128 (橘誉視点)
橘誉視点
母屋と離れを結ぶ廊下は、屋根つきの回廊とも平安時代を思わせるような渡殿とも見えた。
悪天候でも何の影響もなく母屋と離れを行き来できるように造られており、廊下をぐるり歩けば一周できるようになっている。
もちろん、途中で対面にある離れに移動することも可能だ。
離れ同士の間にある庭にまるで橋のように廊下を渡してあるからだ。
そうして、そこから庭がよく見えるように、庭と調和するようにしている。
広大な敷地の殆どが庭であり、代々の当主が丹精込めて設えていると聞いている。
母屋も離れもその自慢の庭が一番映えるように計算されて配置されているのだとか。
相良の庭園といえば、ある意味、垂涎の的だ。
彼らは滅多なことでは本邸に人を招くような催しは行わない。
プライベート空間に人を立ち入らせるような真似はしない。
個人的に友人関係を築き上げた者ならある程度自由になるが、仕事関係や知人程度では招かれないのだ。
例外は年始の挨拶ぐらいなものだろう。
それでも、母屋の入り口付近までなのだから、奥庭なんて見ることは叶わない。
それほどまでに警戒心が強い一族なのに、何故俺なんかを『長期滞在』させる気になったかなぁ?
思わず遠い目になりそうになる。
「誉、この離れを暫くの間、使ってくれ」
うきうきとした様子で目的の場所に案内してくれた瑞姫が振り返って言う。
「俺1人には勿体ない広さだと思うんだけど……」
その離れを見た瞬間、脳裏に浮かんだのは平安時代の対の屋だった。
離れっていうのは、母屋から離れた小さな部屋的存在だと思っていたけれど、これ、完全に屋敷だよな?
まあ、瑞姫が過ごす和洋折衷風の離れも館形式だけど。
「ああ。うちの人間、規格外に大きいから、家も若干大きめに造られてるんだ。それに主家筋の者が家族単位で住むように造ったものもあるから」
離れという名の屋敷が出来たんだというわけか。
確かに。
相良家の人々は背が高いからな。
蘇芳さんなんて、本当に見事な体格で、まさしく武人といいたくなるような姿をしているから、これで一般的なの尺貫法で建てられた家では鴨居に頭をぶつけるというありがちなことが簡単に想像できる。
実際にあれだけの使い手が鴨居に頭をぶつけるか、なんてことは考えないでおこう。ありえないから。
それはいいとして、何故、俺にそんな大きな家を用意するかな?
「ここ、庭がいいんだ。誉が好きだと思って」
嬉しそうにはにかみ笑いをうっすらと浮かべて告げる瑞姫。
端正な顔立ちなのに、誰が見ても凛々しいとか格好いいという形容詞が付きそうな顔立ちなのに、とても可愛らしい。
以前だったらそんなことは思わなかったかもしれない。
追いつきたくても追いつけない、瑞姫はそんな存在だった。
最近は仕種の1つ1つが可愛らしく見える。
俺も少しは成長したのだろうか。
離れの説明を聞きながら、ふと岡部の様子に気付く。
何だかとても微笑ましいものを眺めているような視線を瑞姫に向けている。
多分、俺も似たような表情になっているんだろうな。
岡部には負けるとは思うけれど。
耳に心地よい瑞姫の声を聞き、ここで御世話になるだろう数日間を想う。
このままではいけないと思っているのは確かだ。
橘を何とかしなければ。橘の家は分家によって潰されてしまうだろう。
本家、いや、当主である父が頼りないと思われてしまっているのだ。
正確に言えば、妻の実家からの後押しを得ることができない当主は、当主たりえないと思っているのだ、分家は。
自力で何とかしようと最初から考えていないところが情けない。
分家が本家を支えようとも思っていない。
これが橘の実態だ。
