16
「お願いがあるのだが、話だけでも聞いてもらえないだろうか?」
期末試験最終日の放課後、疾風たちのクラスを訪れた私は、疾風と在原、橘に声を掛けた。
「うん、いいよ。なになに?」
「瑞姫からのお願いなら何でも叶えるよ」
在原と橘はいつもの調子で気軽に頷いて私を見る。
「ありがとう。実は、これなんだ」
私は七海様からの招待状を差し出す。
「……大伴様からの招待状?」
受け取った橘が封筒を裏返し、差出人の名前を確認して表を眺める。
「瑞姫宛だね」
「私の祖母が当主夫人の七海さまと懇意にしているので、毎年招待状がくるんだ。今まではまだ幼いからという理由で祖父がお断りしていたのだけれど、今年は高等部に上がったからね、そろそろ相良の人間としての役目を果たす勉強を始めないといけないようだ。中身を見てもらってもかまわない」
「ああ、うん。じゃあ、失礼して」
封筒からカードを取り出し開く橘。
それを両脇から疾風と在原が覗き込んで文面を眺めている。
「友達と一緒にって書いてある」
きらきらと瞳を輝かせて在原が私と招待状を交互に見比べる。
「うん、そうだね」
「友達って……僕、瑞姫と一緒に出席していいってこと?」
「お願いしてもいいか?」
「行く!! 瑞姫と一緒に出席する」
「ありがとう、静稀」
「もちろん、俺も出席させてもらうよ。言ったろ? 瑞姫からのお願いなら何でも叶えるって」
「誉もありがとう」
招待状の件を切り出すのは、私にとっても一種の賭けに近い。
大伴家からの夏の宴の招待状は、ある種のステイタスだ。
招待状をもらえない家にとっては羨望のカードであり、家自体に送ってもらえても私のように個人宛で未成年に送られない者には微妙な蟠りが生じることもある。
「嬉しいなぁ。瑞姫の友達って」
にこにこと嬉しそうに笑いながら在原が告げる。
「ん?」
「個人宛に招待状が送られてくるより、絶対こっちの方が価値がある。瑞姫の友達括りでの招待だもんなー」
「……えーっと?」
何がそんなに嬉しいのだろうか。
「瑞姫はもうちょっと自分がどう評価されているか知っていた方がいいと思うよ」
くすくすと笑いながら橘が言う。
「う~ん。評価……武道莫迦とか? いや、疾風よりは弱いからそれはないか……八雲兄上の妹?」
自分の評価など気にする者はほとんどいないだろう。
大体、そういうものは本人の耳には入らないようになっているものだ。
「まぁいいや、なんでも。仮装パーティだから、衣装を揃えようと思っているので、うちで仕立てさせてほしい。それから、静稀」
あっさり評価に関しての考えを捨てた私は、重要なことを在原に伝える。
「なーにー?」
「そのパーティには『梅香様』も招待されている。藤原梅香様、だ」
呑気に喜んでいた在原の表情が強張る。
自称婚約者の梅香様を苦手としている在原は、彼女の名前だけで拒否反応を起こす。
「大丈夫か?」
「う、うん……瑞姫に迷惑がかからないならいいんだけど……」
悄然と肩を落とし、在原が呟く。
「今は、学校があるからと言って、うちに来ないようにお願いしてるけど、夏休みに入ったら……夏休みなんて永遠に来なくてもいいかも」
一瞬で元気をなくした在原の肩を慰めるように橘が軽く叩く。
「姉から色々と情報をもらった。うまくすればパーティで片が付くかもしれない。梅香様が私に興味を示して、話しかけてくるチャンスがあれば、だが」
「え!? そんな都合のいい話があるわけ!?」
「都合がいいわけじゃないけどな。二番目の姉、菊花姉上だが、ちょっと腹黒いことを考え付いたらしく……」
『ストーカーにはストーカー返しよね』と、実に悪辣な笑顔を浮かべた女王様がげっそりするような表情と共にある作戦を齎してくれたのだ。
そこにはさっき橘が言った私の評価というものが関係しているらしい。
菊花姉上の話の内容を知っている疾風も不機嫌そのものの表情をしている。
