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107(相良八雲視点)

相良八雲視点




 何度緊急呼び出しをされたことだろう。

 授業なんて、この際どうでもいい。

 呼び出されて告げられる言葉は毎回同じ。

『覚悟をしてください』

 この言葉を聞くたびに、感情が冷えていく。

 何度言われようが、覚悟なんてできない。したくない。

 覚悟なんてするわけがない。

 それと同時に、瑞姫にもうこれ以上頑張らなくていいと言ってしまいたい自分がいる。

 もう苦しまなくていい。楽になってしまえ。

 そう思いながらも、瑞姫の屈託のない笑顔をもう一度見たいと思う。

 目を開けて、笑ってくれれば、それだけでいい。

 どんなことでもする。甘やかしてあげるから。

 だから、目を開けて。


 硝子越しの瑞姫の横顔は日に日に白さを増していく。

 ふっくらしていた頬はすでに肉が削げ落ち、痩せている。

 ガラスの向こうでは医師と看護師がせわしなく動き回っているのに対し、心拍音を示す機械音が徐々に間延びしていく。

 いつ途切れてしまうのか。

 何もできない自分が苦しくてたまらない。

 こんな時にさえ、諏訪家は誰一人としてここには来ない。

 もし来たとしても、決して瑞姫に会わせはしないが。

 ぎゅっと手を握りしめると、掌に爪が食い込む。

 何度もこうした場面に同じことを繰り返しているせいで、掌には爪の形がくっきりと刻まれてしまった。

「八雲、落ち着け」

 ぽんと肩に手が置かれ、振り返れば柾がこちらを見下ろしている。

「落ち着いて、います。でも、覚悟はしません、絶対に」

「うん。それでいい。瑞姫はまだ頑張っている。瑞姫があきらめない限り、あの子は大丈夫だ」

「蘇芳兄さんと疾風を鎮めないと。ここで暴れては迷惑になりますよ」

「疾風は大丈夫だけど、蘇芳は注意しておこう。疾風は瑞姫についていくつもりのようだ」

「それは……あの子は岡部に返さないと、瑞姫が……」

「うん。そうだね。だけど、もう決めてしまったようだ。今までと表情も何もかもが違う。まだ12年しか生きていない子供たちに惨いことを突き付けてしまった」

 柾の表情が曇る。

「だけど僕は、瑞姫についていける疾風が羨ましい」

「まだそうと決まったわけじゃない。瑞姫がそれを赦すわけもないだろう? だから、大丈夫だ。瑞姫は疾風の為にも生きることを選ぶさ」

 柾の言葉に被ってピッという電子音がひときわ高く響いた。

「っ!?」

 一瞬の沈黙。

 そうして心拍音が力強さを取り戻す。

 硝子の向こうでも動きが変わった。

 主治医が何か新たに指示を出し、そうして部屋を出て来た。

「……危機を脱しました。瑞姫ちゃんを褒めてあげてください」

 疲れを滲ませながらも明るい表情で告げてくる。

 その言葉で、僕は悟った。

 この医師は、瑞姫が相良の娘だから最善を尽くしたのではなく、たった12歳の少女だから、全力を尽くしてくれたのだと。

「先生、ありがとう、ございます」

 気付けば深々と頭を下げていた。

「いや。私も、瑞姫ちゃんに助けられているようなものです。瑞姫ちゃんもお兄さんたちが大好きだから頑張っているんでしょう。いいご家族で羨ましいです」

 そう言って、医師はその場から立ち去って行った。

「ほら。瑞姫は生きることを選んだだろう?」

 泣きそうになるのをこらえる表情で柾が告げる。

「……柾兄さん」

「ん?」

「僕は何があっても諏訪家が赦せません。潰してもいいですか?」

 つぶさに調べてあちらの内情はわかった。

 どうしてこんなことになったのかも、おそらく警察よりも詳しく調べ上げれただろうと思う。

 だからといって関係のない瑞姫を巻き込んだことを許せるはずもない。

 一人残らず息の根を止めて根絶やしにしてしまいたい。

「駄目だ」

「どうしてですか!?」

「最初の一撃は、瑞姫が下すべきだろう。我々はただの傍観者だ。当事者は瑞姫だ。そこを間違えるな」

 柾の言葉に、兄がどれだけ怒りを押し殺しているのかようやく悟る。

