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 テーブルの上に置かれる書類。

 それはここ数年内に起業した複数の会社について調べられたものだ。

 業績は非常に安定している。

 ある程度まで右肩上がりをしたのち、そのまま横ばいを続けている。

 あり得ないほどの安定感。

 それは、その会社があらゆるリスクを排除し、また必要以外の規模拡大をしていないということだ。

 それもそのはず、この会社たちはある目的の為に起業したからだ。


 そうして、私はまた別の書類をそれらに重ねるようにして上に置いていく。

 今度の書類はNPO法人に関するものだ。

 これも数年前に立ちあがった比較的若いものだ。


「ご隠居様。ある方の助けで、おそらくここ数年間のご隠居様の行動の7割を把握していると思います」

 にこやかな笑みを作り、私はご隠居様に話しかける。

「へえ。そいつは親切なやつがいたもんだな。一体誰だ?」

 ご隠居様は上機嫌で問いかける。

 私が正直に話すわけがないと思っているのだろう。

 もちろん、正直に話すとも。

「ええ。ご隠居様が一番よくご存知の方ですよ」

 その方がご隠居様が受ける衝撃が大きいでしょうから。

「ほう?」

「……大刀自様です」

 にっこりと笑って告げれば、ご隠居様から表情が抜け落ちた。

 それもそのはず。

 大刀自様はすでに鬼籍に入られている。

 直接言葉を交わすことなどできないからだ。


 諏訪のご隠居様の最愛の伴侶であった大刀自様は、所謂姐さん女房と呼ばれるご隠居様より年上の女性であった。

 その年の差は、あえて言うまい。

 だが聞いた方は間違いなく驚くだけの差はあった。

 御幼少の頃に惚れ込んだご隠居様が、大刀自様の所に持ち込まれる婚約話を潰しまくり、全力を挙げて外堀を埋め尽くして口説き落としたという。


 うん、流石、ご隠居様。

 やることが大人げない。

 いや当時は子供だったからそれでいいのか。


 その話をご本人から聞かされた時、私は正直にそう思った。

『仕方なかったのよ、絆されちゃったんだもの』

 そう言って笑った大刀自様の笑顔がとても綺麗だったので、私はあえて何も言わなかったのだが。

 ご隠居様が大刀自様を口説き始めたのはなんと5歳の時だったそうだ。

 5歳児が高校生を口説く。

 ご隠居様、それ、絶対に犯罪ですからね。

 それとも執念深いと思うべきか。

 まあ、諏訪の男だから仕方がない。


 それはともかく。

 子供が大好きだった大刀自様は、子供が多い相良家に遊びに来ることが大層お好きだった。

 ご自分の孫とは疎遠であったこともあり、特に私を可愛がってくださったのだ。

 そういうこともあり、私は大刀自様に色々と教えていただいたことがあった。




 あの日、保健室で茉莉姉上にPCを借り、調べていた時にふいにその時のことが脳裏によみがえった。

 いくつになってもやんちゃすぎるご隠居様を危惧してのことだったのかもしれない。

 大刀自様は、ある人物の名前と、そしていくつかの言葉を私に告げた。

『おイタをしたら、遠慮なく鎖を引っ張って締め上げてね。躊躇っちゃ駄目よ? 相手は狡賢い猛獣なんですもの』

 あの言葉、聞いたときには何のことかわからずに不思議でしようがなかったけれど、今ならわかります。

 猛獣はご隠居様のことで、大刀自様は猛獣遣いだったのだと。

 とても鞭など扱えそうにない嫋やかな方でしたが、誰よりも芯の強い方だという印象は幼心にも持っていた。

 鞭ではなく、鎖でしたか。

 思い出した私は、遠い目になりながらキーワードを打ち込み、そうしてこの情報を手に入れたのだ。




「数年前、小規模の会社が数社、起業しました。どの会社も優良企業で業績をある一定上伸ばした後、そのまま安定するように横這い状態になりました。業績が横這いと聞くとあまりいい印象を受けないこともありますが、逆にどんな経済の流れの中でも安定した数字を叩き出せるというのは、非常に素晴らしい稀有なことだと思われます」

 学生の身であまり経済には詳しくないが、発展と衰退、このふたつは表裏一体でほんの少しのきっかけで入れ替わってしまう。

 リスクは常につきまとうのだから。

 それなのに、業績が上がりもしなければ下がりもしないというのは、状況判断に優れ、見事に操作しているということに他ならない。

 これだけのことを数社同時に行えるのは、わずか数名だろう。

 そのひとりが、今、目の前にいる。

 楽しげな表情を浮かべて、私の説明に耳を傾けている。

「これらの会社が波に乗り、完全に安定した後、NPO法人が立ち上がりました。彼らはそのNPO法人に出資しています。いえ、NPO法人の資金源として、彼らは起業したのでしょう。そうして、さらにNPO法人が立ち上がったころにまた数社、起業しました」

