18章 揺れる選択・下された決断
アイヒナは、領主が設立したという孤児院に潜入する。
ウィルカの領主と対面したアイヒナは、彼女から告げられた事実に激しく動揺する。
果たして、彼女の決断するべき道は!?
翌日、闇姫のおかげで、どうにか風邪をひかずに済んだ。宿屋の女房はと言えば、闇姫に運び込まれた食堂のテーブルで目を覚ましたらしい。前後の記憶が曖昧になっているために、しばらくの間は混乱していたようだが、どうにか今は落ち着いたように見える。不思議そうに首を傾げながら、宿の仕事をしていた。
「どうやら、大丈夫そうだな」
そんな彼女の様子を、窓の外から伺っていたアイヒナは、安心したように呟いた。
「さて、今日はどうするのだ?」
朝の日差しに照らされて、足許に伸びる影から声がかかる。
「そうだな。今日は、件の孤児院を覗いてみようかと思っている」
「この街の領主が設立したと言う、あの孤児院じゃな」
「ああ」
窓から離れると、にぎわい始めた通りへ足を進める。
アイヒナの目指す孤児院は、ウィルカの領主・ターニヤ・フィルナ・ヴァルドの屋敷に近接して建っていた。他の建物と比べ壁の色も新しいそれは、なぜだか周囲に溶け込めずに、浮いているようにさえ見える。いっそ、痛々しい程だ。
「ここか──」
街の喧騒から離れ、少し小高くなった場所に建つ孤児院を見上げ、アイヒナの目が細くなる。
「どうするのだ? このまま乗り込むのかえ?」
足許から聞こえるかすかな囁きに、アイヒナは少し考えてから答えた。
「いや、ちょっと様子を見よう」
しばらく通りに佇み、建物の様子を伺ってみる。その間にも、数人の子供達が出入りを繰り返している。だが不思議な事に目に入る子供達は幼い者達ばかりだ。街の人間の話のよれば、成人に満たない子供達もいるはずなのだが──。そんな事を考えていると、背後から声をかけられた。
「うちの院に、何か御用でしょうか?」
振り返ってみれば、年の頃十七・八の青年。手には買い物袋を抱えている。
「あ、いえ。旅の途中でこの街に寄ったのですが、噂で孤児院の事を聞きまして」
「ああ、見学の方ですね。どうぞ」
苦し紛れのアイヒナの言葉に、青年は笑って答えると先に立って歩き出した。どうしたものかと一瞬迷ったが、意を決してアイヒナも歩を進める。案内された孤児院の中は、幼い子供達がいるというのに、とても静かだ。最前アイヒナが感じていた通り、視界に入るのは十二・三歳以下の子供達ばかりだ。
「こちらの孤児院には、年齢制限があるんですか?」
先に立って歩く青年に、アイヒナは質問を投げかけてみた。青年は彼女の方へ視線をやりながら、ちょっと笑って答えた。
「年齢制限ですか? いいえ、ありませんよ。自力で生活出来ない歳の子供を、こちらで保護しているんです」
「年嵩の子供達はいないようですね」
「ええ。この孤児院で現在暮らしているのは、十三歳以下の子供達です。それ以上は、院の財政を助けるためと、自身の自活のために働きに出ています。孤児院を援助して下さっているノーヴィア公爵様のご領地に」
「ノーヴィア公爵領へ──」
なるほど、街頭で仕入れた情報に、間違いはなかったようである。公爵にどのような思惑があるのかは不明だが、ここウィルカの領主との結び付きは、なかなかに深いらしい。
「それにしても、随分と静かですね」
話が本当なら、今この孤児院にいるのは十三歳以下の幼児だけのはずだ。それなのに、幼い子供達特有の騒々しさが聞こえてこない。
「みんな、見知らぬ人がやって来たので、驚いて静かにしているんでしょう」
軽く笑いを含んだ声で、青年は何でもない事のように言った。
「そうなんですか」
そう答えては見たものの、この静けさは尋常ではない。
中庭に面した廊下を歩きながら、アイヒナが辺りに視線をやると、いくつもの小さな瞳とぶつかる。柱の影から、中庭の隅から、少しだけ開いたドアの隙間から、じっと彼女をうかがっている。そこには、歓迎の意もなく敵意もない。感情の色の見えない、空洞のような瞳がアイヒナに向けられている。
