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花咲く季節を綴って

作者: シズカンナ



12月10日


花でさえ、いつかは咲く季節を得る。

それが、たまらなく羨ましくて恨めしい。


私はいつ、その季節を得るのだろう。

どのような形であれ、いつかは、その季節を得られればいい。





1月22日


大好きな人がいる。


ずっとずっと好きで、近くにいるとなんだか安心できるのだけど、ドキドキして切なくもなる。

大切な恋。貴方だけを思ってきた。


でも、貴方は私に言うのだ。

「かなわない思いなど捨ててしまえ」

「報われない恋など無意味である」

そう言って私をいつも冷たい瞳で貫く。


その時だけ、私は悲しくて苦しくて、この恋を諦めてしまいそうになる。

でも、この恋は私の一部だから無くすことなどできないのだ。


ずっと大切なもの。


そう思っていた。これからも、きっとそうだ。

たとえ何があったとしても、それは変わらない。


それだけは、変わらない。




2月25日


好き、好き、大好き

私がそう言葉を発するたびに、貴方は嫌な顔をする。

まるで痛いのを我慢しているように顔を歪める。


貴方が、私の発する好きという言葉を大嫌いなのは知っている。

でも、私はやめない。好きなのだから仕方がない。


ただ純粋に、この思いを伝えることができる幸せ。

貴方にとってこれがどんなに辛いことであろうとも、私は知らんふりをして続ける。

今日も、私は数え切れないほどの「好き」を伝える。




3月20日


大好きですよ、と言って手を伸ばしても

貴方は見えないふりをして、どこか遠くを見つめる。

私など、目に入れたくないと思っているのか。


ならばそれでいい。

そうやって、余裕でいられるのも、きっと今のうち。




4月1日


もういい、そう思った。


私は、結婚しよう。私のために、貴方のために。

いままでありがとうお父さん、と言ってあげるわ。



もっと、時間がほしかった。

もっと、貴方を見ていたかった。


でも、もう駄目なんでしょう。

私には、花咲く季節は訪れない。


貴方なんて、泣けばいいの。

苦しんで悔しがればいいの。


私の手をとってくれない貴方なんて。







* * *




「彼女の恋は、咲かなかったのですかね 」


 日記帳を閉じながら、男は窓を眺めている男に話しかけた。

 憔悴しきった男は、窓の外の桜を眺めたままだ。先月、一人娘が嫁いで行って男は一気に老け込んだ。

 大切な愛娘。血のつながりの無い義理の娘だったが、男はその娘を大切にいつくしんだ。

 年の差は20歳ほど。時折見かければ、恋人のように寄り添っていた二人の間には、親愛以外の何かが、芽生えていたのかもしれない。

 現に、娘の日記には、親愛以上の何かが鮮烈に綴られていたではないか。


「ねぇ、武藤むとう君。僕たちの間には、一体何が残ったのかな 」


 憔悴しきった男は、つかれきった声で呟く。

 武藤と呼ばれた男は、その問になんと答えたものか、と手渡された原稿を見つめながら悩んだ。

 そんなに大切だったのならば手放さなければ良かったのに、などという冗談は口が裂けてもいえない雰囲気だ。

 目の前の男、折瀬おりせがどれほどの苦悩を抱えて娘を嫁がせたかはわからない。しかし、その後の折瀬の苦しみ悲しみを武藤は知っている。


「選び、そして決めたのは先生です。たとえソレが、彼女が望んだカタチでなくても 」

「そうさ。だって、もう長くもない僕のために彼女が傷ついて良いはずがないんだよ 」


 折瀬が苦しげにごほっと咳き込めば、口からは鮮血があふれた。その光景を見て、武藤はあわてて折瀬にかけよる。

 本当ならば、今すぐにでも病院に入れなくはならないというのに。


 「本当に先生は、強情ですね。新作の執筆、病院ではできないなんてだだをこねられるものだから、俺は気が気じゃないですよ 」