「ですが、瑞姫は優しすぎる。あの子は伊織君を赦してしまうでしょう!?」

 僕の懸念に柾は笑う。

「罪を憎んで……というやつだな。瑞姫は兄妹のなかで一番、度量が広いからな。確かに赦しを与えるだろう」

「兄さん!」

「だがね、八雲」

 ゆるりと柾は笑みを深める。

「どう足掻いても、瑞姫は伊織君が欲しがるものを与えることはないだろう。それが、伊織君にとって最大の罰になるんじゃないのか?」

「……あ……」

 思い当たることがあった。

 伊織君が欲しがって、瑞姫が決して与えないもの。

 『瑞姫』という名を与えられた妹が、己の存在意義を誰よりも理解している者が、諏訪家の次期当主にそれを与えるわけがない。

 伊織君が次期当主であるがゆえに、瑞姫は彼を切り捨てる。

 相良という家を知っているのなら、簡単に予想はつくはずだ。

 そうして、伊織君が諏訪家の人間であるということを自覚していれば、己の出生が異常であることも理解できるはず。

「柾兄さん」

「理解できたようだな。賢い弟で兄としては嬉しいよ」

 柾の笑みが実に人の悪いものへと変化する。

 決して、瑞姫の前では浮かべない笑みだ。

「今は諏訪家としても下手に動けまい。動けば相良に討たれるとわかっていればこそ。だが、瑞姫の容態が安定し、普通の生活に戻れて数年後に動き出すだろう」

「福の神、ですか?」

 相良の娘は昔から婚家に福をもたらす嫁だと喜ばれ、『福の神』という渾名がつけられている。

 何処の家よりも、まず最初に年が合えば嫁に欲しいと望まれるのはその為だ。

 そうして、現在直系の娘は3人。

 上2人の気性の荒さに対し、末っ子の瑞姫は実に性格がいいと評判だ。

 今現在ですら嫁に欲しいと打診があるほどに。

「瑞姫の身体に消せない傷を残した責任を取ると言い出すわけですか?」

 胸糞悪いというのはこういうことなのだろう。

 冗談ではない。

 瑞姫の価値はそんなものではない。

 誰が諏訪家に嫁にやるものか。

「やはり、潰しましょう」

「まて。ご隠居を引きずり出してからだ。当主では無意味だ。理由はわかっているな?」

「……はい」

「次代は瑞姫の獲物だ。おまえは手を出すな」

「納得しましたが、非常に悔しいです。一矢どころか十矢は報いたいです」

「俺なんか、歴史ごと存在ごと消し去りたいくらいだ」

 憮然と表情を今初めて浮かべた柾に、僕はホッとする。

「兄さんより僕の方が優しいですね。負けましたよ」

「当たり前だ。俺には弟と妹を守る義務がある。それを違えられたんだ、その存在を赦せるわけがないだろう」

「相当お怒りですね。兄さんが自分のことを『私』ではなく『俺』と言うくらいには、感情を乱しているのですから」

「だからこそ、今は堪えるんだ。あいつらが忘れたころに、全力で喰らいつくための力を蓄えるために」

「長兄に従います。まずは、瑞姫の回復が先ですね。諏訪家などに関わっている暇などないですね。元気になったら、瑞姫をどれだけでも甘やかせてやりますとも」

 過保護と言われようとも、傍にいて甘やかしてやろう。

 瑞姫がやることを褒めてやろう。

 あのはにかむような笑みを見せてくれるのなら、どんなことでもしてみせる。

「…………八雲」

「はい?」

「程々にしておけよ。瑞姫が困るだろ」

 僕が何を考えているのかがわかったのだろう。

 実に微妙な表情で告げる兄。

「いいんですよ。瑞姫が笑ってくれるのなら」

「本当に瑞姫にだけは甘いな、おまえ」

「兄さんに言われたくありませんね」

 こうも軽口が叩けるのは、瑞姫がいてこそ。

 僕たちは笑顔を作りながら、そう思った。




     +++++++++++++++




 車寄せで待っていた運転手に予定変更を告げる。

「諏訪の御大の御屋敷によってから、会社に向かってくれないかな?」

 僕の言葉に運転手は表情を隠すように頭を下げる。

「承知、いたしました」

 丁重な態度と慇懃無礼の際で伊織君は全く気付かなかったらしい。

 僕が先にシートに座ってから、伊織君が続いて座る。

