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夢幻の瞳 現の涙  作者: 橘 伊津姫
26/33

25章 ウェイン・受け継がれる想い

信じていた現実が崩れ去った時、ウィルカの民は動揺を隠せない。

そんな人々を静めたのは、少年の決意に満ちた澄んだ声だった。

そしてトウージュも、己の想いと向き合い戦いの場へと赴く。

「嘘だ! 全部、こいつらのこしらえたデタラメだ!」

 群衆が方から力を抜き、手にした武器を次々と下ろし始める。そんな中から、鋭い罵声が飛んだ。

「皆、こいつらの話なんかに惑わされるな! 俺達の敵は国王だ。国王や王族の連中を倒してこそ、俺達の望む未来はやって来るんだ」

 ツバを飛ばして群衆の関心を集めようとして躍起になっている男の前に、一人の中年女性が立った。

「あんた──」

「な、何だ、お前?」

 突然、間の前に現れた女性の姿に、面食らったようにわずかに男の背中が仰け反る。

「あんた、あたしの顔見ても、何とも思わないんだね……」

「うるさいいっ! 何を訳の分からない事を。邪魔だ、どけ!」

 大声でわめくと、彼女の体を押し退けようと腕を振った。だが彼女は、相手が伸ばした腕を掴むとキッとにらみ付けた。

「あんた、自分の女房の顔も分からないなんて、あたしゃ情けないよ!」

 掴まれた腕に、まるで焼け火箸でも当てられたかのように男は身を引いた。

「お前、そこに何を持っている!? 離せ!」

「離すもんかいよ。この馬鹿亭主。王様殺して、どうすんだい? あたし達にどんな未来があるってんだい!?」

 女は男の腕を掴んだまま、服のポケットの中から水晶で出来た香籠かおりかごを取り出した。

「治療院にいた、神殿の巫女さんからもらったんだよ。化けモン達が嫌がる、聖なる香りが入ってるってね」

 鼻にシワを寄せ、男は身をよじって逃げ出そうとする。それを許さず、女は掴んだ手にさらに力を込め、水晶の香籠を掲げた。

「よせ! やめろ! やめてくれ、頼む!」

「この香りがそんなに嫌だって事は、やっぱりあんたは、もうあたしの知ってるあんたじゃないんだね──」

 硬い声で呟いた女は、その口調とは裏腹にひどく傷付いた目をしていた。きつく唇を噛み締めると、手の中の香籠を嫌がっている男の眉間に当てた。

「う、や、やめ──うあああぁぁぁぁ!!」

 水晶で出来た繊細な細工が肌に触れるか触れないうちに、男は絶叫して痙攣を始めた。黒目がグルリと上を向くと、その白目の部分にもう一つの瞳が現れた。

「ヒッ──!」

 固唾を飲んで二人を見守っていた周囲の者達は、男に現れた変化を目にして、上ずった声を上げて後退った。

「見なさいっ! 見るのよっ! これが真実。この人が『眠り病』になった時、あたしが、あの女の所に連れて行ったのよ。病気を治して欲しくて、あの女薬師の所へ行けば何とかなると、そう思ってた。ああ、病気は治ったさ。だけど、亭主はこの様だよ!」

 自嘲気味に語る女の目には、涙が盛り上がっている。浮き足立っている群衆に向かって、女はさらに言葉を続けた。

「いいかい、良く見るんだ。これが、あの女薬師のした事だよ。あたしはあの女を許さない。そして、あの女の所へ亭主を連れて行った、自分を許せない。この人が王様に逆らって戦争を起こすって言うんなら、あたしはそれを止めなきゃならない。何としでもね」

 香籠を眉間に当てられた男は、異形の瞳をギョロギョロと動かしながら体を震わせている。香に込められた力によるものだろうか、身動きする事は出来ないようだ。

「あたしの亭主なんだよ。だから、あたしが止めるんだ」

 女の目から涙がこぼれ落ちた瞬間、および腰になっていた人垣の中からうなり声が響いた。悲鳴と共に人垣が割れて、声の主の姿が見て取れた。数人の男女が立っている。手に手に獲物を構え、憎々しげな表情で。

「よくも、余計なマネを」

「邪魔だ、どけ!」

 たった今まで自分達と同じ姿をしていた者達が目の前で変貌を遂げて行く様に、ようやく人々の頭にウェイン少年の言葉が染み込み始めた。

『人間じゃなくなっていた──』

 人間ではないだろう。人でいられるはずがない。あのように長くいびつに歪んだ腕を、人間は持っていない。あのように背中から飛び出した棘状の骨を、人間は持ってはいない。あのように堅く変じた肌を、人間は持ってはいない。あのように──。

