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「相良さん」

 かけられた声に舌打ちしそうになるのを何とかこらえ、ゆっくりと振り向く。

 実にゆっくり、だ。

 するりと腕を組まれ、気付けば千瑛が隣に戻ってきていた。

「……御機嫌よう、大神様」

 いささか冷ややかな声音であることは許してほしい。

 招待客ではないうえに、女性用の着物を展示している場所を一気にむさ苦しくしているからだ。

 そう、大神はひとりではなかった。

「ご機嫌麗しく……は、なさそうだね。そこで偶然お会いしたものだから、ご一緒にと誘ったのだけど」

 ちらりと視線を流した先には紳士が2人。

 実に見覚えのあるお顔であった。

 ただし、直接的にひとり、間接的にひとり、という内訳だが。

 その内のおひとりが、ずいっと人懐こい笑顔を浮かべて前に進み出て来た。

「やあ、初めまして、瑞姫嬢。お噂は息子から聞いているけれど。あ、うちの息子が大変お世話になってますから始めないといけなかったよね、ごめんね」

 くるくると表情を変えながらの突撃に一瞬身構えたが、うん、やはり親子だ。よく似ている。

「いえ。こちらこそ彼にはお世話になっています。在原様」

 本来ならきちんと挨拶すべきところだが、手順が狂ってしまった。

 しかしながら、在原家のご当主はまったく気にした様子はない。

「在原様なんて堅苦しい。静稀も在原なんだから。折角だからおじさまと呼んでほしいな」

 にこやかに告げる在原家のご当主は、息子よりも押しが強いようだ。

「しかし、瑞姫嬢は噂以上の美人だね。凛々しい美人と言うのは実に眼福だ。う~ん、静稀は相当なメンクイだったんだなぁ」

 激しく何かを納得された様子でご当主は頷いていらっしゃる。

「在原様? 何か誤解なさっていらっしゃるのでは……?」

「いや、大丈夫。誤解も何もしてないよ。息子の大好きな友人の基準について色々納得していたところだから」

「凛々しい美人と言うところからして誤解だと思われますが」

 初対面の方から男性だと思われる容姿が『凛々しい美人』で収まるはずがない。

 そんな線の細いイメージは私にないはずだ。

 しかしなぜ在原様までこちらに来られたのか。

 もうお一方が理由か。

 そう考えて、そちらの方へ顔を向ける。

「お久し振りでございます、橘様」

「あ、ああ。先日は妻の葬儀に足を運んでくださったこと、感謝します」

 先手を打って挨拶をすれば、少しばかり怯んだ様子で橘家のご当主が謝辞を告げる。

 ……そこからか。

 融通の利かない性格らしい。

 そうして、息子の同級生である私に対してどのような態度を取ればいいのかわからない不器用な面をお持ちのようだ。

「いえ。当然のことですから」

 死者とその家族を悼まぬ葬儀など初めてであったが、過ぎたことだ。

 あの時、私は橘を案じて参列した。

 その判断は間違いではなかったと、残念ながら確信してしまったが。

「その。今も息子が世話になって……誉は」

「彼なら、法要の為に戻られていますよ」

「え?」

「今日は取り上げで、納骨を済ませると聞いていますが」

 何故ここにいるのかと、視線だけで問いかければ、その瞬間、顔色が変わった。

 それで、大体のことを察してしまった。

 今までの法要も、橘が1人でしていたに違いない。

 半眼になっている菅家の双子をこっそり肘で突いて制する。

 完全に怒ってるし、千瑛が。

「本人からの言葉でしたので、間違いではないと思います」

「……橘」

 在原様が呆れた表情で橘の当代殿を眺めている。

「おまえ、何してんの?」

 全くその通りだと思います。

 橘誉も父に問わずに自分だけで動いてしまっているところは問題だが、『最愛の妻』の法要を一切知らずにいた当代殿もかなり問題だ。

「何故こちらにいらしたのか、お尋ねいたしません。ですが、何故、しなければならないことをなさらないのですか?」

 無礼を承知での言葉を紡ぐ。

 相手を抉るだろうことは理解している。

 だが、橘が報われない。

「君は……」

「瑞姫嬢の言う通りだね。ここに来る前に、しなきゃいけないことがあるなんて、馬鹿じゃないの、おまえ?」

 さすが親子。

 静稀と口調が一緒で、言うことまでもそっくりだ。

 ただし、誉はこんなことを静稀には言わせないけれど。

 言われるとしたら真逆だろう。

 しなきゃいけないこともあるだろうけれど、少しは休めという方向で。

「しかし、誉は何も」

「言われなければなさらないのですか? 決まり事でしょう? 何をすべきなのか、当然わかりきっていることを何故、わざわざ言わなければならないのですか、息子が父に」