「ところで、あの──」
「はい、何でしょう?」
「一体、どこまで行くんでしょうか?」
ほんの少しだけ固くなった彼女の声を受け、青年がチラリと視線を流す。
「警戒してらっしゃるんですか、神殿の巫女様? 大丈夫ですよ。この建物は、隣にあるウィルカのご領主、ターニヤ・フィルナ様のお屋敷とつながっているんです。旅の巫女様には、ぜひターニヤ様に会って頂きたいと思いまして」
返された言葉には、楽しげな感情が読み取れる。アイヒナは緊張の糸を張り巡らせ、油断なく周囲を探る。
「なぜ、私が神殿の巫女だと?」
「簡単な事ですよ。あなたがお持ちのその荷物。刺繍されているのは、エルキリュース神殿のものですからね」
そのまま会話も途切れ、アイヒナと青年は隣接する建物に入って行った。
「こちらの部屋です。どうぞ」
荷物を抱えたまま、空いている手でドアを開けた。
「ターニヤ様。お客様をお連れしましたよ」
「ありがとう、イーギム」
中から響いてきたのは、落ち着いた女性の声だ。
「あなたはもう、よろしくってよ。お買い物の帰りだったのでしょう?」
「ええ、それでは」
イーギムと呼ばれた青年は、アイヒナへ向かって一礼すると、今来た廊下を戻って行った。
「お客様、こちらへどうぞ」
高台になっている領主の館の窓からは、ウィルカの街並みが見渡せる。その窓辺に立っていた婦人が、室内へ足を運んだアイヒナを迎えた。
「ようこそ、ウィルカへ。この街は、いかがかしら?」
栗色の髪を上品に結い上げた、小柄な女性。小豆色をした簡素なドレスに身を包み、女性はアイヒナにソファを勧めた。
「活気に満ちた、素晴らしい街だと思いますよ」
注意深く視線を送りながらアイヒナが答えを返すと、ウィルカの支配者ターニヤ・フィルナ・ヴァルドは微苦笑を浮かべた。
「神殿の巫女様にも、気に入っていただけましたか? それは良かったですわ」
サイドワゴンに用意された茶器から、カップに茶を注ぐ。
「そうだな。ただ一つ問題があるとすれば、それは……この街を支配している者達だ」
軽く目を閉じ小さく息を吐くと、アイヒナは口調を戻した。
「この街には、バフォナの気配が多過ぎる。特に孤児院の中に入ってからは、人の気配を探る方が難しい。一ヵ所にこれ程まで、バフォナの気配が集中しているのは珍しいな」
淡々と言葉を紡ぐ旅装の巫女。その黄金色に光る瞳を見つめ、ターニヤは薄く笑う。
「それで? バフォナの巣食う館に招き入れて、どうしようと言うのだ?」
「話をしてみたかったのですよ。我らの御主様がこだわる、夢織りに興味がありましたの。あら? どうぞお座りになってくださいな」
優雅にカップを持ち上げて、ウィルカの支配者が促す。それに応じて、夢神の巫女もソファに腰を降ろした。
「お茶をいかが? 心配しなくても、夢魔の種も毒も入ってはおりませんわ」
「ああ、頂こう」
目の前に置かれた白磁のカップの、滑らかな取っ手に指を絡める。
狩る者と狩られる者。夢魔と夢織り。あり得ない対峙が、今ここに実現していた。
「それで? 私と何が話したかったんだ? こんな危険を冒してまで」
カップ越しに視線を送り、アイヒナはもっともな問いを口にした。
「色々とですわ。あなたも、知りたい事がおありでしょう? 例えば、この孤児院の事ですとか」
穏やかに聞こえてきた返答は、およそ穏やかさからはかけ離れたものだった。
「ほう、それを教えてくれると言うのか」
ソーサーにカップを戻したターニヤは、テーブルに頬杖をついて宿敵を見やる。その瞳に浮かんでいるのは、相手に対する興味。そして挑戦的な敵意。
「この孤児院は、我らの振り撒いた病によって、親を亡くした子供達を集め保護しています。珠春宮からの通達がある前に、病人を収容する場所も作りましたわ。お陰で、ウィルカの住人達は私を敬ってくれるのです。私の感謝しているのですよ」
