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煌めくシャンデリア、漣めく笑い声。
華やかな会場は心地良い喧騒に包まれている。
ただし、私の笑顔はかなり引き攣っているが。
フロア入口に待機してお客様をお迎えするという仕事は、実際、そこまで大変なことではない。
ある程度経験を積めば何とかなるものだ。
今回、問題は其処ではなかった。
招待客の皆様は、何故か誉と並ぶ私を見て驚いたような表情をし、『おめでとう』と言いかけて疾風の姿に気付いて黙り込む。
そうして大変困ったような表情を浮かべて、本当のところはどうなのかと問いかけてくるのだ。
そこまではいい。仕方ないと諦めて妥協もしよう。
だがしかし、そこから先はいただけない。
にこやかな笑顔を作った誉と疾風が口喧嘩モドキを始めるのだ。
本人たち曰く、客人たちの好奇心を満たす『鞘当ごっこ』なのだそうだ。
まあ、あれだ。『鞘当て』とは、刀の鞘をわざとぶつけて喧嘩を吹っ掛けて無礼討ちをする実に傍迷惑な旗本道楽息子のお遊びだ。
実際はそういうものではないのだが、時代劇などでそういうものだというイメージが作り上げられてしまった。
それがさらに広がって、『鞘当て』の前に『恋の』とかいう言葉が冠せられて本気の喧嘩ではない言葉遊びのようなものと認識されるようになったのが今現在。
それもまた傍迷惑だと断言しよう。
わけのわからない言い合いと、周囲の生温かい視線と笑みが何とも言えず気味が悪いのだ。
微妙な位置取りで近付きすぎるとか、手の位置がどうのとか、よくも細かいネタで喧嘩ができるものだと感心する。
本当に芸が細かい演技力だ。
いや、感心してはいけないのだろうが。
私の神経がざりざりと削り取られているうちに、いつの間にか招待客の殆どが来場されたようだ。
あちらこちらで飲み物や軽食を片手に談笑している姿が見える。
そろそろ場所を移動しての挨拶の時間だろうかと前田翁に視線をやれば、何故か視界の端に獰猛な笑みを浮かべた笑美様が映った。
「もうじき本番かしら?」
にやりと笑う笑美様を見て、何故かうちの姉上たちの姿と被る。
苦笑する慶司様たちにどうやら何かこちらには内緒で企んだイベントがあるのだと悟る。
思わず誉に視線を向ければ、誉が首を横に振る。
そうか、誉は知らないのか。
気の毒な……。
そんな言葉が脳裏に過る。
何故と言われても困るが、ふと思ったのだ。
きっと笑美様方が企んでいることは、誉の不利にはならないだろう。
むしろ、誉のためを思って仕組まれたことなのだと思う。
だがしかし、それを誉が望んでいるかどうかという観点から見れば、きっと望んでいないことだ。
誉は華やかな外見を裏切って、目立つことを好まない。
そして、特に負の感情を忌避するきらいがある。
思い込んだら一直線的なところがあると見受けられる前田家の方々が善かれと思ったことも、誉にとっては負担になることも考えられるのだ。
今回はこのパターンのような気がする。
大丈夫だろうかと思わず誉の腕を掴めば、大丈夫だと言いたげな、だが力ない笑みが返ってくる。
本当に大丈夫だろうかと疑問を抱き、疾風を見上げれば、疾風は疾風で肩をすくめてなるようにしかならないと不吉なことを態度で示す。
実に不吉な回答をありがとうと、半眼で応じたとき、笑美様が壮絶な笑顔になった。
「前田様、お招きありがとうございます」
特に気になるような特徴もない中年男性が案内係に誘導され、前田翁に挨拶をする。
ひと目見て、四族出身ではないと判断する。
幼い頃より四族の方々とはある程度の面識があったり、または知識として顔とお名前を憶えさせられる。
その記憶のどこにもその男性と一致するデータはなかった。
おそらくは一般の方だろう。取引のある会社関係の方だろうか。
そう思った瞬間、笑美様の獲物だと気が付いた。
正確に言えば、彼の同伴者が、である。
ひと目見て、老けたなと思ったのが正直な感想だ。
十年も経っていないはずだが、あの時よりも遥かにみすぼらしく老けている。
そう、橘家で誉を蔑み、彼の頬を打とうとして私の頬を打った女性だ。
おそらく婚家から離縁されたのち、実家からも縁を切られるようにしてまた別の家に嫁がされたのだろう。
ただし、相良の怒りが恐ろしく、四族から拒否られたために一般の名家と呼ばれる家に。
彼は四族のことを知らずに後妻として彼の女性を受け入れただけだろうが。
思わず冷ややかな視線になってしまった私はまだまだ未熟だろう。
彼女が前田家の獲物であるのなら、私は大人しく見守ろう。誉の身内である彼らには始末をつける権利がある。
さて、どうなることやら。
すっかり傍観者目線になっていれば、件の女性は主役である誉にも主催者である前田翁にも挨拶をせずに笑美様に話しかけた。
「まあ、御噂に違わず麗しい方ですこと。御機嫌よう。わたくしの息子は笑美様と同じ年ですのよ。お話も合いましょう」
どうやら彼女は四族のままでいるらしい。
そうして、前田家と同等であると勘違いをしているようだ。
笑美様は其処には誰もいないかのように女性をすっぱりと無視して中年男性に視線を向ける。
「吉田様、ですわね? 招待状には同伴者なしでお越しくださいと書かれていたはずですのに、どういうことですの?」
