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「以上、報告と相成ります」

 颯希が淡々とした口調で今日あったことを報告してくれる。

 だが、その内容に頭を抱えたくなってしまったのは仕方ないと思う。


 何やってるのかな、橘の当代殿は。


 未だにその感想しか出てこない。

 今日会って話をしたから、すぐに対応できるような人ではないとは思っていたけど。

 ホント、何やってるのかな……。


 颯希からの報告は、こうだ。

 いつも通りに法要を済ませ、その後、取り上げの四十九日法要に移り、納骨まで行った。

 ここまではいい。

 だが、問題はここからだ。

 法要を行ってくださった導師様にお礼を申し上げているところに当代殿と在原様が到着。

 その後、ひたすら橘誉に謝り倒していたそうだ。御導師様にお礼も言わずに。

 まず、順番が違うだろう。

 法要を行ってくださった御導師様に礼を尽くしてから、内輪に移るべきだろう。

 その場を治めたのは当然誉と在原様だったそうだ。


 その時、御導師様が仰ったそうだ。

 『賢は愚より生まれる』と。

 ひどく納得しそうになったと颯希がぽそりと呟いたのが心に痛い。

 だが、それも微妙だと思う。

 普通のことをすることが賢く見えるというのは、愚かだと見える行いがあまりにも周囲からひどく見えるということだ。

 誉は確かに賢いが、賢しらに知恵を見せるタイプではない。

 堅実にひとつひとつ丁寧に基礎を積み上げていく、見た目に反して地味な手順を好んでいる。

 諏訪よりも遥かに華やかな容姿をしているのに、彼よりもまったく目立たないというのはそういうことだ。

 それもまた知恵であり、賢さだと指摘されているのかもしれないが。

 前に出るのではなく、一歩引いて必要なところを押し上げていき、全体のバランスを整えていくことを得意とする誉もまた、当主としての才に恵まれているのかもしれない。

 しかしながら、それを活かせる家ではなかった。

 そのことは現当主の不備だ。


 その後、当代殿が現れたことを知った分家の者たちが、お寺に押しかけたそうだ。

 取り上げで四十九日が終わったとはいえ、喪は明けてはいない。

 それを知っているはずなのに、話題はいつも通り次の当主夫人と跡継ぎについて、だ。

 その騒ぎを一喝したのが在原様だった。

 全員を本家に移動させ、その際、各家の弁護士を呼びつけたそうだ。

 颯希は他家の者であるにもかかわらず、護衛であるからとひっそりと気配を消して誉の傍で一部始終を見ていたようだ。

 もちろん、誉と在原様が赦したからできたことである。

 むしろ、在原様は誉の安全のために颯希を置いたのだろう。

 そこで在原様が何をしたのかというと、弁護士に各家の財産目録を至急作成し、提出させること。彼らが経営している会社の状況も同じく大至急報告書を作成して提出する。

 さらには経営権をすべて取り上げ、本家に返すことを命じ、ここに来た者は全員謹慎蟄居の上、近日中に橘の名を取り上げ、分家として潰すことを告げたそうだ。

 本家の命に背くようであれば、相応の制裁を科す。今回、こちらに来なかったものもそれまでの対応を見て、同じく処分を与える。

 今まで己の利を追求し、本家を思い通りに動かそうとしていた者たちには重い、重すぎる処分に思えたのだろう。

 反駁した者たちに、在原様は一言仰ったそうだ。

 『本家に離反したのだろう、死ぬか?』と。

 本家あっての分家、その逆も然りだが、本家に添う者が恣にすることは赦されない。

 おそらく、数家はその処分が下されるだろう。

 そのことを察知した彼らは押し黙ったそうだ。

 これで不正などをしていて見つかれば、本当に自死に追いやられるということだ。

 名家として負うべき誇りを失えば、取る道の2つに1つだ。

 そこに同情は生まれない。


 生真面目に、逐一必要事項を報告した颯希は、私の顔をじっと見る。

「どうした?」

「あ。いえ……瑞姫様は、この結末をご存知でしたか?」

「どうして?」

「全く驚いているようには見えません。むしろ、当然のように受け止められているように思われましたので」

「うん、そうだね」

 当主として取るべき行動は、在原様の指示以外にもまだ道がある。

 だが、そのことには触れず、私は頷く。

「橘家が次代を守るつもりなら、そのような方法を取るだろうと考えていたよ」

「……次代様……誉さまのことではないのですか?」

「今のところは、誉も含む、かな? 在原様は、最終的には当代殿に再婚を進めるだろう。誉に跡を継がせたいと思っていらしてもね」

「継がせたいと?」

「そう。在原家の次代と誉は懇意だ。両家共にある未来を考えるのなら、誉を次の当主と推すのが望ましい。誉にはその資質がある。当代様よりもね」

「……それは、確かに」

「誉はそのことを全く望んでいない。跡を継ぐことは義務だと思っていたけれど、その楔が外れてしまった今、由美子さま、真季さんの意思に従い、誉の気持ち通りに家を出ることが一番いいことだと思う」

