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「今回は、してやられましたわ」

 カフェテラスでのんびり紅茶をいただいていたら、葛城美沙が朗らかに声を掛けてきた。

 してやられたという割には、全く口惜しげな色合いはない。

 むしろ、清々しいまでの爽やかな笑顔だ。

 本当に言葉通りしてやられたと思っているのか、それともこの展開を読んで仕向けていたのか、微妙なところだ。

「……ええっと、何のことでしょう?」

 すべて私のせいだと思われては困るので、とりあえずとぼけてみる。

「仰いますこと。前田様の件ですわ」

「ああ、それは……私ではなく、在原様ですよ。とんだ濡れ衣です。私は関与していませんが」

「あら、本当に?」

「ええ。私が動くなら、とっくの昔に前田翁に訴え出てますよ。おわかりいただけますでしょう?」

 誰がわざわざ待つものかと匂わせれば、郎女は黙り込む。

「……確かに」

 挙句の果てが納得された。

 ちょっとムッとしたけれど、とりあえず言葉を呑みこむ。

「お尋ねしてもよろしいかしら?」

「答えられることでしたら」

「何故、前田様は今まで我が君のことを放置なさっていたのでしょう?」

「由美子様の実子だと聞いていたからですよ。橘が嫡子を疎かに扱うはずがない、と」

「なにゆえそのようなことに?」

「由美子様が自分の子だと前田翁に手紙に書いていたからです。実際、由美子様は自分の手が届く範囲で、誉を大切に育てておられた」

 ベッドから起き上がることができる日が少なくても、自由になる限りご自分の時間を誉に割いていらっしゃったことは誉から聞いている。

 だから、誉はあれほどまでに由美子様に懐いていたのだ。

 息子として恥ずかしくないように1人で葬儀を仕切り、その後の供養もきちんと行っていた。

「由美子様があれだけ保ったのは、真季さんと約束をしたからです。誉を大切に育てると……それが、あの方の気力に繋がり、身体が限界を超えても生きることへの執着にも繋がったと思われます」

「……橘夫人に関しては、わたくし共も感謝をしておりますのよ? 誉様の幸せの為に、あの方へ一族の医師を派遣するようにと大巫女様に願い出た者も大勢おりましたし」

 ブレないな、葛城一族。

 すべては誉の為に、か。

 否、葛城直系の血を引く男子の為に、というのが正しいのだろう。

 だからと言って、それを押し付けていいわけではない。

 由美子様の延命が、由美子様と誉の幸せだと断言できるわけではないのだから。

「それにしても、相手が前田家だと手出しができませんわ。さすがに」

 溜息を吐くように大きく息を吐き、そう告げた郎女に違和感を抱く。

 まるで、決まったセリフを喋っているような、台本を読み上げているような不自然さ。

「そんなことはないだろう? 四族と言っても前田家は地族である葛城家程の歴史はない。本気でかかれば、誉を奪い取ることくらい可能だろう」

 これが決められたセリフなら、それに続く言葉はこうだろうと合わせてみる。

「海外に拠点を持つ前田家に、地に根を張る我が一族が敵うはずがありませんわ。それに、わたくしにとって、誉様は唯一無二の主ですもの。我が君の望まぬことを為す気はございませんわ」