 そわそわとした態度はそのままだ。

 そんなに相良の屋敷へ来れたことが嬉しいのだろうか。

 未だに御大の考えに気付いていないところが残念だ。

「そのっ! 八雲様」

「何だろう?」

「彼女は……どのようなものを好まれるのでしょうか? あの、甘いものとか、花とか……」

 意を決したような表情で問いかけてくる内容といえば、これか。

 同じ学年で、同じクラスになったこともあるというのに、相手の好みを把握できないとは何事か。

「瑞姫はね、甘いものは食べれるけれど、そこまで好きじゃない。飴細工は好きだけれど、食べるより眺める方だね」

「そう、なんですか……」

「そうだよ。あと、花は季節折々のものを好んでいるかな? ありのままが一番だとね」

「つまりそれって……」

「切り花は、そこまで好きじゃないってことだね」

「そう、ですか……」

 見るからに萎れる若者に、笑いを隠せない。

 僕が本当のことを言うと思っているのなら、相当素直な性格をしている。

 勿論、今言ったことは本当のことだ。

 本当のことを言った方が、この場合、効果的だからね。

「じゃあ、ぬいぐるみとか、そういったものは……」

「あれはダニの温床になるだろう? 万が一、傷に障りでもしたら困るから、そういったモノは部屋から排除するように指示している。ハウスダストなどのアレルギーの原因になるしね」

「それは、そうですね」

「ああ、あれは、好きだよね」

「何ですかっ!?」

「古武術でね、他人の型を見るのが好きで、それこそ1日中でも道場に籠って誰かしら稽古をしているのを眺めているよね」

 意気込んで問う伊織君に意地悪を仕掛ける。

「古武術……」

「うちは武将の家系だからね。己を鍛えるということにおいて、男女問わず余念がないんだよ。弱い自分というものが一番許せないからね」

 その言葉に、伊織君の表情は引き攣った。

 ここで表情を変えるだけ、まだマシか。

「ところで、伊織君」

「はい」

「君は1人っ子だったよね?」

「ええ、そうです」

「不思議に思ったことはないかい?」

「は?」

 きょとんとした表情で僕を見上げる彼に、苦笑が漏れる。

「君のお父さんは何人兄弟?」

「ふたりです」

「おじいさんは?」

「……2人です」

「曾おじいさんは?」

「3人と聞いています」

「では、何故、君は1人っ子なんだろう?」

 おかしいよねと笑いかければ、伊織君は固まった。

「……え?」

「そうだろう? 諏訪家は、神職と企業トップ兼家長とを直系から出しているだろう? 君、神職の勉強、した?」

「いえ」

「律子様は、健康体にしか見えないから、もう1人、産めないということはなかっただろうにね」

 瑞姫が最初の一撃を与えるのなら、僕はそれが効果的な一撃になるために楔を打っておこう。

「君は本当に、1人っ子なのかな? 長男であっているのかな?」

「まさか、父が……」

「それこそまさか、だよね。斗織さんはたったひとりを想う一途な方のようにお見受けするからね」

 変わっていた顔色が元に戻る。

 それにしても、情けない。

 本来ならば他人に言われる前に気付くだろうに。

 能力は諏訪家嫡子に相応しい程度にはあるのに、それを活かせないとは。

 いらぬ者を排除してから育てるつもりだったとしたら、それは時期をすでに見失ってしまっていることになる。

 何を考えているのだろう。

「ああ、どうやらついたようだ」

 車がスピードを落としたことに気付き、外の様子を眺めてそう声を掛ける。

「あ、はい。ありがとうございました」

 慌てて礼を言う伊織君に穏やかそうな表情を作って頷く。

「当主就任、頑張って」

 そう言って、伊織君を送り出す。


 斗織さんが最後の当主になるのか、それとも伊織君か。

 はたまた生き延びることができるのか。

 手腕を見せてもらうよ。


 静かに滑り出した車の中で、シートに背を預け、僕はそう呟いた。

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