「それは……」

「橘家にとって、最大の損失だろうね。当代殿にとって、これ以上の罰はないだろう。でも、受け入れなければならないことだ」

 そう言葉を切って、ふと頬を撫でる風に気付いた。

 窓は空気を入れ替えるために開け放たれている。

 外と異なり、敷地内はいたるところに緑が溢れている。

 それゆえ、庭を渡る風は清涼感を伴い、とても涼しげだ。

 母屋の方は殆ど空調設備を使う必要がないくらいに、夏は快適に過ごせるほどだ。まあ、その分、冬は寒いけれど。

 作り自体が違うため、私の住む棟は空調設備がなければ夏は暑い。

 それでも今は必要としないほどの爽やかな風が吹いている。

 それが、心を落ち着ける。

 この風が誉の所にも届いているといい。

「家も大事だが、それは人を損なってまで存在し続けるものであってはいけないと思うよ、私は。力を削いでしまった家というのは、それが原因じゃないかなって私は思う」

「はい」

 神妙な顔で頷いた颯希は、ふと息を漏らす。

「僕は、岡部の家に生まれて来て良かったと思いました。こうして瑞姫様に御仕え出来ますし」

「私も相良で良かったと思うよ。さっちゃんも疾風も傍にいてくれるからね」

 のんびりと穏やかな空気が漂う。

「今日は疲れただろう? 下がってゆっくり休んでくれ」

「はい。あの」

「ん?」

「誉さまをこちらにお招きしてもよろしいですか?」

「構わないけれど、何故?」

「誉さまも癒されたいのではないかと思いまして」

 誉を癒す?

 どうすればいいんだろう。

「ああ、うん。今、疾風と一緒だよね?」

「はい」

「じゃあ、2人に良ければ足を運んでくれって伝えて?」

「かしこまりました」

 綺麗なお辞儀をして颯希が部屋を出ていく。


 癒すって、どうすればいいんだろう?

 とりあえず会ってから考えるべきかな。

 そう思って、私は御茶の用意をすることにした。




     ++++++++++     ++++++++++




「瑞姫?」

 疾風と橘が不思議そうな表情を浮かべてやって来た。

「呼んでるって聞いたんだけど……」

「ん?」

 さっちゃん、何て言ったんだ?

