15
『殺され屋』と書かれた立て看板の前を、私はうろうろしていた。2度と来るな、と言われたその場所。喫茶店にも行きづらくて、だけど彼に一言謝っておきたくて、私はどうしようかと悩み続けていた。30分くらい、その場でうろうろしていた気がする。
彼が店から出てきたのは、本当に偶然だった。彼は階段を半分上ったところで足を止めて、こちらを睨みつけた。その眼に、少しだけひるむ。
「…来るなって言ったはずだけど」
怒りの感情をのせた声で、彼が言ってくる。私はナイフの入っている鞄を握りしめて、大きく息を吸った。
「だけど、謝っておきたかったから。…あの時は、ごめんなさい」
私の言葉を聞きながら、彼が眉をひそめた。それから、私の顔と鞄を交互に見ると
「…店の中に入って」
それだけ言って、踵を返して階段を下りはじめた。
「え?」
「早く」
彼に言われるがまま、私も階段を下りる。
私が部屋に入ったのを確認すると、彼はドアの鍵を閉めた。そして部屋の中央へ向かって歩くと、ドアの前で佇んでいる私の方を振り返った。そして、はっきりとした口調で言う。
「誰を殺す気?」
そう言われて、私の顔が熱くなった。なんで?なんでバレたんだろう。
「その大事そうに抱えてる鞄さ、中になに入ってんの?」
思わず、鞄を強く抱きしめる。中にはナイフが入っています、とは言いたくなかった。彼は私の様子を見て、ため息をついた。
「仕事柄さ、分かるんだよね。人を殺そうとしている人間の眼って、ナイフみたいにぎらぎらしてる。自分で気付かなかった?…あんた今、そういう眼してるよ」
言い終わるとふっと息を吐くように笑って、私の顔を見上げた。
「殺す理由は?」
「…復讐」
正直に答えると、彼は面倒くさそうに頭をかいた。
「なるほど。で、そいつを殺したら自分も死ぬ気?」
「…!」
まるで私の頭の中を読んでいるみたいに、彼はすらすらと言葉を吐きだす。何も言わない、何も言えないのは、ある意味肯定してしまったようなものだ。彼は私の方をちらりと見てから、薄く笑った。
「誰かを殺して、あんたも死んで?それで物語が綺麗にまとまるとでも思ってんのなら、あんたは相当の馬鹿だね。…そっからまた、新しい話が始まるんだよ。悲哀や憎悪がごちゃごちゃに混ざった物語がね。俺は今まで、そういうのをいくつも見てきた」
黙り続ける私を見て、彼はまたぼりぼりと頭をかいた。それから
「鞄の中の物、出して」
私の眼を見ながら、言った。
「それで、俺を殺してみなよ」
挑発的な口調で、彼が言う。私は鞄を強く握りしめたまま、動けない。
「金は取らない。俺をその相手だと思って、殺してみなよ。…まあ、俺は死なないけどさ」
自虐するように鼻で笑うと、彼はこちらを見つめたまま黙り込んだ。
沈黙が続く。私は堪え切れなくなって、鞄の中から鞘におさまったナイフを取り出した。それを見て彼が笑う。
「あんた、本当にナイフが好きだね」
それを聞いて、私も少しだけ笑う。おそらく、ものすごく歪んだ笑顔で。
「ここ」
彼は自分の胸をトントンと指さしながら言った。
「ここに心臓がある。あんたのそのナイフなら多分、届くよ」
彼の言葉を聞いて、自分の手の中のナイフを見た。手は、まだ震えてはいなかった。