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夢幻の瞳 現の涙  作者: 橘 伊津姫
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6章 創世の神話 エルキリュース

エルキリュース神殿で語られる、門外不出の創世の神話。

それはトウージュにとって、これまでの価値観・世界観を打ち砕くのに十分過ぎる内容だった。

 その夜、トウージュはアイヒナの部屋を訪れていた。必要以上に絞られたランプの灯りの中で、アイヒナはベッドに腰掛け、リュートの弦を調律している。会話のとっかかりを探していたトウージュに、アイヒナがまろやかな声で問いかけた。

「トウージュ殿。創世の神話はご存知だろうか?」

 突然の質問にやや戸惑いながら、トウージュは答える。

「ラングマールが世界を造り、神々を生んだってやつかい?」

 セルギナ大陸に暮らす者ならば、それこそ三歳の子供でも知っているはずだ。

「ではなぜ、ラングマールを祀る神殿がないのだろう?」

「そりゃあ、ラングマールが眠っているからだろう? この世の最期に目覚めるまで、彼の神が顕現けんげんする事はないって言うし」

 アイヒナがうなずいた。

「そう。彼の神は眠っている。それでは“秘められたる御名”と呼ばれる彼の神に、ラングマールという“名”があるのはなぜなのか?」

 考えた事はなかった。

 質問の真意が理解できず、トウージュは口をつぐんだ。

「ラングマール。この言葉こそが、遥か神代に失われた古代語で“秘められたる御名”という意味なのだ。そして、眠り続けるかの神には別の名がある」

 だが神学上の疑問点と、昼間の会話の接点が見つからない。怪訝な顔をしているトウージュにアイヒナは薄く微笑みかけて、リュートを持ち上げた。

「基本的な知識として、頭のどこか片隅に留めておいてくれればいい。これから語るのはエルキリュース神殿の教典にある神話で、一般的には知られていない。ある理由があって秘されている訳だけど。今回は例外を認めてもらおう」

 トウージュに楽な姿勢で座る事を勧め、静かにリュートを鳴らし始めた。そっと目蓋を閉じたアイヒナは、不思議な声音で語り始めた。それは、これまでトウージュが聞いてきた彼女の声のいずれにも似ており、そしていずれとも異なっている。


 ──全てのものが混沌の中に溶け

  未だ始まりなく 終わりもない

  一柱の神 目覚めたり

  世界の意を受け 世を創造せり──


 アイヒナが語り始めると同時に、トウージュの意識は肉体の支配を離れた。

 目に映る全てのものが輪郭を失い、乳白色のモヤに包まれていく。モヤは渦を巻き、ありとあらゆる存在を呑み込んでいく。渦に意識を集中させた途端、トウージュはその流れに巻き込まれ、感覚を剥ぎ取られていくのを理解した。上下の感覚もなく、浮いているのか沈んでいるのかわからない状態の中で、「自分」という存在が急速に溶け始める。外界と己を隔てていた「個」という殻がなくなり、「彼」は「世界」と一つになる。今や「世界」は「彼」の中にあり、「彼」は「世界」の中にある。

 何も見えない乳白色の世界は、「光」がないために明るくなく、「闇」がないために暗くもない。そして「彼」は理解する。「世界」が誕生を望んでいる事を。世界が裡に孕んだエネルギーはあまりにも巨大で、そのまま留め置くには激しすぎた。「彼」はそっと意識の腕を伸ばし、乳白色のモヤを掻き分けた。細心の注意をはらった慎重な動きだったにも関わらず、世界は轟々と「音」をたて、やがて二分されて落ち着いた。深い満足と共に「彼」は二分した世界の一方を「天」と名づけ、また一方を「地」と名づけた。

 だが天も地も不安定で、ともすれば分かたれた互いを求めて混じり合おうとする。「彼」は静かに息を吐き、天を地よりも軽くし混じる事のないようにした。やがて地は冷えて固まり、世界にしっかりと根付いた。

 そのまま「時」が流れた。「彼」には有り余るほどの時があったため、世界を仕上げるのをいそぐ必要がなかったのだ。しかし動き始めてしまった世界は、一層激しく荒れ狂うエネルギーに軋みを上げ、更なる変化を望んでいた。