「はっ そ、それは……」
汗をかきかき、その男性は言葉を紡ごうとするが、声にはならない。
「確かに、同伴者はなしで良いと書いたな」
前田翁もゆったりと頷く。
夜会の場合、女性が出席するにはエスコート役が必要だ。エスコートが居なければ、介添え役の年長の女性が。
しかしながら男性の場合は単身でも出席可能だ。
特に主催者側が同伴者を必要としないと書き添えていれば、誰かを伴う必要は全くない。むしろ、伴った方が失礼だ。何しろ、主催者側の意向に反するのだから。
ゆったりと前田家の皆様は鷹揚に笑う。
その瞬間、会場から光が消え、その次にはステージを強い光が照らし出し、華やかな音楽とともに民族舞踊が始まる。
エキゾチックな衣装を身に纏い、妖艶な笑みを浮かべた女性たちが艶めかしく腕をくねらせ音楽を表現する。
こちらのことなど気にもせず、招待客はその舞踊に魅入る。
「吉田様は、前田家に含むところがおありのようですね?」
ゆったりと微笑んだのは杏子夫人であった。
穏やかに、そして優雅に微笑むその姿は先日暴走して自爆していた方とは同一人物には見えない。
やんわりと柔らかくだがしっかりと脅しをかけるその姿は、流石大大名の御正室といったところか。
「いえ、そのようなことは決して!!」
「その方が何をなさったかご存知? 幼い誉に非道な振舞いをなさいましたのよ」
先程の柔らかさが錯覚だったかのようなぴしりとした拒絶。
「え?」
吉田氏は瞬きを繰り返し、妻と杏子夫人を見比べる。
「幼い誉に、そちらの方は賤しい子供だと仰って頬を打とうとなさいましたのよ?」
そう告げたのは杏子夫人ではなく笑美様だった。
凄みのある笑顔で、ゆるりと首を傾げる。
「賤しい子供、そう、仰いましたの。我が前田家と、葛城の血を持つ橘家の継嗣に対して」
「……は……?」
「どこが賤しい血だと思います? 下賤などと断じられる謂れは何処にあるのでしょう?」
ゆったりとした口調で問い詰める笑美様に、吉田氏も吉田夫人も顔色を失う。
「そうして、わたくしのおとうとの頬を打とうとして、そちらの相良の末姫の頬を打ちましたのよ」
その瞬間、吉田氏は目を瞠り、声にならない悲鳴を上げた。
信じられないと言いたげな表情で妻を見る。
「あれはっ!! わたくしは瑞姫様を打とうとして打ったわけではっ!!」
「語るに堕ちたとはこのことか」
慶司様が呟く。
それは、誉への暴言も私への暴力も認めると言ったも同然の言葉だ。
「その事実にその方、婚家から離縁を申し渡され、そちらの御子息と家に返されたのち、相良の報復を恐れたご実家から切り捨てられて吉田様に嫁ぐことになられたと伺っておりましてよ」
にこやかに告げる笑美様の言葉に、吉田氏は表情すら失った。
「……離縁いたします。元々私も連れてくるつもりなど毛頭ありませんでした。それを強引に息子まで巻き込んでついてきたのはこの人です。そこに私の意志も、息子の意志もありませんでした」
「ですって? 自業自得の結果ですわね」
くすくすと楽しげに笑いながら告げる笑美様の言葉の意味を知る。
招待状通りについてこなければ命拾いをしていたはずだ、と。
前田家の名前欲しさに息子を連れてこなければ、何事もなく済んだはずなのに、と。
「くだらぬ欲や嫉妬を持つからこのような目にあうのよね。御存知でした? 吉田様。わたくしのおとうとへの暴言は、橘当主に嫁げなかった嫉妬心からですのよ。叔母が橘家に嫁いだので、というよりも端から相手にされなかったのに逆恨みして、叔母たちではなく幼子に八つ当たりの暴言を吐いたのですから当然の報いではありますよね」
「そのような経緯があったことなど、全く知りもせず、お恥ずかしい限りです」
「まあそこは仕方がないと思いますわ。あちらもその方と縁を切りたいばかりに全力で隠していたのでしょうしね」
吉田氏も騙されていたのだと温情を見せた笑美様だが、それは決して温情ではないんでしょうね。
確かに吉田氏も被害者と言えるだろうが、吉田氏を庇うことで彼の夫人とその実家を貶めているようにしか見えない。
それだけ前田家の怒りは深いということだろう。
今まで気づかなかったことへの自分たちへの怒りを含めて、八つ当たり全開となっているようだ。
橘家関係者は招待されていないようだし、私が記憶する限り誉を傷付けようとした方々の姿もない。
その取り巻きであった方々の姿は見受けられる。
つまりは、見せしめだ。
次はおまえたちだぞというメッセージ込の。
誉を見上げれば、誉は困ったような表情を浮かべている。
彼にとってすでに終わったことを蒸し返され、このような手を打たれるのは不本意極まりない事なのだろう。
だが、前田家の方々の気持ちも理解できてしまうため、困ると思っても口出しできないでいる。
誉が諌めれば、前田家の方々が嘗められてしまうからだ。
とんとんと背中を叩いて宥めれば、少しばかり肩を落とした誉が仄かな笑みを浮かべて頷く。
大丈夫、何とか乗り越えてみせるから。
そう言っているように思えた。
うん、大丈夫だ。
これから私が誉に手を貸してやれることはもうないだろう。
誉が必要としていた『家族』がこれから彼を守ってくれるのだから。
願わくば、彼を守る方法は穏便にしていただきたい。
ちらりとそう思ったが、私も誉同様に沈黙を守ることにした。