21章 守るべきもの・守りたいもの
いよいよノーヴィア公爵が兵を動かした。
それを迎え撃つ為に、トウージュは将軍達を説得して戦略を巡らせる。
この世界をかけた戦いの幕が気って落とされようとしていた。
トウージュが珠春宮に帰り着いたのは、泉の街を出発してから五日後の事だった。宿の主人が用意してくれた青毛の若駒は、トウージュの焦りを知るかのように良く走った。
通り抜けた村や町は不穏な空気に包まれ、人々は浮き足立っていた。ただその中でトウージュの目に不思議に映ったのは、設立されたばかりの国立治療院の前に行列する人々の姿だ。最小限の休息で王都を目指していたトウージュには、その理由を探る暇はなかった。
急ぎに急いで、それでも珠春宮パーティルローサへ戻り着いたのは深夜を回っていた。
「開門! 開門!」
絞り出すようにして張り上げられたトウージュの声に、パーティルローサの城門は慌しく開かれた。
門扉が開ききる前に、すり抜けるようにして城門内に走り込んだ騎馬の姿に、周囲にいた物達は急いで飛び退いた。正門前に騎乗したまま乗りつけたトウージュは、鼻息も荒く首を振っている青毛の馬から飛び降りた。
「殿下! トウージュ王弟殿下!」
夜番の兵士から報告を受けたのだろう。宰相のリュフォンが、城の正門まで王弟を迎えにやって来た。
「よくぞ、ご無事でお戻りになられました」
「リュフォン、挨拶は後だ。兄上は?」
階段を上がり、松明に照らされた回廊を早足で進みながら、二人は会話を交わす。
「陛下は、すでにお休みでございます。妃殿下とノーヴィア公爵夫人が起きておいでですので、お知らせしておきました」
「義姉上と叔母上が? このような時間まで」
「はい。神殿の巫女より報せが届いてから連日遅くまで話し合っておいでです。あまり根を詰められてはお体に障ると、私共も申し上げているのですが──」
眉根を寄せて顔を曇らせたリュフォンに、強行軍で薄汚れてしまった王弟殿下は労いの言葉をかけた。
「そう言うお前だって、大した顔色だぞ。義姉上や叔母上の事を心配する前に、自分の身を労わるんだな。お前が倒れたりしたら、それこそ一大事だ」
長い回廊を抜け、瑰国王妃の私室前に立つ。
「妃殿下、公爵閣下夫人、失礼致します。トウージュ王弟殿下が、お着きでございます」
静かなはずの深夜。なのにどこか浮ついていて、耳に不快な空気の流れる夜。部屋の扉は内側から開かれた。
「トウージュ殿、お久しゅう」
「叔母上──」
王妃の私室に通されたトウージュは、地図と書類に囲まれたアイナセリョースに一礼した。
「義姉上、ただ今戻りました。長い間、留守をお任せしてしまって、申し訳ありません」
「トウージュ殿下。よくご無事でお戻り下さいました。お待ちしておりましたわ」
立ち上がったアイナセリョースが、トウージュに近寄り、汚れたマントの上から抱き締めた。
「あ、義姉上! 汚れてしまいます!」
あたふたと慌てるトウージュに向かって、アイナセリョースは少しだけ笑って見せた。その瞳がいたずらっぽく光っている。
「だってこれは、殿下が急いで戻ってきて下さった証ですもの。構いはしませんわ」
「トウージュ殿がお戻りになられて、私共がどれだけ心強く思っているか」
ノーヴィア公爵夫人イルネア・エメスが、瞳をうるませながら声をかけた。
「有難うございます。叔母上もお変わりなく」
「ええ、お蔭様で、本当はこんな形で再会したくはありませんでしたが……」
「叔母上のせいではありませんよ。あまり、ご自分を責めないで下さい」
苦しげに顔を歪めたイルネアの肩に手をかけ、トウージュは叔母を覗き込みながら口を開く。
埃にまみれたマントを受け取り、ドアの脇に控えていたリュフォンが頭を下げた。
「まだお話になられるのでしょう。それでは、何か軽いものとお茶を用意して参りましょう」
「リュフォン。あなたも気を使わずに、休んで頂戴」
地図の広げられたテーブルの前に戻ったアイナセリョースの言葉に、瑰国の宰相は苦笑した。
