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あの日どうやって家に帰ったのか自分でも覚えていない。それから一週間、私は彼のことで頭がいっぱいだった。大学なんてどうでもよくて、それよりも通学途中にある例の喫茶店に入るか入らないかの方が重要だった。
きっとあのマスターは、何かを知っている。彼の、何かを。
私が意を決して喫茶店を訪れたのは、『あの日』から1週間以上経ったあとだった。
「いらっしゃいませ」
「…いつもの、ください」
いつものように優しい笑顔のマスターに向かって、小さな声で注文する。店内に他のお客さんがいないのを確認して、私はカウンターに腰かけた。マスターがコーヒーを淹れる様子を、そわそわしながら眺める。いざとなると、何から話しはじめたらいいのか分からない。
「お待たせしました」
良い香りのする、いつものコーヒー。マスターはその横に、シフォンケーキののった皿をゆっくりと置いた。マスターお手製のシフォンケーキには、程よく泡立てた生クリームがたっぷりと添えられている。
「え?」
頼んでません、と言おうとすると、マスターがふんわりと笑った。
「お話が長くなりそうですから。サービスです」
そう言うとマスターは玄関へと向かい、『営業中』と書かれたプレートをひっくり返して『準備中』にした。
「彼のこと、でしょう」
マスターは自分もコーヒーをすすりながら、ゆっくりとした口調で言った。私は浅く頷く。何故か口の中が苦くなって、シフォンケーキをつついた。シフォンケーキは口の中であっという間に溶けて、甘さだけが舌に残る。
「この前言っていたんですよ。『あんたんとこの常連さんが俺の店に遊びに来たよ』と。特徴を聞いたら、あなたのようでしたから」
「…マスターは、あの子とはどういう関係なんですか?」
マスターの目を見ながら、出来る限り落ち着いた口調で尋ねる。マスターは少しだけ首をひねると
「ううん…。信じていただけないかもしれませんが、彼と私は小学生の時、同級生だったんですよ」
「え!?」
飲みかけのコーヒーをうっかりこぼしそうになり、私はあわててカップをソーサーに戻す。そして、マスターの顔を見る。白髪が混ざっている頭髪、皺、たるんだ皮膚。マスターはどう見ても、60過ぎのように見える。対する彼は、どう見たって小学生だ。なのに、
「同級生?」
マスターの言葉を確認するように私が繰り返すと、マスターはゆっくりと頷いた。
「だけど彼は…」
「どう見ても小学生、でしょう。私も再会した時は驚きましたよ。どういうことなのかは私も詳しく知りません。ですが、彼は確かに私の同級生です」
マスターははっきりとそう言うと、少しぬるくなったコーヒーに口を付けて一息ついてから、続けた。
「私が彼に声をかけた時、彼は驚いたような、懐かしいような、…そして泣きそうな顔をしていました。そして言ったんです。
俺はアクマになったんだ。だから年もとらないし、死ぬこともないんだと」