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 郷までの行程は、数日をかけてのゆったりとしたものだった。

 慎重すぎるかもしれないが、飛行機を使っての気圧の変化で体調を崩してもいけないし、新幹線などで長時間同じ姿勢になっても駄目だろうということで、あちこち観光しながらの移動にしたのだ。

 思いがけない国内旅行となったが、かなり楽しいものとなった。

 深雪義姉様という建前上の保護者もいるため、未成年だけよりも随分と融通が利くし。

 その深雪義姉様のはしゃぎっぷりに少々はらはらしたのはとりあえず内緒だ。


 駅にはいつものように大叔父様が迎えに来てくださって、今回は本家の屋敷の方へ案内していただいた。

 深雪義姉様はここで蘇芳兄上と合流して挨拶回りをする予定で、私は針仕事を教えていただくために師匠の許へ数日通う。

 疾風と橘は、大叔父様と鮎釣りに興じるということだ。

 鮎釣りも資源保護のために、釣りをする権利を買わないといけないらしい。

 一般人は一時的な権利を早い者順で買うようだが、うちは家ですでに持っているとのことだ。

 岡部も権利を持っているので、橘はうちの権利を使うのだとか。

 釣りひとつでも大変な世の中だと思うが、自然を保つためなのだから仕方ない。

 そう思うのは、私が鮎が大好物だからだろう。

 美味しいのを釣ってやると言われて、それだけでご機嫌になってしまったのだから隠しようもない。




 予め、身長や身丈を調べておいたので、反物からのカットはあまり問題がなかった。

 浴衣を縫うのは今回が初めてで、色々戸惑うことは多かったが、慣れるとそう難しいものではないとわかった。

 皆、背が高いので、反物が足りるかどうか心配したというあり得ない状況でドキドキしたが。

「運針は左を動かすのが基本やし。ひいさまはようできてござる」

 御老女がほっほっほっほと小気味良く笑いながら頷く。

「これなら、青井さんに間に合いますな」

「あおいさん?」

「はら? ひいさまは青井さんをご存知なかとね? 上青井の青井阿蘇神社やがね」

「ああ! その青井さんならわかります。でも間に合うって?」

「夏のお祭りがあるわいね。てっきりそれ着ておざると思うとったが」

「ああ、そういうことですか! 夏祭りがあるってこと、知らなかったから」

「はらはら。なら、いきなさるとええ。花氷が涼しげで愛らしかけん」

 目を細めて笑う御老女の言葉に、手許の浴衣を見る。

「……間に合うかな?」

「はい。ひいさまの分と八雲さまの分はおわっちょりますけん、あとは疾風ちゃんと、一緒に来なさった敦子がイケメンやぁ言うとった坊ちゃんの分でしょ? 疾風ちゃんの分もそれで終わりやさけ、坊ちゃんの分だけやね。間に合いますって」