「せっかく人間のフリをして、群れン中に紛れてたってのによ」

「ああ、まったくだ。馬鹿な人限共をあおって、王家の人間を殺させようとしたのにな」

 醜くしゃがれた声音で語りながら、いやらしい嗤いを浮かべて進み出る。

「まあ、予定外ではあるがな」

「いいんじゃないのか? どうせ俺達が王家の人間を殺しちまえば、ここにいる連中もただでは済まないんだ」

 集った面々はその言葉にハッとする。どうして思い至らなかったのだろう。国王に、国に逆らうと言う事は、国からの庇護を失うと言う事だ。国から追われると言う事だ。それが『国に弓引く』事の意味。そして、目の前にある真実。正義がどちらにあるのか、すでに明白だ。自分達がどちら側にいるのかも。

「どうせ殺されちゃうんだしさあ。だったらいいじゃん。ここであたしらがっちゃったって、御主様は許して下さるよ」

 全身を鱗で覆った女が、舌なめずりをしながら一歩を踏み出した瞬間──。

「これを、待ってたんだよ」

 ウェインの言葉と同時に、夢魔バフォナの集団を取り囲んでいた人垣から幾本かの杖が差し出された。その杖のいずれにも、磨きぬかれた黒曜石がはめ込まれている。

「おいら達が何も考えずに、ノコノコ出て来たと思ってんのかよ」

 黒曜石の周囲に清浄な青い光が集り、空気を震わせていく。杖ごとの青光が広がり結び付き、巨大な光の網となってバフォナ達の頭上に覆い被さった。あれだけ威勢の良かった連中も、光が触れた部分から力が抜けるのだろう。牙をガチガチと鳴らしながら、網の中でもがいている。

「ウェイン、これは──?」

 ただ呆然と事の成り行きを見守っているしかなかったトウージュが、ハッと我に返ってウェインに声をかけた。

「久し振り。兄ちゃんて、お城の偉い人だったんだな」

 大きな息を一つ吐いて肩から力を抜いたウェインが、トウージュに目をやって苦笑した。

「え? あ、ああ……、それより、これは?」

 視線を戻して見れば、杖を持つ者達が人垣の中から姿を現しているのが目に入る。光の網に捕えられたバフォナ達に向かって、鋼とオニキスで造られた夢神エルキリュースの印章を掲げている姿は、町の住人達と同じような服装をしてはいるが、どこか着慣れていない雰囲気をまとっている。

 香の力によって動けなくなっていた男も含めて、体の中のバフォナをどうにかするらしい。夢神の力に締め付けられて苦しいのだろう。ぞっとするような声で吠えると、その口腔から何やら得体の知れない塊が吐き出されてくる。

「う……あ、あれは──」

 黒くヌメる、ブヨブヨとしたトカゲのような塊。一時も形を安定させない、ゼリー状のカエルに似た塊。喉の奥からズルズルと吐き出される、毒々しいオレンジ色をした蛇のような塊。

「神殿の姉ちゃんと一緒にいたのに、見た事ないのかい? これが夢魔の種さ。おいらの父ちゃんと姉ちゃんが、カーティに飲まされたのとおんなじモンだよ」

 吐き出された魔性の種に針のようなものが打ち込まれた。一瞬だけ全身を震わせると、夢魔の種は動きを止めた。それを鋼とオニキスで飾られた壺の中へ納めて行く。

「あれは神殿で祈りを込めて神に捧げられた、リュートの絃だよ。それをロウで固めて針状にして、奴等に打ち込むんだ。殺す事は出来ないけど、封じておく事が出来るんだって、神殿から来た人が言ってたよ」

 一つ一つの作業を見守るウェインの表情は険しい。その厳しく光る目にあるのは、強固な意志。

「おいらあれから、山程考えたんだ。父ちゃんと姉ちゃんに何が起こったのか。おいらは何をすればいいのか。それで思ったんだ」

 自分の家族に起こった事は、きっと他のどこかでも起こっているはずだ。自分と同じ思いをし、同じ苦しみを味わっている誰かがいるはずなのだ。

 ウェインはまず、国の作った治療院で手伝いを始めた。そこで医師や薬師、神殿の巫女との関わりを深めて行った。

 治療院には様々な人が運ばれて来た。中には純粋な病で来る者もいたが、大半は眠り病に関する者達だ。病は医師や薬師が治す。しかし眠り病は、神殿の巫女にしか扱えない。巫女達が施す術を間近に見ながら、ウェインは自分の思いが正しい事を確信した。

