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「…傘を貸してやるから、駅まで彼女を送ってやってくれないか」
マスターがそう言うと、彼は露骨に嫌そうな顔をした。
「…なんで俺が」
「私は足が悪い。いいだろう?駅はすぐそこだ」
マスターはそう言うと、透明のビニール傘を取り出した。彼はそれを明らかに嫌そうな顔で受け取る。
私は何も言わない。あえて、何も言わない。
コーヒー代を払おうとすると、マスターが首を振った。
「今日のはサービスですよ。また遊びに来てください」
そう言って、私から彼の方へと視線を落とした。
身長差から考えても、私が傘を持つ方が自然だ。私は彼から傘を受け取ると、自分と彼ができるだけ濡れないように注意しながら傘をさして歩いた。酷い雨のせいで、足元はすぐにグチャグチャになった。
「あんただけ濡れないようにしなよ。どうせ俺は濡れてんだからさ」
彼はそう言ったけれど、私はできるだけ彼が濡れないように注意する。これ以上、濡れさせたくなかった。
「…あんた、いくつ?」
ふいに聞かれて、私は一瞬自分の年齢をど忘れした。18、と言いそうになってから
「…19」
最小限の単語で、自分の年齢を教える。自分から訊いてきたくせに、彼は興味なさそうに「ふうん」とだけ返してきた。
「あなたの名前は?」
今度は私が尋ねた。彼はこちらを見上げて、
「アクマ」
「それがあなたの名前?」
「そうだよ」
マスターに彼の本当の名前を聞き忘れた事を後悔した。マスターならきっと、彼の本名を知っているはずなのに。
「…なんで自分のことを、悪魔だなんて言うの」
気付けば責めるような口調で、私は彼に問いただしていた。彼はうんざりと言わんばかりの顔をこちらに向けて、それから苦笑した。
「年をとらない。死なない。…そんな俺は、天使に見えるかい?」
彼はいびつな笑顔を作った。それを見て私が黙り込むと、彼はふっと無表情になった。
「いいこと教えてやろうか。あの爺さんも知らないことだ」
「…?」
彼は無表情のまま、続けた。
「俺はね、人を殺したことがある。両親と、妹。しかも2回殺した」
私は眉をひそめる。驚愕、よりも疑問。
「…2回殺したって、どういうこと?」
私がなるべく小さな声で言うと、彼はこちらを見上げた。その眼はやはり、底なしのように暗い。
「そのままだよ。1回殺して、もう1回殺した」
彼はそう言うと、歪んだ笑顔をこちらに向けた。
「そんな俺を、アクマ以外になんて呼べばいい?」
私は何も、答えられなかった。