第7章 切り取られた言葉
きっかけは、ほんの小さな違和感だった。
レンがメールを開くと、ユイからの返信がいつもより短かった。
今日は少しだけ。
それだけ。
レンは、何かあったのだと直感する。
どうした?
送る。
既読。
しばらくして、返信。
掲示板、まだ見てる?
レンの背中が冷える。
掲示板。
最近はほとんど開いていない。 DMに移ってから、あのスレは放置していた。
レンは、ブラウザで掲示板を開く。
スレッドはまだ残っている。
だが、途中から流れが変わっていた。
「このスレの二人、DM行っただろ」 「ログ貼るわ」
「女のほう、元ヤンぽくね?」
レンの喉が乾く。
誰かが、二人のやり取りをコピーして貼り付けている。
掲示板は匿名だ。 だが、ログは残る。
切り取られた言葉が、並べられている。
サイレン鳴ると無理 戻らない いるだけでいい
文脈が削られ、意味が歪む。
「メンヘラ確定」
「依存しすぎ」 「そのうち刺されるぞ」
文字が並ぶ。
レンは、画面をスクロールする手が止まる。
ユイの過去を匂わせる書き込みもある。
「この感じ、地元の〇〇のやつじゃね?」 「金髪のあいつ?」
確証はない。 だが、嫌な方向へ転がり始めている。
レンは、急いでメールを打つ。
見た。
ごめん。
送信してから、何に対する謝罪か分からないことに気づく。
ユイの返信は、早かった。
私のせいじゃない。
レンも悪くない。
短い。
でも、その裏に緊張がある。
レンは、掲示板を再び見る。
自分たちの言葉が、他人の娯楽になっている。
匿名のはずなのに、 安全のはずなのに。
レンは、震える指で書き込み欄を開く。
反論するか。
やめろと書くか。
AIを開く。
「匿名掲示板で誹謗中傷されています。どう対処すればいいですか?」
表示される冷静な助言。
・無視する ・スレッドを離れる
・管理者に報告する
どれも正しい。
だが、レンの胸の奥で、別の感情が動く。
ユイが傷つくのが、嫌だ。
レンは、掲示板に一行だけ書き込む。
俺が勝手に言ってるだけです。
彼女は関係ない。
送信。
すぐにレスがつく。
「彼女って言ってるw」 「図星かよ」 「草」
レンは、歯を食いしばる。
余計だった。
正しさではなく、感情で動いた。
ユイからメールが届く。
書き込んだだろ。
レンは、正直に打つ。
うん。
少し間。
やめて。
その一言は、強い。
レンの胸が痛む。
ごめん。
守りたかった。
既読。
返信が遅い。
やがて届く。
守られたくない。
レンは、画面を見つめる。
その言葉の裏に、別の意味を感じる。
ユイは、続ける。
私、自分でやる。
逃げない。
レンは、息を整える。
自分は、助ける側になりたかった。 でも、ユイは助けられる存在ではない。
強く見えるだけじゃない。 本当に、選んでいる。
分かった。
ごめん。
ユイから、もう一通。
でも、ありがとう。
レンは、目を閉じる。
正解は分からない。
でも、間違いでもない。
その夜、ユイは掲示板を閉じた。
スレッドは削除されるかもしれない。 されないかもしれない。
どうでもいい。
DMは残っている。
レンに打つ。
あそこ、終わりでいい。
レンはすぐに返す。
うん。
ここだけでいい。
“ここだけ”。
それは、少し閉じた世界。
危うい。
でも、守られている。
ユイは、しばらく画面を見つめる。
過去は消えない。 誰かが覚えている。
でも、今の自分は違う。
レンがいる。
守ろうとする。 不器用に。
ユイは打つ。
レン。
もし私の過去、全部知ったらどうする?
レンは、長く考える。
AIを開く。 閉じる。
整えた言葉は、今はいらない。
変わらない。
多分。
いや、変わらない。
送信。
ユイは、画面を見つめる。
なんで?
レンは、打つ。
今のユイしか知らないから。
それで十分。
ユイは、息を吐く。
過去を知らないと言うのは、無責任かもしれない。
でも、今を選ぶと言うのは、強い。
掲示板は荒れている。
匿名は、安全でもあり、暴力でもある。
でも、二人のDMは静かだ。
塗り替えられた夜は、簡単には戻らない。
レンは、初めて気づく。
ユイを守りたいと思った。
それは依存かもしれない。
でも、逃げではない。
ユイもまた、気づく。
レンは弱い。
でも、立とうとしている。
夜は続く。
だが、波は大きくなっている。