 きっと街中に、いや、国中に夢魔に乗っ取られた者達が、何食わぬ顔をして歩き回っているのだ。いくらアイヒナと闇姫が強くても、あの二人だけでは倒し切れない。そして何より問題なのは、本当の事を知る人間が少なすぎると言う事だ。

 治療院に病人を連れて来た者や相談に来た者の中で、話を聞いてくれそうな相手を探して近付いて行った。こうやって同じ考えを持つ者を増やし続けたのだ。

 エルキリュース神殿から派遣されて来ている巫女にも事情を説明し、情報を集めていた矢先、アイナセリョースとイルネアの命令で治療院を閉める事となった。ウィルカの住民による焼き討ちや暴動を懸念して、常駐していた医師や薬師、神殿の巫女、治療院に関わる者達の安全を考えた結果だ。

 街の噂で戦が起こる話を知ったウェインは、仲間と一緒に神殿からの使者と話し合った。国王軍が戦地へ赴き、城の警備が手薄になるこの時を、夢魔達が見逃すはずがない。足許から切り崩しにかかるために、絶対に何かの動きを見せるはずだ。

「だから、神殿には戻らずに残ってもらったんだ。おいら達じゃ、あいつらを封印する事は出来ねえからさ」

 目立つ法衣を脱ぎ、市民と同じ格好をして、それと分からぬように行動を共にしていたのだ。

 頭に血が昇った暴徒の群れに物事を納得させるためには、動かしようのない証拠を目の前に呈するしかない。

「と言う事は、城から兵を送り出すのを待っていたんだな?」

「悪いとは思ったんだけどな。でも、おいら達は数が少ねえ。戦う事にも慣れてねえ。第一戦うったって、昨日まで隣りに住んでた者同士、これから先だってこの街で顔合わせて暮らして行かなきゃならないだろ? 誰かを傷付けたり、傷付けられたりするのは絶対に避けなくちゃと思ったんだ。だから、城から兵隊が出て来るのを利用させてもらったって訳さ」

 夢魔の種を吐き出した男女は、光の網にからめ捕られたまま、その場で昏倒している。彼等を荷車に乗せた初老の男性は、次はどうするのかと言った顔でウェインを振り返った。次々と自分に集まる視線の中、少年はわずかに考え込むと決断を下した。

「閉めてある治療院を開けて、そこに運ぼう。あそこならベッドもあるし、薬もある。大抵の事なら対処できるはずだ」

 いい歳をした大人達が、少年の言葉に従い、動いている。そして誰も不自然に感じてはいないようだ。

「これを、君が全部考えたのかい?」

 軽い驚きを感じながら、トウージュはウェインに問いかけた。

「ん。所々は皆にフォローしてもらったけどね。けど、大体はおいらが計画したんだ。だって、おいらが言い出した事だろ? だから、おいらが責任を取らなきゃ、と思ったのさ」

 何でもないと言う顔で、ウェインはトウージュに答えた。しかし『人を率いる』という事は、そう簡単な事ではない。

(こいつは将来、とんでもない大物になるかもな)

 ウィルカの住人達の間に、動揺が広がっていた。良き隣人であり、家族であった者達が、目の前で豹変した事実に市民はおびえて浮き足立っていた。側に立っている人間がいきなり怪物に変身するのではないかと、疑心暗鬼に陥っているのが見て取れる。

「あ、あたしも、薬師様ン所でお薬をもらって……」

 震えながら両手をもみ絞り、一人の女性がオロオロと視線をさ迷わせながら口を開いた。途端におびえた目をした者達が、音を立てて後退った。

 そうだ。カーティはこの街で、腰を据えて治療を行っていた。ならば、バフォナの種を植え付けられた者がこれだけとは思えない。この場を放置すれば、今度は街の住人達の間で疑心にまみれた『魔女狩り』が横行しかねない。

 だが、とトウージュは思う。顕現けんげんしていないバフォナを見つける事は、果たして可能なのだろうか? アイヒナが呪を織り込んだ歌によって、バフォナの気配を探るのを見た事がある。闇姫が、その特殊な能力によって獲物を探り当てるのも、知っている。しかしそれは、あの二人に限った事なのかどうか。トウージュは知らない。神殿に仕える他の巫女達にも、バフォナの気配を探り出す事は出来るのか……?

