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 がっくりと項垂れる諏訪家の皆様に別れを告げて、病室の外へと出た瞬間、疾風の満足そうな笑い声が低く響いた。

「すごいな、瑞姫。あんなネタ、よく仕込んでたな」

「どれのこと? まあ、大刀自様はご隠居様とはご夫婦だから、色々と事欠かなかったようだね」

 疾風が言うネタについては少々口外しづらいものもあるのでほんの一部しか伝えてないけれど。

 中には再起不能になりそうなとんでもないものもある。

 大刀自様、他家の子供に何てことを教えるのですかと、今の私なら絶対にご本人に訴えることだろう。

 あの当時は、そこまでの判断が追い付かなかったので聞かされたことをただ覚えていただけだが。

「ま、これで相良の方も本格的に行動を開始できるだろうし、それを見届けたら岡部も動くからな」

「そのことだけれど、諏訪家に対して追撃するのは構わないが、彼らの会社に対しては極力は思い切ったことは避けてほしい。諏訪家が潰れて困るのは、諏訪家ではなく、諏訪という企業に勤める人たちとその家族なのだから」

「瑞姫は優しすぎる」

「優しくない。計算しての結果を言っているだけだから。諏訪の会社をこれ以上弱体化させれば社会が混乱する。そうしたらその原因となった相良が次に狙われる。私は相良を守る立場にいるのだから、そういった芽を摘むに決まっているだろう? 相良を危険に晒してまでも潰す価値があるかと考えれば結果は出る」

 どちらかというと、私は冷たい人間だろう。

 相良とその分家、そして岡部を守ろうという気は常に持っているが、それ以外に対しては友人だけしか大切だとは思えない。

 いつでも切り離せる存在でしかない。

 博愛主義ではないのだから、とうに割り切っているが。

「それでも、瑞姫は優しい。諏訪を切ったのも、あいつが這い上がるチャンスを与えるためだろう?」

「チャンスと捉えるかどうかは諏訪であって、私ではない。常に選択肢は本人にしかないんだ。何を選び取るか、考えるのはその人間だ。流されるというのも、それを選んだのは本人だろう? 嫌だったら抗えばいい。選んだことを他人にとやかく言われる筋合いはない。私は、諏訪がこの後何をどう選ぼうが、彼を選ぶという選択肢を捨てた」