「それは、皆様方も同じ事でございますよ。軽食のご用意が出来ましたら、私も休ませて頂きます。夜が明ければ、陛下もお話を聞かれたいと思われますでしょう。皆様方もどうか、少しはお休みになられて下さいませ」
「ああ、約束しよう。話が終わったら、お二方には必ずお休み頂くよ」
トウージュがリュフォンの言葉にうなずくと、宰相は温かく微笑んだ。
「お二方だけではなく、殿下もお休みになって下さいまし。お願い致しますよ」
そう言い置いてリュフォンが部屋を意出て行くと、頭をかきながらトウージュは椅子に腰掛けた。
「リュフォンにも、心配ばかりかけていますね」
「国の大事なのですもの。リュフォンも判っておりますわ」
テーブルの上に広げられた地図は、四方を水晶の原石を加工した置物で押さえられ、所々に赤いインクで描かれた印と大理石の駒で飾られている。
「ノーヴィア公爵の動きは、いかがですか?」
地図を確認しながら、トウージュはアイナセリョースに尋ねた。
「公爵領を見張っている者からの連絡によれば、サマル・ビュイクと賛同する貴族達は、周辺の者達を集めて武器を与えているようですね」
「自分の事を、瑰国の正統なる次期国王と称して、人々に命令を下しているのですわ」
ノーヴィア公爵領には赤いインクで大きく囲まれ、黒大理石の駒が置かれている。
「最終的には、どれだけの軍勢になるのでしょう……」
ため息と共に発せられた問いは、事態に関わるもの全てが抱えている不安でもある。
トウージュは公爵領から王都までの道を辿り、周辺の地形を確かめながら口を開いた。
「相手を王都に入れる訳には、いかないな。だが、珠春宮を空にする訳にもいかない。城が空になった隙に、ウィルカの住人をそそのかした連中に攻め入られたくはないからな」
カジカジと爪を噛むトウージュに、夜食のワゴンを押してきたリュフォンが、湯気の立つカップを差し出した。
「昔の癖が出ているようですね、殿下。深爪をしてしまいますよ」
「あ、ああ、悪い……」
受け取ったカップには、たっぷり目のミルクと砂糖を入れた熱い茶。
「疲れた頭では、良い知恵も浮かばぬでしょう。しっかりとお休みになられて、それからに致しましょう。何か動きがありましたら、必ずお伝え致しますから」
リュフォンの懇願に、三人は一様に息を吐き出した。
「ええ、判っているわ。──判ってはいるのだけど……」
椅子の背もたれに身を預け、アイナセリョースは両の目蓋を押さえた。
「このお部屋にいらっしゃるのは、瑰国の要。倒れれば国が傾く柱でございます。どうぞ、お体をおいとい下さいませ」
「私達が休まねば、リュフォン殿も落ち着かないでしょう。ちゃんと休みますから、安心してくださいな」
イルネア・エメスが穏やかに伝えた。宰相は静かに一礼すると、王妃の私室を後にする。
「きっと──もう時間は残されていないのでしょうね」
噛み締められた朱唇の間から、苦しげな言葉が押し出された。
「アイナセリョース。リュフォン殿が申される通りですよ。今のうちに、少しでも休んでおきましょう。どうせすぐに、休みたくても休めなくなってしまうのですから」
苦悩するアイナセリョースの肩に手を置き、そっと寄り添いながらイルネアは声をかけた。
「立ち向かうのは、義姉上だけではありません。俺も戻って来ました。必ず、この国も兄上もお守りします」
トウージュの言葉に、アイナセリョースはかすかに微笑んだ。
「守れるかしら?」
「守ります。絶対に守ります」
義弟の力強い返答を聞くと、瑰国王妃は立ち上がった。
「夜明けまで、大した時間もありませんが……。陛下の御前で、居眠りしたりしたら大変ですものね」
「そうですよ、アイナセリョース。さあ、少しでも休んでおきましょう」
王妃に寄り添う公爵夫人の姿を見て、トウージュも席を立った。
「叔母上、義姉上をお願い致します」
自分がいては、アイナセリョースも休みにくかろう。トウージュは王妃の私室を出ると、自分の部屋へ向かった。
