削げ落ちる。
「わかっただろう? 俺と瑞姫の婚約など、今現在、全く話などあがっていない」
「そのようですわね」
「相良家に迷惑をかけるような真似をすれば、俺は決して葛城を赦さない」
誉がきっぱりと言い切ると、郎女はゆったりとした仕種で頷いた。
「御意」
「今後、このようなことを瑞姫の耳に入れたら、岡部も黙ってはおかない。全力で葛城に喰らいつくが、よろしいか?」
どうやら岡部は葛城を牽制する方針に変えたようだ。
いくら葛城家でも疾風の特技や土木分野を得意とする岡部の特性を知っていれば迂闊に手出しをしようとは思わないだろう。
自分のところの株がいつの間にか誰かの手に渡っていたとか、化粧品の材料となる鉱石がある日突然手に入らなくなってしまったとか、彼女たちにとっては嫌すぎる出来事だろう。
おしろいになる鉱石は国産が肌理が細かく最高品質である。
だが、その採掘方法には難度の高い技術が必要となる。
鉱石を取り出す際に余計な圧力や熱が加われば、鉱石の質が劣化し、色が変色してしまうからだ。
さらに、その鉱石を質が高いままにきめ細かなパウダー状まで磨り潰す加工技術も独特だ。
それらの技術を持っているのが、岡部の分家だ。
とりあえずお得意様だから黙っていたが、目に余るようであれば他にも契約したいと言っている国内外の化粧品メーカーもいることだし、あちらとの契約を考え直してもいいとその岡部の分家が本家へ申し出て来たという話を最近耳にした。
とりあえずは様子見で行こうかというところで落ち着いていたが、それを切り札の1つにするつもりなのは明白だ。
岡部家は四族の中でも割とおとなしい一族のため、歴史があるにもかかわらず目立ちたがり屋な一族からは低く見られがちだが、その評価は間違いだ。
確かにおとなしい一族だが、無能なのではなく能力を伏せて害が無いように振る舞っているだけだ。
主家と定めた相良家に害が及ぶとき、容赦なく牙を剥く。相手が最も嫌がる方法で。
しかも、表立ってではなく秘密裏に動くのだから、相手が自滅したようにしか見えないのだ。
実に嫌過ぎる戦法を取る一族なのだが、普段は本当に無害だ。
侮られても怒るような狭量さはない。相良さえ安泰であれば、彼らは何の問題もないと考えるからだ。
その岡部が全力で喰らいつくと宣言したのだから、郎女も事の重大さが予想以上に重いものだと気付いたようだ。
「今は困りますわ。仕方ありませんわね。しばし抑えると致しましょうか」
にこやかな笑みを作り、そう告げた葛城の郎女は優雅な身のこなしでその場から立ち去った。
誉との婚約の噂が出ていたとは、迂闊だった。
傍に疾風がいたから、そこまで飛躍するような考えは出ないだろうと思っていたのが甘かったのか。
これはマズイな。
郎女の後姿を見送りながらそう考えていた時だった。
「まったく陰険化狐ね。ちょろっとしか出てない噂を誇張するなんて!」
忌々しいと言いたげな口調で現れたのは千瑛だった。
「千瑛?」
「ああ、その噂、確かに出てたけど、すぐに収めたから気にしなくていいよ」
実に表現豊かに郎女の悪口を並べ立てる千瑛を無視した形で千景が私に教えてくれる。
「そうなのか?」
「うん、そう。確証のない不安定な噂だったからね、真実を教えてあげればすぐに消えたよ」
「真実?」
「相良の本家の皆様が末姫を溺愛しすぎて、誰が申し込もうとも決して認めることはないだろうってね」
千景の言葉に、疾風と誉が顔を見合わせる。
「……確かに!」
異口同音で同時に納得しないでほしい。
「例え、瑞姫ちゃん本人がこの人と! と、言ったところで、兄弟全員と対決して勝利しない限り絶対認めてもらえないわねって言ったら、皆、納得したわよ。素晴らしき兄弟愛よね」
何故か嬉しそうに千瑛が言う。
「瑞姫ちゃんの婚期は絶対に遅れるわよ!」
「そっそうか……」
「真実というものは、時に惨いものというけれど、まさしくそうよね」
それはあまりにも惨すぎるが、そのことを誰もが納得したということの方が地味に堪えるのは何故だろうか。
私から目を逸らす男性陣に、溜息を吐くほかなかったのである。