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中間試験、ハロウィンが終われば、生徒会役員選挙となる。
二宮先輩から会長の座を引き継いだのは大神だった。
瑞姫さんのノートには、生徒会役員選挙はイベントの1つで、諏訪伊織が会長になるということだが、肝心のヒロインがログアウトしたせいですっかり様相が変わったようだ。
まあ、大神が書記になっていたことすら本編とやらからは大幅変更だったそうで、この時点ですでに本来の話から相当脱線しているということだったが。
私のところにも会長選の話が回ってきたが、心より辞退申し上げたため、話は立ち消えとなった。
去年の大混乱が記憶に新しいからだろうと疾風が笑っていた。
相当酷かったんだなと、あの愉快そうな笑顔から想像する。
少しずつ暖かかった空気が涼しさを含み、冴え渡る季節がやってくる。
諏訪家と葛城家が提携したコスメは、かなりの売り上げを伸ばし、業績を上げているらしい。
諏訪の表情に余裕が出て来たので間違いないだろう。
葛城の郎女も表立った動きを見せてはいないが学園にも馴染み、それなりの成果を得ているのかもしれない。
私と言えば、御隠居様の御申しつけ通り、まったく動いてはいない。
予定通り勉学に励んでいる。
学生の本分だ、当たり前だろう。
外部受験に関しては、未だ内密のままだ。
建築家になるというのは、資料や書籍を読む限り、様々な問題や課題があるということがわかった。
核となる理念をどこに持っていくかによって、かなり異なる結果をもたらすものだということが理解できただけでも進歩だと思う。
建物は人を守るモノだが、予算や構造によって相当な開きが生じる。
安全であればどれほど高価な材料や工法で作ってもいいというわけではない。
おまけに建物を支える基礎の下、大地のことも理解していなければ無理だ。
軟弱な地盤に対して、どう強化するかが重要だ。
建物だけではなく、地質についての知識が必要だということか。
それらの知識の基礎を今のうちに、そうして大学に入って専門知識をきっちりと身に着けなければならない。
必要となれば大学院も視野において、どう習得するかを考えねば。
為すべき目標があるというのは、とても幸せなことだと思う。
どんなことがあろうとも、目標に向かって邁進すればいい。
私はつくづく恵まれていると思う。
だからこそ、それを無駄にせずに結果を出さなければならない。
ある晴れた日、家の庭でスケッチをしている時だった。
水引の可憐な姿を絵に留め、山茶花の花の造りを間近で観察していた時、来客だと声を掛けられた。
振り返れば、御祖父様が橘ともう1人、堂々たる体躯の男性を伴っていた。
年の頃は御祖父様よりやや若いくらい。
目許が真季さんとよく似ている。
ああ、この方が……。
写真でお姿は拝見したが、やはり実際にお会いした方がよくわかる。
この方が真季さんの父であり、誉の祖父である前田翁か。
「……このような姿でお客様をお迎えするなど、申し訳ありません。はじめてお目にかかります。末の孫の瑞姫にございます」
さすがにラフな姿では拙いだろうと思い、着替えをするべきかと祖父に視線で問えば、そのままでよいと返ってくる。
「御初にお目にかかる。誉の祖父で前田利則という。孫が大層お世話になったそうで、礼を言う。ありがとう」
落ち着いた低音。
穏やかに言葉を紡ぎ、前田翁は私に頭を下げた。
「いえ! 友として当たり前のことをしているだけです。彼もまた、私に幾度となく手を貸してくれました。お互い様です。ですから、前田様にお礼を言われるようなことでは……」
慌てて頭を上げてほしいと告げれば、前田翁は顔を上げ、穏やかに微笑む。
「友と、言われるか」
「はい。大切な友人です」
「そうか。誉と仲良くしてくださっておられるか……祖父としては本当にありがたいことだ」
実に嬉しそうに言われると、少々居心地が悪い。
どちらかというと、悪巧みばかりしている悪い友だと思うのだが。
「瑞姫嬢にも迷惑をかけ、申し訳ないことをした。もっと早くに気付けばよかったものを……」
悔いておられるのだろう。
口惜しげに呟かれると、視線を落とし、そうして私を見て苦く笑う。
「少しばかり、年寄りの昔話に付き合ってくださらぬか」
そう言って、前田翁は日本を離れた経緯を語ってくださった。
********** **********
前田翁には3人のお子様がいらっしゃる。
長男の慶司様、長女の由美子様、次女の真季さん。
長男と長女が同腹で、次女の真季さんは葛城の大巫女様の御子だ。
慶司様と由美子様の母上は、由美子様をお産みになられた直後に風邪を拗らせてお亡くなりになられたそうだ。
そのせいではないだろうが由美子様も御身体が弱く、長くは持つまいと言われていたそうだ。
最愛の妻を失くされた利則様は、幼子と乳飲み子を抱えて苦労をなさっていた時に大巫女様が手を貸してくださった。
よくある話だと仰っておられたが、哀しみの縁におられた利則様を支えた大巫女様に心を救われ、お子様方も大巫女様に懐かれていたということもあり、再婚されて真季さんが生まれた。
家族5人、穏やかな生活だった。
それが崩れたのは暦が一巡りした真季さんが12歳になった年のこと。
『役目は終わった』
そう仰った大巫女様は、離婚届を残して葛城に戻られたという。
何故そんなことになったのか、突然のことに利則様は茫然自失に陥った。
前の奥様を失くされた時以上にショックだったそうだ。
