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私はコーヒーにミルクと砂糖を入れてかき混ぜた。そして、一口飲む。いつもよりも苦い気がするのはきっと、コーヒーのせいではない。マスターは喉が渇いているのか、空になったカップにおかわりを淹れると、ゆっくりと話し始めた。
「彼は昔は…本当に普通の子供でしたよ。活発で、よく笑う子でした。私は彼と、いろんないたずらをして遊びました。もちろんその頃は不老不死なんてことはなかった。彼は確かに成長していました。私は幼稚園から小学5年生のころまでずっと、彼と一緒にいたから間違いないはずです。…私の目の前からいなくなってしまうまでは、彼は普通の人間だった」
その言葉を聞いて、私はカップから目をあげてマスターの方を見上げた。どこか懐かしそうな顔をしているマスターは、だけど影が目立っていた。
「いなくなった、というのは?」
私が言うと、今度はマスターが私の方を見た。一瞬、アクマの底なしのように真っ黒な瞳を思い出してぞっとする。しょぼしょぼと瞬きをしたマスターの眼は、影こそあるものの、暗い瞳ではなかった。
「彼の家が、火事になったのです」
マスターはその眼に悲しみの色を添えて、そう言った。
「家は全焼。焼け焦げた家の中から、3人の遺体が発見されました。彼の両親、それから妹の遺体です」
「…彼は」
「助かったんですよ。彼だけは火事の前に、家から逃げ出していた」
そう言うと、マスターはうつむいた。
「彼はずっと、自分のことを責めていました。俺が3人を助けていたら、と。近所に住んでいた親戚の家に引き取られてからもずっと、彼は嘆き続けていました。そしてある日を境に、彼は忽然と姿を消した」
私のカップを見たマスターに、「おかわりはいかがですか」と言われて、私は自分のカップが空になっていることにようやく気付いた。「お願いします」と返すとマスターはうなずいて、空になったカップに湯気の立つ温かいコーヒーを注いでくれた。
「それからずっと、彼は行方不明のままでした。彼の親戚が捜索願を出したのもむなしく、彼は見つからないまま、月日だけが流れていきました。
…彼が自殺したのではないか、という噂まで流れましたよ」
「だけど、彼は生きていた…」
「そう」
マスターは苦い顔で笑った。
「あれはもう今から20年ほど前ですね。私が40歳のころです。私は仕事の都合でこの土地を訪れたんですが、その時、彼にそっくりな子供を見つけたんです」
マスターは遠いところを見ながら、何かを思い出して笑った。
「思わず、その名を呼びましたよ。彼はこちらを振り返って、一瞬怪訝そうな顔をしました。私が自分の名前を告げると、驚いたような、懐かしいような…泣き出しそうな顔をしました」
「…やはりその子供は、あなたの同級生の彼、だったんですね」
「そうです」
マスターは遠いところ見たままだった。
「何があったのかは知りません。だけど彼は、年をとらなくなってしまった。そして、死ななくなった」
そこまで言うとマスターは言葉を切って、窓の外を見た。私もマスターにつられて、外を見る。先ほどまで快晴だったはずなのに、空はすっかり黒くなり、大粒の雨が降っていた。
「夕立、でしょうか。傘は持っていますか?」
「…いいえ」
「すぐにやむといいんですが…」
不規則な雨音が、店内を包み込んだ。