 ──男神にして女神なる 至高唯一の御神が

  その身を分かちて 成したもう

  天をおさむる シャーリハーン──


「彼」は創造を続ける上で、手助けをしてくれる眷族の必要性を感じた。自分を構成しているものの一部を変化させ、「神々」と呼ばれる存在を造り出したのだ。

 まず、天に関するものを統括する神として天空神を造り、シャーリハーンと名づけた。神の色として「蒼」を与え、男神とした。


 ──地を統むる イシュリーン──


 二番目に造り出したのは地に関するものを統括する大地母神で、「緑」を纏った女神イシュリーン。そしてこの二柱を夫婦神とした。


 ──流れを司る神 ケシュ

  炎を司る神 ネフティ

  風を司る神 バルメッサ

  海を護る神 メライーサ

  生を与える神 アルスメナ

  死を与える神 ラ・ズー

  初源の六大地神と呼ばれたり──


 シャーリハーンとイシュリーンの結び付きは、六柱の神を生み出した。

 それぞれの色と属性を纏い、大地を優しく覆っていく。死は生と同じく荘厳で、命ある者達は次の生命のステップへ旅立つ仲間を静かに、祝福さえこめて送り出した。


 ──空の黄金たる神 トラバルーナ

  空の白銀たる神 リュス

  輝きを造りし ミュール

  輝きを与えし フォルン

  初源の四大天神と呼ばれたり──


 地の創造が整ってくる中、「彼」はシャーリハーンの部下とも言うべき神々を造り、天の創造にあたらせることにした。

 己の右の目から太陽神トラバルーナを、左の目から月神リュスを造り出した。この二柱の神の結び付きから、芸術を司る神ミュールと美の神フォルンの双子神が生まれた。

 トラバルーナは昼を造り、リュスが夜を造る。ミュールが雲を造り、フォルンが星を造った。


 ──かくして 創造の環は閉じられたり

  至高なる神の 眠りにつかんとするする瞬間

  遥か遠く 今は存在せざる宇宙より

  創造の環を超え 知られざる神の堕ち来たり──


「彼」の手による創造は終わった。世界は落ち着きを取り戻し、転地は生命のサイクルを廻し始める。全ては調和の中に動き始めた。満足した「彼」は、限りない慈愛と祝福のうちに世界を閉じた。

 しかしその環が閉じられる瞬間、「彼」でさえ予想し得なかった事が起こった。遥かなる宇宙の果てより、「現在」ではない、別の次元より堕ちて来た者があったのだ。その衝撃は「彼」が造り出したばかりの世界に凄まじいショックを与えた。

 海が荒れ狂い、山々が炎の涙を流す。仲良く暮らしていた動物達は恐怖のあまりに言葉を失くし、傷付け合うようになってしまった。大地は安定を欠き、神々の重さに耐え切れずに震えた。


 ──彼方より来る神

  世界の法を破壊せんとす

  至高なる神 これを憂い

  姿と名を与え 世界の環の内に迎えたり

  堕ち来る神 激しく抗いたるが

  法の環より 飛び立つ事あたわず

  来る神 名を邪神アーカバルという──


 世界の受ける傷を出来る限り小さくしようと、「彼」は狂おしく考えた。堕ち来たる者の存在は、著しく世界のバランスを狂わせた。「彼」の創造物ではないために、「彼」の支配を受け入れないのだ。その存在を抹消しようとすれば、余波を受けて世界そのものが消えてしまう。「彼」が直接働きかければ、生命のサイクルを刻み始めた全てが、成熟を見ないまま終了を迎えてしまう。そのどちらも避けなくてはならない。「彼」は仕方なく招かれざる存在に姿を与え、名を与えて世界の枠に組み込んだ。しかしそれは存在の力を制限する事になるために、激しい抵抗を受けた。「彼」は断固として力をふるい、その存在に「邪神アーカバル」としての枷を与えた。

 だが、その代償は大きかった。もはや大地は神々の巨大な力に耐え切れず、神々は愛する大地より去った。生命の回転が途切れ、種は芽を出さず、花は実を結ばず、死は生を造り出さなくなっていた。世界を守る為に「彼」は自身の知覚の一部を切り離し、それに「初源の獣・ドラムーナ」の名前を与えた。この獣に自分の代わりに世界を監視する役目を与え、獣の姿と「彼」の似姿とに変化する力を与えた。そして「彼」はそのまま静かにゆっくりと知覚の衣を広げ、自らが創造した世界を包み込んだ。これにより「彼」は世界と一つでありながら、世界を内包する存在となった。