 次々と不安を口にし始める人の群れに、ウェインの声が響いた。真っ直ぐで、決意に満ち、己の信じる道を貫こうとしている少年の声は、人々の心に突き刺さり染み渡って行く。

「もしも夢魔の種を飲まされていたとしても、この街に残った連中は軽症だ。症例の重い、融合の深い連中はノーヴィアと一緒に戦場へ行っちまったからな。だから、おいら達の話を良く聞いて、神殿の巫女様方の言う通りにするんだ。大丈夫。信じてくれ。助けられる者は、必ず助ける」

 怒りと憤り、不安と疑心にささくれ立った大人達の心が、少年の真摯な言葉によって満たされ、癒されていく。ざわついた気持ちが、不思議と静まっていった。

 ウェインの仲間が、群衆を先導し始めた。

「大丈夫だ。あの女の薬を飲んだ者は、こっちへ」

「安心しろ。種を植え付けられていても、目覚めさせないように抑えておける」

「さあ、香と聖歌で清めてもらった水だ。これを飲んで。種を抑えてくれるから」

「眠くなる者がいたら、無理をせずそのまま眠るんだ。俺達がちゃんと運んで行ってやるから」

 手際良く進められる作業に、正直、瑰国の王弟は舌を巻いた。自分と兵達では、これ程速やかに人心を静め、掌握する事は出来なかっただろう。

 トウージュの隣りに立つウェインに、幾人かの男女がやって来た。それぞれに、不安と苦しみを抱えた表情をしている。

「あんた、先刻言ってたよなぁ。症例の重い奴等は戦場へ出ていったって。それって、どういう事なんだ?」

「うちのせがれは、公爵様ン所に働きに行ってんのよ。せがれは助かるのよね?」

 すがりつかんばかりに迫って来る大人達に向かって、年端もいかぬ少年は切なく、苦渋に満ちて言葉を発した。

「今、見ただろう? 人が人でないモノに変わっていくのを。あれがギリギリのラインだ。ノーヴィア公爵と一緒にオーガスベルへ行った連中は、段階が進んでいるんだ。種は人間の体内で夢魔として目覚めると、まず、その人間の心を食って行く。食い尽くされた後に残るのは『器』としての体と、人の姿をした夢魔だけ。そうなってしまったら、もう誰にも助けられない。おいらの父ちゃんと姉ちゃんも、そうだった──」

 少年の長い言葉が終わると、息子の身を案じる母親は両手で顔を覆って泣き崩れた。

「ごめんな、おばちゃん。本当はもっと、希望を持てるような事を言ってやれればいいんだろうけど……。それでもやっぱり、嘘は吐けないんだ。責められる事を分かってて、でも本当の事を教えてくれたあの人の想いを無駄にしないためにも、おいら、気休めは口に出来ない」

 ウェインが語った『あの人』とは、夢織りであるアイヒナの事だ。父と姉を救ってくれと頼んだあの時、彼女は「救えない命もある」とはっきり告げた。希望的観測を口にする事も出来たはずなのに、アイヒナはそうしなかった。夢魔に関わる者としての責任果たすために。そしてその想いは、ウェインに受け継がれた。

「さあ、奥さん。一緒に行こう、な?」

 知り合いらしき男性に抱えられて、ウェインとトウージュの前から去って行く女性は悄然しょうぜんとうなだれている。その後ろ姿を見やりながら、ウェインは強い口調で言った。

「大丈夫だ。オーガスベルには、夢長様もいる。可能な限り助けると約束してくれた。それに──」

 視線を上げると、ウェインは珠春宮を見つめた。

「本当に大切なのは、オーガスベルの戦でも、おいら達の戦いでもないのさ。そうだろ?」

 少年の言葉に、トウージュも視線を上げた。見慣れたはずのパーティルローサは、なぜだかいつもと違って見える。

 自身の封印を解くために、アーカバルは謁見の間を目指すだろう。玉座にかかる封印は、王家正統の血筋を絶やす事で解ける。そのためにサマル・ビュイク・ノーヴィアを抱き込み、国王に対し反逆するよう仕掛けたのである。兄王亡き後、王位を継ぐ唯一の存在であるトウージュを消すために、ウィルカの街で暴動を起こしたのだ。暴徒と化した街の住人達に、鎮圧にやって来た王弟を殺させるという筋書きだったのだろう。万が一にも仕損じた時の事を考えて、住人達を煽動するために紛れ込んでいたバフォナがトウージュの命を奪う手はずになっていたはずだ。