季節は本格的な冬を迎えようとしている。雪が降り始める前に、すべてを終わらせなくてはならない。寒さの厳しい北の大国・瑰。長く振り続く雪の中での戦いは、敵味方・双方の軍勢に多大な犠牲を強いるだろう。そしてそれは、どちらもこの国の民なのだ。
「サマル・ビュイクも、まさかのこ時期に戦いを仕掛けてこようとは……。いや、今、この時期だからなのか?」
まともな指揮官ならば、冬へと向かう時期に戦闘を始めたりはしない。何か目算があるのか。それともただ単に、季節など気にもならないという事か。
「宮城を空にせず、サマル軍を迎え撃つ……。駐留させる兵に、どれだけの人員を割けるのか──」
解決しなくてはいけない問題は山積みで、しかもそれが、増殖する兆しすら見える。
大きく息を吐くと、途端に重くなったような気がする足を引きずり、ようやく自室に辿り着いた。ドアを開ければ、留守中にもキチンと掃除され、手入れの行き届いた空間が広がっている。
「けど……安宿の方が居心地がいいと思っちまう俺は、何モンなんだろうね?」
毛足の長いカーペットを踏み、天蓋付きの巨大なベッドに歩み寄る。とにかく着ている服を脱ぎ捨て、ブーツを放り出してシーツに潜り込んだ。ふかふかの布団と枕にうずもれながら、トウージュは自分自身の適応能力の低さに呆然と呟いた。
「──ベッドが贅沢すぎて、眠れねー」
**
柔らかな朝の日差しが部屋を照らし、早起きの鳥達がエサを求めて飛び交っている。
軽いノックの後、部屋のドアが静かに開かれた。
「殿下、お目覚めでございますか?」
うつらうつらとしていたトウージュの耳に響いたのは、近侍の声ではなくリュフォンのものだった。
「んん、ああ。お早う、リュフォン。でも、これは宰相の仕事じゃないだろう」
のっそりと起き出したトウージュの言葉に、カーテンを開きながらリュフォンが答えた。
「それはそうなんですが……。実は、陛下がお話を聞きたいと仰せで。誰かに言いつけるよりも、私がお呼びした方がよろしいかと思いましたので」
それにしても、リュフォンはいつ眠っているのだろう? そんな事を考えながら、トウージュはベッドを抜け出し、用意されていた水盤で顔を洗う。差し出されたタオルで水を拭い、苦笑しながら振り向いた。
「リュフォン。もう小さな子供じゃないんだ。自分の事くらい自分でできるようになったよ」
宰相の顔にも笑みが上る。
「左様でございましたな。久し振りに殿下がおいでになるものですから、ついついお世話を焼きたくなってしまうのですよ。またいつ、お出かけになられるか分かりませんからな」
「当分の間は、姿をくらましたりしないよ。それどころじゃないからな」
手早く身支度を整え、トウージュはリュフォンと共に国王の寝所を目指す。
「兄上のお加減は? 落ち着いていらっしゃるのか?」
「ええ。この頃は落ち着いていらっしゃいます。殿下がお戻りになられるのを、心待ちにしておられましたよ。夜中に殿下がお帰りになったとお聞きになり、ぜひとも一緒に朝食を摂りたいと仰せになられましたので」
久し振りに見る兄王コルウィンは、最後に見たときよりも、随分と顔色が良いように感じられた。
「久しいな、トウージュ。元気そうなお前の顔が見られて、嬉しく思うよ」
「兄上もお元気そうで安心しました。戻るのが遅くなってしまって、申し訳ありません」
「さあ、挨拶は終わりだ。余と共にテーブルについてくれるな?」
トウージュはコルウィンに近寄り、ベッドから起き上がる兄に手を貸した。テーブルへと向かうコルウィンの足取りも、思ったより力強い。それは、暗く沈んでいた彼の心を幾分か軽くした。
朝食を口に運びながらも、コルウィンは旅の様子を聞きたがった。自分の足で知る事のできない、王都ハディースの、地方の村や町の、瑰国の様子を知りたがる。
「兄上。全部終わって、瑰という国が変らずにあって、兄上の体が快癒なさったら、一度行って見ませんか? 美しい山や美味い水や、優しい人々に会いに。兄上にも知って頂きたいのです。この国に住まう人々の、本当の生活というものを」