 おっとりとした言葉の中に不似合いな『イケメン』という言葉に笑いが零れる。

 そうか、橘はイケメンなのか。

 綺麗な顔立ちだと思うが、それを『イケメン』と呼ぶのかと思うとおかしくなる。

 随分幅広く言うんだな、『イケメン』とは。

 くすくすと御老女と笑い合い、疾風の分の浴衣を仕上げ、屋敷に戻った。

 今回の分は3日かかった。随分早くできるようになったなと思ったけれど、師匠は浴衣くらいなら1日で仕上がるそうだ。

 すごいな。




 本家の屋敷に戻ると、意外な人が来ていた。

「柾兄上っ!! 蘇芳兄上も」

「おかえり、瑞姫」

 両手を広げる柾兄上に思わず飛びつく。

「げっ! 柾、ずりぃ!!」

 蘇芳兄上が柾兄上を詰っているが、そこは全く気にしない。

「日頃の行いだ。積み上げが大事だと言ってるだろう?」

 実に涼しい表情で仰っている。

 まったくもってその通りだと思う。

 八雲兄上は大好きだが、柾兄上はもっと好きだ。

 完全に刷り込みと言われても全然構わない。

「蘇芳は突進しすぎなんだ。待つことを覚えれば、瑞姫も飛びついてくれるぞ」

 ぽんぽんと背中を叩く力加減が絶妙です。

「柾兄上! いつ、こちらに? いつまで滞在される予定なんですか? 八雲兄上も一緒ですか?」

 レア度満点の柾兄上の登場に、嬉しくなって問いかける。

「先程到着して、一週間ほど夏休みをもらったよ。あー……八雲は……」

 気まずげに兄上の視線が泳ぐ。

「……置いてきたのですか?」

「仕事、押し付けて来た」

「それは……なんとも」

 怒ってるだろうなぁ、八雲兄上。

 お土産渡しても無理かな。

「たまにはいいさ。うん」

 やったことを言っても仕方がないと、思いっきり開き直った柾兄上が笑う。

「夕食、皆で一緒に食べよう」

「あ。疾風たちは?」

「もう帰ってきてるよ」

「じゃあ、支度してきますね」

 そう言って、部屋に荷物を置いて着替える。

 夕食は、いつも以上に賑やかで楽しいものだった。




 夕食が終わるなり、大叔父様が疾風と橘を連れて道場へ行ってしまう。

 釣りをしていた時に稽古をつけると約束していたようだ。

 日焼けして赤くなった肌をそのままに道場に行ったが、果たして大丈夫だろうか?

 あの炎症を起こした状態で畳で擦れたらもっと痛むと思うんだが。

 あとで手当て一式持って部屋を訪ねてみよう。

「蘇芳くん、私も温泉入ってくるから、またあとでね」

 そう言って、深雪義姉様もお風呂へ行ってしまった。

 残ったのは、私と柾兄上と蘇芳兄上の3人のみ。

 非常に珍しい組み合わせだ。

 2人とものんびりと焼酎を呑んでいる。

 美味しそうであり楽しそうである。

「癖のある芋もいいけど、米のまろやかさもいいな。香りが違う」

 うっそりと微笑んだ柾兄上が呟く。

「米はやっぱりお湯割りだよなー」

 ぐい飲みを摘まみ、くいっと煽りながら蘇芳兄上が頷く。

「繊月、六調子、峰之露……どれも美味い」

「古酒のブレンドなんかもいいやつあるぞ」

「ああ、あれか。無言といったか……確かに名前通りだった」

 賑やかな蘇芳兄上だが、お酒を呑むときは意外と静かだ。

 間違いなくうちの家系は呑兵衛だと思う。

 しかも、ざるどころか枠の家系だ。

 アルコール分解量が平均よりも遥かに多いようだ。

 まあ、食べずに呑むのではなく、かなりの量をしっかり食べてからゆったりと呑むので、胃を荒らすこともないのだと茉莉姉上も言っていたし。

 静かに上機嫌な兄たちの姿に何となくほっこりしながらデザートのアイスクリームをつつく。

「蘇芳兄上」

 ふと、いつか聞いてみようと思っていたことを思い出し、蘇芳兄上に声を掛ける。

「ん?」

「お尋ねしたいことがあるのですが」

「……珍しいな?」

 ぐい飲みを摘まんだまま、蘇芳兄上が瞬きをする。

「大したことではないのですが、深雪義姉様となぜ結婚しようと思われたのですか?」

 兄弟唯一の妻帯者だ。

 兄姉を差し置いて3番目の蘇芳兄上がどうして結婚に踏み切ったのかと少しばかり興味がある。

 深雪義姉様に対してまったく不満はない。

 むしろ、よくぞ嫁いでくださいましたと思っているのだが、結婚しようと思った切っ掛けが気になってしようがない。

 私の問いかけに、柾兄上が噴き出し、そうして蘇芳兄上は派手に咳き込んだ。

「深雪ちゃん、ね。蘇芳が娶らなければ、俺か八雲、それでも駄目なら分家の誰かを差し出そうかと思ってた」

 くつくつと笑いながら柾兄上が爆弾を落とす。

「え!?」

 最初から深雪義姉様はうちの嫁決定だったのか!?

