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夢幻の瞳 現の涙  作者: 橘 伊津姫
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9章 野心・反逆の大罪

「女性に王位の継承権を認めない」これが瑰国の掟。

しかしその事が、どのような目に転がるのか?

カーティの動きに、アイヒナは追いつけるのだろうか?

 静かに夜は更ける。ノーヴィア公爵夫人であるイルネア・エメスは、寝付いたばかりの息子、ティルス・グラルの部屋を出た。後ろ手にドアを閉めながら、小さなため息をこぼす。

 夫でありノーヴィア公爵でもあるサマル・ビュイクは、今夜も宴に出かけている。最近召した薬師が、噂に名高いカーティという娘だと判明してからというもの、まるで珍しい宝石を見せびらかすかのように彼女を伴い連日の宴に出席する。

 五歳になる息子のティルスが『眠り病』に罹患したとき、タイミングを見計らったかのように現れた娘。幸いティルスの病は早期だったこともあり、大事には至らなかった。息子の病を癒してもらった事については、いくら感謝してもし足りないくらいだ。しかし──。

 自室に戻り、侍女に茶を運んだら休んでも構わないと言いつける。座り心地の良いクッションに身を預け、イルネアはまたため息を吐いた。

 何がという訳ではない。だが彼女の裡で、あの娘には関わらない方が良いという気持ちが、日に日に強くなっていく。あえて言うなら女の、幼い息子を守るべき母親の「勘」といったところか。夫のサマルにも話しはしたが、自己顕示欲の強い彼は「救世主」を手にした事に夢中で、イルネアの忠告を一顧だにしなかった。

 王位継承権第三位という地位は、野心を育てるには近すぎ、現実を理解させるには遠すぎた。当代国王に世継ぎがおらず、女性に継承権がないこの国で、前王妹の自分と現王妃のアイナセリョースが玉座に就くことは不可能だ。当代国王が万が一にも崩御なさり、王弟殿下のトウージュに不幸が起こった場合、王位は夫のサマル・ビュイク・ノーヴィアの手元に転がり込む。

 イルネアは夫の事をそれなりに愛してはいたが、彼が王位に向いた人物であるとは考えられなかった。しかしサマルが、カーティを側にはべらすようになってから、「玉座」という夢を大きくしているのが感じられて仕方がない。

 最近、習慣になってしまったため息と、運ばれてきた茶を一緒に飲み込んだ。


 その頃、サマル・ビュイク・ノーヴィアは、公爵領の貴族の館で宴を楽しんでいた。話題はもっぱら薬師カーティの活躍である。どこへ行っても出席者の視線はカーティへ集まり、次いで、その主人であるサマルへ移る。羨望・妬み・崇拝の感情が渦巻き、サマルを満たす。日頃サマルの享楽的な性格を快く思っていない者達が、少しでもカーティに近付こうとサマルに取り入る。何と言っても、いつどこで病に倒れるか知れず、発病したならばカーティ以外に治せる見込みはないのだから。なるべく本人とその擁護者の心証を良くしておきたいのは当然だ。

 普段からサマルにすり寄っている数人の貴族達が、酔いの勢いも手伝って大胆な発言をし始めた。

「大体、国民が眠り病の脅威に耐えておるというのに、神殿の坊主どもは何の役にも立たんではないか」

「パーティルローサからも、何の通達もない。陛下は、国民の心情をお判りでないとみえる。お世継ぎ問題も大事だが、もう少し下々の事にまで気を配っていただかなくては」

 声高に交わされる会話の中に、杯を手にしたサマルが言葉をはさんだ。

「これこれ。いくら何でも、それは不敬罪になろうぞ。これでも陛下にとっては、義理とはいえ叔父にあたる。私の立場も考えてはくれまいか」

『不敬罪』の一言に、ハッとしたように口をつぐむ。恐る恐るといった感じで、一人がカーティに向かって言葉をかけた。

「薬師殿の癒しの技を、一般の医者や神官達に伝えて広める訳にはいかないのだろうか?」

 サマルの後ろに静かに控えていたカーティは、

「私の技は本来、薬を与えて病を癒す医師の技とは違うのです。病に弱った者達の許へおとなうラ・ズーの神に祈り、その腕に抱き取る瞬間を先へ延ばして頂く。そうして、調合した薬を与えて目覚めを呼びかける。ラ・ズー神が私の行いを認めてくださっているからこそ、出来る事なのです」

