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 道着は乱れて上半身裸の状態で、もつれて畳の上に倒れている疾風と橘。

 正確に言うと、倒れ込んだ橘を支えようとしたのか、彼の下敷きになっている疾風。


 ふと、何故だか安倍彬の妙に嬉しそうに意気込んだ笑顔が思い浮かんだ。


 2人とも凍りついたような表情でこちらを見上げている。

 これは、あれだな。

 熱いおしぼりが大量に必要だろうな。

 先に用意して来よう。

 そう思って、そっとローションを卓上に置くと、部屋を出て静かに襖を閉める。

「瑞姫っ!! 瑞姫、誤解だからっ!!」

 慌てた声が追い駆けてくる。

 誤解も何も事実だろうに。

 何を言っているのだろうかと不思議に思いながら、私は台所の方へ向かった。




 大量のあつあつおしぼりを作って保温ボックスの中に入れると、もう一度橘の部屋へと向かう。

「誉、入るよ」

 そう声を掛けて襖を開ければ、何やら苦悩している様子の疾風と畳の上に倒れたままの橘の姿がった。

「……瑞姫、誤解だから……」

 弱々しい声音で橘が訴えてくる。

「誤解も何も、見たとおりだろう? 脚、出して」

 保温ボックスからおしぼりを取出し、橘のふくらはぎの上に乗せる。

「いっ!」

「ふくらはぎのところ、攣ってたんだろう? 慣れないのに使いすぎたからだ」

 足が攣る理由はいくつかある。

 その部位が冷えてしまったり、水分不足を起こしたり、疲労がたまりすぎたりと様々だ。

 対処法もいくつかある。

 まずは温めてマッサージが効果的だ。

 蒸気をあてて温めるのが筋肉への負担が減るので、熱いおしぼりで温めながらマッサージがいいと思う。

「え?」

「ん?」

 何故か妙に驚いた様子の橘が私を見て、それから疾風を見る。

「足が攣ったって、何故わかったんだい?」

「見たらわかる。それに、昼間、川で釣りして、今度は道場で稽古だろ? 誉なら充分オーバーワークだ」

「そう、か」

 納得したのか、ぱたりと力尽きたように畳の上に顔を伏せる。

「……焦った……」

「何が?」

 まったくもって理解できない反応に首を傾げる。

「まあ、瑞姫だからな」

 何故か慰めるように橘の肩を叩いて告げる疾風。

 最近、妙に仲が良いな、この2人。

 というか、面倒見がいいな、疾風。

「なあ、岡部。もしかして、瑞姫、あーゆーことを知らないとか?」

「んー……知らないことはないと思うが、ごく普通に当て嵌めることを知らないと思う」

「そっか。助かった……」

 もそもそと何やら話し合っているが、一体何のことだろうと不思議に思う。

 私が何を知らないと言っているのだろうか?

 いや、もちろん、知らないことの方が多いということは充分理解しているし、必要なことならば知らねばならないとも思っているのだが。

「疾風? 誉? 何を言ってるんだ?」

 そう問えば、2人はぎくりと肩を揺らす。

「いや! 何でもない!!」

「瑞姫はそのままでいてくれ!!」

「……だから、何のことを言ってるんだ?」

「気付かずにいてくれる方が俺としては嬉しい」

 何故、そんなに慌てて言う必要があるのだろうか。

 やましい事でもあるのか?

 こういう時は千瑛がいてくれると補足してくれるので助かるのだが、今、ここに千瑛はいない。

 自分で調べるべきなのだろう。

 だが、知らずにいろと言われているし、どうすべきだろうか。

「あ、わかった。さっきの誉の姿勢、マウントポジションというのだろう?」

 レスリングか何かの格闘技の技だったか、姿勢だったかの名前から来ていると聞いたが。

 私がそう言うと、橘と疾風がガタガタと音を立て、狼狽える。

「なっ!! それ、何処で聞いた!?」

「瑞姫っ!! 誰に聞いたんだ、その言葉!!」

「ああ、宗像の姫からだよ」

「む・な・か・た・さぁん~っ!!」

「何、妙なことを教えるんだよ、あの姫はっ!!」

 2人とも、畳をどすどす殴って彼方へと怒りを向けている。

「瑞姫、他に何言われた!?」

 きっと振り返った疾風が問いかける。

「ん? ああ。男性に押し倒されて馬乗りになった状態がさっきの名前で呼ばれるものだと。あと、相手が美形だったらしばらく至近距離で堪能して、そうでない相手であれば、即座に全力で抵抗しろと言われたな」

「……え? そっち?」

「他にもまだあるのか?」

 きょとんとした表情で呟く疾風に、今度は私が問う。

「いや、ない」

 そう答えたのは橘だ。

 やけにきっぱりと言い切った。

「じゃあ、何か間違ってるのか?」

「相手が美形だったらって。美形でも即座に抵抗して」

「そうなのか? 宗像の姫によると、美形は至近距離でも観賞に耐えうるのか、きちんと把握すべきだろうと仰っていたぞ。眼福のチャンスは逃すべきではないが、合意でなければ遠慮なく全力で抵抗していいと」

 そう答えつつ、橘の脚の様子を確認する。

 大分、筋肉がほぐれて柔らかくなってきた。

 これなら大丈夫だろう。

「誉、とりあえずの応急処置はできたようだ。あとは温泉に浸かってゆっくり癒すといい」

 使ったおしぼりを片付けながら告げれば、橘がゆっくりと起き上がる。

「ありがとう、瑞姫」

「どういたしまして。ああ、お湯の中で足をマッサージしては駄目だぞ。水圧があるから逆に負荷がかかりすぎてよくないんだ。マッサージをするのなら、お湯に浸かった後で洗い場でしたほうがいい」

「わかった。そうするよ」

「疾風、ちょっと心配だから誉と一緒に入ってやってくれないか?」

 今は大丈夫だけれど、服を脱ぐときに体温が一時的に低下してまた攣るかもしれない。

「ああ、わかった。瑞姫は?」

「これを片付けてから入るよ」

「え? 瑞姫も!?」

 何故か驚いたように橘が振り返る。

「何だ? 一緒に入りたいのか?」

「いや、いい! さすがにそれは困る!!」

「勿論、冗談だ」

 あっさりと言えば、疾風が憐れむような視線を橘に向ける。

「本家の御屋敷には、湯殿は3箇所あるんだ。おまえが使ってるのは客人用で、瑞姫が使うのとは別のものだ、安心しろ」

「……よかった。焦った」

 ぐったりと倒れ込んだ橘が安心したように呟く。

 失礼だな、本当に冗談だったのに。

「じゃあ、後は頼んだぞ、疾風」

 そう言って振り返った瞬間、違和感を感じた。

 実に微妙な違和感。

 ほんの少し、しっかり閉めたはずの襖に隙間が開いている。

「……何をやっているのですか、御二方?」

 襖を引けば、蘇芳兄上と深雪義姉様が廊下に伏せるような姿勢でこちらを見ていた。

 覗いていたと自己主張しているような姿だ。

「うふふふふ……」

 笑って誤魔化そうとしている深雪義姉様。

「あー……妙な音が聞こえたから」

 視線を彷徨わせ、言い訳をする蘇芳兄上。

「兄上? 義姉様?」

 にこりと笑って問い詰める。

「ごめんなさーいっ!!」

 2人揃ってバタバタと走り去っていった。


 うん。大叔父様に怒られてしまえ。


 あの勢いなら、必ず大叔父様がおふたりを掴まえて説教されることだろう。

 自業自得なので、目撃しても庇うことはしないぞ。

 溜息を吐いて、荷物を手に廊下に出た。

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