 ため息交じりに言えば、折瀬は苦笑いをしながら口をぬぐう。

「仕方ないじゃないか。入院なんてしたら、彼女が帰ってきてしまうよ。断腸の思いで手放したというのに、帰ってこられたら… 」

 折瀬は、空いた手をぐっと握り締めた。眉間にしわを寄せ、苦しげに瞳をとじた折瀬。それを見て、武藤はため息をついた。


 あぁ、なんて難しい人だ。

 自分で言ったではないか。選んだのも、決めたのも、全て自分だ、と。


「こんなことを言うのもあれですが、本当にお二人に未来はなかったのですか 」

 なんとも残酷な質問だと自分で言いながら武藤は思う。きっと、こんな自問自答を目の前の折瀬は何度も続けてきたことだろう。それでも、武藤は聞かずにいられなかった。


「当たり前じゃないか。僕らは義理であろうとも親子で、20歳も年が離れている。世間的には認められない。そのうえ、僕は不治の病でもうすぐ死ぬ運命だ。どうして、僕らに未来があると言えるんだ 」

 まるで自分自身に言い聞かせるように呟く折瀬を見て、武藤は日記を綴った彼女に同情した。


 この折瀬という男は大いに難しくて面倒くさい男だ。簡単にいうと天邪鬼だ。本当に欲しいものを欲しいといえない。酷く全うな理由をつけて、いらないと言いきる。

 そのくせ、捨てた後は一人で苦しんで悲しんで、生きていけないという顔をする。だからこそ、彼女は諦められなかったのだろう。

 自分が諦めてしまったら、その後に折瀬は苦しんで悲しんで、寂しさの余り死んでしまうだろうから。


 あぁ、面倒くさい。これから伝えることは、この男はさらに奈落のそこに突き落とすことだ。

 でも、この悲惨な内容の原稿が、幸せな未来を得るためには不可欠なことだ。


「先生、あなたの病気は今すぐ入院されればどうにかなるかもしれないものです 」

「知っている。でも、僕は、入院する気も、この病気をどうにかしてしまう気もないよ 」

 きっぱりと言い切る折瀬。それは遠まわしに、自殺させてくれという意味であり、この結末に未練がないという意味に聞こえる。そんな折瀬を見て、武藤はさらに難しい顔をする。

 そして、ため息を一つついてから、決定的な言葉を吐き出した。


「つい先日、彼女は貴方との養子縁組を解消しました。よって、あなた方はもう親子でもなんでもありません。それでも、あなたは、その道を選ぶのですか 」

「な、に…? 」


 たった一つの絆。それがあるからこそ、折瀬は彼女を手放せた。

 しかし、今、その絆さえも消えてしまった。

 絶望に打ちひしがれる折瀬。それを見て、武藤はそっと部屋の扉に手をかけた。


「俺は、あなたに生きるという選択肢を、未来への期待や憧れをもつ選択肢を選んで欲しいと思っています。そうやって、絶望の中で死に向かっては、幸せな物語は生まれませんからね。だから、 」


 そっと、開けられた扉の向こうには、美しい少女が難しい顔をして立っていた。

 眉間にはしわが寄せられ、その美しい顔には怒気をはらんでいる。


「やはり、あなたには、彼女という未来が必要だと、思うのですよ 」

 驚いたという顔をして固まってしまった折瀬を見て、武藤は彼女を部屋に招きいれる。


「ありがとう、武藤さん。私、改めて確認しました。この人は、私が居なければお馬鹿で愚かでどうしようもないロクデナシなのだって 」

「そんな、いいすぎですよ。ちょっと面倒くさくて難しい変人ってくらいです 」

 そうやって、ひとしきり二人で嗤い合ってから、武藤が部屋を出て行く。すこしして、ようやく折瀬が口を開いた。


伊織いおりさん…なんでここにいるんだ。今は、確か新婚旅行のはずじゃ… 」

 その言葉に、伊織と呼ばれた少女はピクリと眉をあげる。

「なんで…ですって?よくもそんなことが言えましたね。私に何も言わず、何も伝えない貴方に嫌気が差していたのはもちろんそうですけど、私、諦めたつもりはありませんよ 」