 逆を言えば、その手のことを子供が父に言えば侮辱もいいところだ、普通では。

 家を出ると決めていても、橘誉として父の指示通りに母の供養をしているという形を取って法要の指揮を執っていたのだろう、彼は。

 守るべき立場にいながら、妻と子に甘えて何もしない当代殿に冷ややかな怒りを隠せない。

「そのご様子では、我が家まで押し掛けてくる分家の皆様が当家や誉に何を言っているのかもご存知ないのでしょうね?」

 言いたくなかったが、とても許せそうにない。

 だから会いたくなかった。

 何を言われているのか、まったくわかっていない当代殿と、察しがついたのか顔色を変えた在原様があまりにも対照的に映る。

「……瑞姫ちゃん? 橘の分家の方が、相良に押しかけて、何を仰ったのかしら?」

 所謂、『超イイ笑顔』を浮かべた千瑛がとても上品な態度で問いかけてくる。

 黒いから。

 千瑛、可愛らしいけれどとっても黒くて怖いから。

「瑞姫ちゃん。押し掛けてくるってさ、分家の分際で、相良本家に事前の断りもなく強引にやってくるってことだよね? 本家の了解も他家の紹介もなく」

 表情を消し去った千景も追い打ちをかける。

「門の前で何度か待ち伏せされたな」

 それに乗って、私も事実を告げる。

「……申し訳ないが、瑞姫嬢、その件の仔細を僕に教えてくれないかな?」

 在原様が真っ直ぐに私に問いかけてくる。

「橘家と相良家のことを在原様に、ですか?」

「お願いする。橘とは遠戚でもあるからね、在原とて無関係ではいられない」

 確かに姻戚関係はあるだろう。

 橘家に影響を与えるという意味で、在原家の存在は欠かせないのも事実だ。

 どうやら在原様は頼りになる方のようだ。

 手綱を1つ渡してもよいだろう。

「……奥の控室にどうぞ。こちらでは他の皆様のご迷惑なりますので」

 そう言って、ギャラリーの奥を示す。

「ありがとう。行くぞ、橘」

 容赦なく当代殿を引き摺る在原様。

 その後を当然のように大神が続こうとした。

「……大神様」

「ん、何かな?」

「しばらくこちらでお待ちくださいませんか? 疾風に相手をさせましょう」

「僕に構わなくても大丈夫だよ。ご案内した責任も」

「ないから大丈夫よ?」

 にっこりと千瑛が笑う。

「むしろ、騒動を持ってきた責任を取って、この場から消えてもらえると嬉しいわね」

「菅原さんは毒舌だね」

「あら、褒め言葉? ありがとう」

 嫌味のつもりだろうが、千瑛にとっては何てことはない言葉だ。

 あっさりと返せば、大神はわずかに笑みを引き攣らせた。

「瑞姫の展示会を台無しにしようとしたとも取れる行動だね、大神紅蓮」

 千景が淡々とした声音で突きつける。

「そんなことは」

「ないとは言えないからね。簡単に予想がつくことだ。想像できなかったなんて逃げ口上、使えると思うな」

 感情を読み取らせない声音であるがゆえに反論も許さない。

 大神の表情が探るようなものにかわる。

「……疾風」

 私の呼びかけに、会場の死角に立っていた疾風が姿を現す。

「後を頼む」

「承知した」

 逃がすなよと言外に告げ、控室へと向かう。

「……僕は駄目でも菅原さん達はいいのかい?」

 私の後を追いかけてきた双子たちを牽制するかのように大神が声を飛ばす。

「菅原も橘分家の被害にあっているから当事者だね」

 私が知っている情報を放ってやれば、大神は黙り込む。

 情報収集が甘いと言われたことに気が付いたのだろう。

 プライドが高い大神にとって、これほど屈辱なことはあるまい。

 自分の掌で他人を思い通りに動かすことを得意としているのならばなおさら。

 とりあえずここは大丈夫だと判断し、私は双子を連れて控室へと入った。




「お待たせいたしました」

 控室のドアをきっちりと締め、ご当主2人と双子に座るように促す。

「橘は使えないので、僕が聞くね。まずは謝罪を。本当に橘が使えないせいで相良家にもおそらく菅原家にもだね、迷惑をかけたようだ、申し訳ない」

 子供相手だと見縊らずに潔く頭を下げての謝罪をなさる在原様。

「まずは分家が何をしたのか聞かせてもらえないかな? 事の次第によっては僕が指揮を執るよ」

 在原様の言葉に千瑛がちらりとこちらを見る。

 うん、何が言いたいのかわかったよ。

 そちらの方が話が早くて済むと言いたいんだね。全くもって同感だ。

「わかりました。複数の分家から同じ内容の打診がありました。これは菅原家でもほぼ同じ内容だと思われます。私の姉、2人のうちどちらかを橘家ご当主の後添えにとのことです」