 非営利団体というのは、非常に厄介だ。

 なにが厄介かと言うと理想の目的の為に立ち上げたはずが、現世的な問題で立ち行かずに走り出した直後に潰れてしまうことが多いという。

 つまり、平たく言えば資金源と人材が運営の最大の壁になるのだ。

 いくら志が高くとも、活動するための費用を捻出できなければ人も集まらない。

 活動する環境が整わなければ、人材は集まらないし、元からいた人達も逃げ出してしまうという結末が待っている。

 もちろん、極端な話だけれど。

 活動を開始した後、ある程度軌道に乗った辺りで今度は次の壁が待っている。

 全然別方向に規模拡大を望まれてしまうということだ。

 ある人は、彼らの活動に救われて、別のある人は彼らの活動内容に微妙にはずれていて手を差し伸べられなかったとなると、同じく困っている人なのに助けないとはずるいではないかと言い出す人が現れてくるのだ。

 本来の活動内容とは別の内容に人手を取られ、資金を取られ、そうして忸怩たる思いを抱えて拠点を潰してしまうという話も多く聞く。

 それらを解消する方法が、単純に同時に複数のNPO法人を立ち上げるということだったらしい。

 微妙に活動内容の異なるそれらが困ったちゃん対策に役に立つのだ。

 助けてやれと言われたら、連携を取っている別の、そうしてそれ専門の活動をしているところを紹介すればいいからだ。

 勿論これらにも問題点はある。

 だが、どういうリクエストが出てくるか予測できるものには十分クリアできることだろう。

 彼らの活動が軌道に乗り、依頼する人々が増え、資金が不足し始めるころに次に起業していた会社が安定した業績を上げるころとなり、次の資金を提供できるようになる。

 そうして、最初の企業が業績アップする余裕を作り、それが安定したら提供する資金を増額するという仕組みだ。

「未成年、子供を守るためのNPO法人はいくつもあり、そしてその内容も漠然としたものが多いですが、ここは非常に明瞭ですね。交通事故、刑事事件の被害者、リハビリのフォローアップ。その他にも未成年者の事件事故に関する活動内容に限ってというのは、わかりやすすぎますね」

 曖昧な活動内容ではなく、自分たちがすべきことを明確にすることで方向違いの要望は受け入れられないことを示す。

 受け入れられないことに対し、『あの子たちが可哀想だと思わないのか』と言われても、『彼らを救済するための活動を行っているところをご案内いたします』と言うことでそれ以上の無茶は封じることができるだろう。