祖母が葛城の大巫女とわかり、俺に葛城がついていると知った分家の一部は、あれだけ排除しようとしていた俺を次の当主に担ぎ上げようとし、廃嫡本流の分家と真っ向からぶつかっている。
廃嫡派の方でも揉めている。
俺を葛城へ帰して恩を売ろうとする一派と、廃嫡し実権を握ればそれで構わない一派だ。
今回、相良家へ迷惑をかけたのは廃嫡して実権を握りたい派の方だ。
派閥としては大勢派だが、目先に囚われすぎて結局はすべて悪手を打つ羽目に陥っているようだ。
葛城に恩を売りたがっている方も、悪手だとわかっていない。
養母の死後、祖母と会い、話を聞いた。
男児が極端に生まれない葛城では、直系に近い血筋で男児が生まれれば、その瞬間、その男児が当主となる。
当主補佐、あるいは当主代理としてそれまで当主の座に就いていた者が男児が成人するまで仮の当主を務めるのだ。
つまり。
俺はすでに葛城の当主だったということだ。
成人していないから、連れ戻す必要はないので接触もない。
むしろ、葛城に連れ戻す方が危険なのだそうだ。
意外なことに、祖母は成人しても俺を葛城に戻すつもりはないらしい。
それは、俺が葛城の当主であることを隠し通すということだ。
葛城家には興味がない俺としては、非常に助かることだが、葛城の人間も橘の分家も思惑と異なり、さぞかし困惑することだろう。
着せる恩が最初から存在しなかったのだから。
まあ、その辺りはいいとして。
問題は相良家へ迷惑をかけないということだ。
すでに分家の者が迷惑をかけてしまっているけれど、これ以上は駄目だ。
そして、この程度のことで分家を御せない当主も必要ないだろう。
後妻に入ってくださる方がしっかりした性格ならば、当主を支えてくれるだろうからそのまま様子を見れるが、そうでなければ父には隠居してもらい、祖父の弟の血筋から誰かを当主に据える必要がでてくる。
面倒なことだと思うが、途絶えるわけにはいかないのだから仕方ない。
俺が家を出たいと思うのは、俺の我儘なのだから。
瑞姫の説明を聞いて思ったことは、本当にここは『離れ』と言っていいのだろうかということだった。
多分、一般住宅よりも広いだろう、平屋だけど。
それを俺1人に使わせるなんて。
まあ、風呂は母屋をお使いくださいと言われるよりは楽でいいけれど。
「あ。食事は、どうしよう? 私の棟で食べる? それともこちらがいいかな?」
大事なことを思いついたとばかりに、瑞姫が訊ねてくる。
「どちらでも構わないけれど……」
そこまで言って、ふと気が付いた。
多分、瑞姫は一緒に食事を摂ろうと思っているはずだ。
彼女の脚は正座ができるほど回復したとはいえ、まだ長時間座るのは負担がかかりすぎるだろう。
この離れは純和風で畳の間しかない。
「瑞姫の所にしよう」
「そう?」
不思議そうな表情を浮かべながら素直に頷く瑞姫に、岡部も頷いている。
「瑞姫の棟の方が厨房からも近いしな」
「ああ、そうだね。運ぶことを考えてなかった」
瞬きを繰り返した瑞姫は、岡部の誘導に気付かずに納得したように頷いている。
「じゃあ、それでいい?」
「うん。お願いするよ」
「わかった」
俺が了承すると、瑞姫は岡部に視線を向ける。
「瑞姫、そろそろ着替えてこい」
瑞姫が何かを言う前に、岡部が瑞姫に着替えるように告げる。
「あ」
「出先で会ったから、まあ、仕方ないが。その姿のままというのもあまりよくないだろ?」
岡部が言うのも尤もだ。
俺が見舞い先の病院まで押し掛けたから、外出着のままでの対応になってしまっていたが、着替える時間くらい待つべきだった。
「ごめん。忘れてた……」
岡部の言葉を俺に対する非礼だと捉えたらしい瑞姫が慌てた様子を見せる。
「瑞姫、ごめん。ゆっくり着替えておいで」
「でも」
