トコヨノクニ――恋の歌
「何これ。ただの同窓会じゃない」
集合場所に集まった面々を見て思わず笑い出したのは、綾だった。
「裕貴が先輩に声かけてたなんて、私達も今知ったんですから……」
と言うのは愛佳。その隣で笑うのは竜介だ。「確かに同好会だ」と彼は頷いた。その場にいる六人中の五人が、かつて同じ学校の同好会に所属していた仲間だったのだから。
「だって男女の数合わせろって言うから。そんな条件出されてなかったら、高橋先輩を誘おうかと思ってたんだ」
「はあ? 誰が好き好んで兄とグループデートなんてすると思うの?」
言い訳気味の口調の裕貴に、愛佳はピシャリと言い放つ。
「まぁまぁ。それなら良かったじゃない。結果オーライでしょ? ね、五十嵐さん」
中学時代の先輩に肩を叩かれた侑子は、笑いながら頷く。
「はい。久しぶりに綾先輩と会えて嬉しいですよ。だけど本当に良かったの? 愛ちゃん。突然人数増えたけど」
愛佳に向けての言葉だったが、侑子の視線は一人の男子に向けられていた。彼だけ唯一、中学時代の軽音同好会の面々とは関わりのない人物だった。
「俺は構わないよ」
侑子の意図を理解したのだろう。その人物は笑顔で首を振った。
「初めまして。島谷隼人です。よろしくね」
隼人は爽やかな印象を与える人だった。彼は愛佳や竜介と同じ高校に通う二年生で、竜介の友人なのだという。
この日侑子は愛佳に誘われて、隼人と竜介の四人でテーマパークに遊びに行くことになっていたのだ。
侑子が「彼氏が欲しい」発言をしたあの後、愛佳は待ってましたとばかりに今日の提案をした。
『先輩の友達を入れて遊びに行こうよ。鈴木先輩がゆうちゃん連れてきたらどうかって』
『でも先輩の友達って、私が会ったことない人でしょ?』
『大丈夫大丈夫。きっといい人だよ。ゆうちゃん、彼氏が欲しくなったんでしょ? とりあえず会ってみようよ。付き合うか付き合わないか考えるのは、その後でいいじゃない』
その時は納得し、ひとまず承諾したのだった。しかしその後に届いたユウキからの手紙を読んで、再び侑子の気持ちは揺れ始めていた。
◇◇◇
数日前。
『小林先生。この歌の意味、教えてもらっていいですか』
古文の授業の後、教室を後にしようとする担任を侑子は捕まえた。
ルーズリーフに書き写したのは、ユウキの手紙にあった七五調の歌だった。
『いいわよ。どれどれ……』
手渡されたルーズリーフの上に目を走らせながら、小林はつぶやくようにその歌を声に出して二度三度読んだ。
『柿本人麻呂の歌ね。恋の歌だわ』
『恋』
『文法とか細かい説明なしで超訳すると、こんな意味になるかな』
ルーズリーフの空白に、小林はペンを走らせた。現代語訳を書いてくれているようだ。
『愛しいあの娘のことを考えて眠れなかった朝に吹く風よ 彼女に触れてきたのなら、どうか私にも触れてくれないか』
読み上げた侑子が赤面したからだろうか、小林は笑った。
『“むた”っていうのは、“共に”とか“一緒に”って意味ね。英語で言うと“together”。“妹”っていうのは文字通りの妹を指すんじゃなくて、この時代の男の人が恋人や好きな女性のことを呼びかける時に使う言葉なの。一緒にいられないけど、せめて同じ風に吹かれて愛しい人を感じたいっていう思いが込められているね』
『一緒にいられないけど……』
『そうねぇ。離れ離れの状態だった二人なのかな。手を握ることもできないけど、同じ風を介して大好きなあの人の肌の感触を感じたい……って、現代の言葉にすると生々しくなっちゃうね。でもそんな情感も感じられるよね』
『恋人に贈った歌なんですか?』
『愛しい人のことを歌ったのは確かだけど、贈ったかどうかまでは分からないなぁ。これ万葉集の歌でしょう? そこまでの記録も残ってないんじゃないかな』
『恋を意識した相手じゃないと、この歌は歌いませんか?』
『まあ、そうだろうね。どうしたの、五十嵐さん。この歌がそんなに気になるの?』
『いえ……ありがとうございました』
ルーズリーフを受け取って、席に戻ってそこに並ぶ文字を見つめた。
妹に恋ひ
寝ねぬ朝に
吹く風は
妹に触れなば
わがむたは触れ
――ユウキちゃん。どういうつもりで、この歌を送ってきたの?
