第8章 消えない痕
ユイは、その夜、自分から切り出した。
レン。
ちょっとだけ、昔の話していい?
レンの指が止まる。
怖い。
でも、聞きたい。
うん。
それだけ送る。
数分、返信が来ない。
やがて、途切れ途切れの文が届く。
私さ。
バイク乗ってた。
チーム入ってた。
レンは、画面を見つめる。
想像していた。 でも、具体的に言われると重みが違う。
喧嘩もした。
ガラス割ったこともある。
逃げたこともある。
文章は短い。 飾らない。
AIは使っていないと分かる。
誰かに怪我させたことは?
レンは慎重に聞く。
少し間。
直接はない。
でも、巻き込んだ。
それが一番嫌。
レンは、喉が乾く。
正義の物語ではない。
誰かが傷ついている可能性がある。
レンは、考える。
AIを開く。
「過去に問題行動のある人への対応」
画面に並ぶ助言。
・責めない ・現在を評価する ・変化を認める
正しい。
だが、レンは画面を閉じる。
整えた言葉は、ユイに見抜かれる。
レンは、自分のままで打つ。
それ、ずっと残ってる?
返信。
うん。
サイレン鳴ると戻る。
レンは、胸が痛む。
でも今は違うだろ。
ブロックもしたし。
面接も行ってる。
戻ってない。
送信。
少し間。
それ、レンの言葉?
レンは、すぐに返す。
うん。
既読。
しばらく沈黙。
そして。
ありがと。
短い。
でも、震えている気がする。
その夜の後半。
ユイは、さらに踏み込む。
レンはさ。
外、どこまで出られる?
レンは、正直に打つ。
コンビニまで。
駅は無理。
少し間。
駅まで来れたら、すごいよな。
レンの胸が鳴る。
“駅”。
それは、遠い。
だが、具体的。
何で駅?
ユイは、数秒沈黙してから打つ。
なんとなく。
乗る気はないけど。
レンは分かる。
会う話ではない。
でも、距離の話だ。
駅まで行けるかどうか。
それは、外の世界への一歩。
レンは、キーボードに指を置く。
行けたら、報告する。
ユイはすぐに返す。
進化ポイントな。
レンは笑う。
軽い。
でも、背中を押している。
翌日。
昼間。
レンは、部屋の中を歩き回る。
駅までの道を思い浮かべる。
コンビニの先。 信号を二つ。 横断歩道。 人。
人がいる。
レンの手が震える。
「外出時の緊張を抑える方法」
AIを開く。
呼吸法。 段階的曝露療法。 小さな成功体験。
レンは画面を閉じる。
理屈は知っている。
問題は、足が動くかどうか。
レンは、ドアノブに手をかける。
冷たい。
心臓が速い。
戻りたくなる。
だが、ユイの言葉を思い出す。
駅まで来れたら、すごいよな。
レンは、ドアを開ける。
階段を下りる。
母親の声が遠くで聞こえるが、返事をしない。
玄関。
靴を履く。
外気が頬に触れる。
昼の光は眩しい。
レンは歩く。
コンビニを越える。
手が震える。
視線が刺さる気がする。
信号を渡る。
息が浅い。
あと少し。
駅の入り口が見える。
レンは、足を止める。
人の流れ。
改札。
声。
無理かもしれない。
でも、ここまで来た。
レンは、駅の看板を見上げる。
それだけでいい。
それ以上は無理。
レンは、引き返す。
部屋に戻るまで、足が軽いのか重いのか分からない。
夜。
レンは、メールを送る。
駅まで行った。
すぐに既読。
返信。
マジ?
すげえ。
レンは、胸が熱くなる。
入ってないけど。
看板見ただけ。
ユイは、即座に返す。
それで十分。
進化。
レンは、少しだけ笑う。
震えはまだある。
でも、昨日より遠くに来ている。
ユイは、続ける。
レン。
私さ。
会う気はないけど。
レンの胸が止まる。
でも、駅まで来れたなら。
同じ空気吸ってるなって思える。
レンは、画面を見つめる。
同じ空気。
会わない。
でも、同じ空間の延長。
それは、怖くない。
むしろ、少しだけ現実味がある。
ユイも、いる?
レンが打つ。
いる。
ちゃんと。
その一言で、夜は落ち着く。
過去は消えない。
傷も消えない。
でも、今は変わっている。
レンは外へ出た。
ユイはブロックした。
小さな決断が、重なっている。
塗り替えられた夜は、 ただの幻想ではない。
少しずつ、現実に影響し始めている。