「アイナセリョースにも言われたな。閉じられた世界の中では、見えるものも見えないと。余は『王』であるだけで、国の事を何も知りはせぬのだな……」
「これまでの時間は、国の基盤を固めるためのものだったのですよ、きっと。知らなかった事を知るのに、遅過ぎるという事はないはずです」
「まだ、余は間に合うであろうか? 民達はまだ、余を見限らずにいてくれるであろうか?」
スープの皿の中に銀のスプーンを落とし込んで、コルウィンは窓の外へ視線を投げた。手にしていた食器を下ろし、トウージュは優しい目で病身の兄を見た。
「兄上。ある人から、言伝を預っております。『我々は誓って、国王を裏切る事はありません』と。国王は真面目で民の事を思って下さる方だとも言っていました。兄上を信じている者が、この国にはまだまだいるのです。どうぞ、お心を強く持って下さいませ」
久し振りに兄弟での朝食を済ませると、食器の片付けられたテーブルに、瑰国の地図が広げられた。
「サマル・ビュイクの軍が、王都に入り込む事だけは避けなくてはなりません。ただでさえ不安定な人心が、反乱軍を目にしてどうなってしまうか、想像に難くありません」
「その通りだ。この戦は民には関わりなき事。万が一にも王都や近隣の街村に害の及ぶような事があってはならない。我が方の軍を動かすにしても、場所は慎重に選ばねば」
地図の上を指で辿り、コルウィンとトウージュは額を突き合わせて相談をする。そんな中、慌しく寝所の扉を叩く音が響いた。
「陛下、良くない報せでございます」
眉を曇らせたリュフォンが、室内の二人に頭を下げた。
「サマル・ビュイクの軍が、公爵領を出たという報せが参りました」
「動いたか……」
トウージュは地図に視線を走らせた。王都と公爵領を結ぶ街道。
「兄上。今からなら、オーガスベルの平原で迎え撃つ事が可能なのではないでしょうか? あそこならば、森に兵を隠す事も出来ます。木立ちの影に射手を配置すれば、相手は防ぐ手立てはないでしょう。地形的にも有利です」
アゴに手を当てながら、トウージュはコルウィンに提案した。その意見にコルウィンの顔に、驚きと誇らし気な表情が浮かんだ。
「トウージュ、我が弟よ。そなたが戻って来てくれて余がどれ程心強く思っておるか。そなたにも分かるまいよ」
その言葉にトウージュは、照れたように微笑んだ。
「俺の命は、この国と兄上のためのものです。どうぞご存分にお使い下さい」
「それはならんぞ。確かに瑰王家の人間として生まれたからには、我等の生命は国のものだ。だがそれ以外は、誰のものでもない。そなたはそなたのために生きなければ」
静かな声で、しかし厳しく諭されて、トウージュは深い愛情が胸を支配するのを感じた。
「それでも俺は、兄上のために生きたいと思いますよ」
兄であるコルウィンが、自分に対して抱いている愛情が流れ込んでくる。しかし、それ以上に、トウージュはこの実直な兄王を愛しているのだ。己の身を捧げてもいいと思えるほどに。
「リュフォン。すぐに動かせる軍勢はどれ程あるのだ?」
「陛下の身辺を警護する近衛隊が二隊。王宮警邏のための常駐軍が七部隊。街道警邏に十二部隊。地方・辺境へ出ている三十四部隊です。そのうち地方・辺境での三十四部隊は、行軍中に合流出来るでしょう」
手許の書類からそれだけの事を読み上げると、宰相は国王と王弟を見た。
「叛乱軍は、ノーヴィア公爵の私兵が五部隊。賛同している貴族達の兵が二十部隊。数の上ではこちらの方が上回っておりますが、行軍中に群集が合流するかもしれません。最終的に、どの位の数になるかは不明です」
リュフォンの説明を聞きながら、トウージュの視線は忙しく地図の上を動き回っている。
「オーガスベルは一方が湿地になっている。地方・辺境部隊は、今から動いても合流するまでに時間の差が生じるな……。だとすれば……。いや、それには、少なくともこちらの数が三分の一、最低でも四文の一は上回っていなくては……」
