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断罪イベントモドキは、前田家御婦人方の圧勝であった。
溺愛系の方を怒らせるのはおそらく閻魔様より恐ろしい。
そんな結論に至りそうな結果であった。
無辜のお客様方が民族舞踊に目を奪われているうちに終わってしまった復讐劇は、前田家の皆様の中でも『なかったこと』にされていた。
吉田氏は招待されていなかった。
つまりは、そういうことだ。
まあ、普通に考えれば、四族ではない吉田氏が誉の披露パーティに招待されるということの方が不自然だ。
誉と吉田氏には何の関係もないのだから。
それゆえ、もし、吉田氏の姿を目撃した方がいたとしても、招待されたとは思わずに、誼を得たいと強引に押し掛けた者として認識されることだろう。
勿論それは誉というよりも『前田家』にという意味で、だ。
あの場に吉田氏の義子息がいたのも拍車をかけることだろう。
誉のためのパーティなのに、息子を連れて無理矢理笑美様に婚約を押し迫ろうとしたという想像をするものも出てくるはずだ。
実に気の毒な方だと思ってしまう。
せっかくここまで努力してきたものを、後妻のせいで色々と失おうとしているのだから。
だが、私が手出しできる事ではない。
吉田氏も、調べればよかったのだ。
何故四族が子連れの娘を後妻に寄越したのか。
夫と死別したのであれば、同じ境遇の四族の男性と娶せるだろう。
連れ子は男子だ。離縁したのであれば、男子は跡取りとして、あるいはそのスペアとして引き取ることの方が多い。
だが、あえて手放すのであれば、相応の理由があるということだ。
疑えばよかったのだ。
疑わず、調べずにいた結果が、今回のことだ。
巻き込まれてしまったことだとはいえ、相手が誰であれ、家を守ろうと思うのなら、素直に受け入れずに調査すべきだったのだ。
ある意味、これも自業自得ということだろう、迂闊だった自分がやったこと、否、やらなかったことの結末だ。
続いていかねばならない『家』であることを選んだのであれば、このくらいはやらなければならないことだ。
華やかなステージが終わり、前田翁が誉を正式に紹介する。
故あって手放していた二番目の娘の子供を長男の子として迎え入れることにした、と。
誉を橘家の継嗣と知っていた人たちの中で、橘家の庶子であり、出自のはっきりしない母親の子だと認識していた者たちは、この言葉に顔色を変えていた。
橘当主の正妻は前田翁の長女であることは当然知られている。
彼女が我が子として遇していた誉の母親もまた前田翁の娘であった。
血は同じ。
つまり、嫡子であろうが庶子であろうが、橘と前田の血を持つ子供に変わりなかったとようやく理解したのだろう。
正妻である由美子夫人を思ってという自分勝手な理由が、本当に自分勝手で根拠のない蔑みであったと知り、完全に前田家を敵に回したとわかった者達は、今どんな心地なのだろうか。
おっとりと嬉しげに微笑む杏子夫人と艶やかな笑みを湛える笑美様の笑顔の意味を知る者はどのくらいいるだろうか。
前田翁の言葉は、誉のお披露目であると同時に宣戦布告でもある。
最初から誉の擁護に回っていた者達には全く脅威にもならないだろうが、それなりに恐ろしいものであることは間違いない。
ついでに言えば、前田翁の二番目の夫人が葛城の当主であることはあまりにも有名だ。
葛城家はこれを機に、正当な権利だと主張して彼らに牙を剥くのだろうし。
大巫女様がその辺りは容認するだろうことは、何となくわかる。
粛清を掛けるつもりであろうとも、利用できるものは利用するのが彼女たちの特徴だ。
その後、誉を交えての歓談が始まる。
広間をそれぞれゆったりと歩き回り、招待客と個別に挨拶を交わす。
出迎えの時と違い、今度は時間をたっぷりと取れるので客も少しでも長く話そうと色々と話を振ってくるのが困るところ。
話した時間の長さが、どれだけ相手に重きを置いているのかという目安になるという困った解釈をする方々もいるからだ。
前田翁の後ろで、誉と疾風と私が翁に紹介された方々と話すことになるのだが、誉に話しかけるのは納得するが、何故か私に話しかける方々が多くて驚いた。
そうして、その直後の誉と疾風の反応が怖かった。
笑顔って、相手を和ませるためのものだよな?