 ──世界は廻る 生命の環を

  時代は巡る 運命の輪を

  彼の神の眠りによる 始まり

  彼の神の目覚めによる 終焉──


 世界の成熟を願う夢を見ながら、「彼」は悠久の眠りにつく。世界は「彼」の夢の中で進化を続ける。


 ──眠りの聖なるかな

  夢の安らかなるかな

  遥かなる 高みにいます御神よ

  我等 常永久に御身を讃えん

  世界より秘されたる その御名を

  深き畏怖もて 口にせん

  アーグ(神秘なる) ラングマール(秘されたる)

  フォン(至高なる) エルキリュース(エルキリュースの神よ)

  グラーベ(御身の) ヒューグナ(深き夢の)

  ワイトルーフェン(安からん事を) アルバン(祈るなり)──


 視点が高くなっていく。グングンと勢いを増し、意識が時間を超えていく。世界を遥かな高みから見下ろし、宇宙の意志さえ感じ取れたと思った瞬間──。

 眠る巨大な神を視た。いや、感じたというべきか。限りない慈愛に満ち、全てを内包する神。


「それが、私の神。アーグ・ラングマール・フォン・エルキリュース。始まりにして終焉の神」

 聴こえてくる、まろやかな声に導かれて今度は下へ下へと降りていく。意識を引きずられるスピードに耐え切れなくなった時、何か優しいクッションに包まれたようにフワリと浮上する感じがして……。

「っく──」

 トウージュは急激な五感の変化に、堪え切れずに呻いた。

「お帰りなさい。まだ動かない方がいい。体と意識のバランスが悪いのでな」

 おずおずと声の方へ目をやれば、アイヒナが壁にもたれかかって彼を見ている。

「いかがだったかな、トウージュ殿。数千年、数万年にも及ぶ、時間の旅は?」

「あれが、本当に起こった事だと? 世界を創造したのがラングマールではなく──いや、厳密に言えば同じだが──エルキリュースで、この世界は彼の神の夢だと」

「それが、この神話が門外不出になっている所以ゆえんでな。普通の人間は、自分の立っているこの世界が神の見ている夢だという事を認識すると、非常に神経質になるらしい。ところで、少しは落ち着いてきたかな?」

 右手で両目を覆っていたトウージュが、疑わしそうにアイヒナを見る。

「これから本題に入る。まだ先は長い」

 壁に寄りかかったまま、アイヒナは話を続けた。

「神々が世界を去って後、世界は成長を続けた。やがて人間が誕生し、文明が築かれた。人間は知恵を持ち、驚くべきスピードで地に満ちた。けれどそれは予想外の問題を引き起こした。神々でさえ、全知全能でなかったという事だ」

 アイヒナが辛そうに息をつく。

「大丈夫か? 随分疲れているようだが」

 心配そうに問いかけるトウージュに大丈夫だと手を振って答えながら、アイヒナは大儀そうにテーブルに向かって歩き出した。

「あれをやると、ひどく体力を消耗するんだ。何と言っても世界の黎明期までを遡り、またこの時代まで連れ戻すのは、並大抵の事じゃない。神殿で全ての教義を終えた時、教師役だった姉巫女様方は三日間寝込み、私は一週間ベッドから出られなかった」

 水差しから二つのグラスへ水を注ぐと、一つをトウージュに渡して、またベッドに腰掛ける。

「さて、人間とは困ったもので、実に様々な欲望を持っている。金、権力、名誉、地位、愛情さえも欲に変わる。その飽く事のない欲望に、アーカバルが目をつけた」

 トウージュは先ほどの堕ちて来た神のイメージを思い出して、身震いしながら魔除けの印を切った。

「そんな事をしなくても、この部屋には悪しき存在は入ってこれない。──アーカバルのせいで、地上は大混乱に陥った。本来は地上に介入しないはずの神々も、さすがにまずいと考えたようだ。それぞれに策を練り、アーカバルの不意をつく事に成功した。アーカバルは粉々に吹き飛ばされ、力ある部分は世界中に封印された。力なき部分は夢魔バフォナとなり、人々の夢の隙間に入り込んだ」

「それなら、アーカバルは今、封印されているわけだ」

「……いや。されていた。過去形だ。誰かがそれと知らず、封印を解いてしまったらしい」

 いったん言葉を切り、トウージュに目をやる。

「眠り病、または『死の眠り』について、どのくらい知っている?」

「うっ──と、まあ、噂話くらいかな」

 動揺を表に出さないように、慎重に答える。

「復活したとはいっても、アーカバルに本来の力はない。だから、奴が目覚めて最初にやる事は、精を集める事だ。己の分身であるバフォナを使って、人々の夢に取り憑き、徐々に精を吸い取る。そうやって、他の封印を破る力を蓄えたんだろう」