 一度言葉を切ると目を伏せ、沈んだ声で告げる。

「しかし、私一人では限界もございます。私の力不足のせいで、多くの方々が命を落とされているのかと思うと──」

 話を聞いていた貴族達は、力なくうなだれるカーティの姿に慌てて首を振った。

「何を仰るのです。貴女のお陰で助かった者も多い。そんなにご自分を責める必要はありません」

「そうですとも。むしろ責めを負うべきは、ラ・ズー神への祈りも届けられない無能な神殿と、それをなんとも思わない王宮の人間ですぞ」

「例え不敬とそしりを受けようとも、国の命運を握るのが王族。瑰に住まうすべての人間が危険に晒されている今だからこそ、国のために命をかけるのが国王としての務めではござらんか」

 先程、口を慎めと諭したサマルが、今度もやんわりと水を差す。

「そうは申されても、陛下はご病床の身。余計な心配をお掛けするまいと、城の者達が口をつぐんでおるのやも知れぬ」

 だがそれは、火に油を注いだ結果となった。

「知らなかったでは、済まされぬ問題もありましょうぞ」

「大体それならば、陛下の御名代として宰相なり妃殿下なりが手を打たねば。第一、トウージュ王弟殿下はいかがなされたのじゃ?」

「また、いつもの気まぐれを起こされたようでな。珠春宮しゅしゅんぐうにはおいででない」

 そこかしこで嘆息が漏れる。

「自国の一大事だというに、王族の方々がこれでは。国が立ち行かぬではないか」

 まったくだ、と同意を示す高貴な面々にカーティが控えめに口を挟む。

「いっその事、サマル公爵閣下がお起ちになればよろしいのに──」

 瞬間、宴の席は水を打ったように静まり返った。

「え、あ、あの……。申し訳ございません。差し出口を致しました」

 衆目に耐え切れない風情でカーティが詫びる。その言葉に、会場は和やかさを取り戻すかに見えた。

「しかし、カーティ殿の申される事にも理はあるかと。陛下も王弟殿下も国をうれえて下さらぬのであれば、国を思う者が王位に起つは民意に適うのではなかろうか」

 老齢に差し掛かった地方官の一言が、再び議論に火を点けた。だんだんと熱を帯びてくる宴席を、ようやく静めたのはまたもやサマルの言葉だった。

各々方(おのおのがた)。今夜はお開きという事にしようではないか。余人に聞かれては障りのある話でもある事だ。深酒で身を滅ぼしたくは、なかろう?」

 それは合図に、出席者達は主催者に暇を告げ館を引き上げていった。

 屋敷へ向かう帰りの馬車の中で、カーティと二人きりになったサマルは愉快そうに笑い始めた。

「王家から官位と土地を与えられた者どもが、王家に不満を唱えておる。己が何も出来ぬ力不足を他人に押し付けておきながら、その事に気が付きもせぬ愚か者揃いじゃ!」

 公爵位という他に並びのない地位に登りつめた者の、これが本性。

「閣下。先程の私の言葉は、私の本心でございます。国を旅し病人を直接見知っている私は、瑰国内に呪詛の声が響いているのを知っております。当代陛下に力がなく、王弟殿下が国政を放り出した今、真に玉座にあるべきはサマル公爵閣下をおいて考えられませぬ。どうぞ、お起ち下さいませ」

 カーティはサマルの向い側の席から、不穏な言葉を囁き続ける。

「やけに、私にこだわるではないか。私が玉座に就く事で、そなたに得になる事があるとも思えんが?」

 用心深そうに、カーティの本音を探ろうとする。一歩間違えば、一族すべてに累が及ぶ大罪となれば、それも当然の事である。

「損得の問題ではございませぬ。瑰国の民の一人として、当たり前の事を申上げているのです。当代の陛下は決して暗君あんくんではあられぬものの、長く病床に就かれ政もままならぬ有様。ならば王弟殿下が陛下を助け、国を安らかにされるのが常。しかし、私が噂を聞き及びまするに、国政を省みず、王宮を抜け出し遊興にふけっていらっしゃるとか。これでは国が立ち行きませぬ」

