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カランコロンと軽やかに下駄の音が響く。
のんびり、ゆっくり、緩やかな歩調に合わせ、ゆったりと。
「はれ、ひいさん! 来んさったとね!?」
すれ違いざまに声を掛けられ、振り返れば、今回はまだ足を運んでいない方面にお住いの御婦人方だ。
「ええ。皆様方、こんばんは。おかわりはございませんか?」
「ひいさんにお会いしましたけん、いつも以上に元気になりましたわ」
ねぇと声を掛けあい、からりと笑う方々の表情は明るい。
「青井さんに行かれると?」
「はい」
「愛らしか浴衣やねぇ」
「ありがとうございます。お師匠様に習って、自分で縫ったので縫い目があまり……なのですが」
「いやあ、そんなんわからんですよ。ばあちゃんが縫いんしゃったかと思うとりましたが」
「上手かねぇ! ひいさんは何をやっても器用やけん」
「はら、あんたたち! ここでしゃべくってひいさんの邪魔したらいかんがね! 花氷が融けてしまうやん」
「そやった!! ひいさん、はよう花氷を見に行きんさい。愛らしか花ばっかりやったがね」
賑やかに促され、軽く頭を下げる。
「はい。見てきます。それでは、また」
満面の笑顔に見送られ、またカランコロンと音を立て歩き出せば掛けられる声。
端から端まで歩いて行けるような小さな町だ。
ほんの少し歩けば、知り合いに声を掛けられ、挨拶をするのが当たり前のようなところ。
急ぐような用事ではないが、3歩も歩けば誰かしらに声を掛けられ、挨拶を交わし、なかなか前に進まない。
さすがに橘が苦笑し、疾風も呆れている。
「すごいよね、瑞姫の人気は」
「御館様たちが連れ歩いて顔を覚えさせたせいだよな」
何度立ち止まろうとも、疾風も橘も怒りはしない。
待たせたところで、じっと待っていてくれる。
ありがたいと思う反面、申し訳なさが募り始める。
ゆっくり歩いても15分もかからない距離を、家を出てすでに45分というのはさすがに掛かり過ぎだろう。
目的地はまだ見えないし、しかも参道を兼ねた商店街に配置されているらしい氷柱花も目にすることができないでいる。
目にも涼やかな氷柱は暑気払いには最高だと思う。
さらに、その氷柱の中に趣向を凝らして様々な花を入れ、それらを一定間隔で並べている。
何とも贅沢なことだ。
「へえ。あれが花氷? 綺麗なものだね」
ふいに橘が感歎の声を上げた。
だが、周囲にそれらしきものはまだない。
「目がいいな、橘」
疾風も楽しげに遠くに視線を投げている。
ということは、2人の身長なら見える程度にまだ先にあるということだ。
「ずるいぞ、2人とも!!」
私も背は高い方だが、彼らには到底敵わない。
口惜しくて声を上げたら、ふっと笑われた。
むう。
「見たいのなら、抱き上げてやろうか?」
「それは駄目だって、岡部。浴衣が着崩れたら大変だ」
にっと笑ってからかってくる疾風を橘が窘める。
そう簡単に着崩れるような着付けをしていないが、やはり崩れたらみっともない。
止めてくれてありがとう、橘。
これが蘇芳兄上なら、何も言わずにあっさりと抱き上げている頃だろうから。
「わっ!!」
いきなり腰のあたりに衝撃が走る。
甲高い笑い声が響き、母親らしき女性の制止の声がする。
どうやらはしゃぐ子供たちが私にぶつかって、そのまま走り去ったようだ。
いきなりのことだったので、さすがに体勢を崩しかければ、手前にいた橘にぐいっと引き寄せられる。
そのまま橘の懐に飛び込む形で支えられた。
「……ごめん、ありがとう」
「いや。怪我はない?」
耳許で声がする。
「ん。大丈夫」
頷いて振り返れば、疾風は子供たちの母親らしい女性の謝罪を受けていた。
