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 翌日、私は熱を出した。

 どうやらキャパシティを上回ってしまったらしい。

 目を覚ましたはいいが、体がだるくて持ち上がらず、起き上がることができなかったので、枕許に置いていたスマホに何とか手を伸ばし、茉莉姉上にSOSを出した。

 こういう時、身内に医療関係者がいるというのは実に心強いものだと思う。

 多少と言うより、相当荒っぽいけれど、腕は確かだし。

 ベッドの上でぐったりしている私の許へ駆けつけてくれた茉莉姉上は、本当に頼り甲斐がある姉だと思う。

 ただ、本当に荒っぽかった。


「ストレスによる発熱のようね。まあ、仕方ないわ。昨日は色々あったようだしね」

 体温計を眺めた茉莉姉上は、溜息を吐きながら呟く。

「……まったく。母子揃って面倒な」

 眉間に皺を寄せて内心を駄々漏れさせる姉の表情は極悪だ。

 整った顔立ちというものは、その表情を両極端なまでに魅せるようだ。

 思わず視線を彷徨わせてしまうほどに、恐ろしかった。

 相手が律子様でなければ、『逃げてーっ!』と叫んでいただろう。

 ごめんなさいと呟けば、茉莉姉上は表情を和らげた。

「瑞姫のせいではないわ。このところ、頑張りすぎたのも発熱の原因よ。身体が休みなさいと言っているのだから、少しは怠けなさい」

「でも、全然努力が足りてないと思う……」

「比較対象が間違ってるの! 柾兄さんと自分を比べる方がおかしいの!! いい!? 柾兄さんは瑞姫とひと回り違うの! 経験値が圧倒的に足りないのに、追いつくわけないでしょうが!!」

 あう。がつんと怒られた。

「だけど……」

「言っておくけど、柾兄さんも私も、16歳の時に瑞姫ほど賢くも優秀でもなかったわ。私はTOP10に入る程度だったし、兄さんだって競い合うような相手がいなかったわ。瑞姫の代は相当優秀な人材が揃っているようね。その中で主席争いを続けてるのだもの、充分すぎるほどよ。瑞姫が競うのは柾兄さんじゃなくて、同じ学年の子たちでしょう」

「でも、私は本家の子供なのだから……」

「年相応でいいの。自分を騙して頑張りすぎても長続きしないわよ。誰もそんな無理を望んだりしないわ。瑞姫が元気で笑っていれば、私たちはそれでいいの。それ以外のことは望んでないの」

 そう言われれば、返す言葉もない。

「東雲には私から連絡をしておくわ。疾風にもね。ああ、見舞いは断るように疾風に伝えておくから。弱っているところは見られたくないんでしょう?」

「う……はい」

「解熱剤を使った方が、早く楽になるけれど、風邪ではないのだからこのままの方が実際、身体にかかる負担は少ないの。ひと眠りしなさい、それからもう一度状態を確認して処方を決めるわ」

 専門家の判断に否やはない。

 こくりと頷けば、表情を和らげた茉莉姉上は私の頭を撫でる。

「授業に遅れるからって言って、起きて勉強なんてしちゃだめよ。わかってるわね?」

 なんでわかった!?