親指の爪を噛みながら、自分の考えに没頭している。地図上のオーガスベルの地形をなぞり、頭の中で陣形を組み立てては崩し、崩しては組み立てる。
「数だ……。せめて公爵軍より四分の一、こちらが上回っていれば……」
トウージュが苦々しく呟いた時、部屋の扉が開いた。
「その事でしたら、わたくし達が解決して差し上げられると思いますわ」
入ってきたのは、若草色のドレスに身を包んだアイナセリョースと、臙脂色のドレスのイルネア・エメスである。
「義姉上、叔母上」
立ち上がって二人を迎えたトウージュに微笑むと、広げられた地図の上に書類の束を置いた。
「義姉上、これは?」
不思議そうに一枚を取り上げる義弟に、アイナセリョースは厳かに宣言した。
「国中から集められた、国王軍への志願者名簿ですわ」
「志願者? 余は戦のための志願者を募った覚えはないぞ」
コルウィンも羊皮紙の一枚を手に取った。眉間にシワを寄せて書面を確認する国王に、イルネアが答えを与えた。
「これらの者達は、自ら志願してきた者ばかりです。一人として、無理強いした者はおりません」
「自ら? なぜだ? これは余とノーヴィア公爵との戦いであろう。どうしてこれ程の民達が戦のために立ち上がるのだ?」
年若い国王は不思議そうな表情で、羊皮紙から顔を挙げた。
「余はこの戦に、瑰の民を巻き込むつもりはないのだ」
「兄上。これは民の戦でもあるのです。この瑰に暮らす者として、いや、この世界に生きている者として、戦わなくてはならないという事なのでしょう」
「国王の座を狙う公爵の叛乱などと言う、この世の道理で割り切れるものではないのです。あのカーティという娘は、私達には及びもつかぬ巨大な力を持つ存在である事は間違いありません。そのような存在に立ち向かうには、私達だけでは力が足りません」
「もはや、余一人の問題ではないと言う事だな……」
手にしていた羊皮紙をトウージュに渡し、コルウィンは弟に声をかけた。
「どうだ、トウージュ。作戦は立てられそうか?」
「ええ、これだけの人員があれば、思った通りの陣形がとれそうです」
「ですが、トウージュ殿下。志願してきた者達は、農民や商人といった者ばかりです。武器を持って戦場で戦った事などないのではございませんか?」
リュフォンの疑問も、もっともだ。これまで武器を持った事のない者達を訓練し、戦場に立てるようになるまで何日もかかる。それ以前に、志願者達の命を危険にさらす事をコルウィンが許すはずもない。
「大丈夫だ。戦を職業としない、軍人ではない者達を最前線に送り出す訳にはいかないからな。それには俺なりの考えがある」
地図から顔を挙げたトウージュは、自分を見つめる面々を見返した。
「すぐに将軍達を集めて下さい。あとは、時間との戦いです」
その言葉を聞いて、王妃と公爵夫人、宰相は王の寝所を飛び出して行った。一分一秒が重要となる。まさに「時間との戦い」である。
会議室に各部隊の将軍が顔を揃えたのは、トウージュの召集から十分後の事だった。部屋の中央にある巨大なテーブルには、オーガスベル周辺の地図が広げられ、黒檀の駒が置かれている。
会議室に入ったコルウィンとトウージュは、集った将軍達の顔を見渡した。
「卿らも聞き及んでいるだろう。ノーヴィア公爵が兵を動かした。これらの者達を王都に近づける訳にはいかない。我等はこれを、オーガスベルで迎え撃つ事とする」
指揮杖で地図を示しながら、トウージュは将軍達に説明を開始した。
「恐れながら、殿下。それは賢明な事でしょうか? オーガスベルは木立ちや湿地があり、陣形を展開するには不向きなのでは?」
説明を聞いた将軍の一人から、不信気な問いが発せられた。
「地形的に見て、オーガスベルは陣形向きではないと思われます」
王宮に居場所を定めない王弟殿下の存在は、将軍や軍人達にとって扱いに困るものだった。『王弟』という身分は無視するには大き過ぎる。しかし、フラフラと気ままに王宮を抜け出すこの王族は、果たして信用するに足る人物なのか?