何故笑っているのに、恐怖を感じるんだろう?
穏やかそうで機嫌良さそうな笑顔なのに、なぜ黒く感じるんだろう?
「ごきげんよう、み……」
「ああ、これは朱雀院の。ご機嫌麗しいようで何より!」
「今、『み』という言葉が聞こえたが、まさか相良の末姫の名を許可もなく口にしようなんて無礼な真似、しませんよね!?」
差し出された手を、がつっと音がしそうな勢いで握りしめた疾風と、ざっと私の前に立ち、相手の視界から私の姿を消し去った誉が、にこやかに朱雀院の御子息と会話を始める。
今の流れは、おそらく、いや、かなりの確率で私に話しかけようとしたのを遮ったということだろう。
まあ、朱雀院の方は女性関係が華やかという噂をよく耳にするので、親しくなりたいと思う相手ではないことは確かだ。
「いやいや、さすがにそれは……み……皆様、仲がよろしくていらっしゃると……」
2人の迫力に押されたのか、苦し紛れのような言葉をひねり出した朱雀院の方は、かなり引き攣った表情で唇の端を持ち上げるように笑みを作ろうとする。
「ええ、もちろん。わたしは瑞姫の遊び相手として選ばれておりますし、彼もまた相良家の皆様公認の友人として屋敷に足を運ぶことを許されておりますから」
「そっ……それは何とも羨ましい……」
「人を羨むようではあちらの方には到底認めてもらえないことだけお教えしておきますよ」
にこやかに、本当ににこやかに笑う疾風と誉だが、突っ込む気力も湧かないほど妙な迫力がある。
「ああ、朱雀院殿は女性に人気がおありという噂は本当のようだ。あちらの御婦人方が熱い視線を送っていらっしゃいますよ。女性方をお待たせするのは罪ですよ。どうぞあちらへ足を向けられるといい。彼女たちを笑顔にするのが今のあなたの務めのようだ」
さあどうぞと、誉が右手奥に固まる女性たちを示す。
確かにこちらの様子を窺っていらっしゃる様子だが、何も朱雀院の方を待っているとは限らない。
だが、見目麗しい女性たちの姿に目移りしたのか、はたまたここに居ては危険だと判断したのか、朱雀院の御子息はぎこちなく頷いた後、足早にこの場を立ち去られた。
見事な負け戦だ。
その見事な敗北感の漂わせ方に少々感動してその背を見送る。
「……瑞姫?」
「まさかと思うけど、ああいうのが好みとかないよね?」
疾風と誉が妙なことを聞いてくる。
「好み、とは? ああいうのというのは、何を指してのことだ?」
何を言っているのかわからずに、2人を見上げて問いかける。
「あー……うん。いや、いい。気にせずに忘れて?」
「何を見てたんだ?」
何やら誤魔化そうとしている誉と、心底不思議そうに問いかける疾風。
「いや。あの見事な敗北感の漂わせ方に感動してしまってな。何に負けたのかわからないが、背中だけで表現できるのもすごいなと思って」
「なるほど。あの方は演技が上手い方だからだろう」
「……演技……?」
「まあ、騙される方は自分に都合がいいところしか見てないせいもあるんだろうけど」
「ああ、華やかな噂の所以か!」
ちょっと納得した。
「……騙されないところはすごいけど、何処まで理解しているのかが謎だ……」
「誉、聞こえてるぞ」
私の友人たちは、私に対して非常に辛辣であることが判明した。
これは怒るべきところかどうか、非常に対応に悩むところだ。
あちらこちらで挨拶を繰り返し、ようやくお開きになったのは深夜近くのことだった。
会場となったホテル側の人々も大変だが、私も疲れた。
歩き回って人と話すというのは、存外体力を消耗する。
今夜はホテルに泊まることになっていたので、部屋に引き上げて着替えを済ませ、湯船に浸かったところで疲れを実感する。
私でさえこれほどまでに疲れたのだから、他の皆様も相当疲れているだろうなと思い、身支度を整えてベッドに入ろうかとしたとき、部屋のチャイムが鳴った。
********** **********
そこかしこから朝の気配がする。
慣れ親しんだ我が家の雰囲気とは異なるが、それでも朝の澄んだ気配は心地良いものだ。
そして近くに馴染んだ気配がする。
馴染んだ気配?