「だがそれは、人のために為した事ではなかろう? お前達の、真の目的は何だ?」
「もちろん、人のためなどであるはずもありません。すべては、御主様に忠実な兵士を作るため。瑰の玉座を転覆せんがための布石ですわ」
口角をキュウゥッと吊り上げ、ターニヤはアイヒナに語って聞かせた。
「それを私に聞かせて、一体どうするつもりだ。ここまで話しておいて、笑って別れられるとは……まさか思ってはおるまい」
目を細めてターニヤを見やる、アイヒナの表情は限りなく厳しい。さもあらん。人ならざるウィルカの支配者が告げたのは、アーカバルによる世界への宣戦布告である。
「わたくしとて、それ程愚かではないつもりですわ。これだけ話しておいて、何事もなく済むなどと虫のいい事を考えているはずもありません」
「ならば、なぜだ?」
「申上げましたでしょう。あなたに興味がありましたのよ。御主様が執着なさる、神殿の巫女。我らが盟主の想い人」
「その呼ばれ様は、不愉快だな」
アイヒナは形の良い眉を寄せ、眉間にシワを刻んだ。
「我らの慕う御主様がそれ程までに欲するあなたを、自分の目で見ておきたかったのですわ。確かに、御主様を虜にするだけの事はあるようですわね。器の美しさもさる事ながら、その性の健やかな事。さすがは『神威』を依らせる巫女」
ターニヤの浮かべた笑みは、冷たく薄い。
「あくまで、己の興味で私を招いたと? それで、私にこんな企てを話して、どうするつもりなのだ? 大人しく消されるつもりもないのに、どうして話した?」
「間違えて頂いては困りますわねぇ。あなたには、わたくしを消す事は出来ませんのよ」
「──どういう意味だ?」
ドレスの裾をさばき、上品な仕種で立ち上がる。その堂々たる姿は、まさしく支配者に相応しい。
「今この館の中にいるのは、あなたの考えている通り、すべての者が夢魔ですわ。それさえも、あなたに従うドラムーナや忌々しい神の力をもってすれば、大した事はないのでしょうね。でも、良くお考えになって。わたくしはこの街にとって、必要不可欠な『人間』ですわ」
「お前を倒せば、ウィルカ中の人間が敵に回ると言う事か……」
足許──現世の視界には映らない次元で、挑発にしびれを切らせた闇姫がザワつき始めている。それを抑え付けるようにブーツの足先に力を込めながら、アイヒナはターニヤを睨みつけた。
「わたくしが死ねば、街中の人間が蜂起する事でしょう。ウィルカだけではありませんわ。時を同じくして、ノーヴィア公爵領へ送り込んだわたくしの子供達も声を挙げるのです。『保身のために民草を見捨てた、無能な王を討て!』と。その声に推されて、サマル・ビュイクが叛旗を翻す手はずになっております」
ひじ掛けを握り締めるアイヒナの手が、力を込め過ぎて白くなっている。
「つまり、夢織りとしての使命と瑰国の安定を、秤に掛けろと言うのだな?」
「わたくしは、夢魔としての本性を隠したまま倒されましょう。民に信用された領主として。その信頼の篤いを危険視されて、国王に謀殺された悲劇の領主として」
うつむいて、アイヒナも席を立つ。
「私がもし──。もしもお前を──お前達を見逃したとしたら──」
かすれた声をようやくしぼり出し、アイヒナはターニヤの正面に立った。
「主殿! 何を言っておるのじゃ! 気でも違うたのかっ!?」
堪え切れずに、アイヒナの足許から闇姫の怒声が響いた。
「あらあら。ご主人様の許しもなく、勝手におしゃべりするなんて。躾がなっておりませんのね、あなたのドラムーナは」
「なんじゃとっ!!」
アイヒナの意識下の制止を振り切り、彼女の影から漆黒の獣が姿を現した。怒りに眼をギラつかせ、まくれ上がった口唇からは、凶悪な長さの牙がのぞく。
「やめるんだ、闇姫!」
