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 ぽかんと口を開けたまま、表情すら取り繕うことなく立ち尽くす友人の姿がそこにある。

 思わずしてやったりと笑みを浮かべてもいいだろうか。

 いつも浮かべている笑みさえも、その存在を忘れ去っての間抜け顔がそこにある。

 まあ、整った顔というものは、どんな時も麗しいものであるようだが。

「あら、素敵」

 笑美様の言葉にハッとしたように彼は瞬きを繰り返す。

「あらいやだ。誉ったら、瑞姫様があまりにも素敵だから見惚れて言葉を失っちゃったの?」

 からかうような言葉に、わずかだが誉の頬が朱に染まる。

「うふふふふ……若いっていいわぁ。あ。わたくし、先に行きますけれど、3人はゆっくり来てね。まだ時間はたっぷりありますから」

 そう仰ると、笑美様はご自分の兄君を何かのように遠慮なく引き摺って立ち去られた。

 実に軽々と、満面の笑顔でご自分よりも大きな兄君を引き摺る姿は圧巻だ。

 それよりも笑美様。

 若いって、笑美様もお若いと思いますが? 現在大学に在学中だと伺っておりますし。

 あまりのことにおふたりの姿が見えなくなるまで見送ってしまった。




 2月吉日、今日は誉のお披露目パーティだ。

 パーティ会場であるホテルのワンフロアを予め控室として借り切り、打ち合わせやら支度やらで朝から大忙しである。

 私と疾風も招待客ではあるが、主催者の側に立つので前田家のご厚意で部屋を2つばかりお借りして朝から支度をしていたわけである。

 本日持ち込んだ着物は手描き友禅。

 私の渾身の作と言いたいところだが、当然のこと作者は瑞姫さんだ。

 この着物だけは別枠で保管されていたのだ、彼女のメモと共に。

 『特別なときに』と残された着物は、おそらく瑞姫さんの最高傑作だろう。

 作品の殆どをお祖母様に預けて手放されていた瑞姫さんが唯一私の為に手許に置いた翡翠の地色の手描き友禅は、縁起の良い宝尽くしであった。

 最初は薄紫の友禅にしようと思っていたが、『特別』と銘打った一枚を目にして予定変更とした。

 色の変更はもちろん誉にも伝えた。

 相変わらずの微笑みで、『瑞姫のいいように』と答えたのが先月のことだ。


 夜会の女性の支度というものは、半端なく大変なものだ。

 ドレスにしろ、着物にしろ、まず最初に全身の肌の調子を整えなくてはならない。

 身を清め、全身をマッサージして解し、ローションやオイル、クリームなど、状態に応じて肌に磨り込んでいく。

 納得がいく状態まで磨き上げれば、軽食などで小腹を満たす。

 ある程度の栄養を巡らさなければ肌の状態維持ができないが、きっちり食事を摂って胃袋がパンパンになってしまえば、ドレスの場合はコルセットで締め上げて危険な状態になる。

 下手するとドレスが入らないという恐怖も待ち受けているのだから恐ろしい。

 その点、着物は楽だと思ったらやはり間違いだ。

 着物にはコルセットに匹敵する『帯』がある。

 どういう締め方にするかはその状況によって異なるが、華やかな場であればより複雑な締め方になるのが一般的だ。

 しかも、若ければ若いほど、帯の結びも派手になる。

 何が言いたいかというと、帯の長さは決まっており、結びに必要な長さもある程度決まっている。胴回りが太くなれば、必要量を出すためにその分締め上げる必要が出るということだ。

 自分で解けないという点を含めてコルセットと何ら変わりないという。

 着付けが終われば、髪と化粧ということになる。

 この順番は、着たものによってどちらが先か変わってくる。

 どちらにせよ、自分ですることはほとんどない。

 支度が整った時には疲労困憊間違いなしだ。

 かく言う私も先程まで本当に疲労困憊で動きたくなどなかった。

 夜会などに出たがる人の気持ちなど理解できないと真剣に思えるほどだ。

 しかしながら、一度引き受けたことは最後までやり通さねばならないのが矜持というものだ。

 しかも出来栄えは支度を手伝ってくれた方々の見事な手腕に拍手をしたくなるほどなのだから、なおさらだ。

 これはもう、皆に褒めてもらうしかないだろう。

 勿論、この着物の素晴らしさと、それに負けぬように華やかに設えてくれた方々の手腕をだ。

 そうして一番最初に見せた疾風は、望みどおりに着物の素晴らしさを讃えてくれた。

 もっと褒め称えてくれてもいいのよ? と、千瑛なら言うだろうなと思いながら、もう1人のパートナーである誉のところへ行ったところが、何故か私を見た瞬間、固まった。




 頬を朱に染め、視線を泳がせていた誉は、深々と溜息を吐く。

「……あの、すごく綺麗だ」

「そうだろう? この着物、最高傑作なんだ。今現在での」

 何故か躊躇いがちな一言に、多少怪訝に思いながらもそう答えれば、誉が瞬きを繰り返し、目を瞠る。

「え?」

「ん?」

 何かがかみ合っていないと気付き、首を傾げれば、誉は横を向き、片手で目許を覆う。

「……やっぱりそういうオチか……」

「最初からわかってることにそう何度も引っかかるなよ」

 くつくつと笑いながら疾風が誉の肩を叩いて慰めている。

「笑美姉さんが『素敵』って言ってたのも、もしかして……」

「多分、着物のことだろうな。多分というより、ほぼ間違いなく」

「……うん、何となくわかってきたよ、俺も」

 ふっと溜息を吐いて告げる彼らは何故だか黄昏た雰囲気を漂わせている。

「本物の令嬢と言われる方々は、とんでもなく鈍いんだということが理解できてよかったよ」

「俺なんて中等部の時に悟ったさ」

 何だろう、この微妙な空気は。

 私が悪いのだろうか?

 だが、今回はまだ何もやっていないぞ。

「ああ、そろそろ会場に行かないと」

 懐中時計を取り出して、時間を確認した誉が私たちを促す。

「もうそんな時間か!」

「いや、もう少し余裕はあるんだけどね」

「早めに動いた方が何事も対応しやすいからな」

 なにせ、着物は歩幅が狭い。

 普段はパンツスタイルでいることが多い私にとっては慣れているとはいえ、ついうっかり大股になりそうで注意が必要だ。

 歩く姿を人に見られるのはなるべく避けた方がよいだろう。

 差し出される手に自分の手を重ね、背筋を伸ばしてゆっくりと歩き出す。

「問題なく終わればいいんだが」

 疾風がぽつりと呟く。

「こちらとしては問題を起こそうなんて考えてないんだけどな」

 誉も大きく頷きながら同意する。

「精一杯遠慮しているんだけどな」

 本心からの一言に一瞬こちらを向いた2人が、ほぼ同時に目を逸らす。


 君達、それはあまりにも失礼ではないのかな?


 会場に向かいながら、やさぐれる私がいた。

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