 ふんと、鼻を鳴らして部屋を闊歩する伊織。向かう先は、もちろん折瀬だ。


「私、まだ結婚していませんから。結婚なんて、嘘ですから。そんなの信じていたなんて、やっぱり貴方はお馬鹿なんです 」

「嘘…? 」


 伊織は呆然とする折瀬の顔に手を伸ばして、両手で包み込んだ。会わない間にずいぶんやつれてしまった。何日も飲まず食わずで居たのだろうか。

 そう思うと、伊織は忌々しい気持ちでいっぱいになった。あぁ、やっぱり目を離すのではなかった。


「貴方が、私の日記を盗み見ていたのは知っていました。えぇ、だって、見て欲しいからそうなるように仕組んだのですもの。私の気持ち、貴方に知っていて欲しかったから 」

 切ない瞳で、伊織は折瀬を見つめる。その瞳を見て、折瀬も切なそうに瞳を伏せた。

「日記を見ていたのは、申し訳なかった。ただ、その、嘘というのは… 」

 折瀬の言葉に伊織はため息をついた。

「日記の日付、4月1日はエイプリルフール。唯一、嘘が罪ではない日でしょう 」

「あぁ、そういうことか…考えたものだね 」

 そう言って微笑む折瀬に再び怒気を燃やした伊織は、折瀬の顔を掴んだ手を引き寄せた。長身の折瀬は屈むようにして伊織と向き合うようになる。


 折瀬を見つめる伊織は不機嫌に顔を歪めながらも若々しく美しい。そこには、未来の輝かしい光が見える。

 対して、折瀬には年相応の落ち着きや貫禄があっても、未来に向かう若々しさや光は、もう見えない。

 まだほんの少女いえる伊織とは決定的に違う折瀬。その現実に折瀬は今更ながら打ちひしがれた。


「ねぇ、でも、よい機会だからこのまま結婚してしまいなさい。君は若くて、未来があるのだから 」

「貴方の言葉なんて、聞いていないのですよ 」

 ムッとした様子の伊織。こうなってしまったら、伊織は話など聞こうとしない。


 すぅっと息を吸って、伊織は一気に喋る。

「私が居なくて、寂しかったでしょう。苦しくて悲しかったでしょう。死んでしまいたいと思ったでしょう。だったら、どうして私を手放すの。私のいない未来を選ぶの?私はこんなに貴方が好き。なのに、どうして貴方は、私に伝えてくれないの? 教えてください 」


 とても真剣な表情の伊織。しかし、その瞳はやはり不安に揺れている。自分を捨てないで、と懇願するように見つめている。

 そんな伊織を見つめ、折瀬は大きくため息をついた。

「それはね、伝えてしまったら、言ってしまったら、もう戻れないからだよ 」

 折瀬は伊織の腰に手を回した。まるで、逃がさないとでも言うように。


「僕はね、沢山の中から君を選んだ。だから、この先もう誰も選ぶ気はない。でも、君は違う。君は、僕しか見ていない。たった一人しか知らない。それは、選んでいないのと一緒なんだよ 」

「違う、私は選んだ。貴方以外なんて要らないって、私自身が選んだわ 」

「いや、そうやって選ばせたのは、きっと僕だよ 」

 曖昧に微笑みながら、折瀬はさらに伊織に顔を近づける。


「この小さな世界で、僕は君を支配して管理して独占して染めてしまった。初めはそれでよいと思っていた。君は僕のものだから。でも、本当に君を愛するようになって、気づいたんだ。そこに、幸せはあるのだろうか、って 」

 コツンとおでこをくっつけて、折瀬は目を閉じる。


「君が僕に好きっていうたびに、君の口を操って言わせている気持ちになった。そこに、本当の好きがあるのかって苦しくなった。ふふふ、酷いよね。そうなるように全て仕込んだのに、君の意思なんてものを欲してしまうなんて、さ 」

 腰に回した手は伊織を抱きしめ、折瀬の腕の中に閉じ込めた。

 一見すれば、恋人同士のような格好。しかし、折瀬の表情は苦しげで瞳は閉じられたまま。まるで、全てを拒絶するかのよう。


 そんな折瀬を見て、伊織はえいっと背伸びをして、そっと折瀬にくちづけた。

 そして、折瀬の腕を強引に解いて、代わりに伊織が折瀬を抱きしめた。

「私は、自分でキスすることも、逃げることもできます。嘘だってつくことができます。貴方が望まないことだってできるのだから、全て私の気持ちなのです。だから、貴方に好きと伝えるのだって、わたしの、きもちで、す 」