騒ぎ立つ胸が、ひどくうるさかった。
◇◇◆
『合コン⁉︎』
『違うよ、遊びに行くだけ』
『それが合コンって言うんだよ。じゃなかったらさぁ……ゆうちゃん、いつの間に彼氏できたの?』
『できてないよ。愛ちゃんと鈴木先輩から誘われたの』
部活に向かう廊下を歩きながら、侑子は裕貴に週末の予定について話していた。
『俺も行く』
『え?』
『すげー楽しそうじゃん。俺も行くよ』
なぜか毅然とした表情で、裕貴は愛佳に連絡を取り始めたのだった。
◆◆◆
「彼氏欲しかったの?」
一足早くアトラクション出口から出てきた侑子と裕貴は、他の四人を待つために出口付近のベンチに腰を下ろした。
「そんな気持ちになりかかってたけど」
裕貴の質問に侑子は唸り始める。
「やっぱり違うかも。ダメだったよね。愛ちゃんにも鈴木先輩にも、島谷さんにも不誠実だった」
肩を落とした侑子を見て、裕貴は安堵したような期待を外したような、複雑な気分に陥った。
「野本くんもありがとう。今日、野本くんと綾先輩が来てくれて良かったよ」
笑いかけてくるその表情に、簡単に絆される。裕貴はそんな自分に呆れた。
「まぁ、良かったよな。綾先輩とあの人……島谷さん、なんだか良い感じだし。朝の綾先輩じゃないけど、結果オーライなんじゃない?」
出口から出てきた四人の姿が見えた。愛佳と竜介、綾と隼人で綺麗に二人ずつ連れ立って歩いていた。
◆◆◆
土曜日の遊園地は人でごった返している。
次の目的のアトラクションへ向かう道の途中、落とした園内マップを拾うためにしゃがみ込んだ侑子は、再び立ち上がると、見事に友人達の姿を見失っていた。
――ほんの数秒間のことなのに
目の前にあったはずの裕貴の背中はどこに行ったのか、全くわからなくなっていた。
連絡を取ろうとバッグを探ってスマートフォンを出そうとした侑子の指が、薄い物に触れた――硝子の鱗だった。
――ユウキちゃん……
人の流れから逃れるように脇道に逸れ、侑子はそれを取り出した。
透証を貫いた銀のブレスレット。毎日持ち歩いていたが、外で身につけることはあまりなかった。しかし今日はなぜか、そのままバッグの中に戻す気持ちにならなかった。ぎゅっと握りしめて、再び見つめる。様々な色味の青い鱗が、侑子を見つめ返してくる。まるで凝視されているようだ――――あの人の瞳の色とも、あの半魚人の目とも違う色なのに。
――声まで聞こえてきそう
紐先に揺れる硝子の鱗をつまんで紐を引っ張ると、輪が縮んで侑子の左腕にその魔導具が久々に輝いた。
――聞きたいなぁ、あの声
腕を上げると、青い鱗が日の光を反射してキラキラと瞬いた。
――遊園地でこの鱗と一緒にいるなんて。まるであの夢の中みたい……手を繋いでいるみたい
時間も場所も、雰囲気も全く違う。今は昼間だし、人でごった返したテーマパークの喧騒は、夢の中とは真逆だった。
けれど侑子は、胸が踊りだすのを感じていた――いくら願っても再び見ることができなかった夢の中に、あの半魚人と一緒にいるような感覚に陥ったのだった。
「もう少しだけ」
目を閉じて左手首を胸に押し付ける。指先でなぞる鱗の触感から、思い描こうとする人はただ一人だけだった。
