114
期末試験の結果が発表された。
掲示板の方へと歩いて行けば、人だかりが割れ、道を譲ってくれる。
「おめでとうございます、瑞姫様。今回も素晴らしい成績ですわ」
そうやって声を掛けてくださる方々で、今回の成績もまあそれなりの成績が取れたことを知る。
礼を言いつつ掲示板の前に立つ背中に気付く。
千景だ。
珍しく呆然とした表情を浮かべている。
どうしたことかと掲示板を見上げ、納得した。
千景の名前が、私の隣にあった。
点数は私と一緒。
つまり、首位。
失敗したのだと、すぐに悟る。
菅家の者たちは、己の実力を対外的に隠す傾向がある。
『能ある鷹は』ではなく、『出る杭は』の方だ。
御先祖様の無念を教訓にしたのか、よほど親しい者にしか己の実力を見せようとはしないのだ。
私は運よくというべきか、この双子は惜しみなくその能力を使ってくれるが。
千瑛はいつも通りの成績なので、千景が何かに気を取られて点を調整することを失敗したのだろう。
あとから千瑛にからかわれることがわかっているからこそ、その未来を想像して呆然自失に陥っているのかもしれない。
「……千景?」
ちょっと気になって声を掛ければ、のろのろとどこか恨めしげな表情で千景が振り返る。
「何があった?」
こういうことは単刀直入に聞くに限る。
下手に言葉を選べば、はぐらかされるか、傷口を抉ってしまうかのどちらかだ。
「いや……ちょっと……」
言葉を濁した千景の視線が泳いでいる。
「千景?」
さらに名を紡げば、千景が項垂れる。
「うっかりミスだ。株式操作をしてたせいで」
「株式?」
「うちの」
端的に答える千景の言葉が意味する株式とは、おそらく菅家のものではない。
そのぐらいのことで千景がミスをするはずもない。
つまりは、東雲の株式ということだろう。
「……合法だろうな?」
周囲を見渡し、こちらに注意を払っている者がいないと確認してから声をひそめて問う。
「勿論、法に則っているよ。ただ、岡部ほど上手にできないから、気を取られてしまった」
「そうか」
合法と聞けば、それっきり興味を失ってしまう。
悪い癖なのかもしれないが、問題がなければそれでいいと思ってしまうのだ。
「……聞かないの?」
千景が不思議そうに問いかけてくる。
「別に。法に則って問題なければ、それでいい。千景が言いたくないことを聞く気はない」
「相変わらず、男前」
苦笑した千景は、すぐに表情を変える。
「さっき、あの問題児がここに来たんだけど」
その言葉で、思わず顔を顰める。
問題児や転入生、あるいは外部生などと、決して名前を呼ばれることがない女子生徒。
彼女はそのことに気が付いてるのだろうか。
「そうか」
「掲示板見て、何であの女の名前がここにあるのよーって叫んで、走り去った。あの女って、瑞姫の事だよね?」
「可能性としては、捨てきれないな。だが、私のことだとは思っていないと思う」
「ああ。八雲様の弟君だっけ? 馬鹿だよね。男と女の子じゃ、いくら見分けがつかないと思うようでも、見分けられる箇所はかなりあるけれど?」
「そうか? 私はよく間違えられるが……」
「ちゃんと女の子に見えるよ、纏う空気が違うし、男より線が細い」
「そうなのか? 自分ではよくわからないところだな」
「……自分じゃね。でも、違う。きちんと見ていれば、仕種や視線の向け方なんかでも違いがあるし」
笑って答える千景に、首を捻りながらも頷く。
私ではわからないが、千景にはその違いがはっきりと判るのだろう。
「大体、男がこんなにいい香りなんてしないから」
「……誉や静稀は、良い香りがするぞ」
「充分、男臭いぞ。あいつらも」
顔を顰めて告げる千景に、過去に何かあったのだろうかと勘繰りたくなる。
が、しかし。
ここで追及しては恐ろしい結果になりかねないと、自分に言い聞かせ、肩を竦める程度にとどめる。
「……話がそれた」
ふと我に返った千景が、首を横に振り、自省する。
「とりあえず、僕が言いたいのは、あの問題児、感情に任せて何かやらかすと思うってことだ」
「……そうか」
「そろそろ頃合なんじゃない? まあ、瑞姫が動かなくても、時間の問題だと思うし」
そう言って、千景が指差した先には今回の最下位者名。
燦然と輝くと言っては語弊があるが、実に想像通りの人物の名が書き記されていた。
正直に言えば、どうやったらこんな点数が取れるんだろうと首を捻りたくなるような点数だ。
予想はしているだろうが、先生方も頭を抱えたくなるとか、天を仰ぎたくなるだろうなと思ってしまう。