 専門外の所に無理やりさせるより、専門としているところに任せた方がよりきめ細やかな対応をしてもらえるからだ。

 その辺りのことをしっかりと考え、反映させているところがいかにもご隠居様らしい。

 そう。これが、ご隠居様の考える『謝罪』なのだ。

 私は相良の人間だったから、運よく助かった。

 幼い頃より身を鍛え、そうして高額手術を払える財力を持つ家だったからこそ、最高の治療を受け、それに耐える体力があった。

 そういう私だったからこそ、諏訪の謝罪というのはある意味無用のものだったのだ。

 何をすれば私に対する謝罪になるのかと途方に暮れる当代様方と異なり、ご隠居様は目に見える恒久的な謝罪を示されたのだ。

 四族である私とは異なり、一般家庭の子供たちが同じような目に合えば確実に落命していたことだろう。

 ならばそんな目にあった子供たちを救うことが謝罪となると考え、また相良も納得すると思われたのだろう。

 実際にこれを目にした私は、謝罪の言葉や補償金よりもこちらの方がよいと思ったからだ。

 この起業に関連する会社関係者やNPO法人の立ち上げ関係者の中に、ご隠居様の名前はない。諏訪家に関係する名前は一切浮かび上がってこない。

 だが、この中に記載されている人物の中で1人だけ知っている名前があった。

 しかもその人物は企業の方にもボランティアの方にもほとんどの所で名前が挙げられている。

 その人物こそ、大刀自様から教えていただいていた人であった。

「ご隠居様、この役員やら代表やらに名前を連ねておいでのこちらの方、大刀自様の腹違いの妹様の息子さん。つまり、甥子様ですね?」

「……あいた。あいつ、そこまで喋っちまってたのか」

 がっくりと肩を落としたご隠居様は、とても悔しそうな表情になる。

「ええ。ご隠居様が特にお気に入りだとかで、悪巧みをするときに必ず巻き込むだろうから覚えておいでと言われました」

「……悪巧み!! いや、違うから」

「違わないでしょう。ご隠居様は猛獣と同じなので、おイタをしたら鎖を引っ張れと仰っておいでです」

「その認識もどうかと……」

「違わないと、これを見て思いましたが?」

 あっさりと頷けば、ご隠居様は深々と溜息を吐かれる。

「俺、そんなに信用ない? 失っちゃった?」

「流石は大刀自様と感心しました」

「…………ああ、そ」

 私の言葉に、天を仰ぐ。

 最初から信用していないということがご理解いただけたようで何より。

 大刀自様は心から尊敬しているけれど。

「それから、この企業の株主に私の名前が入っているのは何故でしょう?」

 株の保持率から言うとごくわずかだ。

 だが、利益としては馬鹿にはならない金額が配当されているはずだ。

「それは、だな」

「ああ、それと、もう1つ。期末試験前、東雲の株が売りに出されていました。島津が持っていたモノです。あの家が学園の株を手放すはずはありません、が、しかし、唆した人物がいれば、また別の話でしょう。あの株は菅原が買い取ったようですが」

「え?」

「ご隠居様?」

 にこやかに微笑んでご隠居様に視線を向ける。

 少々威圧するような強めの視線を送ったため、ご隠居様の表情も微妙に変わる。

「……菅原が、株を?」

「ええ、そうです。偶然、学園の株が売りに出されていることを知った千景が、慌てて買い取ったようです」

「……は!?」

 そこに浮かんだのは純粋に驚愕だった。

 そうしてご隠居様は私の後ろに立つ疾風に視線をちらりと向ける。

「うちの人間は、ええ、相良も岡部も、基本的には株に興味ないんです。特に教育関係は」

 おそらくご隠居様は、疾風の特技をご存知なのだろう。

 だからこそ島津の誰かを唆して東雲学園の株を手放させた。

 疾風か、そうではなければ相良の誰かが買い取ると思って。

「我が身は己で育てよ、というのが基本方針ですよ、うちは。子供が所属する教育関係の株を手にして口出しするような家ではありません。それは、『いらないもの』なんです。買い取るわけがないんですよ」

「単に知らなかったとか……」

「東雲の株でしたら、不自然な動きをしていたので、知っています。瑞姫は株自体に興味がないので知りませんでしたが」

 ご隠居様の言葉に疾風が口を挟む。

「まず、この手のものが売りに出されたら、何かの罠だと考えて手控えます。値が落ちるかどうかを様子見て、安全だと思った者が買いに動きます。それでも株に動きはありませんでした。ですから菅家が慌てて動き出しました。それを見届けましたので、俺は必要なしと判断しました」

 淡々と告げる疾風の言葉に偽りはない。

「どうせ買うのなら、島津のメインを買い占めて潰した方が楽しいでしょう?」

 表情一つ変えずに告げる疾風の言葉の内容は、ある意味、ものすごく危険な発想ではないかと思う。

 売りに出ないはずの持ち株を買い占めると言っているのだから。

 その言葉に反応したのはご隠居様ではなく斗織様であった。

「まさかと思うが、君は、諏訪の株も……」

「瑞姫の許可があれば、今日中に占めますが」

「……俺の読みが甘かったかっ! だぁあっ!! 残念っ!!」

 口惜しげに髪を片手で掻き毟ったご隠居様は、あっさりと白状した。

「あいつが瑞姫ちゃんに暴露してるとは考えもしなかったぞ。迂闊だった! しかも、俺としたことが読み間違うしっ!!」

「大刀自様はご隠居様のことが気懸りだったんでしょう。どなたも御身内で頼ることができないと判断され、私と祖母に託されましたから」

「………………もしかして、まだ……?」

「ええ。公表したら、ご隠居様がとても恥ずかしい思いをされることを、ここに記憶させていただいております」

 こめかみ辺りを指さして、笑ってみせる。

 にやりとカッコよく笑っているように見えたらいいのだけれど。

「瑞姫ちゃん。もしかして、この年寄りを脅迫なんて」

「いたしません」

「だ、だよねー……じゃあ、取引……」

「……したいのですか?」

 にっこりと笑って問えば、ご隠居様は大仰に溜息を吐いて肩を落とした。

「降参」

 どうやら、私が勝ったようだ。


 大刀自様、ありがとうございます。

 どうやら鎖を引っ張ることができたようです。


 これから諏訪と本格的な交渉ができるだろうことをまず御祖父様にご連絡しなければ。

 そんなことを思いながら、私はご隠居様にある言葉を告げた。

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