17
いつもの喫茶店で、いつものコーヒーを飲む。相変わらず客は少ない。今日は自ら注文したココアクッキーを、私は一つつまんだ。
「彼は今頃、どこにいるかな」
何度目かは分からないセリフを、マスターが呟く。私はそれを聞きながら、わざと甘めにしたコーヒーを飲んだ。
私のことを止めてくれたあの日の夜、彼はこの街からいなくなった。
2日連続で喫茶店に訪れないのを不審に思ったマスターが彼の店に向かうと、そこにはもう彼の姿はなかった。玄関の横に置かれていた、大きな箱も。
小さなメモ用紙が部屋の中央に置かれていて、そこには
『いままでありがとう。もう帰ってこない』
と書かれていたそうだ。
「死んではいないでしょうけど」
マスターはそう言って、ため息をついた。私もつられて、ため息をつく。私はあの日のお礼をまだ、言っていなかった。
「…彼はどうして、私のことを助けてくれたんでしょうね」
私が小さな声で呟くように言うと、マスターが目を細めた。
「あなたが、彼のことを助けようとしたからでしょう」
私はクッキーに目を落とす。『助けようとした』と『助けた』は違う。私は結局、彼に何もしてあげられなかったのに。
「彼は…そういう子でしたよ。昔から」
私が考えてることを見透かしているように、マスターは笑った。その笑顔に、少しだけ寂しさを宿しながら。
私の机の上には、あの時のナイフ。そしてその横には、いつまでもほほ笑み続けるマスコット人形が座っている。
「…いまいちだな」
少年は一人ごちた。湿気ているようなその食感はわざとではなく、本当に湿気ているのだと思う。妙に脂っぽいことも含め、その商品はいまいちだった。
「値段は関係ないんだな。…これ、高かったのに」
一人で文句を言いながらゴミを片づけていると、目の前の扉がゆっくりと開いた。眼鏡をかけた肥満体型の若い男が、おどおどしながら入ってくる。
「あの…なんか、噂を聞いたんだけど。ここって…」
若者の言葉を聞いて、少年はほほ笑んだ。
「殺され屋だよ。あんた、お客さん?」
男は慌てて、こくこくと何度も頷いた。気の弱そうなやつだなあと思いながら、
「そこにある箱の中から好きなもの持ってきて。で、好きなように殺してくれていいよ。…あ、料金先払いね」
少年がそう言うと男はわたわたと財布を取り出し、震える手で一万円札を差し出してきた。受け取って、ポケットに突っ込む。
「あ、あんた…。本当に、不死身なのか?」
額に脂汗を浮かべながら、男が尋ねてくる。少年はそれを見て笑った。
「アクマだからね」
もう死んでいるから、とは言わなかった。
あれこれ物騒な物の入った箱を覗きこんでる男を見ながら、思いついたように尋ねる。
「なあ、あんたさ。クッキーのおいしい店知らない?」
「へ?」
不意を突かれた男が、間抜けな声で返事をする。少年は先ほどまで食べていたクッキーのごみを手に持って、プラプラさせた。
「なかなかおいしいのに巡り合わなくてね。…一度だけ喫茶店のクッキーをもらったことがあるんだけど、あそこのが一番おいしかった」
それから、「コーヒーも飲んどけばよかったかな」と呟くように付け足した。
「だったらそこに、また買いに行けばいいじゃないですか」
きょとんとしながらもそう言ってきた若者と、彼が持っている大きなナイフを見て
「…その店には、もう行けないから」
少年はどこか懐かしそうに、そして寂しそうに、ほほ笑んだ。