10章 旅の行方・国の行方
この国はこれから先、一体どうなってしまうのか?
そんな人々の声が高まっていく。
一方、アイヒナはようやく、トウージュと共に旅を続けていく決心をする。
トウージュが自分の荷造りを終え、宿を出たのはそれからしばらくしてからだった。すでに支払いを済ませ、アイヒナの姿はない。自分の支払いを済ませて宿を出たトウージュは、通りの角に小さな影を見つけた。
「──?」
建物の影に隠れるようにして、ウェインが宿の方を伺っている。
「ウェイン……」
トウージュが声をかけると、弾かれたようにウェインが顔を上げた。反射的に逃げ出そうとするウェインの腕を掴んでしまってから、慌てたように手を離す。
「ウェイン、どうしたんだ?」
うつむいて唇を噛んでいたウェインが、意を決したように顔を上げる。
「あの──、あの神殿の女の人は?」
「え? アイヒナ? 彼女なら、もう宿を出たけど」
「どこ、どこに行ったの?」
今度はウェインがしがみついてくる。トウージュを見つめる瞳が、必死で何かを訴えていた。
「ウェイン、君はアイヒナを恨んでいたんじゃないのか? 彼女は街を出る。もう、そっとしてやってくれないか……」
「違うっ! 違うんだ! おいら、あの人に謝りたいんだ。あの人のやった事は間違いじゃなかったって!」
激しく首を振り、ウェインが叫んだ。
「ちょ、ちょっと待て。そういう事なら、それ以上は俺が聞くわけにはいかない。まだ、そう遠くへは行っていないはずだ。一緒に彼女を追いかけよう」
ウェインにうなずきかけ、トウージュは足を踏み出した。
「とりあえず、門へ向かってみよう。アイヒナは、タリスの街から出るつもりでいる」
「来て、こっちだ。おいら近道を知ってる。絶対こっちの方が早い」
細い路地を曲がると、ウェインはそう言って駆け出した。トウージュもウェインの後を追う。
三日間降り続いた雨は路地のそこかしこに水たまりを作り、晴れた空に浮かぶ雲を映している。それらを蹴散らしながら二人は走り続けた。
王都ハディースの四つの街は明確に区切られているわけではない。ただ、珠春宮パーティルローサから放射状に伸びた水路が街を横切っており、水路に架かった橋が街と街との区切りになる。その橋を便宜上「門」と呼ぶのだ。街を出る者も、街に入る者も、必ずその門を使う。
「はぁ、はぁ、見えてきた」
橋を渡る人々が見えてくる。トウージュはせわしなく辺りを見回した。息が苦しい。胸が空気を求めている。自分の心音が耳障りでうるさい。
息を整え、側を通りかかった通行人を捕まえて尋ねてみる。
「ここを、銀髪で金色の瞳の目立つ女性が通らなかったか? もしかしたら、黒尽くめの連れがいるかも知れないんだが」
通行人を捕まえては、同じ事を尋ねていく。ウェインも同じようにアイヒナを探していた。
「ここを──」
「トウージュ殿? 何をしている?」
背後から聞き間違えようのない、アイヒナのまろい声が聞こえてくる。
「アイヒナ──」
闇姫の姿はない。アイヒナ一人だ。トウージュの後ろからウェインの姿が現れると、アイヒナの表情が曇った。
「ウェイン──。トウージュ殿、どうして?」
顔を背けて立ち去ろうとするアイヒナの腕を、トウージュがしっかりと掴んだ。
「待てよ、アイヒナ。なぜ逃げるんだ。ウェインが必死で君を探していたんだ。話しくらい、聞いてやったらどうだ」
アイヒナがゆっくりとウェインの方へ顔を向ける。脇に垂らした両手を握ったり開いたりして、懸命に言葉を探しながらウェインが口を開いた。
「あ、あの……。おいら、あんたに酷い事、言っちゃったと思って……」
「ウェイン? 何を?」
怪訝そうに眉を寄せるアイヒナの視線を正面から受け止めて、ウェインは続ける。
「あんたはちゃんと、おいらに言ったんだ。どうにも出来ない時があるって。その時はゴメンて。おいらが、それでもいいって言ったんだ。それなのにおいら、あんたにすごく酷い事言ったんだ──。ごめん。悪かったよ」
必死になって涙をこらえながら、ウェインが訴える。
「どうしようもなかったって、あんたは言ったんだ。済まない、って謝ってくれたんだ。あの後、おいら一生懸命考えたんだ。本当に悪いのは誰かを。悪いのはあんたじゃなくて、カーティって女だ! 姉ちゃんは病気になった時にいなくなってたんだ。姉ちゃんも父ちゃんも、あの女に殺されたんだ!」