「大丈夫だ、在原。菊花様の考えは正しい。必ず上手くいく」
「なんで岡部はそんなに不機嫌そうなのさ!?」
不穏な空気を嗅ぎ取ったのか、在原が恐る恐る問いかける。
「気にするな。菊花様の策を実行すれば、何の問題もない」
「あはははは……梅香様ほどじゃないけどね、私にもストーカーモドキがいたらしい。年齢だけで言えば、ロリコンだな」
「ロリ……」
在原が絶句する。
「と、言うと。年が離れている相手?」
橘が何とも言えない表情で問う。
「大体、ひと回りぐらい上かな? 何度断ってもしつこく申し込んでくる家があってな、一番上の柾兄上が直接本人に会って話をしたそうだ。家の意向で本人の意思を無視しているのかもしれないと思ったらしい」
「それで?」
「本人が、望んでいると答えたそうだ」
「それ、いつの話?」
「去年」
「今まで放置してたわけ?」
「いや。機会を窺っていたらしい。効果的に諦めてもらえるよう虎視眈々と」
「………………」
さすがの橘もその答えに顔を引き攣らせていた。
うん、そうだと思うよ。
ロリコン疑惑な相手も嫌だが、相手が一番嫌がる方法で仕返ししようとする兄姉も何だか嫌だ。
疾風の機嫌が悪いのも、その話を聞かされず、報復も許されなかったせいだ。
車で送り迎えが許されている東雲学園だからこそ、登下校の途中を狙って連れ去られることもなく済んだようなものだったらしい。
中学生相手に二十代後半のアラサーな男が嫁に欲しいって真面目に言うんだから、ドン引きだよね、確かに。
しかも、傷跡残ってることを承知で、他に嫁に欲しいというところがないだろうから自分がもらう的発言をしたのだから、それこそ兄姉たちは激怒したらしい。
申し込みがあって、一度断った時に素直に引いた家の殆どは、適齢期になった時に本人たちを引き合わせてもらえるかと聞いてきたそうだ。
機会があればその時の状況によってと答えると、それまで待つと大人しく引き下がったようだ。
相良の家の特徴を知っていればの対応なので、そういう家に対しては兄姉もとやかく思うことはないようだ。
「や、あの……梅香様も悪い人じゃないんだから、ちょっと思い込み激しくて迷惑だけど、あまり、その……」
「うん。それはわかってる。梅香様には悪いようにはしないよ。そこのところは姉も常識は持ってる……はずだ、うん」
「その間が微妙なんだけどー」
困ったように告げる在原に、冗談だと笑って答え、我が家で昼食ついでに採寸のお誘いを掛ける。
笑顔で応じてくれた在原と、在原の反応にくすくす笑う橘と共に学園を後にした。
衣装が出来上がり、試着をしてもらおうと声を掛ける日に期末試験の成績が発表された。
今回は1点差で2位。
まあ、色々あったので仕方がない。
次の休み明け試験で挽回すればいいか。
そう思って振り返ると、ぶすくれた表情の在原がいた。
「なんでまた4位かなぁ!?」
憎々しげに成績表を睨みつけている。
「や。去年より順位上げてるし、点数だって上がってるじゃないか」
その表情の凄まじさに、ちょっと引きながら去年と比較して答えてみる。
「それはいいんだけど! ちくしょう! 悔しい。まずは大神と諏訪を引き摺り下ろすところから始めないとダメか」
「え? 大神と諏訪? 何で?」
「瑞姫とサシで勝負するにはあの2人、邪魔だから」
最近、在原の思考回路がよくわからない。
私に成績で勝負を挑んでいたのだろうか。
「在原、くどいようだが、学業とは人と競うものではないのだが」
「知ってる! でも、僕にとっては必要なの!」
「必要なのか……そうか。じゃあ、頑張れ?」
「瑞姫ーっ!! 心がこもってない~っ!!」
何を言えばいいのかわからず、とりあえず言ってみたら、すぐに抗議が来た。
「じゃあ、答案が返ってきたら、何処を間違ったのか、答え合わせをしようか?」
「うん」
心がこもった言葉というのがよくわからず、無難な回答を口にすれば、在原が嬉しそうに笑う。