「本当にごめんなさい。お怪我はありませんでしたか?」
「大丈夫です。後ろからだったのでよけきれなかっただけですから」
「本当に申し訳ありません。浴衣は汚れてませんか?」
「瑞姫?」
「大丈夫だよ、汚れてない。押されてよろけただけのようだよ」
私が答える前に橘が応じる。
「ああ、よかった。初めて来たところでのお祭りだったから、すっかりはしゃいでしまって、言うことを聞いてくれなくて……」
心底困ったと言いたげな表情で、それでも安堵を滲ませて女性が言葉を紡ぐ。
「せっかくの綺麗な浴衣を汚してしまったらどうしようかと思ったわ」
「大丈夫でしたから、気にされないでください。ああ、でも。人が多いですから、迷子になると大変ですよ。早く行ってあげてください」
私がそういうとホッとしたように頷いて、もう一度謝罪の言葉を口にして、その女性は子供たちの後を追いかける。
「……まあ、怪我がなくて良かったよ」
橘と疾風がほぼ同時に同じ言葉を口にする。
「2人とも気が合うな」
おかしくなって吹き出せば、憮然とした表情を浮かべる疾風と、穏やかに微笑む橘。
そこで、私はふと気が付いた。
以前より橘の腕が硬く感じられるのだ。
「誉、筋肉ついた? 腕が硬くなってる」
「そうかな? まあ、稽古の成果が出たかな?」
少しばかり嬉しそうな表情で告げる橘に疾風が肩を竦めている。
「成果が出てもらわないと、俺が困る。何のための稽古かわからないからな」
「短期間でそこまでの成果が出るのは凄いと思うよ」
「筋肉痛の甲斐があった」
純粋にそう思って言えば、しみじみとした口調で橘が呟く。
あまりつらそうな表情を表に出さない彼だが、筋肉痛は相当堪えていたらしい。
大叔父様と疾風が相手だから、そこは仕方がないが。
「それより、早く行こう。はぐれないように、ね」
ふわりと微笑んだ橘が私の左手を握る。
「そうだな。人が増えてきた。瑞姫が迷子になったら困るからな」
そう言って疾風が右手を握る。
「……この構図は……私はリトル・グレイだろうか」
両手を握られて歩く図というのは、宇宙人らしき謎の生命体と親子ぐらいしか思いつかない。
さすがにお父さんとお母さんと子供というのは、どちらが母親かという点で論争になりかねないので黙っておく。
何故なら、その結果、私が2人から怒られるというのが目に見えているからだ。
危うきに近寄らず、だ。
「瑞姫が宇宙人なら、ぜひ誘拐されたいね」
「人体実験は嫌だけどな」
何故だか上機嫌で歩き出す2人に首を捻る。
この状況自体、橘を誘拐しているようなものではないのだろうか、相良は。
人体実験って、どういうことをするのだろうか。
それにしても何故2人ともそんなに嬉しそうなのだろうか。
「瑞姫! 屋台で何を買う?」
「わたあめ!」
「あれ? 甘いの苦手だよな?」
「3等分だ。3人で分け合えば少ない量で済む」
イカ焼とか箸巻だとか、色々と香ばしい香りが漂い始めてくるが、そういったモノは食べつけていないので買う気がしない。
りんご飴やチョコバナナやべっこう飴も食べるよりも眺めている方が楽しい。
したがって、気になってしまう食べ物はわたあめなのだ。
でも、1人では食べきれない。
「あれは時間との勝負な食べ物だと聞いた」
「誰に?」
「千瑛」
「う~ん……嘘じゃないけどね」
苦笑する橘。
「すぐにぺしゃんこになると言っていた」
「それは、まあ、ね。でも、すぐというほどすぐじゃないと思うけど」
「まあだけど瑞姫には1袋は多いだろうな。3等分は妥当だろうよ」
疾風の言葉でわたあめ3等分が決定した。
「じゃあ、早く行こう!」
2人を促し、先を急ぐ。
楽しい夏の宵。
ここにはいない千瑛や千景、それに在原がいたら、もっと楽しかっただろうと思いながら、私は神社を目指した。