「このまま放置でもいいと思うけれど、それじゃつまらないでしょ? さんざん、余計なまでに迷惑かけられたんだから、利子は返してもらわないと」
「わかった。考えておこう」
効果的な場面を作り出せと唆す千景に、やはり千瑛と双子だなと思う。
頷いて、同意した私は、黙って成り行きを見守っていた疾風と連れ立って教室へと向かった。
2年の成績を貼り出した掲示板から少し離れたところに1年の成績を出す掲示板がある。
「瑞姫」
疾風に促され、見上げた先には安倍彬の名前があった。
「おや、これは」
名前が書かれている場所は一番端。
つまり、1位だ。
「……あまり大したことはないな」
そう呟く疾風の視線の先には点数が書かれている。
まあ、2年の上位者と1年の上位者では、色々と差があってしかるべきだろう。
我々のようにしのぎを削るといった殺伐とした空気が漂うこともない。
だから、当然のように点数に開きがあってもおかしなことではないはずだ。
私はそう思うのだが、疾風としては別の意見があるらしい。
「あまり手厳しいことを言うな、疾風。何を求めて勉学に励むかは、人それぞれだろう?」
「それは、そうだが……」
「疾風とて、人のことは言えまい? 勉強すればそれなりの成績を取れるはずなのに、稽古に励むことを最優先させるから最低限で止めているだろう」
こちらを気にしている1年生に、あまりきつい言葉を聞かせるわけにもいかないので、それ以上、口を開かないようにとの意味を込めて牽制する。
私の意図を察したのだろう。
疾風は肩をすくめて黙り込む。
(瑞姫)
その時、不意に瑞姫さんが内側から声を掛けてきた。
(外部生の安倍彬が、他を抑えての主席だね)
確かにそうなので、思わず頷きそうになるのを堪える。
(諏訪とは接触していないようだが、イベントフラグだ)
その言葉に、瑞姫さんが残してくれたノートの内容を思い出し、ハッとする。
では、安倍彬の方が?
(あーっ!! もう!!)
いきなり瑞姫さんが声を荒げたので、びくりと肩を揺らしそうになった。
(あまりの残念さで続編、手を出さなかったのが悔やまれる!! あれもフルコンプしていたら、もう少し情報が手に入っていたのに)
口惜しげに唸る瑞姫さんに、私は何だか微笑ましくなる。
ゲームだろうと何だろうと、何かに熱中できる人生を歩んできた彼女がとても羨ましい。
そういったモノから得た知識で、誰かの役に立てることなど、本当に滅多にあることではない。
それを知っているからこそ、瑞姫さんは色々とアドバイスをくれたり、私の判断材料になるようにといくつかの知識を落としてくれる。
だけれど、ある一定以上の区切りからはこちらに踏み込むことはない。
もどかしいだろうに、私が答えを選ぶまで、自分の判断を押し付けることも主権を奪い取ることも一切しない。
大人の対応を取り続ける彼女がこれほどまでに悔しがる様子が、妙に可愛らしく感じてしまった。
(ごめん、瑞姫。私が安倍彬に対する情報を少しでも持っていたらよかったね)
しゅんと凹んだような声音で告げる瑞姫さん。
大丈夫ですよ。今までのことでも瑞姫さんのおかげで随分と助かっています。
これ以上、頼ってしまっては、罰が当たるんですよ、きっと。
多分、安倍彬は、私に対する課題のようなものなんですね。
そう心の中で答えれば、苦笑するような気配が伝わってきた。
(瑞姫、カッコよすぎ)
瑞姫さんには負けますよ。
そう言い合い、歩き出した私に、瑞姫さんがそっと声を掛ける。
(瑞姫)
はい?
(……何か、イヤな予感、しない?)
そう言われて、ハタと気付く。
今まで瑞姫さんとの会話で誤魔化してきたが、先程から奇妙な焦燥感を味わっていたのだ。
それが、『イヤな予感』と言われれば、確かにと頷くしかない。
(疾風に言って、ちょっと対応作取ろうか?)
その言葉に、私は否応なく頷いた。
「疾風」
ひと気が少なくなってきたところで足を止め、疾風に声を掛ける。
「どうした、瑞姫?」
「何だか、すごく嫌な予感がするんだけど」
「マジかよ」
私の言葉に、ボソッと呟いた疾風が視線を逸らせる。
「瑞姫の『嫌な予感』って、ホント、ロクなことが起こらないからな」
「それは、悪かった」
「いや。逆に、助かるさ。なんせ、はずれ無しの見事な的中率だからな。警戒を先にできていれば、被害は最小限度に止められるし。で? どこらへんがイヤなんだ?」
そう問いかけてくれる疾風に、私は今感じている奇妙な焦燥感について手短に説明した。