青硝子の鳥
夕暮れの露店通りは、人の声と光で溢れていた。
焼き菓子の甘い匂い。香辛料の刺激的な香り。細い路地を抜ける風が、吊るされた布を揺らしていく。
季節ごとに数日だけ開かれる夕市の日だった。遠方の商人達も集まるこの市は、普段よりずっと賑やかで、夜まで灯りが絶えない。
シスイは露店を覗き込むたびに目を輝かせ、その少し後ろをロキとクエルが歩いていた。
気になるものを見つけるたびに呼び止められ、その度に足を止めていた。
「見て、これ可愛い」
小さな木彫りを持ち上げるシスイに、クエルが笑う。
「君、今日はずっと楽しそうだね」
「だって滅多に来れないもん」
そう返したシスイは、次の露店へと足を進める。
その時だった。
不意に、シスイの足が止まる。
「……わぁ」
零れた声につられるように、ロキも視線を向けた。
通りの端。小さな硝子細工の露店が夕陽を受けて輝いていた。
赤。青。金色。
並べられた硝子玉や小瓶が、石畳へ色の光を落としている。風が吹くたび、吊るされた飾りが小さく音を鳴らした。
シスイが振り返る。
「少し見ていってもいい?」
「あぁ、構わないよ」
ロキが短く返すと、クエルが軽く笑った。
「行っておいで」
シスイはぱっと顔を明るくして、露店へ駆けていった。
揺れる硝子玉。細い細工の入った小瓶。夕陽を透かして色を変える飾り石。シスイは一つ手に取るたび、嬉しそうに表情を変えていく。
その様子を見ていたクエルが、隣のロキを横目で見た。
「君が見てるの、硝子細工じゃないよね?」
ロキは少し遅れて口を開く。
「……綺麗なものを見ていることに変わりはない」
「認めたね?」
「認めてない」
そう返しながらも、視線は一度もシスイから外れていなかった。
しばらくして。
シスイの手が、一つの硝子細工の前で止まった。
小さな硝子の鳥だった。
透き通る青硝子の羽に、淡い金色が混ざっている。夕陽を受けるたび、水面のように色が揺れた。
シスイはそっと持ち上げる。
「……綺麗」
小さく零れた声は、素直な感動が滲んでいた。そのまま何度か角度を変えながら眺める。
だが、不意にシスイの表情が少しだけ曇った。
少しだけ迷うように黙り込み、名残惜しそうに硝子を戻した。
ロキはそこで初めて近付いた。
「……買わないのか?」
声を掛けると、シスイが少し驚いたように振り返った。
「あ……うん」
それから困ったように笑う。
「すごく素敵だったんだけど、少し悩むお値段だったの」
「欲しいんじゃないのか」
「欲しいけど……今すぐじゃなくてもいいかなって」
ロキは何も返さなかった。
けれど、シスイが硝子を戻した瞬間の表情だけは、妙に頭に残った。
シスイはすぐに次の露店へ向かい、クエルもその後を追う。
ロキは少し遅れて歩き出した。
甘い匂いが風に乗って流れてきた。
シスイはふと足を止める。
通りの先へ視線を向けると、少しだけ表情を明るくした。
「あ」
「どうしたの?」
クエルが首を傾げる。
「あのお店、好きな焼き菓子が売ってるの」
シスイはそう言って、小さく笑った。
「買ってくるから、少し待ってて」
そう言い残すと、露店の方へ駆けていく。
しばらくして、小さな包みを抱えたシスイが戻ってきた。
「はい」
シスイはまずクエルへ一つ差し出した。
「やった」
クエルが嬉しそうに受け取る。
「ロキも」
続いて差し出された焼き菓子に、ロキは少しだけ目を瞬いた。
「……いいのか」
「たくさん入ってるから」
シスイは当たり前のように笑った。
ロキは少しだけ迷ってから受け取る。
「どう?」
「甘いな」
「焼き菓子だからね」
シスイが楽しそうに笑った。
シスイはその後も楽しそうに露店を見て回っていた。
それでもロキの頭には、青硝子の鳥と、それを戻した時の表情が残り続けていた。
夕食前になり、ロキとクエルはシスイを『カラン』まで送り届けた。
『カラン』の扉の前でシスイが振り返る。
「今日は楽しかった。ありがとう、二人とも」
「またいこうね」とクエルが笑う。
シスイが扉の中へ消えるのを見届けてから、ロキとクエルは宿へ戻ろうと歩き出した。
しばらく歩いたところで、ロキの足が止まった。
「クエル、先に戻っていてくれ」
「ん?どうしたの?」
「……すぐ戻る」
クエルは少しだけ首を傾げた。
「そう。わかったよ」
それ以上は何も聞かなかった。
クエルが先へ歩いていく。
ロキは露店通りへ向かった。
昼間より静かになった露店通りには、柔らかな灯りが落ちている。硝子細工の店も、まだ残っていた。
店主がロキを見る。
「あんた、さっきの嬢ちゃんの連れだろ?」
ロキは否定しなかった。
並べられた硝子細工の中へ視線を向ける。
迷うことはなかった。
シスイが見つめていた青い鳥は、あの時と同じ場所にあった。
「店主、それを包んでくれ」
店主が意味ありげに笑う。
「あいよ。贈り物か?」
「あぁ、気に入っていたからな」
「そうかい、そりゃいい判断だ。ちょっと待ってな」
店主は手際良く包んだ。
『カラン』へ戻ると、まだ灯りがついていた。
店の前では、リュシアンが看板を片付けているところだった。
ロキに気付くと、少し意外そうに目を向ける。
「一人か? もう閉店時間だが」
「悪いが、シスイを呼んでくれないか」
リュシアンの視線が、ロキの手元へ一瞬だけ落ちた。
「……わかった。少し待っていてくれ」
そう言って店の中へ戻る。
しばらくして扉が開いた。
「ロキ?どうかしたの?」
シスイが顔を覗かせる。その後ろにはリュシアンの姿もあった。
「少しいいか」
「うん、大丈夫だよ。リュー、お店は私が閉めるわ」
「わかった。頼んだぞ」
リュシアンは小さく頷き、店の中へ戻っていった。
扉が静かに閉まる。
ロキはシスイを伴って、扉から少し離れた場所へ歩いた。
「これを君に」
小さな包みを差し出す。
「え?」
不思議そうに包みを受け取る。
シスイは包みへ視線を落とした。
指先でそっと包み紙をなぞる。
「……今、開けてもいい?」
ロキは小さく頷く。
シスイがゆっくり包みを開く。
次の瞬間、目を見開いた。
「あ……!」
夜の灯りを受けて、青硝子の鳥がきらりと揺れる。
シスイは驚いたままロキを見上げた。
「これ、さっきの……」
「欲しいと言っていただろう」
ロキは青硝子へ視線を落とした。
「……喜ぶと思ったんだ」
短い沈黙。
それから、シスイがふわりと笑った。
「……嬉しい。ありがとう、ロキ」
シスイはそう言って、青硝子の鳥を胸元へそっと抱き寄せた。
青硝子の鳥が、灯りを受けて小さく色を揺らす。
それを見つめながら、ロキは静かに息を吐いた。




