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十二月

 十二月も半ばに差し掛かってくると、世間の人々の多くが本格的に休暇に入る一方で、変身館で働く人々は普段よりも忙殺されるようになる。

 昼間にパーティ会場として貸し出されることが多くなり、夜になると多くのコンサートが朝方まで予定を組まれた。猫の手も借りたい状況とはこういうことを言うのだろう。普段はたまに簡単な手伝いしか頼まれない侑子でさえ、一日の多くをライブハウスで過ごすようになった。移動時間が勿体なく感じて、手伝いのない隙間時間に事務所の片隅で自習するようになっていた。

 そしてアミが告げた通り、侑子は彼と共にする時間も多くなった。ユウキもアミも変身館にほぼ出ずっぱりの状態だったのだ。ステージに上がらない時間には二人とも練習スタジオに入り浸っていることが殆どで、時折侑子もそこに誘われる。すっかりアミと打ち解けていた。


「アミさんがギター弾いてる指って、魔法は使ってないんだよね?」


 弦の上を踊るように動くアミの指を眺めながら侑子が言った。彼は時々ピックを使わず指で弦を弾く奏法をするのだが、その指さばきが鮮やかで、眺めているだけで楽しい気持ちになってくるのだ。


「使ってないよ。そんなに奇妙な動きをしているかな」


 肩を揺らして笑っていても、指の動きは一切乱れない。彼が奏でるギターの旋律は緻密で疾走感のあるものだった。


「月並みな言い方になっちゃうけど、上手いよな。ジロウさんはどこでアミのことを知ったんだろう。ジロウさんから打診されたんだろう? ここで働かないかって」


 侑子の横で彼女と同様アミの手元を観察していたユウキが言った。その言葉に対してアミは薄く笑って手を止めた。響き渡っていたギターの音がなくなり、数秒の間その空間は無音になった。


「違うよ。聞いてない? 俺からユウキと一緒に演奏させてくれないか問い合わせたんだ」

「そうなの?」


 侑子もユウキも初耳だった。


「自覚ないだろう。お前は結構ちょっとした有名人になり始めてる」


 ぽかんとするユウキに向かって、アミは可笑しそうに笑いながら重ねて言った。


「ユウキの歌を聴いて、一緒にステージで演奏したいってジロウさんに連絡を取ったんだ。ギターには自信があったし、音楽を仕事にできたらって思いもあったからね。無事採用された時には、今まで真面目に弾いてきて本当に良かったって思ったよ」

「ここのところユウキちゃんの出番の時、お客さんの数すごいもんね」


 合点がいった侑子は頷いた。確かに噴水広場でユウキ目当てに集まる人の数は日に日に増えていたし、変身館でもユウキの出番を増やしたばかりだった。客からユウキの出演時間を訊ねられることもしょっちゅうである。


「そのうち広場で歌うことなんてできなくなるぞ。人が集まりすぎて収拾がつかなくなる」


 アミのその言葉に、ユウキは神妙な顔つきになる。


「そうか……それは、考えもしてなかったな」

「よかったじゃん。それだけ大勢の人に認められるだけの実力を持っていたってことなんだから」


 その声はスタジオの入り口から聞こえてきた。ドアから入ってきた三人組も、侑子にはすっかり顔なじみである。


「おはようございます」

「オハヨー」

「おはよう、ユーコちゃん」

「そっちの三人はいつも早いな」


 侑子の朝の挨拶に返した三人も、アミと同様採用されたばかりの音楽家達だった。

 女性ドラマーのミユキとベーシストのショウジは姉弟で、キーボディストのレイはこの中で最年長の中年男だった。この三人とアミ、そしてユウキの五人でバンド編成でステージに立つのだ。

 各々楽器を定位置に運んで準備を進め始める。今日も音に溢れた一日が始まろうとしていた。



◆◆◆



「あっ。リリーさんおはよう」


 買い出しを頼まれた侑子は変身館の玄関を出たところで、佇むリリーの姿を見つけた。

 朝からここへやってくるのは珍しい。リリーも年末年始をジロウの屋敷で過ごす一人で、既に侑子と同じ屋根の下で生活を共にしていた。

 そんな彼女がライブハウスにやってくるのは、いつも大体出番の一時間前だ。ピアノの弾き語りでたった一人でステージに立つことの多いリリーは、準備や打ち合わせに時間がかからない。そして大体彼女の出演する時間は夕方か深夜が多いのだ。


「どうしたんですか?」


 聞こえなかったのだろうか。返事を返すことなくぼんやりと地面の一点を見つめるリリーに違和感を感じて、侑子は顔を覗き込むようにして近づいた。


「あ……! ユーコちゃん。ごめんごめん。ぼーっとしてた」


 侑子に気づいたリリーは笑いながら挨拶を返してきたが、やはり表情にも声にも陰りがあった。なんだか顔つきが幼いような印象があったが、化粧をしていないのだと気づいた侑子は目を丸くした。見たことのない様子のリリーが、途端に心配になってくる。


「具合悪いんですか?」

「ああ、違うの。心配させてごめんね。エイマンとここで待ち合わせしてるだけなの。時間ギリギリまで寝坊しちゃったから、慌てて出てきて」


 すっぴんだわ、と恥ずかしそうに笑うリリーの声に活気が感じられない。ますます心配になる侑子だったが、その耳がリリーを呼ぶ男性の声を捉えた。


「ユーコさん。おはよう」


 近づいてきたエイマンが挨拶してくる。彼の方はいつも通りだった。後方に停車するタクシーが目に入った。これから二人はあれに乗ってどこかへ出かけるのだろう。


「ちょうど良かった。ジロウさんには承諾を取ったんだけど、君にも話しておくよ。年末までリリーはステージに出られなくなる」

「えっ」


 驚いた侑子は咄嗟にリリーを見た。


「やっぱり具合悪いんじゃないですか。大丈夫ですか」

「違うのよ、ユーコちゃん。本当に身体は大丈夫だから」

「ちょっと旅行に行ってくる」

「ええ?」


 エイマンの端的な説明に更に驚く。


「すまないな。既に組んであったスケジュールに大きく穴を開けることになった。その穴を埋めるのに、ユウキくんたちがかなり忙しくなってしまう」


 リリーの手荷物をタクシーに運び入れながら、エイマンはいつもの淡々とした口調で説明した。しかしその表情は申し訳無さそうだった。


「ユーコちゃん、ユウキにもお願いって謝っておいてくれる? 行ってくるわね」


 弱々しく笑うリリーに、それ以上言葉をかけることもできずに侑子は頷いた。リリーの隣に乗り込んだエイマンに手を振って、走り去るタクシーをしばらくの間呆然と見送ったのだった。

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