「たった、1日や2日、勉強しなくったって死にはしないの!」

「でも来週から期末試験だし」

「日頃きちんと勉強していれば、別に問題は生じないでしょう?」

「何か見落としてたりしていたら……」

「……瑞姫……」

「うっ……はい。ちゃんと寝てます」

 見事な笑顔で脅迫され、私は長いものに巻かれろと方向転換を決めた。

「それだけ元気が出れば、今日1日で回復するわよ、若いしね。明日の為に、今日は休みなさい。いいわね、瑞姫」

「はい」

 そう言われ、私は素直に頷いた。

 私の返事に満足した茉莉姉上は、ベッドルームを去っていく。

 扉が閉まり、茉莉姉上の気配が消えて、私は深々と溜息を吐いた。




 『瑞姫』、それが、私の名前だ。

 相良の子供たちにつけられる名前は自然及び自然現象を素にしている。

 名には意味がある。

 重要なのは、『呼び名』なのか『個人名』なのかは、その生まれ落ちた順番や性別で異なっている。

 男子の場合は『個人名』だが、娘の場合は上2人は『呼び名』であって、それ以降は『個人名』だ。

 茉莉姉上と菊花姉上の呼び名は『壱き姫』と『津の姫』だ。

 元々は『一の姫』と『二の姫』と呼ばれたのだろうが、それが訛って省略されて『いつきひめ』と『ふたつひめ』から『つのひめ』と呼ばれるようになった。

 『壱き姫』の『き』は『椿』の字をあてられることもある。

 それは、茉莉姉上が治める領地を示しており、また『壱番槍』の意味もある。

 変事が起きた時に、まず任された土地の安全を確保すること、そうして誰よりも先に変事の元へ駆けつけること。

 それが『壱き姫』の役目なのだ。

 さらに古い呼び名があるのだが、これを年寄り以外に言われると茉莉姉上は激怒する。

 まあ、茉莉姉上だけでなく、普通は怒るだろう。

 それが『猪の姫』だ。

 これは真っ直ぐに駆けつけるという意味なのだが、猪突猛進とも取れるので、歴代の長女も嫌がったようだ。

 菊花姉上の『津の姫』はわかりやすい。

 『津』とは港のことだ。

 海や川での舟の寄港地だ。

 これは、かつての相良の領地に急流があったことに由来する。

 川に関することに対して采配を揮えという意味がひとつ。

 他には、他家に嫁いで拠点となれという意味がある。

 今までの次女は、やむをえぬ事情がない限り、ほぼ必ずと言っていいほど他家に嫁いでいる。

 つまりは、相良の『福の神』伝説の殆どは歴代の次女が積み上げてきたようなものだ。

 勿論、それより下の娘たちも他家に嫁いでいるので、福の神と呼ばれたのが全員次女だったというわけではない。

 嫁ぎ先でも彼女たちはやはり相良の娘だ。

 福の神の恩恵を与えながら、婚家の情報を相良へと送っていたりする。

 つまり、彼女たちの『福の神』という恩恵は最大のカモフラージュ的な要素だったのだ。

 2人の姉はどちらも茉莉に菊花と可愛らしい花の名前を与えられている。

 羨ましい限りだ。


 『ミズキ』という名を聞いて、思い浮かべるのは何か。

 それが『アメリカハナミズキ』であれば、とても可愛らしいくて嬉しいと思うが、実際はそうではない。

 『ミズキ』とは、本来、『水城』や『瑞来』という漢字をあてられる。

 人の名前であれば、『瑞希』が多いだろう。

 私に与えられたのは『希』ではなく『姫』という字だった。

 これにはいくつもの意味が込められている。

 『姫』は、女の臣と書く。

 平時であれば、分家を作る娘の意だ。つまり、乱となれば、姫の名を持つ者が後を継ぐ。

 娘が産んだ子であれば、必ず相良の血を引いているからだ。

 郭公の真似など許すわけにはいかぬという意味がある。

 夫以外の子を孕んだ嫁が、夫を殺害し、子供を後継ぎに据えるというようなことは、乱世にはよくあったことだ。

 そのため、相良の当主が死した時は、たとえ妻に子が宿っていたとしても、後継ぎにはせず、もとより内々に決めてあった次の子へ当主の座を譲り渡してきたのだ。

 兄弟仲が他家と異なり、非常にというか、異常に良好な相良だからこそ家督争いも碌に起こらず問題なく継承が行われてきた。

 これに異を唱えた者は、文字通り切り捨てられる。

 もちろん、これは過去のことであり、今現在では切り捨てられることはない。あって、離縁ぐらいだろう。

 つまり、柾兄上に何かあった時、後を継ぐのは他の兄姉を差し置いて私だと他の兄弟たちが同意しているというか、彼らの総意でそう決まっているのだ。

 それが『姫』に与えられた意味だ。

 『ミズキ』の意味は、災害だ。

 『洪水による氾濫地』、それが『ミズキ』だ。『ミスキ』と呼ぶこともある。

 何か事があった時に、すべてを巻き込んで押し流し、無に帰す者。それが私の役目だ。

 これは相良に限ってのことではない。

 私の周囲、私に関わろうとした者であれば、その災害に見舞われるということだ。

 今、その災害に見舞われようとしている家は4家ある。

 1家は友人を守るため、残る3家は私に害を及ぼそうとしたため、だ。

 このうち1家は確実に押し流されることが決まっている。

 私が決めたわけではなく、周囲がそう定めてしまっているのだ。

 彼らの場合、私に悪意を持って害をなそうとしたということで殲滅一択になった。

 恭順の意を示そうが、反省しようが関係ない。

 相手を見誤った、という理由で充分なのだそうだ。

 私がとりなそうと思っても無駄なのだ。とりなすつもりもないけれど。

 茉莉姉上や菊花姉上が『福の神』ならば、私は『禍つ神』なのだ。