寝惚けていた意識が急速に覚醒する。
ホテルの一室に泊まっていた私の近くに馴染んだ気配がするというのは実におかしな話だ。
あってはならないことと、昨夜の記憶とで混乱しながら目を開ければ、予想通りの事態に頭を抱えたくなった。
やっぱりかぁ!!
声を上げて叫びそうになったのを何とかこらえ、枕に頭を沈ませる。
目の前にあったのは、眠っていても美しいと感じる誉の整った顔であった。
それはそれでかなりの大問題だが、さらに背後には疾風の気配もある。
健やかな一定のリズムを刻む呼吸音は、誉も疾風もまだ眠りの底にいることを示している。
人の気配に敏い疾風が目覚めないというのは、私が安全でいるせいだろう。
内心、どんなにパニックを起こしていたとしても、身の危険は一切ないからだ。
命の危険性がない限り、大丈夫だと判断した疾風は安心して眠れるのだろう。
そう思うと起こすのが忍びないのだが、少々困った事態であるのは確かだ。
昨夜、というべきか、それとも数時間前というべきか、部屋のチャイムを鳴らしたのは、疾風と誉だった。
まともに食事が出来ていないだろうからとルームサービスで軽食を頼み、持ってきてくれたのだ。
気持ちはありがたいが、眠る寸前の人間は軽食を食べようなんて思わない。
どうしたものかと考えているうちに、何故か世間一般で言われているような『女子会』モドキのパジャマパーティのようなものになり、ベッドに潜り込んでいろんなことを語り合った。
主に、『誉のこれからのこと』が一番大きなテーマであったような気もするが、あまりよく覚えていない。
正直に言えば、半分以上、眠っていたからだ。
疲れ切っていた私は、多分、立っていても眠れただろう。
おそらく、部屋の主である私が眠ってしまったがゆえに、疾風も誉も施錠という部屋の安全上、出て行けなくなってしまったのではないだろうか。
あるいは話しているうちに彼らも眠くなってしまったのかもしれない。
記憶がないということは、とても恐ろしいことだと、今、初めて気が付いた。
これはちょっとマズい。
八雲兄上に知られたら、盛大に泣かれて、多分、疾風の命も危ういかも。
勿論、誉も以下同文。
八雲兄上の兄馬鹿振りは笑い事では済まないほどなのだということをよく理解しているつもりだ。
だが兄上はこのホテルには泊まっていない。
ゆえに黙っていれば、おそらく気付かれることもないだろう。
疾風と誉が目覚めたら、その辺りのところをしっかりと伝えておかないと。
しかし。
何というか、私は抱き枕ではないのだが。
布団が妙に重いと思ったら、どうやら2人の腕が乗っているらしい。
軽さが命の羽布団がこんなに重いわけがない。
ずっしりとした重さに肩が凝りそうだ。
そうこうしているうちに、誉の瞼がぴくりと動く。
むずがるように眉間に皺を寄せ、緩やかに瞼が持ち上がる。
「……おはよう、誉」
とりあえず朝の挨拶を言ってみる。
「……ああ、瑞姫だ。おはよ……えっ!? えぇえーっぷ!!」
「やかましいっ!!」
ぼんやりと私を眺め、柔らかな笑みを浮かべて挨拶の言葉を口にしている途中で誉の目が限界まで見開かれる。
そうして叫び声を上げかけたところ、私の背後から伸びてきた手に口を押さえ込まれ、塞がれる。
寝惚けながらも危機感の薄い叫び声に反応したようだ。
声にならない声で抗議する誉に、欠伸をかみ殺していた疾風もまた目が覚めたのか、びしりと固まる。
「…………え? 瑞姫?」
「どうでもいいが、重い」
説明を求めても返ってこないと判断し、そう告げれば、慌てたように私の上を通り越していた腕が引っ込む。
「えっと、何があったっけ?」
2人揃って記憶を辿っているようだが答えは見つからないらしい。
「起きたらこうなっていたんだが……2人とも、八雲兄上にはバレるなよ?」
念の為に伝えておかねばならないことを言うと、2人は完全に固まった。
まあ、いい。
固まろうがどうであろうが、私が起き上がれれば。
ベッドから降り、着替え一式を手に取ってバスルームへ向かいながら、今日の天気はどうだろうと関係のないことを考えていた。