 彼女が言っている事は至極まともで、説得力がある。納得してしまった瞬間から、サマルの耳に入る言葉はすべて毒となる。

「民は安らかな生活を欲しております。国王を呪う声が溢れ、不安が国中に広がっております。このまま、みすみす国を傾ける王よりも、と新王を望む声が高まりつつあるのは事実でございます」

 サマルは腕を組み、目を閉じている。カーティの言葉を吟味している様子で、口を挟もうとしない。

「玉座をお望みなされませ。国の民の、そして、幼いティルス様のために」

「ティルスの?」

 ピクリと眉を動かし、サマルが問い返す。

「はい。考えても御覧なさいませ。このまま不安に落ち着かぬ国で、ティルス様をお育てするので御座いますか?」

 この言葉に心動かされたように、サマルはカーティを見つめる。

「一朝一夕では成せぬ。人も財も要る。民草の同意も必要となろう。それらをかんがみての言葉なのか、カーティよ」

 それは肯定の言葉。サマルの胸中に、野心有りの証。

「玉座をお望みなさい、公爵閣下。私もお手伝い致します。人も財もお任せください。閣下は正当なる王位継承第三位のお方。登極とうきょくなさる資格は十分におありです。国のために、民のために」

 カーティが公爵の瞳を覗き込む。王位に就き、至尊の座より瑰を統べる新王サマル・ビュイク・ノーヴィア・瑰の姿を、その夢を、彼の裡に宿すために。

「サマル公爵閣下、否、あえてこうお呼び致しましょう。──サマル次期国王陛下」

 サマルの瞳に狂夢の光が宿った。


**


 降り続いた雨が止み、街は久方振りに清清しく晴れ渡った。

 雨に降り込められたアイヒナとトウージュは、タリスの街に三日間足止めされていた。ウェインの一件以来アイヒナはめっきり口数が減り、側にいるトウージュが心配するほどの落ち込みようだ。勧めれば食事も摂るし、話しかければ返事もする。だが、自主的に何かをしようとはしない。自室でボンヤリと食事を口に運ぶアイヒナを見つめながら、トウージュは闇姫に声をかけた。

「なあ、闇姫。アイヒナがあの時言ってた『慣れてる』って、どういう事だ?」

 部屋の窓枠に腰掛けて空を眺めたまま、闇姫が静かな声で答えた。

「エルキリュース神殿でな。リュートの弾き比べの後に、主殿に神意が下った。主殿の瞳と髪の色は生来のものではない。エルキリュース神の御手が触れた時に、主殿に与えられた色よ。創世の十二神の御色を宿すためにな。しかし人は外見が変わると見る目が変わる。姉巫女や同位の巫女から『神意の名を借りた化け物』と言われておったよ」

 他人を救うために己の生まれ持ったものを剥ぎ取られ、欲しくもないものを与えられたアイヒナ。

「それでか」

 半分程手をつけた食事を前に、うつむいて座っているアイヒナにトウージュが優しく声をかけた。

「アイヒナ、もういいのか? もう少し食べておかないと体がもたないぞ」

「──ああ。そうだな」

 アイヒナがノロノロと上げようとした腕を、険しい顔をした闇姫が掴んだ。

「主殿、いい加減にせぬか。トウージュ殿になぐさめはいらんと言うたは、主殿自身じゃ。なのに、その有様は何事か? そのようなざまで、これからも旅を続けるつもりか? そんな体たらくで、よもやアーカバルに勝てるなどと思っているのではあるまいな! いつまで甘えているつもりなのじゃ!」

 ビクッと体を震わせ、闇姫を見上げるアイヒナ。ギリギリと睨み付ける闇姫からアイヒナを庇うように、トウージュが口を挟んだ。

「闇姫、そんなにキツく言わなくても──」

「トウージュ殿。お主にも判っているはずじゃ。やらねばならぬ事がある時に、ふ抜けている暇などないとな。それでなくとも我々は、相手に大きく遅れをとっている。我等の遅れで、一体どれ程の犠牲者が出ると思うておるのだ」

