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図書室の中に生徒が残っていないことを確かめて、その旨を司書の方々に報告した後、私も図書室を後にする。
何というか、呆然自失に近い感じ。
まさか、いきなり遭遇するとは思わなかった。
気持ちふらふらしながらサロンへ向かえば、皆が待っていた。
「……どうしたの、瑞姫ちゃん? 何だか幽霊にでも会ったような表情よ」
千瑛が怪訝そうに問いかけてくる。
「幽霊……」
ある意味、的を得てるような表現だな。
「瑞姫?」
「幽霊に近いかも。安倍彬に会った」
その言葉に、皆が目を丸くする。
「あら。瑞姫ちゃん、実はくじ運悪いタイプ?」
「確かに。くじ運強そうに見えて、ここぞとばかりの時に妙なの引くよな」
ものすごく納得したような表情で言わないでほしい、疾風君。
「瑞姫のくじ運はいいと思うよ。それで、どんな子だったの? どういう出会い方をしたのかな?」
柔らかく微笑んでフォローをしてくれた橘が、隣に座るようにと場所を示しながら問いを口にする。
「図書室で何かを熱心にノートに書き込んで、集中している様子だったから、退室を促すために声を掛けたんだ」
記憶を辿り、状況説明をする。
「それで?」
「見事な集中力でね、声を掛けても気付かなかったから、机を軽く叩いて注意を引いてようやく気が付いてくれたんだけれど」
「……へー」
促され、相槌を打たれながら、先へと言葉を紡ぐ。
「悲鳴を上げられそうになって、呑みこんだ次の言葉が『王子様』だった」
その瞬間、在原が盛大に噴き出し、千景が在原の頭を叩いて黙らせる。
ありがとう、千景。
一瞬、傷ついた心が、慰められたような気がしたよ。
「まあ、確かに。見た目は女の子の理想の王子様だからね、瑞姫は」
橘、それは褒めてくれたのだろうか?
何だか、心が抉られたような気がするけれど。
「……そのあと、自己紹介をしてきて、その時、安倍彬だと初めて知った。それから、名前を尋ねられたから答えて、退室してもらって終わり」
「何ていうか……普通だね」
「まともな反応というか、ごく普通に躾けられたことをきちんとできる子だってことだね」
橘の言葉に、千景が同意する。
「姉の方が異常であって、普通に考えれば、当たり前の対応を取るのがそれこそ当たり前だってことじゃないのか?」
疾風が彼らの認識を正す。
「僕としては、東條の血を引いている人間は皆、ああなのかと思っちゃうけどね」
在原が頬杖をつきながら、呟く。
「まあ、確かに」
「あら、でも、母親の方はまともだったわよ? 社会人として働いていたからかもしれないけれど」
「保育士の資格を持ってるみたいだね」
千瑛の言葉に千景が言葉を添える。
「とりあえず、安倍彬の方は忘れていよう。彼女は、自分に姉がいることを知っているのかすら、今現在の情報はないことだし」
橘の言葉に、私は頷いて同意する。
「あ、でも。図書室にまた来ていいかと聞かれた」
「ナニそれ? 何狙ってるの!?」
「え?」
千瑛の言葉に、私は意味がわからず首を傾げる。
「その子、瑞姫だと認識して、そう尋ねたの?」
「ああ、そうだね。名前を言った後だ」
「ふうん。その、何かを書きつけていたノートっていうのも気になるわね。何か含みがあるのなら、多分、向こうから接触してくるでしょうね。瑞姫ちゃん、王子様対応で上手に線引きしつつ情報を入手してね、本人から」
「王子様対応!? 何、その高度な技術は!」
どうやればいいんだろう、そんなこと。
瑞姫さんに聞けば、わかるかな?
「んー? 普段の瑞姫ちゃんの対応ってことよ。私たち相手じゃなくて、クラスメイトとか後輩の女の子たちに対する対応の仕方、まるっきり王子様だから」
のんびりした口調で千瑛が答えてくれた。
そうして、ものすごく微妙な空気が漂う。
「まあ、瑞姫だから。フェミニストとはちょっと違うようだけれど、相手に礼を尽くすからな」
疾風が溜息交じりに笑って言う。
「自分より弱い相手に対し、平時においては守ること。それが決まりだからな。あ、ちなみに、弱いというのは、戦闘能力という意味であって、精神力とか意思とか内面じゃないから。どんな相手でも初対面であれば敬意を払えって言われてるし」
「……戦闘能力!? え!? じゃあ、僕も瑞姫より弱いという認識!?」
在原がぎょっとしたように問いかけてくる。
「ん。この中で私より強いのは、疾風だけだ。それは、当然なんだけど。家の教育方針だから。武に秀でるか、文を貴ぶか、その違い。今の世の中、武に秀でることなど必要ないし。知略を巡らせるほうが、よりよく家を富ませるという社会だしな」
そうやって知略を巡らせて、幼い子供を誘拐しようという輩がいるせいで、私は身を守る術を叩きこまれたわけだが。
(まあ、どこでも悪いことを考えるやつって、独創性に欠けるよねぇ)
私の考えを読み取った瑞姫さんが呟く。
いや、犯罪行為が個性的過ぎたら、それはそれで対応に困ると思うのだが。
「まあ、確かに。悔しければ僕が瑞姫より強くなればいいって話だもんねー」
「どう足掻いても、それは無理だと思うな」
在原の言葉を千景が叩き折る。
千景は心を許した相手には容赦ない。
さっきも手を出していたし。
千瑛は親しかろうがそうでなかろうが、全く構わず手加減はしない。
だがそれ以上に、自分に厳しいけれど。
「理屈としては、在原の言うとおりだけれど、実行するとなれば難しいわよねぇ。物心ついた時から弛まぬ努力というか鍛錬を続けてきた瑞姫ちゃんの倍以上の稽古をしなければ、到底追いつかないし。物理的にも精神的にも、不可能に近いわね。それ以前に、在原には体格差が瑞姫ちゃんと殆どないしねー」
「それを言うなら、菅原弟だってないだろっ!!」
「……僕は、瑞姫に張り合おうなんて思わないし。瑞姫が僕を守ってくれるのなら、僕は別の方面で瑞姫を守ればいいと考えるから、問題ないよ」
「ねー」
在原の言葉に双子は顔を見合わせて頷き合う。
確かに、情報戦において菅原家の双子には敵わないことはわかっている。
気難しい双子が、私のどこを気に入ったのかはわからないが、傍にいてくれて助かることばかりだ。
「話はそれたけど、あの問題児と妹がどう動くか、お手並み拝見しましょうよ」
にこやかに笑って告げる千瑛の笑顔が、妙に姉上たちと被って恐ろしく見えた。