 ゆるりと首を横に振る葛城美沙に、彼女の本心を悟った。

 ずっとおかしいと思っていた。

 何故か、彼女の行動は微妙にずれていて読みにくいと感じていた。

 それがこれだったんだ。

 葛城の一族と、彼女の考えは全く異なっていたんだ。

「葛城の郎女、それがあなたの本心ですか……?」

「わたくし、葛城の中でも異端ですの。傍流も傍流、端末の生れですのに巫女の血を持っていたのですから」

 そう告げた郎女は口許に笑みを刷く。

「そのわたくしが本家に呼ばれ、葛城の名を許された時、心に決めましたの。唯一無二の主に誠心誠意、御仕えしよう、と」

「……だから、誉に前田家に行くように仕向けたんですね?」

 見事に私たちは手玉に取られたというわけだ。

 葛城の思惑とは別の意思を持つ郎女の行動はすべてある種のフェイクだったのだ。

 それに操られ、見事に嵌められたということだ。


 葛城の一族の思惑は、誉を一族の当主に据えること、だ。

 その正妻の座には、大巫女に次いで能力の高い葛城美沙をつけるつもりだったのだろう。

 もしかしたら、他にも年の近い娘をあてがうつもりだったのかもしれない。

 それは、誉という人間の意思を無視してのことだ。

 葛城の血を引く男子だから、そうなって当たり前だという考えに基づいての行動は、他家で育った誉には通用しない。

 そのことを彼女たちは見落としている。

 だが、傍流の末端に生まれ落ちた葛城美沙は、一族の中央とは異なる視野を持っていた。

 思いがけぬ能力を持っていたため、親から切り離され、本家に連れてこられて育てられたからこそ、誉の気持ちが想像できたのかもしれない。

 それゆえに、彼女は考えたのだろう。

 誉が葛城に戻りたいと思わなければ、葛城が手出しできないところで彼の安全を図ろうと。


 一度、視線を周囲に向けた葛城美沙は、誰もこちらに注意を向けないことを確かめてゆるりと頷く。

「あなたにはいつかバレてしまうとは思っていましたけれど、想像以上に早かったですわ。さすがですね」

「……まさか、諏訪のご隠居様や在原様まで手玉に取るとは思ってもいませんでしたよ」

 相当な切れ者だ。

 千瑛すら見抜けなかったのだから。

「どうして気付きましたの?」

 今後のために教えてほしいと言われ、肩をすくめる。

「違和感を感じたからですよ」

「違和感?」

「先程、あなたが仰った言葉が、まるで演劇の台本を読んでいるように聞こえました」

「わたくしの言葉……聞きしに勝る野生のカンですわね」

 どこか呆れたように葛城美沙が呟く。

 どこぞで私のことを調べたのだろう。

 その結果、出て来た言葉が『野生のカン』か。

 疾風がよく言うからなぁ。

 脱力する私に、葛城美沙が笑う。

「あなたがわたくしのことを『葛城の姫』とは呼ばずに『郎女』と呼んだ時から、多分、こうなるとは思っておりましたけれど」

 笑みを深め、言葉を紡ぐ。

「葛城の男子は、ある意味、道具ですの。より強い能力を持つ子供を産ませるための。誉様は好きでもない一族の娘と次々に関係を持たされ、子を生み出すための種として扱われるのです。あの方には想う方がいらっしゃるというのに……一族は、大王たる誉様を持ち物のように考えているのですわ」

 ひそりと言われた言葉は、嫌悪に満ちていた。

 葛城家の考えに確かに怖気が走ったが、その考えに染まっていない郎女を意外にも感じる。

「あなたはそれでよいのですか? 一族を裏切ることになるのでは?」

「構いませんわ。大巫女様も誉様を一族に戻す意思はございませんし……実は、わたくしには兄がおりましたの」

「兄上が?」

「ええ。男子と巫女を産んだ母は、一族の誉れだと煽てられ、子を産むことを強要されました。兄は……死にました。一族の女たちに殺されたのです」

 具体的なことを口にしなくても、何が起こったのかが想像できる。

 だから、彼女は誉を守ろうとしたのか。

「力を削ぐつもりでも、あったのですね?」

「これだけのことでそこまでお気づきになられるとは……本当に恐ろしい方」

「あなたには負けます」

 家族の復讐などではない。

 主を主とも思わぬ思い上がった者たちを一掃するための罠でもあったわけか。

 葛城の女性たちに万が一でもバレていたら、彼女はその場で粛清される恐れがあった。

 それでも貫き通し、やり遂げたわけか。

 まさに命懸けだったのかもしれない。

 誉は前田家に身柄を移し、そう簡単には葛城家は手出しできないようになった。

 不満は挙がるだろう。

 だが、打つ手はあると葛城の者なら思うだろう。

 その間に大巫女様と共に彼女たちを排除するつもりなのか。

「相良様には、本当に感謝をしております。ですから、ささやかですが少しばかりの仕掛けをしてみましたの」

 にこりと郎女が微笑む。

「仕掛け……もしかして、諏訪ですか?」

「ええ」

「具体的に、お尋ねしてもよろしいですか?」

「勿論ですわ。わたくし共と提携した諏訪家は、おそらく持ち直すでしょう」

 にこやかに状況を話す郎女の言葉に、私も頷く。

「この、危機的状況を的確に判断し、乗り切った上に持ち直したとなれば、諏訪伊織様の評価はあがりますわね」

「確かに」

「例え、安倍家との婚約を解消したところで、次々と縁談が持ち込まれることになりますわ」

 ……は?

「彼が、いくらあなたを妻にと望んだところで、持ち込まれる縁談を断るだけで精一杯になるでしょうね。それに、女性嫌いのようでいて、かなりお好きなようでしてよ、彼」

 くすくすと笑いながら告げる葛城美沙に、どう対応したものかと戸惑う。

「女性らしいところを前面に押し出してくるような方ではなく、控えめでいて芯の強い方を好まれるようですわ。頭の良い方なら、簡単に籠絡できると思います」

「え?」

「なんなら、2、3人、見繕って、試してみます?」

 悪戯っぽいというよりもいかにも企んでいますというような悪魔の笑顔。

 絶対に千瑛よりも上手だ。

「楽しそうですわね。相良様を一途に想っていると信じながら、傍にいる女性に心揺れる己に気付き、葛藤する諏訪様を眺めるのは。さぞかし派手に動揺なさるでしょうね」

 悪魔というより魔王だ。魔王がここにいる。

「大神紅蓮様もそろそろ困った状況に立っていることに気付くでしょうし」

「……大神紅蓮に何か?」

「いえね、この間、可愛らしい噂が立ちましたでしょう? こちらの学生ならば、冗談だろうという程度の……社交界で秘めた嗜好の方々の琴線に触れたようで」

 え、ええっと……?

「先日、とある方の夜会に招かれた折り、見目麗しい男性方に取り囲まれたあの方をお見かけいたしましたわ。御気の毒に……」

 気の毒と言いつつ、くすっと笑っていらっしゃる。

 い、言ってもいいだろうか?

 怖い。ものすごく怖い。

 慄き、涙目になりそうだ。

 もしかしたら鉄の心臓を持つ淑女の皆様よりも怖いかもしれない。

 今はただ、大神に心の中で、『心強く生きてくれ』とひっそり願うだけだ。

 見事に羊の皮を被っていたが、その下は敵にしてはいけない恐ろしい何かだったわけだ、彼女は。

 楽しげに笑っていた葛城美沙は、ふと表情を改める。

「誉様は、橘家のご長男から、前田家の次男となられたのですね。これで、想う方と添い遂げる道も開かれることでしょう」

 ぽつりと呟いたその表情は、儚くも嬉しげなものだった。

「あなたは、この結果に満足なのですか?」

 思わずそう問いかける。

「ええ。とても」

「それで、これからどうなさるおつもりですか?」

「まだ何も終わっておりませんわ。わたくし、一の臣として、我が君にお仕えする覚悟でこちらに参ったのですもの。最後まで御側にお仕え致しますわ」

 鮮やかに笑う美女のその姿がとても印象的だった。

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