「……そうだな。瑞姫は諏訪を選ばなかった。そのことの意味を諏訪が気付けばいいんだが」

 いつもの飄々とした表情に戻った疾風は、天井を見上げて、そうして私を見下ろした。

「それでも俺は、決して諏訪伊織と諏訪詩織の2人を赦すことはないからな」

「大概しつこいな」

「当たり前だ。瑞姫がすぐに赦すからだ」

「怒りを持続させるのは難しいんだ。厭きても仕方がないだろう?」

「そもそも、瑞姫は滅多なことじゃ怒らないしな」

「面倒なんだよ、怒るのは」

「その顔でものぐさとは……」

「顔は関係ないだろう!?」

「いや、重要だと思うぞ」

 それこそ馬鹿馬鹿しい言い争いをしながらエレベータに乗り、1階へと降り、受付がある吹き抜けのエントランスへと戻ってくる。

 その待合のソファで見知った顔を見つけて思わず足を止めた。


「瑞姫」

 穏やかな笑顔を作って立ち上がったのは、橘だった。

「……誉?」

 橘は常に笑顔だが、この表情はどこか不自然だった。

 無理をしている。

 ふとそう思うほど、ぎこちない。

 だが周囲は十分騙せているようだ。

 近くにいた女性たちが橘を見て頬を染めている。

「……ああいうのを色気駄々漏れって言うんだってなー」

 溜息を吐きながら疾風が呟く。

「色気?」

「らしいぞ?」

「あんな不自然な笑顔が?」

「だよな。何か、疲れ切ってないか、あいつ」

 疾風も似たようなことを考えていたらしい。

 意見の一致に満足して、こちらにやってくる橘を待ち受ける。

「こんなところにまで押し掛けてすまない」

 数歩手前で立ち止まった橘は、少しばかり申し訳なさそうな表情でそう告げる。

「家に連絡を入れたら、こちらだと教えてもらったから」

「……急用だったのか?」

「あ、いや。瑞姫にピンブローチをと思って……ちょうど今頃、瑞姫はストール使うから」

「誉がデザインしたものか?」

「うん」

「ありがとう」

 素直に礼を言った私は橘が差し出そうとした手を押さえる。

「ここではなんだから、うちへ行こう。お礼に珈琲でも飲んでいってくれ」

 勘というほどのことでもないが、ここで橘と別れたら後悔するような気がした。

 わざわざこんなところまで追ってくるほど、切羽詰まった何かがあったのかもしれない。

 会う口実を作る程、家にいたくなかった何か、だ。

 時間稼ぎができるのなら、うちに引き留めてその間に何かしら対応させるという手段も取れる。

 一瞬、ほんの一瞬だけ驚いたような表情を浮かべた橘は、とても嬉しそうに微笑んだ。

「うん。お邪魔させていただくよ」

 ほんのりと頬を染めた柔らかな笑顔は、先程漂わせていた倦怠感を払拭し、喜色を漂わせている。

 こっちの笑顔の方がいい。

 橘は笑顔が標準装備だが、やはり本心からの笑顔の方がよく似合うし、綺麗だと思う。

「……これ見てまったく動じないっていうのもな……」

 斜め上から疾風の呆れたような声が降ってきた。

「ん?」

「何でもない」

「そうか? じゃあ、行こうか」

 疾風と橘を促し、病院を後にした。




     ++++++++++     +++++++++++




 相良の家に戻ると、帰宅を知った姉たちが玄関へと迎えに出て来てくれた。

「瑞姫! 首尾はどうだった?」

 おそらく人の悪い笑みと称するに相応しい微妙に人相の悪い笑みを湛えた姉たちの足がぴたりと止まる。

 視線は私ではなく、橘に向かっている。

 橘は私から少し離れ、茉莉姉上と菊花姉上に向かって頭を下げた。

「橘の者が大変不躾なことを。当主に代わりお詫び申し上げます」

「誉?」

 何があったんだ?

 頭を下げたままの橘と姉たちを見比べる。

 茉莉姉上と菊花姉上はその場に座る。

「橘殿? 顔をお上げくださいな」

 そう声を掛けたのは菊花姉上だった。

「ですが……」

「謝罪は受け入れましょう。ですが、君が謝る必要はないのよ?」

 言い淀む橘に苦笑を浮かべて告げたのは茉莉姉上。

「一族の暴挙は本家の咎です。抑えきれなかったのは」

「君は被害者でしょう」

 苦い声音の橘を遮って茉莉姉上が諭す。

「姉上? 何が」

「ごめん、瑞姫。俺のせいなんだ。相良の御大の庇護を俺が受けたから、勘違いした分家が壱の姫と弐の姫を父の後添えにと言い出して」

 橘の言葉に、声にこそ出さなかったが疾風がうわあと顔を顰めて天を仰いだ。

 うん、最悪の手だな。

 橘夫人が亡くなられて、まだ四十九日も済んでないのに、故人を軽んじる考えもだが、次妻に相良を選ぼうとするのも考えなしだ。

 それを知った橘が速攻で謝罪に来るのも頷ける。

 納得するが、別の意味で納得できない。

 謝罪に来るのは当主だろう!

 少なくともその息子じゃない。

 彼らの言い分は、ひとり息子の誉を廃嫡して次妻との子を次期当主に据えようというものなのだから。

「……茉莉姉上の言う通りだ、誉。君が謝る必要はない。私は、私の友を軽んじるような者を赦さない」

「それでも分家を従えるのは本家の務めだ」

「本家じゃなくて、家長の務めだ」

 橘がわざわざ病院にまで足を運んだ本当の理由がわかった。

 謝罪の為もあるだろうが、それ以前の問題だ。

 家にいたくなかったんだ。

 当主夫人である由美子夫人の死を悼む者は2人しかおらず、当主が次期当主だと選んだ誉を軽んじ、廃嫡するために喪も明けぬどころか彼岸にも辿り着いていないというのに新しく妻を娶れと詰めかけているのだ。

 家を継がず、出るつもりの橘とて、居心地が悪かろう。

 今すぐにでも家を出たいのに、父親は手放すことを躊躇い続けている。

「しかし」

「誉はまだ未成年だ、親が守るべき義務がある。それを放棄してこの体たらく。赦すわけにはいかないな」

「瑞姫の言う通りよ。可愛い妹の友人を軽んじるような輩の要求を呑むことはないし、赦すつもりもないけれど、一番赦し難いのは己の役目を全うできない腑抜けよね」

 我が家の女王様がゆったりと笑う。

「ふふっ おイタをした子も、すべきことをしない子も、どちらもお仕置きが必要よね」

 女帝様が獰猛な笑みを浮かべる。

「次期殿、離れを用意しますわ。幾日でものんびりと我が家で羽を伸ばされるといい」

 それはお誘いと称した決定事項だった。

「瑞姫!? 岡部!」

 助けを求めるように橘がこちらを交互に見る。

「うん。うちの離れはどこも庭が自慢のいい作りをしているんだ。好きなだけ滞在してくれていい。居心地良く整えよう」

 ああなると絶対にこちらの意見など聞いてはくれない姉たちだ。

 ならば、彼が居心地良く暮らせるように設えるのが私の役目だろう。

「岡部!!」

「……諦めろ」

 ぽんっと橘の肩に手を置いた疾風が首を横に振る。

「相良の女性たちに逆らえる男はこの世にはいない」

 さすがにそれは失礼だと思うぞ、疾風。

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