何が悪かったのかと自問自答する利則様を正気付かせたのは真季さんの一言だったらしい。
『近すぎてわからないのなら、遠くから眺めてみればいい』
ちょうどその頃、前田家は海外進出の話が持ち上がっていたということもあり、本拠地はこちらに置いたまま、拠点を海外に作る計画があったそうだ。
利則様は真季さんの一言でそちらに移る決心をした。
成人した慶司様を連れ、身体の弱い由美子様は橘家との婚約が調い、残るは真季さんひとり。
未成年である真季さんを海外に連れて行くべきかどうかを悩み、利則様は真季さんに海外に一緒に行くか、母の居る葛城に行くか、由美子様と一緒に前田の家で暮らすかお尋ねになられた。
『やりたいことがある。芸の道に進みたい。日本一の芸者になりたいから、稽古をさせてほしい』
真っ直ぐな瞳で言われ、利則様は承諾された。
何せ真季さんだ。
駄目だと言って海外に連れて来たとしても、絶対に日本に一人で戻って置屋の戸を叩いていたことだろう。
無理に連れて行くよりも、姉である由美子様に妹の面倒を見るように頼んだ方がお互いの為によいだろうと考えたそうだ。
妹の世話をするということが由美子様の気力に繋がり、臥せっていたのが起き上がれるようになったという実績もあったからだ。
姉の面倒を見るということで真季さんも無茶をしないだろうとの思いもあったそうだ。
数ヶ月に一度、必ず由美子様が手紙を出すという約束のもと、利則様と慶司様は海外に、由美子様と真季さんはこちらで別れて暮らすことになった。
やがて由美子様が橘家に嫁ぎ、真季さんが小槙と呼ばれるようになり、誉が生まれた。
ところが誉は由美子様の御子だと、手紙には書かれていたそうだ。
さすがに真実を実父には書けなかったようだ。
それゆえ利則様は橘家の実情に今まで気づかなかったそうだ。
由美子様の最後の手紙は亡くなられる直前で、いつも通りに誉のことが書かれてあった。
もうそろそろ次の手紙が届く頃かと利則様が心待ちにしていた知らせが、在原様からの由美子さまの訃報だったそうだ。
その知らせに驚いた利則様は、慶司様と共に日本に戻られた。
何が起こったのか、真実を知るために。
********** **********
今まで前田家が出てこなかった理由がわかった。
さすがに由美子様もこればかりは本当のことを言えなかったのだろう。
それゆえ誉は由美子様の御子だと前田家には認識されていた。
嫡子であると信じていたがゆえに、橘で誉が不当な扱いを受けていたことに気付きもしなかった。
真実を知った今、前田翁の心中は如何許りか。
後悔というよりも、今もなお己に対し憤りを感じておられることだろう。
如何な格上の橘家であろうとも、前田の血を持つ孫を不当に扱われて許せるわけもない。
ならば、取るべき道は限られてくる。
こればかりは橘の当代殿も飲まざるを得ないだろう。
「……孫の話を聞き、意思を確認した上での私の考えだ」
前田翁は、そう前置きをして言葉を紡ぐ。
「誉を前田の子として橘から切り離す。息子、慶司と養子縁組をして、アレの子としてこれから先、誉が望むようにしよう」
ちらりと誉に視線をやり、前田翁は穏やかに微笑む。
「慶司にも息子と娘がいて、弟が欲しいと言っていたから丁度良いだろう。実際には従弟だが、あれらは細かいところは構わぬ性格だ。早く会いたいと言っていたし」
そうか、それなら一安心というところか。
どこかで聞いたことのあるような話だが、望んで受け入れてくれるところがあるのなら、誉も息を吐けるはずだ。
「前田の家が継ぎたいのなら、それに必要な教育を与えるし、進みたい道があるのならそちらを手配しよう。当然の権利だ、何を言っても構わぬと思っている」
前田翁の言葉に、安堵する。
誉の方へ視線を向ければ、彼は小さく頷いた。
「前田家へ行こうと思っている。瑞姫は、橘でも葛城でもない俺を友だと思ってくれるだろうか?」
「当たり前だろう? 誉は誉だ。家など関係なく、私の大事な友だ。必要なときは力を貸すし、一緒に居る。誉の望む通りにすればいい」
「……うん」
小さく頷いた誉が、前田翁をまっすぐに見つめる。
「前田家のお世話になりたいと思います。養母が好きな道へ進むようにと言ってくれましたので、宝飾デザイナーの道に進みたいと考えています」
「そうか。いくつか賞を取っていると聞いている。才能を伸ばすのは良い事だ。デザインの勉強ができるように取り計ろう」
「ありがとうございます」
「私の孫なのだから、礼は不要。存分に甘えるがいい」
柔らかく笑う前田翁に、誉は困ったような表情を浮かべる。
気持ちは何となくわかる。
甘えるというのは、難しいものだ。
「瑞姫嬢にはその内、時間を取って正式にお礼を言わせていただきたい。それに、色々と尋ねたいこともあるのでな」
「わかりました。ご都合のよろしいときに」
「突然お邪魔をして申し訳なかった。では、後日また」
そう言って、前田翁は御祖父様と誉と一緒に立ち去られた。
「……あれが、前田翁、か……」
3人を見送り、呟く。
一筋縄ではいかない方のようにお見受けした。
あの方であれば、橘も葛城も誉にそうちょっかいを出せないだろう。
そのことに心底安堵した。
自分の力で立てるまでの時間をこれで作ることができる。
本当に良かったと思う。
「さて。葛城はどう動くのか……」
いきなりの前田翁の参戦で、誉を巡り3家がどう矛先を収めるのか、様子を眺めさせてもらおう。
手にしたえんぴつを握り直し、私はスケッチブックに視線を落とした。