 さすがのアーカバルも、ウェインというイレギュラーな駒の出現は予想外だったではなかろうか。少年とその仲間が現れたために、人々は正気を取り戻し、バフォナは捕えられた。

 しかしもしかしたら、アーカバルにとってそんな事は些末事さまつごとでしかないのかも知れない。『王家直系でない者が玉座に就く』事が封印解除の条件であったとしても、アーカバルはそれに従わないかも知れない。これまでの時間を自分の力を蓄えるために使い、充分に力が戻った所で玉座の封印を力尽くで破らんとしているのでは──。様々な想いがトウージュの胸を去来する。果たして、アイヒナに勝機はあるのか? もしも彼女がアーカバルに負けたりしたら、この世界はどうなってしまうのか?

 物思いに沈み込んだトウージュを、現実に引き戻したのはウェインの澄んだ声だ。

「兄ちゃん。街の方は、おいら達に任せてくれていいよ。もう暴動なんか起こさせたりしない。だから兄ちゃんは行ってくれよ」

「ウェイン?」

「おいら、夢長様と話をしたんだ。夢長様は教えてくれた。姉ちゃんが何と戦っていて、これからどうしなくちゃいけないのか。兄ちゃん。姉ちゃんを一人で行かせちゃ駄目だ」

 じっとトウージュの目を見つめながら、ウェインは城を指差した。

「だ、だが──。俺には、彼女を助けるどころか、足を引っ張りかねない」

「側にいればいいんだよ。姉ちゃんの事、好きなんだろ? 姉ちゃんを一人で、あいつと戦わせちゃ駄目なんだ。姉ちゃんの心を守れるのは、兄ちゃんしかいないんだぞ」

 両手を握り締めてトウージュに食ってかかる姿は、とても人心を把握し動かしていた少年と同じ人物とは思えない程、年相応のものだった。

「でも俺は、街を──」

「あー、もう! 何をグズグズ言ってんだよ! 悩んでるヒマがあったら、さっさと姉ちゃんトコ行けよ!」

 二人のやりとりを近くで聞いていた兵士の一人が、あまりにも無礼なウェインの言葉に顔色を変えた。

「こら! 殿下に向かって、何て口の利き方をするんだ!」

 襟首を掴まれたウェインは、手足をジタバタさせながらトウージュをにらんで怒鳴った。

「殿下だろうが王様だろうが、関係ねえだろ! 好きな女を助けるのに、身分が必要なのかよ? 兄ちゃんは姉ちゃんの事が好きなんだろ? 助けに行くのに、他に何が要るってんだよ? おいらが大人だったら、自分で助けに行くさ。でも、おいらじゃ駄目なんだ。おいらはまだ子供だから。兄ちゃんなら姉ちゃんを助けられるんだよ!」

 ウェインを黙らせようと、兵士が荒い口調で叱りつけた。

「いいかげんにせんか! 子供でも許さんぞ!」

 兵士が腕を振り上げると、少年は目をつむって首をすくめた。

「待て! よすんだ」

「しかし……」

「いいんだ。この子の言っている事は正しい」

 トウージュの制止に、兵士は戸惑いながらも、その通りにした。

「そうだな。好きな女を助けるのに、何も必要なものなどないな──。連隊長!」

 自嘲気味に呟くと、トウージュは意を決したように声を張り上げた。

「はっ!」

 肩に隊長章を付けた壮年の男性が、トウージュの前に進み出て最敬礼をとった。

「ここはお前達に任せても大丈夫か?」

 思いもかけなかった言葉に、一瞬だけ眉を吊り上げた連隊長だったが、すぐに何かを察した顔になって頭を下げた。

「この場はどうぞ、我等にお任せ下さい。民の事は、ここにいる者達と図りながら安全を最優先に考え、必ず守るとお約束致します。殿下は殿下の行くべき道を、迷い無くお進み下さい」

「……済まないな、連隊長」

「お気遣い無く。殿下のわがままに付き合わされるのには、慣れておりますよ」

 微苦笑しながら告げられた言葉に、トウージュも笑みを返した。

「ウェイン、連隊長、街を頼む」

 瑰国の王弟は二人に頭を下げると、広場に背を向けて走り出した。その後ろ姿を見送り、壮年の男性と成長期の少年は顔を見合わせた。

「さて、それでは。何から始めればよろしいかな、ウェイン殿?」

「じゃあ、聖水の作用で動けない人達を、治療院へ運んで下さい」


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