「ええっと……お茶しない?」

 とりあえず用意していたティーセットを示して言えば、2人とも瞬きを繰り返す。

「……颯希……」

 くっと疾風が目頭を押さえる。

「あの莫迦」

「えーっと、さっちゃん、何言ったの?」

 思わず確認したら、橘が苦笑を浮かべる。

「いや。瑞姫が呼んでるとだけ……な? 岡部」

「ああ。そう」

 絶対違うな。

 何か勘違い起こしそうなことを言っちゃったんだな、きっと。

 誤魔化さなきゃいけないようなことを。

「……さっちゃん……」

「いや!! 颯希に悪気はないと思う!」

 妙に慌てまくった疾風が私を制止する。

 こういうところは兄だよな。

 ちゃんと弟を庇ってるし。

「まあ、いいけど。うん。おなか、すいたでしょ?」

 夕食までに小腹を満たすくらいは許されるはずだ。

 育ち盛りということで、この棟には日持ちするお菓子の類がわりと多い。

 兄姉たちのお土産やパティシエ特製のおやつだったり。

 食が細いわけではないが、傷を癒したり身体の成長を促すにはまだまだ栄養が足りないと周囲は考えているようだ。

 充分だと思うけれど、甘いものが特別好きだというわけではないし。

 正直に言うと、ケーキよりは煎餅やおかきの方が好きだ。

 求肥とかも好きだけど、あれは眺めるのが楽しいので、量はいらない。

 キャラメルとかも普通の半分ぐらいの量で充分すぎるほどだ。

 そういう話をすると、イメージに合わないとよく言われるが。

「俺、煎餅がいい」

「疾風、紅茶だよ?」

「……ザラメならあうかも」

 お茶菓子のある場所をよく知っている疾風が煎餅を取り出そうとしたので、用意していたお茶を告げれば、しばらく葛藤した後、微妙な答えを出す。

「うん。お腹にたまれば何でもいい年頃だからね、俺達」

 ぽんっと疾風の肩を叩いた橘がフォローにならるのかならないようなことを言う。

「味と組み合わせは、それなりに重要だと思う」

「まあ、それなりにね」

 私の主張を軽く流した橘はくすくすと笑っている。

 どうやら、小腹を満たすためならバランスは無視できるらしい。

 実に納得がいかないが、人それぞれと諦めるべきか。

 溜息を吐けば、2人とも楽しげな笑い声を響かせた。


 今日あったことの情報交換を軽くする。

 あらかじめ、疾風と橘の間でも話しておいたのだろう、説明は簡単だ。

 橘の所の話は、颯希から聞いていたこととほとんど一緒だ。

 主観が異なるため、少し違う部分がある、という程度。

「大神も仕方がない奴だな」

 苦笑を浮かべた橘が呟く。

「自業自得だ」

 それをにべもなく斬って捨てる疾風。

「でも、ああなるのも仕方がない。大神も手がないからね」

「……情報を集める人間が不足している、という意味か?」

 橘と疾風が言っていることの意味がわからず、思わず確認する。

「いや。そっちの手じゃないよ。大神は外からのイメージよりも遥かに子供だという意味」

「大神が、子供?」

「諏訪よりも、もしかしたら、ね」

「……意味が、わからない……」

「気になるものがあって、それの気を引きたいときに取る行動が悪戯だってこと」

「ああ! そういうことか」

 蘇芳兄上がよくやって怒られていたやつか。

 子供の時に虫を集めて菊花姉上にプレゼントして、盛大に蹴りを入れられて肋骨折ったという話を聞いたことがある。

 どうやら兄として尊敬してほしかったらしいが、派手に裏目に出たと柾兄上が笑って八雲兄上に教え込んでいた。

 そこから学んだ蘇芳兄上は、所謂ダンゴ虫やミミズではなくカブトムシやクワガタをよちよち歩きの私にプレゼントしようとして、やはり八雲兄上に見事に阻止されたそうだ。

 学んでも成長はできなかったと、未だに言われている。

 対外的な評価はその見た目の良さから非常に高い蘇芳兄上だが、家の中での評価は非常に残念な人なのだ。

 身内の評価というのは、実に残酷だ。

「つまり、大神は残念な奴だったということか!」

 合点がいったと頷けば、堪えきれずに噴き出した疾風がソファに沈んだ。

「何その大神の評価……聞かせてやりたい……いいザマだ」

 くっくっくっくと肩を揺らし、咳き込みそうになるまで笑っている。

「……まあ、その評価が一番堪えるだろうね」

 肩をすくめた橘がそう断定し、困ったような表情になる。

「違うのか?」

 蘇芳兄上と同類かと思ったのだが、どうやら異なるようだ。

「評価の基準は人それぞれだからね。瑞姫がそう思ったのなら、それでいいと思うけど」

 どうやら2人とは基準が違うということだけはわかった。

「まあ、いいや。大神のことは、千瑛に任せる」

「報復しないのか?」

「したらそれで終わりだろう? 他の方々の手腕を見せていただいてから考えることにする。独創的なものがいいのか、それとも堅実を狙うべきか、参考にさせてもらうとしよう」

「それもいいな。さぞかし怯えることだろうな、あいつ」

 にやにやと楽しげに笑う疾風。

 最近、すっかり性格が悪くなってしまったようだ。

 こと同性相手だと容赦ない。

 ふとその時、橘がわずかに顔を顰めた。

 ほんの少し曇る表情。

 疲れているんだなと、気付く。

 癒しは確かに必要そうだ。

 さて、どうしたものかと考えを巡らせる。

 自分の身に置き換えてみると、兄姉たちも父たちも同じことをしていることに思い当たる。

 兄や父だと硬くて痛いが、それさえ我慢すれば確かに安心できて癒されるかもしれない。

 姉や母だと完璧だ。気持ち良い。

「誉、そこ座って」

 私はソファの隣を示す。

「え?」

「そこ」

 すぐ隣ではなく、半分ほど間隔を空けたところを示せば、不思議そうな表情をして橘は指示された場所に腰かける。

「頭、ここ」

 ぽんぽんと自分の膝を叩いて見せれば、ぎょっとしたように立ち上がり、ものすごい勢いで向かい側のソファに座る疾風の後ろに隠れた。

「ちょっ!! 瑞姫っ!?」

「なっ! なにっ!!」

 何故か疾風まで驚いて立ち上がってる。

 なんでだ?

「瑞姫!!」

「ん?」

「何考えてる!?」

「んー? 誉、疲れてるみたいだから、休んだらいいかなあと思って」

「だからどうしてそれが膝枕になる!?」

「癒されない? 兄上や姉上は、私が疲れてたら必ず膝枕するし」

「いやいやいやっ!! それ、まずいから!!」

「八雲様にバレたらシめられる!! 絶対ダメだって!」

「……なんで?」

 何で八雲兄上がシめるんだ?

 それより、何故そこまで疾風にしがみついて怯えてるんだろう、橘は。

 それは私に対してあまりにも失礼ではないだろうか。

「身内でない男にそういうことやったら駄目だから!」

「駄目なのか?」

「そう!」

「前に誉にしてもらったことがあるような気が……」

「俺からならいいけど、瑞姫は駄目!」

 何故駄目なんだろう?

「岡部~っ!!」

「すまん、橘。相良の皆様はスキンシップがわりと派手で、特に瑞姫に対してはアレでな。それに慣れてるから、こーゆーのに欠けてるんだ」

「うん。姫の意味がよくわかったよ」

 2人で手を取り合って納得しているけれど、何を言っているのかよくわからない。

 そのまましばらく言い合いが続き、夕食の時間が来たので、彼らに肝心なことを伝えるのを忘れてしまったことに気付いたのは、就寝前のことだった。

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