肩を振るわせるウェインをアイヒナはそっと抱き寄せた。しばらくそうしてから、アイヒナは静かに口を開いた。
「一度に家族を失ったんだ。その家族を助けられなかった、私を恨むのは仕方のないことだ。本当に済まなかった。でも、ありがとう、ウェイン。その一言でどれだけ私が救われるか」
閉じられたまぶたの下、アイヒナの黄金の瞳から涙が転がり落ちた。しゃくりあげるウェインの声が、彼女の腕の間から聞こえてくる。
「アイヒナ──」
「トウージュ……」
かけられたトウージュの声に、アイヒナが顔を上げた。
「なあ、アイヒナ。俺には俺の道があって、アイヒナにはアイヒナの道がある。俺は眠り病についての情報を得るために、兄上から依頼を受けて探索の旅に出ている。俺は病の真相を知りたい。一人でも多くの民を救いたい。それは王宮の兄上も義姉上も同じ考えだ。だけどそれはどうやら、俺の考えているよりも複雑な様相を呈しているし、何よりも俺には理解出来ない事が多すぎる。頼む、アイヒナ。俺に力を貸してくれないか? 俺には、君の力が必要なんだ。しばらくの間、一緒に旅をさせてもらえないか?」
「主殿。ここは主殿の負けではないか? 詰まらん意地を張っても、可愛くないぞ」
トウージュの後ろから、いきなり闇姫の声がする。驚いて振り返ると、腕組みをした闇姫が三人を眺めている。
「お前はまた、そういう出現の仕方をする。美味しいところを、全部一人で持っていくつもりか?」
そう言ったトウージュの呟きは、当然の事ながら無視された。
「よう、坊主。よく、謝りに来たな」
ウェインの髪をくしゃくしゃにかき混ぜながら、闇姫が笑った。
「うるせー。坊主じゃねえぞ、ウェインだい!」
「ああ、そうだったな。悪かったよ、坊主」
**
ウィルカの街では、領主の館に人々が集まっていた。ソキア亡き後ウィルカの街を統治していたターニアが孤児院を設立するというので、その説明会を開いたのだ。
「まこと、ソキア様には残念な事でしたな。街の人間は皆、ソキア様に感謝しておりますぞ。あの病に倒れた者を館に招き入れ、カーティ様の治療を受けさせて頂いて。その恩を返せるのなら、どんな事でもさせていただきますとも」
「カーティ様が、もう少しいて下さりさえすれば」
街の世話役の面々が、口を揃えてターニアに訴えかけてきた。領主の椅子に腰掛けたターニアは、広間に集まった人々を見渡すと言葉を発した。
「皆さん、ありがとうございます。夫ソキアも、ラ・ズーの宮殿にて喜んでいる事でしょう。あいにく、わたくしとソキアの間には子供がおりません。そこで、眠り病で親を亡くした子供たちを引き取り、我が子同様に育てて行きたいと考えました。そのための孤児院設立には、皆さんの協力が不可欠なのです。どうぞ御理解、ご協力いただけませんでしょうか?」
ターニアの言葉に人々はうなずき、協力を約束して帰って行く。
「御主様からの命には沿いそうかね?」
別のドアから入ってきた家令が、領主の座についたターニアに問いかける。
「いよいよ御主様が動き始める。この街を足がかりにして国盗りを仕掛けるために、金と人間が必要になる」
満足気に答えたターニアに、唱和する声がある。
「そのために孤児院を設立する名目で金を集め、親を亡くした子供を引き取り、我等の種を飲ませる」
「時を見て彼等をノーヴィア公爵領へ送り込み、あの見栄っ張りの公爵殿下を祀り上げる。玉座に直系の王族でない者が座れば、自動的に封印は解ける」
開けたままのドアから、館の使用人達が部屋の中に集まってくる。まるで砂糖水に引き寄せられる蟻の群れのように。
「そう。そして封印が一つでも解ければ、他の封印など意味を成さない」
「御主様が復活なさる。そうすれば、無能な神々なぞ物の数ではない」
部屋の中に、神々を呪う声がこだまする。
「ルカスとグーマナーンがやられた。夢織りとドラムーナは、思いのほか早く我等に迫っているらしい。やがてはこの街にも辿り着くだろう。御主様のお心を占める、憎むべき敵。御主様のお心は、我等、夢魔のものだ」
ターニアが憎憎しげに吐き捨てた。
「御主様のお心を取り戻せ」
部屋中にあふれる不気味な瞳の群れを見回して、家令が宣言した。
「まずは当代国王コルウィンを、珠春宮の玉座より引き摺り下ろせ!」
領主の館は、いまや魔界と化している。