 意外な真実に驚く。

「いや、まあ……あいつが瑞姫の事を妙に気に入ってたから、うちとしては逸材だと前々からは思ってたんだけど」

 ものすごく照れ臭そうに卓上にぐい飲みを置いた蘇芳兄上が話し出す。

「決定打は、あれだな。瑞姫が諏訪の件に巻き込まれた時だ」

 ふと蘇芳兄上の視線が遠くなる。

「あの知らせを聞いたとき、傍に深雪がいたんだ。あの時、あいつ、何しようとしたと思う?」

「深雪義姉様が、ですか? 蘇芳兄上を止める、でしょうか?」

 あまり思い出したくはないことだが、私が病院に重傷で運ばれたと知らされた家族は激怒したと聞いている。

 それでも踏み止まるのは柾兄上、茉莉姉上、八雲兄上だ。

 状況把握と一番良い手を即座に打つことを信条としている彼らなら、感情を理性で捻じ伏せて状況把握をし、事態を支配しようとするはずだ。

 感情のままに動くのは、蘇芳兄上と菊花姉上だ。

 だが、動くベクトルは真逆だろう。

 菊花姉上なら私が運ばれた病院に直行し、蘇芳兄上は間違いなく諏訪に殴り込む。

「いや。実は、俺が深雪を止めた」

「は?」

「深雪が諏訪に行って伊織と詩織を殴ってくるって叫んで暴走しようとした」

「それ、本当ですか!?」

 まずい。それ、本当にやったらものすごくマズイ!

 蘇芳兄上が殴り込むよりは遥かにマシで、なおかつ大した影響はないけれど、それでも充分にまずいことだ。

「俺が行こうと思っていたのに、出鼻挫かれてさ、慌てて止める羽目になったわけ。それで俺も助かったけど」

「…………そうですね」

 蘇芳兄上が諏訪に単独で殴り込んだ場合の被害を想像すると心臓が痛い。

 よかった、殴り込んでなくて。

 蘇芳兄上、確実に殺人罪だ。痛み分けのレベルなんてものじゃない。

 諏訪親子はもちろん、分家や、屋敷の警備員すべて巻き込んでの大暴れで相当な被害を出しているだろう。

 全員死亡という最悪な状況で。

 そうなると、深雪義姉様ってうちにとって相当な恩人ってことじゃないだろうか。

 柾兄上が自分のお嫁さんにというのもわかる。

 何かの折に、深雪義姉様が諏訪に殴り込みかけようとしたことがバレても確実に守れるからだ。

「あの時の啖呵に惚れました」

 少しばかり茶化して告げる蘇芳兄上。

「ついでにあの無謀すぎる行動力も」

 この蘇芳兄上を遠慮なくげしげし蹴り入れる方だからなぁ。

「今の相良があるのは深雪のおかげ。いい嫁貰いました」

 うんうんと頷く兄上に、私はどう返せばいいのかわからなくなる。

「何で深雪があんなにおまえのことを気に入ってるのかはわかんねぇんだけど。でもな、赤の他人の為にあそこまで怒れるやつはいないと思う。それに、あいつはあそこで激怒することで、俺を止められることを知ってたし。頭、上がんないの、俺」

 完全に惚気だ。

 でもちょっと感動したけど。

「うん。深雪義姉様で良かったと思いました、私も」

 目が覚めたら蘇芳兄上がいなかったという状況でなくてよかった。

「納得できたところで、深雪には内緒な?」

「わかりました」

 照れ臭そうに目許を染めて人差し指を唇の前に立てた蘇芳兄上に、頷いておく。

 とりあえずのお礼も兼ねて、お祝いの産着は心を込めて丁寧に作って贈ろうと決めた。


 とりとめない話を兄上達と続け、頃合を見て解散する。

 部屋に戻って炎症対応のローションなどを手に、橘の部屋へ向かう。

「誉、今いい?」

「え!? 瑞姫?」

 廊下から襖の向こうに声を掛けると、慌てた声が上がる。

「え? うわっ!!」

 どさりという物音と、声が上がる。

「誉!? 開けるよ!!」

 何が起こったのかと、一応声を掛けて襖を開ける。

 目の前の光景に少しばかり驚いた。

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