「戦の専門家である卿らからしてみれば、俺の言葉に不信を抱くのも無理からぬ話だ。俺自身、王宮内で信用がない事も良く判っている。だが、国の大事を思う気持ちは卿らと同じだ。とりあえず、話を聞くだけは聞いてくれ」
トウージュが訴えると、隣りに腰掛けていたコルウィンが立ち上がった。
「余の偉大な将軍達よ。卿らは、余の言葉の如く、トウージュの言葉を聞かねばならぬ。なぜなら、彼は余の目であり、余の耳であるからだ。今この場にいる者の中で、彼程正しく事態を認識している者はおらぬだろう。余は我が弟の言葉に、全幅の信頼を置くものである」
病がちな年若い国王は、自分の意見を強く前に出す事はない。将軍達はともすれば、国王の判断ではなく己の判断を優先してしまうのだ。政に積極的に参加する事の出来ないコルウィンを差し置いて、自分達が国を動かしているかのような錯覚に陥ってしまっていた。それ故に、国王の発言をないがしろにする傾向があったのだ。
「こたびの戦は、単なる王位の簒奪ではない。ノーヴィア公爵の背後には、我等には及びもつかぬ大きな力が働いているのだ。そして我等は、この戦に是が非でも勝たねばならぬ。でなければ、瑰国のみならず、世界に闇がはびこる事となろう」
コルウィンは強い決意を宿した瞳で一同を見回す。常にはない国王の姿勢に、会議室に集った面々は息を飲み込んだ。今この場に立っているのは、病弱で控え目な青年ではなかった。命令する事に慣れた、生まれながらに人の上に立つ事を運命付けられた者。まさに『王』の姿がそこにはあった。
「人として、今こそ立つとき。余の偉大なる将軍達よ。迷う事無くトウージュに従うのだ。我等の働きが光と闇の雌雄を決する。それを心に刻み置け」
初めて聞くコルウィンの厳しい言葉に、鎧を鳴らしながら一人の男が立ち上がった。
「陛下。我等は陛下のお言葉に従いましょう。陛下とこの国をお守りするのが我等の務め。ぜひともこたびの戦、勝たねばなりますまい」
その相手の顔を見て、トウージュは微苦笑を浮かべた。
「ライナス元帥……」
灰色の髪をした初老の軍人は、トウージュが子供の頃から苦手に感じていた人物だ。生真面目な表情と冷たく光るアイス・ブルーの瞳は昔と変らない。
「トウージュ殿下。殿下のお考えになった策を、我等に教えて頂きたい。陛下のお話から察するに、残されている時間はあまりないのだろう。こうしている一分一秒が惜しい」
中身も、トウージュが知っているライナスのままだ。
「よし、話を続けよう。ライナス元帥が指摘した通り、時間はあまり残されていないからな」
トウージュは指揮杖を構え直すと、改めて地図に視線を落とした。
「それでは作戦を伝える」
オーガスベルの地形を利用して考案した陣形を将軍達に説明していくと、軍人達の目に理解と驚きの色が浮かんだ。
「殿下。これまで、このような戦略を用いた者はおりませぬ。いかようにして、思いつかれたのか……。これならば、奴等の度肝を抜いてやる事が出来ましょう」
一通りの説明を聞いた将軍達が、興奮気味に言葉を交し始めた。
「この作戦を元に、部隊の編成を急いで欲しい」
「御意」
王弟から示された作戦を踏まえて、各部隊が配置を検討している最中、会議室の扉が慌しく叩かれた。
「何事だ! 今は大事な作戦会議中だぞ!」
「も、申し訳ありません……ですが……」
「許して上げて下さいな。わたくしが無理を言ったのですから」