「己の力量もわきまえず、邪魔とはよく言う」
「……諏訪」
私たちの会話をどこから聞いていたのか、在原の背後に立った諏訪が在原を睨む。
「努力すれば俺に勝てるなど、陳腐なことを考えているのか?」
売られた喧嘩は粉砕するタイプか、諏訪。
「え? 勝ってるけど?」
順位表を見て、私が答える。
「相良は別だ!」
むすっとしていた諏訪は、私に視線を向けると黙ってろとばかりに告げる。
「いや、あれ。在原、諏訪よりいい点とってる教科、あるけど?」
総合成績とは別に、教科別に上位者10位までが張り出されている。
その中の国語を示して私は言う。
国語の古文の点数は2位が在原で4位が諏訪だった。
その差5点。
諏訪は理系教科が得意だが、在原は文系なのだ。
それぞれの得意教科で上下が入れ替わっている。
「ほーんとだ、勝ってるねぇ」
にしゃりと在原が笑う。
諏訪の表情が険しくなった。
「ちなみに私も努力型だな。得意科目がない代わりに苦手な科目もない」
「相良は特別だ!」
「いや、私は普通だよ。コツコツ積み上げるしか能がない」
積み上げた年季が違っただけだ。
「諏訪は自分の世界を2つに分ける癖をなくした方がいい。自分が認めるものと認めないものだけじゃないんだ、世の中は。在原も相手を挑発しすぎるな、事なかれ主義の平穏無事が一番面倒なくていい」
「達観しているね、相良さんは」
バツの悪そうな相良と在原の後ろから大神が苦笑して言う。
「さっきも言ったけれど、勉強っていうものは争うためのものじゃない。身体を維持するために食事をするように、脳の栄養の為に知識を与えるんだ。そこを間違えると勉強は楽しいモノじゃなくなるんだよ」
「至言だね」
苦笑を深くしながら諏訪に視線を向けた大神が彼の肩に手を置く。
「とりあえず、在原君に謝罪をした方がいいよ」
「必要ない」
嫌そうな表情を浮かべる諏訪の目の前で、在原が一刀両断する。
「瑞姫、夏休みさ、瑞姫のとこに遊びに行ってもいいか?」
これは、諏訪に対する腹いせだろうか。
諏訪にちらりと視線を走らせた在原が得意そうな表情で問いかけてくる。
「来てもいいが、屋敷に私はいないぞ」
「え!? 南半球で避暑とか言わないよね?」
「いや。移動時間が無駄にしか思えないのでそんなところにはいかない」
何時間も飛行機に乗っているのは性に合わないので、海外にはいかないのだ。
それよりかつての領地へ遊びに行った方が随分と楽しい。
小京都と呼ばれる風情ある場所だし、盆地だが朝晩は涼しい。
水が美味しいのでお茶や郷土料理も非常に美味しい。
のんびりできる事、請け合いだ。
だが、今年の夏はそこに行くわけではない。
「じゃあ、何処に行くのさ?」
「病院に入院してくるだけだ」
「……あ……」
何のための入院か察した一同の顔色が変わる。
「じゃあ、僕、お見舞いに行ってもいい?」
「疾風に聞いてくれ。疾風が許可したら、来てくれて構わない。病院だからもてなしはできないがな」
「……相良、俺も……」
「諏訪と大神は遠慮して欲しい。友人ではない者に見舞いに来られると家の者が対応に困ります」
諏訪が言いかけた言葉を先回りして断る。
友人ではないという言葉に諏訪はいたく傷ついた表情を浮かべる。
その言葉通り、諏訪とは友人関係を築いたことは今まで一度たりともない。
生徒会の役員だったという関係はあるが、それは生徒会長と書記という上下関係だけだ。
会社の同僚は友達ではないということと同じことだ。
律子様には学友という言葉を使ったが、あれは同じ学園に在籍するものという意味でしかない。
大神についても全く同様だ。
「在原、行こう。橘も捜さないと」
「うん。多分、岡部と一緒だと思うけどな」
私が促すと、在原は頷いて一緒に歩き出す。
見送るような諏訪の視線をずっと背中に感じていたが、それは今のところは一切無視することにした。