「ええ、そうですね。うちでは叔母と姉にその話がありました」

 私の言葉の後に、千景が淡々と告げる。

「うあ……莫迦だー……ありえない莫迦! あ。失礼」

 思いっきり頭を抱えた在原様に、生温かい視線を注いでしまった。

「後添え……」

 橘のご当主は、思いっきり顔を顰めている。

 嫌だと言いたいのはわかるが、まずは分家を抑えられないご自分が悪いのだという自覚を持ってもらわねば。

「おまえは黙ってろ。分家を抑えられないおまえが悪い。そのせいで他家や息子に迷惑かけてるんだからな」

 すっぱりと当代殿の言葉を封じた在原様が、ひとつ溜息を零してこちらを見る。

「それから、他には?」

「私宛に、葛城と繋ぎをつけろと言う要求がありました。それから、私と誉が結婚し、その子供を橘に寄越せと言うのも。他には」

「ちょっと待って! そんなにやらかしてるのか!?」

 ぎょっとしたのを隠せずに、在原様が声を上げる。

「ええ。ですが、まだ運がいい。私を当代殿の後添えにというお話があれば、今頃分家の方々はひとり残らず……」

 にっこりと笑って言葉を濁せば、そこに隠されている言葉を悟った在原様が項垂れる。

「いや、いっそのこと自爆してほしかったよ。そうしたら問題も一気になくなるし」

「御冗談を。我が家だけ被害を被ることになるんですよ?」

「ああ、うん。そうなんだけど……おじさん、滅びろ! なんて、思っちゃったよ」

 がっくりと肩を落としたまま仰る在原様のお言葉に、同意していいものかどうかしばし迷う。

「しかも相良家に対して政略婚を仕掛けた上に子供を寄越せなんて……分家の分際で思い上がるのも、ね」

 唸るような声音で呟く彼の表情はかなり険しい。

「他にも余罪はかなりありそうだよ、橘。おまえ、責任取れる?」

「それはっ! 取れる取れないの問題ではなく、取らなければならないことだ」

「どうやって?」

 在原様の表情は厳しいままだ。

「当主の座を降りるなんてのは問題外だ。次の当主は誉だよ? 嫌がっているのに押し付ける父親っていうのも情けないよね。もとはと言えば、おまえが馬鹿だったせいなのに」

「しかし」

「言っておくが、当主の座を降りるのは、単に逃げ、だ。責任を取るんじゃくて、ただの責任逃れ! おまえは、何があっても当主の座を降りれないの!!」

「では、どうすれば」

「ホント、莫迦? 人に言われてやるわけ? 当主だろ? 自分で考えて、自分で決めるのが当主だろ? 敷かれたレールの上を走ってたんじゃなくて、敷かれたレールの上すら走れてないんだよ、おまえは!」

 がつがつと正論を突き付けていかれる在原様だが、いいのだろうか?

 他家の子供の前で余所の当主を頭ごなしに叱りつけるなんて。

「今は、私の方の被害についてお伝えいたしましたが、誉の方に言われた言葉もお伝えしましょうか?」

 その一言で、当代殿の顔色が変わった。

「誉にも……」

「あわよくば事故を装って、というのもありましたが。相良の守りを舐めていらっしゃるのか」

「それで、誉は!?」

「何かあれば、今日の法要はなされていませんでしたよ」

「そう、か……」

「念の為、相良と岡部の方から人を回して警護させています。誉は無事に戻るでしょう」

「……ありがとう。感謝します」

 深々と頭を下げる当代殿。

 一応、親としての気持ちはあるようだ。

「僕からもお礼を。想像以上に認識が甘かった。相良家の守りがなければどうなっていたことか……」

 在原様も頭を下げ、言葉を添える。

「正式な謝罪と御礼は後日、そちらに伺ってからにしよう。その前に、分家の馬鹿どもの始末をしないとな」

 どうやら在原様が指揮を執ることになるらしい。

「では、そのことについて祖父に伝えておきましょう」

「お願いする。菅原家にも同じく、後日、正式に謝罪を」

「わかりました。当主に伝えておきます」

 千瑛と千景が声を揃えて答える。

 それに目許を和ませた在原様が立ち上がる。

「ほら、橘、行くぞ」

 困惑したままの当代殿を促した在原様がふと私に視線を向ける。

「瑞姫嬢」

「はい」

「うちの静稀と誉のいい友達でいてやってくれないか? 家にこだわりなく、ただの友人として」

「承知しました。彼らが望むのなら、いつまでも」

「ありがとう」

 そう仰って、彼らは会場から去って行った。


 さて。

 大神紅蓮をどうしようか?

 千瑛に譲るべきだろうな。

 そう考えながら、控室から私たちも出て行った。

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