上官に怒鳴られて小さくなっている兵士の後ろから、柔らかな声がかけられた。兵士の背後から現れたのは、アイナセリョースとイルネアの二人だ。このところ二人は、行動を共にする事が多くなっていた。
「これは、妃殿下! 公爵閣下夫人!」
二人の姿を認めた将軍が、慌てて非礼を詫びようとするのを押し止めて会議室に入って行った。
「義姉上、叔母上、いかがなされたのですか?」
立ち上がろうとする一同を制止し、アイナセリョースはドレスの裾をさばいた。
「先程、宗都サンガルのイシュリーン大地母神殿大神官殿からの密使が到着しました。瑰国にある全ての神殿からの書簡を携えて」
王妃の言葉を継いで公爵夫人が口を開いた。
「瑰国全土の各神殿は、この戦に僧兵を派遣するとの事です」
神殿を守る僧兵は、行動力に長けた兵士であるだけではない。各神殿で修行を積んだ神官でもあるのだ。
「それは有り難い。僧兵達がいてくれるのであれば、バフォナの事を心配せずに戦いに集中できるぞ」
トウージュが嬉しそうに口にのぼらせた言葉に、ライナスが眉をひそめた。
「こたびの戦に、何故、神殿が関わってくるのでしょう? 宗教的な問題はないはずですが。それに、殿下が今口にされた『夢魔』とは、一体何者なのですか?」
何もかもを見透かすようなアイス・ブルーの瞳が、トウージュを正面から見つめた。ここで適当な事を言ってごまかす事も出来た。だが、わずかに考え込んだトウージュは、その考えを打ち消した。
「卿らにも知っておいてもらいたい。今この世界では、二つの異なる戦いが進行している。そのうちの一つが、我々が関わっている戦いだ。そしてもう一つは、神々の次元での戦いなのだ。我々とは別の次元で戦っている者がいるのだという事を覚えていて欲しい」
「我等の他に、と言う事ですか?」
「そうだ。我々の戦いも負ける訳にはいかない。そして彼等が関わっている戦いも、絶対に負ける訳にはいかないものなのだ」
トウージュの話に、ライナスは苦笑した。トウージュが覚えている限りで、ライナスが笑ったのを見たのはこれが初めてだ。
「我等のような軍人には、及びもつかぬ話でございますな。ではもしや、敵陣の中に人外の力を持つ者が?」
「そうなるだろう。だから各神殿が僧兵を出してくれるのであれば、我等は目の前の戦いにだけ専念すれば良いと言う事だ。剣を交えている最中に、余計な心配をしたくはないからな」
地図の上に置かれた黒檀の駒を並べ直しながら話し込む二人に向かって、イルネア・エメスが声をかけた。
「ライナス元帥。私と王妃殿下も、オーガスベルへ参りますわ」
思いもしなかった言葉を聞いて、王弟と元帥は弾かれたように顔を挙げた。いや、二人だけではない。部屋に集った将軍達も、弟と臣下の話に耳を傾けていた国王も同じ行動をとった。
「叔母上! 何をおっしゃっておられるのです! これは戦なのですよ!」
焦ったトウージュの言葉に答えたのは、アイナセリョースだ。
「判っています。何も最前線に立って、武器を持って戦おうと言うのではありません。戦いになれば、多くの怪我人が出るでしょう。例え、それが敵陣の人間だとしても、瑰国の民である事に違いはありません。ましてや、邪なる力によって目を曇らせているとなれば、なおさら放っておく訳にはまいりませんわ。わたくしとイルネア公爵閣下夫人は、後方で怪我人の治療を指揮します」
夫の言葉も義弟の言葉も、元帥の言葉も将軍達の言葉も、二人の女性の決意を揺るがす事は出来なかった。