今にも飛びかかろうと、四肢に力を込めて身構える闇姫を、厳しい声で主人が制する。
「なぜじゃ! なぜ止める! 主殿がなさねばならぬ使命は、夢魔を滅し、アーカバルの脅威より世界を守る事であろうが! 忘れたのか!」
火を噴かんばかりに紅眼を燃え上がらせ、神代の獣は主人を糾弾した。
「判っている! そんな事は、私が誰よりも良く判っているんだ! だが今ここで、私達がこいつを倒したら──。瑰国に戦が起こってしまう。よりにもよって、珠春宮の足許から叛乱の火が点いてしまうんだ!」
握り締められた拳が震えている。食いしばった歯のすき間から、しわがれた声を押し出したアイヒナの表情は、影になっていて伺えない。
「答えろ、バフォナ。もしもここで、私がお前を見逃せばどうなる?」
血のにじむような言葉に、ターニヤが答えを返した。
「今すぐに、どうこうという事はなくなるでしょう。ただし、この先どうなるかまでは、わたくしの関与するところではありませんわよ」
「……くっ」
確定要素と不確定要素。アイヒナが夢魔を倒せば、確実に戦への導火線に火が点く事になる。仮に今ここでターニヤを見逃せば、ウィルカから叛乱の烽火が上がることはなくなる。だが、ノーヴィア公が企てる謀叛は──。
アイヒナが退いたとしても、それは国の寿命を数ヶ月延ばすだけなのかも知れない。否、数週間か、数日間か。それでも、何の情報も準備もないまま、国内に火の手が上がるよりまだマシのはずである。
「どう……したらいいんだ……」
噛み締めた口唇から、一筋の朱が流れた。
「──主殿よ。吾に、エルキリュースより承った命を、ないがしろにせよと言われるのか? 目の前にいる夢魔を、みすみす見逃せと言われるのか? 吾と主殿がこれまで成して来た事のすべてを、なかった事にされるつもりかっ!?」
視軸は標的に固定したまま、闇姫の鞭のようにしなる声が激しくアイヒナを打った。
「今こうしている間にも、アーカバルが復活を目論んでおるのだぞ! 主殿がこやつを見逃したとて、あの邪神が瑰の玉座を諦めるはずもなかろうが! あやつが完全に復活するためには、玉座に正統な国王が就いていては困るのだからな!」
「──っ!」
アイヒナが弾かれたように顔を挙げた。
「トウージュが何のために、国中を走り回っていると思うておるのじゃ、主殿。主殿は吾やエルキリュースの神だけではない。トウージュの努力まで、無駄にしようとしておるのじゃぞ。判っておるのかっ!」
柔らかそうな光をたたえた蜂蜜のような金髪と、その下の深い緑の瞳。いつでも彼女を見守ってくれていた、瑰国の王弟殿下。
「あの男を、それ程までに侮っておられるのか? 大丈夫じゃ。瑰の礎は、これしきの事で揺らぎはせぬわえ」
アイヒナの胸の中に浮かんだ男は、この国を救おうと必死に駆けずり回っている。瑰という国を守りたい。玉座の兄王を助けたい。少しでもアイヒナの力になりたい。トウージュの瞳の中から、真剣な光が消えることはなかった。
そうだ。あれだけ強い想いを持っているのだ。あれだけ国を憂えていたのだ。その彼が、ただ手をこまねいていただけのはずがない。そんなトウージュの兄が、何の手段も講じていないはずがない。
「はっ。こんな簡単な事にも気付けないとはな」
しっかりと前を向いたアイヒナの瞳は、すでに迷いに揺れてはいない。
目の前に立っている相手を、はっきりと敵だと認めている。そこにいるのは、突き付けられた選択に苦悩していたアイヒナではない。与えられた使命を果たすべく、伝説の獣を従えた『夢織り』だ。
「決心がついたようですわね」
窓辺から差し込む光の届かない、影の中から声がする。その声音は、どこか愉し気ですらある。
「そうでなくては困ります。さあ、宴の始まりでしてよ」
ターニヤの言葉を合図に、部屋の扉が開く。廊下から、隣の部屋から、ゾロゾロと虚ろな眼をした子供達が入って来た。
「どうぞ、ゆっくり楽しんでらしてね」