「岡部もいるし。慌てなくていいから、のんびりと休んでから着替えてくるといい。瑞姫も疲れただろうしね」
説き伏せるように言えば、渋々ながら瑞姫が頷いた。
「わかった。着替えてくる。疾風、その間、頼む」
「承知。そのまま昼寝しててもいいから、ゆっくり支度してろ。頃合見て、俺達もそっちに行くから」
「うん」
素直に同意した瑞姫が離れから自分の棟へ向かう。
男2人、微妙な沈黙を保ちながらそれを見送り、そうして充分に彼女が離れてから岡部が言葉を紡いだ。
「何で瑞姫を好きだと言わなかった?」
切り込むような口調は、疑問を呈してはいなかった。
「まだ早いと思ったから」
嘘を言うわけにはいかないだろうと、俺は本当のことを声に乗せる。
「早い?」
「そうだろ? 瑞姫は俺のことを異性だとは思っていない。友だとしか」
「それは、確かにそうだが」
「それもあるし、それ以前に俺はまだ何の力も持ってないしね」
「宝飾デザイナーが何を言う?」
「賞を1つ獲っただけの一般人とさして変わらない駆け出しだけどね」
その言葉に、岡部は口を噤む。
「大きなコンペで入賞常連になれるほどの実力があるわけじゃない。家という後ろ盾があるわけでもない。実績が全く何もない未成年でしかない俺に、相良が瑞姫を俺に渡せるとでも?」
「将来性は否定できないだろ?」
「未知数っていうだけで、確約はない。デザイナーなんて、それこそ掃いて捨てるほどいる。成功したものなんてほんの一握りだ」
「だけど」
「だから、まだ早いんだよ」
俺の言葉に、岡部が目を瞠った。
俺の言っている意味を理解したらしい。
「実績積むのが先か……」
「そういうこと」
現時点で俺がいくら瑞姫の事を好きだと言っても、それだけで終わりだ。
瑞姫を預けても大丈夫だと思われる要素は何一つない。
橘の後ろ盾が一切ない俺に、誰が大事な妹を預けようなんて思うだろうか。
生きるということは、生活するということで、生活するための安定した基盤というものが必要になってくる。
その必要性は、今の俺でも十分すぎるほどわかっている。
今まで何度も独り立ちしたいと願っていても、実際にそれが許されない状況にいた俺は、何が必要なのかということを理解しているつもりだ。
最低限認めてもらうには、充分な経済活動が必須項目だと思う。
瑞姫は相良の家を出ないから、経済面を相良に援助してもらえるなんて甘い考え方をする気はない。
実際に、そういう考え方で打診してくる者も割と多いだろう。
少なくともそんな考え方は、俺にとっては恥だと思う。
己の手で愛する者を養いたいと思うのが俺の考えだ。
今の俺にはそんな基盤はない。
だから、今の俺には瑞姫を好きだという資格はないと考えている。
友で充分だという気持ちも嘘ではない。
今までの俺は、瑞姫と友になることを目標に努力してきた。
その甲斐あって友人と呼べる立場を手に入れた。
純粋にそのことが嬉しいと思えるし、友という立場と、男として瑞姫が好きだという気持ちは、俺の中では別のものだ。
まあ、それ以前に、瑞姫に異性として好きになってもらえるかという大問題が横たわっているのだけど。
「いくつかコンペに作品を応募しているから、結果が出たら岡部にも知らせるよ」
「……知ってたけど、おまえ、用意周到派だよな。着々と外堀埋めてくタイプだろ?」
「簡単に外堀埋められてくれるタイプだったら、こんな手間かけないんだけどね」
「確かに」
問題になっているお嬢さんの見かけによらず豪快な性格を思い浮かべ、岡部と2人で溜息を吐く。
「彼女は誰に恋をするんだろう?」
恋とは無縁の彼女が選ぶ相手は誰なのか。
気にならないと言えば嘘になる。
それが俺であってほしいと願いながら、しばし庭を眺め、そうして岡部と連れ立って彼女が暮らす棟へと向かった。