 目を閉じて闇姫の怒りを受け止めていたアイヒナが、静かに口を開いた。

「そうだな。闇姫、済まなかった。私の甘えだな。トウージュ殿にも世話をかけた」

 全身から何かを吐き出すように、深く深く息を吐く。

「この街を、出ようか──」

 トウージュが提案した。このままこの街にいては、アイヒナの心は軽くならないだろう。もっとも、他の街に移ったからといって、どうなるものでもないのだが。

 結局、それ以上手を付けられる事のないままになっていた食器を、トウージュが厨房へ返しに行く。奥で女将に盆を渡しながら、宿を出立する旨を伝えるつもりでいた。

「お連れさん、大丈夫かね? 随分と具合が悪そうだけど。やっぱり、もっと消化のいいモンにしたほうが良かったかしらねぇ?」

 半分以上残された皿の中身に目を落としながら、女将が顔を曇らせた。

「いえ、十分に良くして頂いています。彼女の不調は精神的なものですから。御心配をお掛けしたままで申し訳ないのですが、そろそろ出立しようかと思いまして……」

「おや、そうかね? もう少し、あの娘さんの具合が良くなってからの方がいいんじゃないのかい? いやいや、別にあたしゃ、足止めして銭稼ごうってんじゃないんだよ。宿代が不安だってんなら、あの娘の具合が良くなるまで宿代なしでもいいんだ。旅の途中で倒れられたりでもしたら、こちとら寝覚めが悪いじゃないか」

 流し場でガシガシと皿を洗いながら、女将が心配そうに視線を送ってくる。言葉通り、金が目的でないのは理解できた。が、このまま宿に留まる事が彼女に最善だとも思えない。

「ご好意はありがたいのですが、旅の行程も大分ズレ込んでいますから。あまり遅れる訳にはいかない旅なんですよ」

 角が立たないように、何とか言い繕ってその場を去る。部屋に戻ると、アイヒナが荷物をまとめている最中だった。闇姫は主の影に戻ったらしい。

「ああ、トウージュ殿。雑用などお願いして申し訳ない。もう間もなく、私の準備は整うので」

 以前のような表情でアイヒナが振り向いた。心の中のわだかまりが消えた訳ではないだろうが、とにかく前へ進もうと思い始めたらしい。全体としてみれば、良い傾向なのだろう。しかしトウージュにしてみれば、それは崖の上を目隠しをしたまま歩いていくような危うさを伴った前進だ。

「アイヒナ……。どうして君は、そんなに頑張ろうとするんだ? たまには、周りにいる人達に頼ってもいいんじゃないのか? 闇姫だって俺だって、君の力になりたいと思っている。もっと頼ってくれても──」

「トウージュ殿」

 アイヒナの声がトウージュの言葉を遮った。

「貴方の思いは、正直言ってありがたい。しかし私が誰かに頼るという事は、その誰かを私の戦いに巻き込むという事だ。本来なら、私と闇姫で片付けなければならないはずの出来事に、貴方を巻き込んでしまったのは──私の甘えなのだろう。誰かに理解して欲しかった。誰かに頼りたかった。けれど、それでは奴に勝てない。エルキリュースが私を選んだのであれば、私は神に恥じない自分でいたい。だから、トウージュ殿。貴方とはここで別れようと思う」

 荷物の口をしっかりと縛りながら、変わらない口調で続ける。

「貴方には、貴方に課せられた使命があるはずだ。だからこそ、珠春宮パーティルローサではなく、ここにいるんだろう。私は私に課せられた使命を果たそう。貴方と私の道は、ここで分かれる。互いの道を行こうではないか、王弟殿下」

 何も言えず、立ち尽くすトウージュの傍らを、アイヒナが通り過ぎる。荷物の詰まった荷袋。リュートの入った紋章付きの袋。長い銀の髪を隠した頭布。風邪と雨を防ぐ毛織のマント──。何が変わったわけでもない。そして決定的に、何かが変わってる。

「貴方が側にいると……頼ってしまいそうになる、自分が怖いんだ──」

 ドアの閉まる音に消えてしまいそうなアイヒナの呟きは、トウージュの耳に届いたのか……。


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