 折瀬の胸に顔をなすりつけて、伊織は泣く。子どものように泣きじゃくる。

 そんな伊織を見て折瀬は苦笑する。


 彼女が言い切るのは、自分勝手な子どもの論理。そこには、確かなことなんて一つもない。信じられることなんて皆無だ。

 だけど、それでも信じたいと思ってしまう。

 ただひたすらに可愛くて愛しくて、手放したくないたった一人。ずっと、傍においておきたい最愛の人。

 ほぅっと大きくため息をついて、折瀬は口をひらく。


「ねぇ、伊織さん。僕は年甲斐もなく、執念深いし執着心も人一倍だから、君はとっても大変な思いをすると思うよ 」

「望むところです。貴方が私のそばにいてくれるなら、どんな苦労も厭いません 」


「あと、寿命という観点からみて、僕は君をおいていって一人にしてしまう。そのくせ最後の瞬間には、僕がいなくなっても僕以外を見て欲しくないなんて言っちゃうだろう酷い男だ 」

「大丈夫です。貴方以外を見る私なんて、私ではありません。それに、貴方は私をひとりにはしません。貴方との思い出は、私を一人になんて、しません 」


 何一つ迷いなく言い切る伊織。それを見て、折瀬は微笑んだ。

 大切な何かをようやく見つけたかのように、微笑んだ。


「…うん、そっか。じゃあ、仕方ない、ね 」

「はい 」

 諦めたように、折瀬は伊織を抱きしめる。きつく抱きしめる。満足そうな伊織も負けずにきつく折瀬を抱きしめた。







 それから一週間後。


 無事に折瀬の新作を手に入れることができた武藤は、幸せな結末の物語を見て満足そうに笑っている。

「そうそう、やはりこうこなくっちゃ。あのままだったら、主人公も周りの人間も苦しくて悲しくて可哀想だったからねぇ 」

「そうですね、ぜひそのお話には売れてもらって、お金を沢山稼いでいただきたいものです 」

 となりで涼しげな顔をしながら紅茶をすする少女は伊織だ。


「そうだね、そしたら俺も編集長になれちゃうかもだし。いやぁ、それにしても伊織さんはどこまでも賢くて計算高い恐ろしい人だねぇ  」

 しみじみと呟く武藤の足を、微笑みながら伊織は踏んづけた。声にならない悲鳴を上げて、武藤は机に突っ伏す。

「人聞きの悪いこと言わないでください。時間と人材の有効活用です。第三者にあれくらい言ってもらわなきゃ、あの人、自分の気持ちにも気づかないお鈍さんですからね 」

「いやぁ、それにしたって日記帳が送られてきたときはびっくりしました。一体、誰の原稿かと思っちゃった。俺にはっぱをかけさせるなんて、伊織さんはものすごい策士ですね。 ん? 」


 呼ばれたような気がして武藤が顔を上げれば、折瀬が難しい顔をしてこちらへ向かってくる。その目は、嫉妬とかそういうもので埋め尽くされていた。

「あぁ、ほら、伊織さんのだんな様は俺という人間すらも近づくことを許しはしないようですよ。まったく、心の狭い人だ 」

「えぇ、まったく。お馬鹿さんで、愚かで、心の狭い、どうしようもない人ですね 」

 言葉とは裏腹に、伊織は満面の笑みで折瀬に手を振る。そんな伊織を見て、折瀬は表情を和らげ控えめに手を振った。


「でも、そんな人だからこそ、愛おしいの 」

 心底嬉しそうに伊織は立ち上がり、折瀬に向かって走り出した。


 そんな伊織を見て武藤はこの幸せな結末に、満足そうに笑った。

 やっと彼女は、咲く季節を手に入れたのだ。



 綴られ続けた季節は、ようやく訪れた。



(fin)

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[良い点] 強くて賢い女性は好きです。情けない男も好きです。笑 [気になる点] 「こんなことを言うのもあれですが、本当にお二人に未来はなかったのですが 」の末尾「が」は疑問系の「か」の誤字でしょうか?…
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