 あの事件の背景に、そんなに巨大な事情があったとは。トウージュの背中を、気持ちの悪い汗が流れていった。

「それじゃあ、封印が全部解けたら……」

「理屈では、アーカバルが完全復活するな」

「理屈では?」

「もっとも力のある破片は四つに割られ、それぞれ強固な封印が施された。すなわち、珠春宮パーティルローサ、緑夏宮りょっかぐうツァーイムーラ、樹秋宮じゅしゅうぐうスランガルニーナ、澄冬宮ちょうとうぐうグランマイールだ」

 そんな! トウージュは身体中の血が、音を立てて引くのを感じた。

「ふ、封印は、どうすれば解けるんだ?」

 震えながら発せられたトウージュの問いに、アイヒナは不思議な目をした。

「なあ、トウージュ殿。私は今、神殿より外には決して漏らしてはならぬ話をした。共に旅をする上で隠し事があっては何かと困ると思ったからだ。そろそろ本当の事を話してはもらえまいか?」

 静かな声だった。

 この数日間の旅で、トウージュはアイヒナの人となりをある程度は理解していた。今ここで自分の正体を明かすことは、メリットにはなってもデメリットにはならないだろう。

「俺は──。俺の名前は、トウージュ・ラムナ・イルス・瑰。当代国王の弟にあたる」

 彼が身分を明かすと、アイヒナはにっこり笑って拝跪はいきの礼をとる。

「これまでのご無礼、何とぞお許しください、トウージュ王弟殿下」

 首を垂れるアイヒナに、トウージュはオロオロと手を振った。

「やめてくれ! それが嫌だったんだ。ここにいるのは、ただの『トウージュ』だ」

 ただの「トウージュ」。それは一部本当で、大部分本当ではない。本人が望むと望まざるに関わらず「身分」はついて廻るのだ。それはトウージュ本人が一番良く知っていた。それでも、アイヒナと闇姫の主従に「王弟」として扱われるのは嫌だった。

「殿下が、さよう仰せなら」

「仰せなのさ」

 二人の目が合う。と、同時に笑い出した。ひとしきり笑ってから、アイヒナが目尻に溜まった涙を拭いて言った。

「夜明けまで、あと幾らもない。話を続けてしまおう。四つの封印の存続の条件。それは、各々の王族の直系が玉座にあること。ただそれだけだ」

 いささか拍子抜けする答えだった。もっと複雑な何か、儀式的な事があると思っていたのだ。しかし、考えてみればそれは簡単な事ではない。現に瑰では国王に世継ぎの御子が無いではないか。万が一の場合にはトウージュ自身が玉座に就くことになるが、もしも自分が世継ぎを成す前にこの世を去れば……。瑰は女性の王位継承権を認めていない。コルウィンとトウージュがいなくなれば、玉座に就くべき直系の王族は、事実上途絶えてしまうのだ。

「それで、君達はどこまで奴に近づいているんだい?」

「嫌な質問だな。正直な話、あまり成果があるとは思えない。いくつかの情報と、いくつかの兆候だな」

「これからどうする?」

「王都ハディースへ向かう。奴は必ず王都へ行くはずだからな」

 息を吐いて前髪をかき上げるアイヒナが、窓の外へ目をやった。

「少々、長話が過ぎたようだな。多分明日──いや、もう今日か──は、半日は動けないだろう。宿の方には頼んであるから、ゆっくり休んでくれ」

 ああ、と同意を示してから、トウージュはふと口を開いた。

「そう言えばアイヒナ。君は何で、男みたいなしゃべり方をするんだい?」

 きょとんとするアイヒナ。おそらく、そんな事を質問されたのは初めてなのだろう。

「……おかしいか?」

 彼女には珍しい、自信なさげな返答に、

「そんな事はない。変な言い方かもしれないけど、俺は似合っていると思うよ」

 立ち上がってドアへ向かうトウージュの背中に、今度はアイヒナが声をかけた。

「殿下。国王陛下に御子がなく、殿下が王位に就けない場合、継承者は誰がお立ちになられるのか?」

 それは、ついさっきトウージュ自身も考えていた事だ。

「先代国王陛下の義弟であられる、ノーヴィア公爵だ。正確には、俺の叔母にあたるイルネア公爵夫人の御夫君だが、瑰では女性に継承権が認められていないからな」

 質問の真意に対する彼女の答えはなかった。しかし、思案気に揺れるアイヒナの瞳の奥に、トウージュは正しく答えを読み取っていた。


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