開かれたもの
手が震える。
やはり止めるべきか?
今なら止めることができる。
やっぱり止めることにしました。そう一言告げるだけで、それで終わる。
――だけど、それでいいのだろうか
もう何度目か分からない逡巡だった。
ミネコは浅くなりそうな呼吸を整えるために僅かに開口し、自分の唇が酷く乾いていることに気づいた。感覚が過敏になっている。緩く握っていた両手を開くと、そこにはこの五年間、文字通り肌身離さず守り続けていたそれがあった。
ミネコが視線を固定すると薄く光を灯し、それは蛍の光のように規則的に点滅する。無機物のはずなのに呼吸しているように見えた。躊躇うミネコとは反対に、それは内に燻る熱を今にも放出したくて堪らないと訴えているようだ。
顔を上げると、自分を囲むように傍らに立つ三人の人物が視界に入る。三人ともミネコを急かすでもなく、ただ彼女を静かに見守っていた。
――きっと彼らは、私がどんな決断をしようとも従うつもりだ
そしてそれがどのような結果を招いたとしても、彼らは自分を責めないだろう。ミネコにはよく分かっていた。
「ソウイチさん」
目の前の夫の名前を呼んだ。
「始めます」
再びそれを両手で包み込んで、息を吸い込む。三人の男たちは頷き、彼女の前にいた男――ソウイチロウが一歩前へ進みミネコの肩を抱き寄せた。
ミネコが何か言葉を発するように唇を動かしたが、そこにいた三人には聞き取ることは叶わない。
音のない轟音がその空間を包み込んだのだ。
◆◆◆
マヒトは鏡越しに父の表情が僅かに揺らぐ瞬間を見逃さなかった。
「どうかされましたか」
その小さな空間には、父と自分の二人しかいなかった。その場所に入ることを許される者は少ない。
「扉が開かれた」
父の声は寸分も乱れることなく響いたが、その言葉の意味することがとんでもない事態であることをマヒトは知っている。
「なんですって?」
「お前には見えなかったか」
思わず反り返るように大きくなった息子の声音と対象的に、父親の声はどこまでも平静だった。
「扉が開かれたとき。来訪者が通ったとき。鏡には逐一変化が出る」
その説明は既に何度も聞いたことがあったものだった。
マヒトは改めて目の前の真円の鏡に視線を戻してみたが、そこには自分を見る父の横顔と動揺を隠せない真っ青な自分の顔が映るのみだった。
「わかりません――私には何も。何も見えません」
「無理もないか。まだお前は王ではないのだから」
父の声は相変わらず波立たない。先程の明らかな表情の変化も、今はすっかり鳴りを潜めている。マヒトは僅かに溜息をついた。
「私にはやはり、資格はないのでは」
「資格のあるなしではない。ないのは『カギ』だ」
畳み掛けるように言い放たれた声に、マヒトは再び鏡を見た。今は自分のことを思い悩む時ではないと思い直す。
「使われたのですか?」
「そのようだ」
「場所は?」
「すぐに向かわせる」
親子の会話は短かった。しかしマヒトには父の考えていることの大体は読み取れる。そして今自分がすべきことも。
彼は短く父に頭を下げると、その小さな部屋から滑り出すようにして、その場を後にした。