 私自身には何の力もないけれど、力を持つ者たちへの引き金に充分なりうるということは幼い頃から理解している。

 兄姉たちは、末子である私を溺愛しているのは、私が柾兄上のスペアだからではないことは熟知している。

 望んで生まれた末っ子だから、と反応に困惑するような状況で何度も聞かされている。

 大事にされればされるほど、私が彼らの足枷になるのではないかという恐怖に駆られたこともある。

 だけれども、『ミズキ』という名前を手放すことはできなかった。

 私が瑞姫であることが、彼らの支えになることだと知ったゆえに。

 私は、『瑞姫』を務めているのだろうか……。




 優しい手が私を撫でる。

 労わるように、愛しむように。


 いつの間にか、本当に眠っていたらしい。

 ふと目を開ければ、母様が私の前髪辺りを撫でていた。

「……母様」

「目が覚めたようね。気分はどう?」

 柔らかく微笑む母に、私は自分の体調を探ってみる。

「……身体がだるかったのが取れて、随分楽になりました」

「そう。よかったわ」

 穏やかな表情で頷いた母は、少しばかり考えるそぶりを見せる。

「母様?」

「あのね、瑞姫。何か食べれるかしら? あなた、朝から何も口にしていないわ」

 そう言われてみれば、確かにそうだ。

「スープがいいです」

「わかったわ。んー、じゃあ、御夕食は何が食べたい?」

 何故、朝昼をすっ飛ばして夕食のメニューなんだろうか?

 そもそも、今は何時なんだろう。

 まだかなり明るいから午前中のように思っていたけれど。

「……母様のロールキャベツ」

 今食べたいものを考えろと言われると、これしか思い浮かばない。

「瑞姫。それはちょーっと、季節はずれかもよ?」

「和風なので問題ないかと……」

「今の時期、キャベツあったかしら? まあ、あるでしょうけれど」

 頬に手を当て考え込む母様を見上げる。

 シェフが作るロールキャベツと違って、母様の作るロールキャベツはそれこそ一般家庭の母の味だ。

 中身自体が全然違うので、ロールキャベツの括りに入れていいのかどうかも疑問が残るが、キャベツにくるんであるのでロールキャベツと断言しよう。

 中身はひき肉にちくわと糸こんにゃくを細かく刻んで炒めたものだ。

 これをキャベツでくるみ、かんぴょうでぐるりと縛ると醤油ベースの和風だしでコトコト煮込むのだ。

 母方の祖母が考案したもので、砂遊びをしたがる子供が手についた砂を食べたりするので砂出しをするために子供の好きなロールキャベツを装って、こんにゃくを無理なくたくさん食べれるようにしたと聞いた。

 実際、このだしが絶品で、通常のロールキャベツよりも食べやすいのだ。

 料理上手な祖母の家には、常に近所の奥様方が料理を習いに来ている。

 シェフたちの料理はもちろん、とても美味しいのだが、母や祖母の作る家庭料理のほんわかとした優しい味も好きなのだ。

「食欲があるようで安心したわ。厨房の方に聞いて、作れるようだったら作るわね。ああ、疾風ちゃんたちが来たら、ここに通してもいいの?」

「はい、構いません。母様、疾風と颯希を『ちゃん』付けで呼んだら怒りますよ? さっちゃんと呼んだら、颯希に散々怒られましたから、私」

「あらあら。さっちゃんってば可愛らしいこと。男の子ですものねぇ。『ちゃん』付けはやっぱり嫌よね、お年頃だから」

 くすくすと笑いながら、母様は受け流す。

「じゃあ、枕許に特製ドリンクを置いてますからね。喉が乾いたらいつでもたくさん飲みなさい」

「はい」

 頷けば、頭を撫でられる。

 母が部屋を出ていくのを見送りながら、私の瞼はとろりとおりた。




 ふと意識がはっきりとする。

 また眠っていたようだ。

 部屋の中は少しばかり翳っていた。

 夕方というほどでもないが、そこそこ日が翳りだす時刻なのか。

「疾風?」

 部屋の中に馴染んだ気配がある。

 声を掛ければ、人が動く気配がした。

「目が覚めたのか?」

 ベッドの傍まで疾風が近づいてくる。

「うん。心配かけたか? すまない」

「いや。大して……呼吸も安定しているし、顔色もいいからな。熱も、もう治まったか?」

 私を見下ろす疾風の表情は柔らかい。

 怖がっている素振りもないので、言葉通りなのだろう。

 疾風は私以上に、私の容体に敏感だ。

 その疾風がここまで落ち着いているのだから、もう大したことはないのかもしれない。

 それにしても、よく眠っていたな。

 夜、眠れるだろうか。

「暑くも寒くもないし、だるさもないし。治まったと思うけど……」

「そうか。良かったな」

「うん」

 頷いたところで、起き上がろうかと思ったが、怒られると怖いので大人しく横になったままだ。

「今日は何かあった?」

 学園でのことを尋ねてみる。

 諏訪の動きなどもきちんと把握しておかなければ、これからどう対応するのかも微妙に調整できないだろうし。

 そう思って尋ねたのだが、疾風の表情は微妙なものだった。

「疾風?」

 一体何があったんだろう。

「………………東條が復帰した」

「え?」

 東條って、『東條凛』のことか!

 瑞姫さん曰く、『残念な主人公』って人だ。

「……瑞姫?」

「あはははは……ごめん。忘れてたよ。そう言えば、いたよね、そんな人」

 私の正直な告白に、疾風と私の内側の瑞姫さんがほぼ同時に吹き出した。

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