◆◆◆
「楽しかったね」
帰り道。
侑子は愛佳と並んで歩いていた。遊び疲れたはずだが、足取りは二人共軽かった。楽しい時間はあっという間に過ぎ去っていった。
「ごめんね、愛ちゃん。今日のこと、私のために計画してくれたんでしょ?」
「ああ。うん……。バレてた?」
苦笑いを浮かべる愛佳だったが、侑子は首を振った。
「唐突だったし、鈴木先輩はそんなこと言い出さないだろうなって。愛ちゃんだって、本当は二人だけでデートする方が好きでしょう?」
「ごめん。大きなお世話だって、本当は分かってたんだけど」
立ち止まった二人は、自然と向かい合った。愛佳の視線が、侑子の左腕のブレスレットに注がれる。
「ゆうちゃん、たまに辛そうだったから。ユウキちゃんのこと……本当は大好きなんだよね? その、恋愛って意味で」
夕日を浴びてキラキラと光るそのブレスレットが、どういう経緯で侑子の物となったのか。愛佳は知っていた。
魔法の道具であるようには見えないが、侑子にとってはそれ以上の意味がある品物なのだろう。
「報われなさすぎて、そんな恋じゃあまりにも辛いって……違う世界じゃなくてこっちの世界で、ちゃんとゆうちゃんが好きになれる男の子がいたらいいのにって思ったの。ごめんなさい。本当に余計なことしたって、反省してる」
俯く愛佳の長い髪は、夏の風を纏ってふわふわと揺れた。
侑子はそんな従姉妹の髪にふれると、優しく一撫でする。猫っ毛の感触は柔らかく、ヒノクニに迷い込む前、三つ編みの編み方を教えてあげた日のことを思い出した。
「ありがとう。愛ちゃんがいつも私のこと考えてくれてるの、よく知ってるよ。だから余計なお世話だなんて思わない」
愛佳の手を引いて、そのまま繋いだ手を解かずに侑子は半歩先を歩いた。
誰かと手を繋いで歩くのは、久しぶりのことだった。最後に手を繋いで歩いたのは、ユウキとの散歩の時だったのではないだろうか。
「それにね、今日遊園地に行って良かったよ」
言葉とともに口から滑り出す呼気は軽い。
「分かったから。ちゃんと自覚するべきだって。ユウキちゃんが私の本当に好きな人なんだってこと」
「ゆうちゃん」
「もちろん、恋愛の好きってことだよ」
再び立ち止まったのは、愛佳の足が止まったからだった。侑子は振り返る。
その清々しい表情を見て、愛佳は反論しようとした言葉を飲み込んだ。
投げやりではなく、前向きな感情から生まれる笑みなのだとわかったのだ。
「これから先、会えないんだとしても構わない。会えないからって消せる気持ちじゃないから、開き直ることにするよ」
笑った侑子の顔は、憐憫を誘うものでも、哀愁を感じさせるものでもない。目を瞠るほどの晴れやかな笑顔だった。
愛佳は四年前、失踪していた侑子が帰ってきた頃に感じた感情を思い出した。
――ゆうちゃんは変わった。すごくいい。今のゆうちゃんは、すごくいい
先のない恋に向かう従姉妹を、本来なら説得すべきなのかも知れなかった。だけどそれが出来ないのは、そんな彼女の姿に、たまらなく惹かれるからなのだろう。
「良いと思う」
侑子が眩しかった。愛佳は笑った。そして頷く。
「それで良いと思うよ」




